最終話
ヴェストールを探す旅に出て4年の歳月が経った。私の年齢は20歳になっていた。以前のおどおどした新米冒険者の面影は、もうどこにもない。しかし、彼のいない心は、いつもどこか満たされないままだった。
そんなある日、王都で衝撃的な噂を耳にした。
「青い竜が、湖の近くに現れたらしいぞ!」
「珍しい素材が手に入るかもしれん! 国王陛下が討伐を検討しているとか……!」
国王は珍しい素材の収集に熱心なことで知られていた。竜の素材は、魔法具の作成や、強力な武具の鍛造に欠かせないものだ。彼らは、ヴェストールを「災厄の竜」と呼んでいた。
私の胸に、冷たいものが走った。
青い竜。
この広い世界に、数多の竜がいる中で、なぜよりにもよって青い竜なのだろうか。
ヴェストールが竜になった時の姿は、あの鮮やかな青だった。彼が私を救うために見せた、圧倒的な力。そして、彼が人間だった頃の髪も瞳も、あの深い青色だった。偶然にしては、あまりにもできすぎている。
最初は単なる憶測だった。しかし、その憶測は、確信へと変わっていく。
以前、ヴェストールが教えてくれた「迷いの森の夜にしか咲かない青い花」の話を思い出した。
あの時、彼が言った。
「星の光を集めて、こうして輝く……あるいは、夜の魔力を吸い上げて、その力を一時的に貯め込んでいる」
そして、彼の指先からも、微かな青い光がこぼれ落ちた。あの光は、まるで彼の体内から溢れ出る魔力そのものだった。
彼が、私のために竜の姿を現したあの瞬間。あの時、彼は私を「アイシャ」と呼び、心配そうに私の瞳を見つめていた。その瞳は、竜になっても変わらない、澄んだ青だった。
あの青い竜は、ヴェストールだ。
確信した瞬間、私の心臓は激しく脈打った。
喜びと、そして再び彼が危険に晒されていることへの恐怖が、同時に押し寄せた。
ヴェストールが、見世物のように討伐されようとしている。それは、絶対に避けなければならない。
私の力では、国王の命令を止めることはできない。ならば、私がすべきことはただ一つ。ヴェストールに会って、逃がすことだ。
討伐軍が出発する前に、彼に会わなければ。
私はすぐに身支度を整え、噂の湖へと向かった。
湖の周辺は、深い森に囲まれていた。竜の目撃情報が広まっているせいか、人影はほとんどない。私は慎重に森の中を進んだ。日が傾き、湖面に夕日が反射してきらめいていた。
湖畔に立つ巨大な樹の陰に、私はその姿を見つけた。木々の間から差し込む光を受けて、青い鱗が鈍く光る。その姿は、紛れもなく、あの時の竜だった。
私の心臓が、激しく脈打つ。会いたい。でも、彼に会って、何と伝えればいいのだろう。彼は、私に会って喜んでくれるのだろうか。それとも、私が来たことを迷惑に思うだろうか。
私は意を決して、彼の元へと歩み寄った。
「ヴェストール……!」
私の声に、青い竜はゆっくりと首をこちらに向けた。その瞳は、やはりあの時の彼の瞳と同じ、澄んだ青色だった。そして、その巨大な身体が、青い光に包まれる。
光が収まると、そこに立っていたのは、数年前と変わらない姿の彼だった。青い髪、青い瞳。懐かしく、そして愛しいその顔が、私の目の前にある。
彼の青い瞳は、私をじっと見つめていた。そこには、懐かしむような色が宿っていたけれど、同時に、深い罪悪感のようなものも感じられた。
「アイシャ……なぜ、ここに……」
彼の声は、昔と変わらない、少し冷たいけれど、どこか優しい響きを持っていた。
「会いたかった……ヴェストール……」
私は彼に駆け寄り、その胸に飛び込んだ。彼の腕が、優しく私を抱きしめる。彼の温もり、彼の匂い。全てが、私にとって安らぎだった。
