第4話「走り続ける意味」
試合開始を告げるホイッスルが鳴る直前、全員で大きな円陣を組んだ。一年も二年も三年も関係なく、互いの肩を強く組み合う。胸の奥に溜まった不安を吹き飛ばすように、ハルが声を張り上げた。
「声を出して走り切る! どんな相手でも最後まで食らいつく! 俺たちはそれを証明する!」
「おうっ!」と全員が腹の底から叫ぶ。小森が「勝ち負けよりも、ここで爪痕を残せ!」と檄を飛ばし、川俣も「最後まで全力で走り切るぞ!」と声を重ねる。歓声と熱気が渦を巻き、グラウンド全体を揺さぶった。整列の時、一同は古賀がスタメンから外れていることに気づく。「なめられてるのかよ……」牧野と山口が苛立ちを隠せない。一方で、吉原、片桐、村井は小さく息を吐き、胸を撫で下ろしていた。だが小森が低く言う。「相手が誰だろうと、やることは変わらない」川俣も「引き締めていけ」と声を重ね、ハルは強く頷いた。晴斗はあの日の光景を思い出し、不安に駆られる。そんな彼の肩を、陸が軽く叩いた。「お前の足は、俺の知ってる限り誰よりも速い。自信持て」
陸の一言に胸が熱くなり、不安が溶けていくのを晴斗は感じた。整列し、相手としっかり握手を交わすと、全員がそれぞれのポジションへ散っていった。
試合開始のホイッスルが鳴ると同時に、陸の正確無比なロングフィードが放たれた。その軌道に牧野が反応し、一気に裏へ抜け出す。周りがどよめき、ゴール前に迫る。しかし、そこに立ちはだかったのは根室大谷の屈強な守備陣。体を張ったブロックに阻まれ、得点には至らなかった。
その時、根室大谷のDFが初めて口を開いた。「おいおい。まじ!?こんなもん!?弱すぎ」と。
彼の名前は相馬玲央。関東のFC東京ユース出身で、かつては全日本に選ばれるほどの実力を誇った男。
その後のプレーから、根室大谷のスイッチが入った。以降は正確で速いパスワークと、一枚も二枚も上の個人技で主導権を握り、圧倒的な力を見せつける。そんな中、裏に抜け出した根室のFWに川俣が体をぶつけ、涼しい顔でボールをクリアした。「まだ始まったばっかだぞ! 飲まれんな!」川俣の檄が響き、チームは再び声を張った。その時、玲央が口元を歪めてつぶやいた。「……あっちにもいいのがいんじゃねえか。おもしれえ」その一言が火をつけたかのように、そこから試合は均衡状態に入っていった。新得は必死に走り回り、声を出して食らいつくが、前半の中盤にコーナーキックから玲央の豪快なヘッドを叩き込まれ、先制点を奪われる。さらに畳み掛けるように村井のクリアミスを奪われ追加点を許し、スコアは0-2となった。
村井は自分のミスに顔を歪め、肩を落とした。だがすぐそばで川俣が声を張り上げる。「下向くな、村井! まだ守れる、まだ戦える!」その檄に背を押され、村井は悔しさを噛みしめながら再び前を向いた。チームも気持ちを切らさず、なんとか持ちこたえた。
その光景を目にし、晴斗は必死に走った。自分には何もできない、ただ走るしかないとわかっていたからこそ、全力でピッチを駆け回る。片桐が懸命に足を伸ばし、川俣が体を張って止め、小森が吠えるように指示を飛ばす。
「下向くな! まだやれるぞ!」
その声に背を押されるように、わずかなチャンスが生まれた。陸が中盤でボールを奪い、華麗に玲央を抜き去る。玲央は思わず声を漏らした。「な、なんだこいつ……今、何が起こりやがった……」陸は一気に前へ走り出し、赤松が走路を作り、ハルがサイドを駆け上がる。観客席が大きなどよめきに包まれる。ベンチで腕を組んでいた古賀が、口元に薄い笑みを浮かべてつぶやいた。「フッ……あの男、やるな」その直後、裏へ抜け出していた牧瀬にパスが通り、牧瀬は思い切ってシュートを放つ。これはコースが甘くてキーパーに弾かれてしまった。そのボールに、陸がいち早く反応しシュートを叩き込んだ。シュートは惜しくもバーを越えたが、会場には確かな緊張が走った。
