第4話
その日は、突然訪れた。
私たちがとある遺跡の探索依頼を受けていた時のことだった。奥深くに隠された秘宝があると聞き、ヴェストールと共に慎重に進んでいた。しかし、私たちが足を踏み入れたのは、秘宝ではなく、古代の魔術師が残した罠だった。
突如、床から鋭い槍が飛び出し、私の身体を貫こうとする。私は咄嗟に身をひねったが、完全に避けることはできず、右肩に激痛が走った。身体を蝕むような悪寒と痺れが瞬く間に全身に広がり、意識が遠のいていく。視界が霞み、身体の感覚が薄れていく。
「アイシャ!」
ヴェストールの焦った声が聞こえた。私の視界が霞む中、彼は私を抱きかかえ、安全な場所に運び出そうとする。しかし、罠は連動していた。四方から巨大な岩が迫り、私たちを押し潰そうとする。ゴゴゴ、という鈍い音が響き、壁が迫ってくるのが分かった。
「くそっ!」
ヴェストールが歯噛みする音が聞こえる。彼は私のために、何とか道を切り開こうとしていた。しかし、彼の力をもってしても、この状況を打開するのは難しいように見えた。私の意識は朦朧とし、呼吸が浅くなる。このまま、ヴェストールまで私に巻き込まれてしまうのか。そんな思いが頭をよぎり、涙が溢れた。
「ヴェストール……逃げて……」
かすれた声でそう伝えたけれど、彼は私の言葉を聞いていないようだった。彼の瞳は、私を救うためだけに燃え盛っていた。その怒りに燃える彼の顔は、刻一刻と薄れていく私の意識の中で、最期に見る光景となった。
その時、ヴェストールの身体から、青い光が放たれ始めた。光は次第に強くなり、彼の身体を包み込む。そして、信じられない光景が目の前に広がった。
彼の身体が、巨大な影となっていく。皮膚は鱗に覆われ、手足は鋭い爪を持つ鉤爪に、背中からは巨大な翼が生え、その姿は、伝説に語られる竜そのものだった。青い鱗は光を反射し、夜空の星のようにきらめく。その圧倒的な存在感に、私はただ呆然と見つめることしかできなかった。
ヴェストール……いや、青い竜は、咆哮を上げた。
その咆哮は、ただの音ではなかった。私の魂を震わせるような、根源的な力が爆発したかのようだった。遺跡の天井は粉々に砕け散り、壁にはひびが走り、あたり一体の魔力が激しく乱れるのが、意識の霞む中でも感じられた。
まるで、彼の怒りが空間そのものを歪めているかのようだった。竜の爪が岩壁を切り裂き、道を塞いでいた岩の塊はあっという間に粉砕されていく。竜が吐き出す息は、熱風となって私の頬を撫でた。その熱は、命の灯火が消えかける私に、最後の温もりをくれた。
彼は私を優しく掴み、その巨大な背に乗せた。竜の飛行は、想像を絶する速さだった。一瞬のうちに、遺跡の地上に舞い戻り、私を安全な場所に降ろした。
身体を支配する異変に抗いきれず、私の意識は完全に途絶えた。次に目を覚ました時、私は見慣れない部屋のベッドの上にいた。
そして部屋には、彼の姿はなかった……。
◇◇◇◇
彼が私を救ってくれたことに、疑いの余地はなかった。でも、その事実が、私を深く混乱させた。
彼は、なぜ私を助けて、そして去ってしまったのだろう?
彼の正体が竜だったことに、私は恐れを抱いたのか? いいや、そんなことはなかった。ただ、驚きと、彼の隠された秘密を知ってしまったことへの戸惑いがあっただけだ。
「なぜ……なぜ行ってしまったの……?」
治療師がいなくなった部屋で、私は声に出して呟いた。彼は、私が彼の正体を知ったから、私のもとを去ったのだろうか。それとも、彼が竜であるという事実が、私たちを隔ててしまうと、そう考えたのだろうか。私たち二人の間に、乗り越えられない壁があると、彼だけがそう感じていたのだろうか。
彼のいなくなった世界は、再び色を失ったようだった。目の前に広がる景色は、以前と何も変わらないはずなのに、鮮やかさを欠き、全てが灰色の膜に覆われているように感じられた。彼の隣で冒険をしていた日々は、まるで夢だったかのようだ。楽しかった記憶が、走馬灯のように頭を駆け巡る。彼が教えてくれた冒険の知識、魔物の習性、剣の構え方。彼の優しい微笑み、そして、あの星降る夜に「愛している」と囁いてくれた声。その全てが、私の心を締め付けた。
私たちは愛し合っていたはずなのに、なぜ彼は私を置き去りにしたのだろう? 彼の選択が、私のためだとすれば、それはあまりにも一方的で、私の心を深く傷つけるものだった。守られたはずの命は、彼のいない世界で、何の価値も見出せずにいた。
胸の奥が、氷のように冷たく、そしてズキズキと痛む。涙は枯れてしまったはずなのに、心の奥底では、絶え間なく悲しみが溢れ出していた。彼の姿が見えないこと、声が聞こえないこと、温もりが感じられないこと。その全てが、私にとって耐え難い苦痛だった。孤独と絶望が、再び私を覆い尽くそうとしていた。
でも、このままではいけない。私は、彼を探す旅に出ることを決意した。たとえ、彼が私のもとを去った理由が何であれ、私は彼に会って、直接その理由を聞きたかった。彼が私を愛してくれたという言葉が、嘘ではなかったと信じたかった。この心に開いたぽっかりとした穴を埋めるために、私は再び歩き始めるしかなかった。
ヴェストールを探す旅は、想像以上に過酷なものだった。彼は痕跡を残さず、まるで最初から存在しなかったかのように、この世界から姿を消してしまったようだった。
私は以前よりもずっと強い冒険者になっていた。彼との冒険で培った知識と経験が、私を支えてくれた。どんな困難な依頼も、どんな危険な魔物も、私は恐れず立ち向かっていった。そうすることで、ヴェストールに近づける気がしたからだ。
旅の途中で、私は竜に関する様々な情報を耳にするようになった。竜は気まぐれで、人間とは相容れない存在。人間の世界に興味を持つ竜は稀で、彼らは人里離れた場所に棲み、めったに姿を現さない。
ヴェストールが人間として暮らしていたのは、本当に単なる「暇つぶし」だったのだろうか。
彼が私を救うために竜の姿に戻った時、彼に何らかの代償があったのだろうか。
私のせいで、彼は故郷に帰ることができなくなったのだろうか。
様々な疑問が頭を駆け巡り、答えを見つけることができないまま、時間だけが過ぎていった。
次回は最終話です。明日6/13の夕方アップします。