「国王が……国があなたを討伐しようとしているの。逃げて……逃げてほしい」
私は顔を上げ、彼の瞳を見つめた。
「私は、あなたに危険が及ぶのを見たくない。だから、逃げて」
ヴェストールは、悲しげに瞳を伏せ、私の言葉に、彼は何も言わなかった。
「ェストール、お願い一緒に逃げて。そして、もう一度、昔みたいに、一緒に冒険したい。あなたとまた、色々な場所に行って、色々なものを見て……」
私がそう提案すると、彼は静かに首を横に振った。
「それは、叶わない。本来、竜と人間は、交わるべきではないのだ」
彼の声は、苦しみに耐えるように絞り出された。
その瞳には、深い悲しみと、私を巻き込むことへの恐れがにじんでいた。
「それに……君を、危険な目に遭わせたくないし、迷惑をかけてしまう」
彼の言葉に、私の胸は締め付けられた。
「迷惑なんて……そんなことないわ! あなたが竜だなんて、私には関係ない! 私は……私にとって、あなたはヴェストールよ! それだけよ!」
私の叫びに、ヴェストールは何も答えなかった。彼の瞳は、深く、悲しげに私を見つめていた。何かを言いたげに唇を開きかけたが、結局、言葉を紡ぐことはなかった。
その時だった。
「竜がいたぞ!」
背後から、無数の声が聞こえた。私は咄嗟に振り返った。
討伐軍だ。
彼らは既に私たちを見つけ、弓を構えていた。矢が、無数に放たれる。
「ヴェストール……っ!」
私は彼を守るように、思わず彼を庇った。
その瞬間、鋭い痛みが背中に走った。熱いものが、私の身体を伝っていく。私は、背中に矢が刺さったことを悟った。
「アイシャ……っ!」
ヴェストールの叫び声が、私の耳に届いた。視界が、ぐにゃりと歪む。
「よくも……よくも、アイシャを……!」
ヴェストールの身体から、再び青い光が放たれた。それは、先ほどよりもはるかに強く、激しい光だった。光が収まると、そこにいたのは、怒りに燃える巨大な青竜だった。
竜の咆哮が、森中に響き渡る。その咆哮は、まるで天地を揺るがすかのようだった。怒りに荒れ狂う竜は、討伐軍へと向かっていく。巨大な爪が、兵士たちを容赦なく薙ぎ払い、口から放たれるブレスは、あたり一面を焼き尽くした。討伐軍の放つ矢や魔法は、竜の青い鱗に触れることすら叶わず、まるで空気のようにすり抜けていった。
私は、朦朧とする意識の中で、その光景を眺めていた。ヴェストールが、私を傷つけた者たちに、怒りをぶつけている。その姿は、恐ろしいはずなのに、私には、ただ悲しく、切なく見えた。
やがて、討伐軍の叫び声は止んだ。あたりは静まり返り、焦げた匂いが鼻をついた。
竜は、その巨大な身体に傷一つないまま、私の元へと戻り、必死に這い寄ってきた。
竜の身体が、再び青い光に包まれる。光が収まると、そこには、虚ろな目で私を見つめるヴェストールの姿があった。彼は、人間の姿に戻ってくれたのだ。
彼は私のそばに膝をつき、震える手で私の身体を抱きしめた。
「アイシャ……アイシャ……!」
彼の声が、私の耳元で震える。私の背中からは、まだ熱い血が流れ続けているようで激痛が治まらない。
「ヴェストール……」
私は彼の頬に手を伸ばした。彼の顔は、涙で濡れていた。
「すまない……私がいなければ、君はこんなことに……」
「違う……」
私は、かすれた声で訴えた。
「私……あなたのこと……」
彼の青い瞳が、私をまっすぐに見つめる。そこには、深い悲しみと、そして私への溢れんばかりの愛情が宿っていた。
「いつまでも……愛してる……」
私の言葉と共に、意識は深い闇へと沈んでいった。彼の温かい手が、私の頬を包み込む。彼の涙が、私の顔に落ちる。