牧瀬は頭を掻きむしりながら悔しげに叫んだ。「あああ! くそったれ!」隣で陸は黙って舌打ちし、悔しさを押し殺した。
「……今の、入ると思った」晴斗が荒い息で呟く。
「見えただろ。俺たちだってやれる!」ハルが叫び、拳を突き上げた。
しかし、相手は強い。何度も守備を崩され、決定機を作られる。だが小森のファインセーブや川俣の体を張った守備に救われ、なんとか追加点は許さなかった。点は奪えず、力の差を見せつけられたものの、必死に声を張り上げ走り続ける姿だけは失われなかった。
前半終了の笛が鳴ったとき、スコアは0-2だった。だがベンチに戻った彼らの表情は、不思議と下を向いてはいなかった。むしろ瞳には、新しい光が宿っていた。ハルが「ここからだ、俺たちはまだやれる!」と声を張り、仲間を鼓舞する。小森は村井や片桐に細かくポジションの修正を伝え、川俣は山口と守備の動きについて短く言葉を交わす。晴斗も必死に息を整えながら、その輪の中で小さく拳を握った。牧瀬、赤松、陸の3人は、どうすればあの屈強なディフェンスを破れるのか、身振り手振りを交えながら真剣に打ち合わせをしていた。互いに眉間に皺を寄せ、必死に突破口を探っている。
「まだ終わっちゃいねえ。後半、もっとやれることがあるはずだ」小森が低く言う。吉原も頷き、「声を切らすな。最後まで走り切れ」と声をかけた。
彼らの胸には、勝敗を超えた確かなものが芽生え始めていた。
その時、背後から低い声が響いた。振り返った二、三年生が目を見開く。「なんだおめえら、情けねえスコアじゃねえか」声の主は相馬源治――通称“源さん”。新得が全盛期だった頃に監督を務め、今は教職を退き用務員をしている人物だった。前回の紅白戦で一年生チームに助言をしたのも、この源さんだと知り、一同は驚きを隠せなかった。源さんは腕を組み、厳しい眼差しを向ける。「これ勝てなきゃ、お前らの先は見えてんな」その一言に空気が張り詰める。小森が思わず声を上げた。「じゃあ、どうすれば勝てるんすか」源さんはにやりと口元をゆがめ、「しょうがねえ、指示とはいかねえが――いいこと教えてやるよ」と言い残した。場の緊張は最高潮に達した。すると突然、相手ベンチから叫び声が響いた。「はあああああ!? じいちゃん!? なんでここに!?」玲央の驚きに周囲がざわつく。親の事情とは、彼の祖母の死により祖父――相馬源治――が一人になるため北海道に戻らざるを得なかったことだった。源さんは胸を張って答える。「玲央よ。もうお前の好きにはさせんぞ」その顔は叱責の色を浮かべながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。
場所は変わり、観客席には日高、上杉、田嶋の姿もあった。日高が口を歪め、「あのクソ一年共、やっぱなんもできねえな」と吐き捨てる。上杉は肩をすくめ、「まあ、こんなもんだろ」と淡々と答える。普段なら嘲笑する田嶋は黙ったまま試合を見つめていた。日高が怪訝そうに「どうした田嶋、らしくねえじゃん」と問いかけると、田嶋は低く呟いた。「……野郎。またノコノコ帰って来やがったのか」
後半開始直前。根室大谷のベンチがざわめき、背番号10――古賀武の名が呼ばれた。ベンチを立った瞬間、観客席が一斉にどよめく。ピッチに送り込まれるその姿に、ハルは息を呑み、晴斗も足が震えた。「まさか……ここで出してくるのか」川俣が奥歯を噛みしめる。「本気を出してきやがったな」玲央は舌打ちしながら、それでも口元に不敵な笑みを浮かべた。「へっ・・・勝ったなこりゃ」
古賀はピッチに立つとすぐに晴斗の前に歩み寄り、低く冷たい声で言い放った。 「お前みたいなやつがここに立ってるのが不思議だな。正直、邪魔だ。試合が終わる頃には自分の無力さに気づくはずだ」 そのクールな響きに、晴斗の脳裏にあの頃の記憶がよみがえった。
ピッチ上の空気が、一瞬で張り詰めた。後半開始のホイッスルが鳴ろうとしていた。