ああ、ヴェストール。私は、あなたと出会えて、本当に幸せだった……。
◇◇◇◇
アイシャの命が尽きた瞬間、ヴェストールの世界は静寂に包まれた。しかし、その静寂は次の刹那、計り知れない怒りの爆発へと変わった。彼を傷つけた者たちへの、そして愛する者を守りきれなかった自分自身への、荒れ狂う憤怒。青竜の姿に戻ったヴェストールは王都へと向かった。
彼の怒りは、森の境界線を越え、王都を飲み込んだ。煌びやかな城はたちまち崩れ落ち、かつて賑わいを見せた通りは血に染まった。彼は区別なく、そこにいた全ての命を、ただひたすらに滅ぼし尽くした。国王の傲慢さも、民の無知も、彼には関係なかった。彼の目に映るのは、ただアイシャを傷つけたという一点のみ。そして、その怒りの矛先が収まった時、王都は跡形もなく消え去っていた。
だが、王国を滅ぼしたところで、ヴェストールの心は満たされなかった。それどころか、彼は深い絶望と自己嫌悪の淵に沈んでいった。
アイシャの死を目の当たりにし、彼は悟った。人間として生きることは、彼にとって単なる暇つぶしだったかもしれない。しかし、アイシャとの出会いは、彼の世界に色を与え、生きる意味をもたらしていたのだ。
彼女を失った今、世界は再び色を失い、それどころか、彼自身の存在すら意味をなさなかった。
「アイシャ……」
血塗られた大地の上で、彼は人間の姿に戻った。その青い瞳は、もはや光を失い、深い虚無を映していた。自らを竜であると知りながらも、人間の姿で彼女のそばにいたこと。彼女を愛し、守ろうとしたにもかかわらず、結果的に彼女を傷つけ、命を奪ってしまったこと。そして、その悲しみを怒りに変え、無関係な多くの命を奪ってしまったこと。全てが、彼自身を責め苛んだ。
「私は……やはり、災厄だったのだ」
ヴェストールは、生きる意味を完全に失っていた。彼にとっての光は、すでに消え去ってしまった。この世界に留まる理由など、どこにもない。彼は静かに立ち上がると、視線を遠く、地平線の向こうにそびえ立つ、常に煙を吐き出す活火山へと向けた。
彼は青竜の姿に戻り、天高く舞い上がった。その巨大な影は、焼け落ちた王都の上を過ぎ、一直線に火山へと向かう。地鳴りのような唸り声を上げながら、火口の縁へと辿り着いた彼は、煮えたぎる赤い溶岩湖をじっと見つめた。その熱は、彼の心を凍てつかせる絶望と虚無を、一時的に溶かすかのようだった。
「アイシャ……今すぐ、君のもとへ……」
彼は最後の言葉を呟くと、迷うことなくその身を灼熱の溶岩湖へと投じた。轟音と共に、巨大な竜の身体は溶岩の中に沈んでいく。青い鱗が溶岩の赤に染まり、やがて泡となって消えていった。
そして、彼の魂は、遥か彼方へと旅立った。
愛するアイシャの魂が待つ、あの場所へと。
(完)
いつも応援ありがとうございます!
この物語を最後までお読みいただき、本当に感謝しています。
今後の創作に繋げたいので、作品のご評価(下の☆をタップすれば評価できます)や率直な感想をいただけると幸いです。
さて、次回作は装いを新たに、全17話のハッピーエンドなラブコメ恋愛物語をお届けします!
伝説の【紅蓮の竜殺し】の女冒険者は、なぜか気弱な鍛冶職人が気になって仕方ありません~最強と最弱の二人の恋の物語
https://ncode.syosetu.com/n5466kp/
第1話は6/14公開済み!
以降、16日間連続で毎日更新します。
(土日は午前中、平日は夕方にアップします)
最強の女冒険者と最弱の鍛冶職人、二人の恋の行方をどうぞお楽しみに!