第九話
エリが目標を再設定してから、数か月後、季節は二度変わり、秋から冬へ、冬から春へと変わっていた。降り積もった雪が、融けまいと日当たりの悪い路地の片隅に身を寄せ合ってその存在を保ち続けている時期、エリは悩んでいた。ジョンの事である。
目標達成のためのエリの行動は迅速かつ、慎重に行われていた。まずはレマを追い出して以降、縮めていなかった距離感を再度縮めていくために、ばったり出会ったという体を装ってジョンと日常会話を重ねていった。これはお互いに王宮の中で暮らしているという事もあって簡単に繰り返せた。会話の内容は当り障りのない内容であったが、それを何度も繰り返していき、徐々に相手の内情を知るような質問をしたり、さりげなくボディタッチをしてジョンに親近感を湧かさせていった。
そうして、ある程度関係性が出来上がったところで、冬の一大行事、大切な人に贈り物を贈る日に、自ら編んだ手袋をジョンにプレゼントした。これは、水晶でジョンが手を寒そうにこすり合わせている光景を覗き見た時に、一番効果的なプレゼントだと思い、エリが急いで作った物だった。エリの推測は当たっていた。その日以降、ジョンは毎日の様にエリの部屋に来るようになり、年越しの日には、周りに従者たちがいたとはいえ、日付と年が変わる時まで一緒に過ごしていた。
押せばいける。そう確信したエリは、つい先日に自室でジョンと二人きりになった時に、そういう雰囲気を漂わせてみた。だが、結果は不発だった。立場的に問題があると言ってジョンは断ったが、エリにはその真意が分かった。ジョンの心の中には未だにレマがいた。
「自分で婚約を破棄した癖にまだ引き摺ってんのかよ!」
他に誰もいない部屋でエリが吠えた。エリのその言葉が事実である証拠に、ジョンがレマの捜索を秘密裏に始めさせていたのを水晶で見た。それだけならまだ、貴族の娘が行方不明のままでは不味いという政治的な配慮によるものかもしれなかった。だが、王宮で、数週間後にあるパーティーが開かれる。主催者は王子であり、招待客は貴族の若い未婚の女性というパーティーである。これ自体は歴代の王子が婚約者など相手のいない時に伝統的に行われてきた所謂妾を探させる会である。だが、今回はその中から正室を選ぶかもしれないという噂がまことしやかにささやかれていた。この二つの出来事が別々の時期であるならば、それほどエリは気にしなかった。しかし、このタイミングでは、レマをパーティーに呼び寄せて、そこで再度婚約を申し込むという回りくどい筋書きが透けて見える。その際、エリが受けたいじめの被害は、レマが厳しい環境で今まで過ごしてきたことを贖罪として無かったことにするであろう。元々なかったことではあるが。
もしそうなってしまえば、今までの苦労が無かったことになるだけでなく、最悪の場合エリの捏造がバレる危険性すらあった。エリは何としてでもレマのパーティーへの参加を止めなくてはならなかった。
こういう時のエリの頭は冴えわたる。彼女はすぐに、王族が政敵の排除のために密かに使用しているという伝承のある秘薬の存在を思い出していた。
その数日後、悪役令嬢たちの住まう家。
レマはミズキやオーリエと一緒に、育った野菜の収穫をしていた。今回育ったのは白菜とほうれん草である。二種類とも、保温のために敷いた敷き藁の間から元気な姿をお披露目していた。それらを有難く収穫して籠に入れていく。
「暫く白菜には困りませんね」
オーリエの言った通り、白菜の出来がかなり良く、大きめに育っていた。簡易的に作った畑であったが、植物というものはあまり居住環境に文句を言わないようだった。ほうれん草も良く育っており、どちらも売りものに出来るほどの量では無かったが、七人で食べていくには十分な量であった。
収穫を終え、保存のための処置をしていると、サキが小さなざるを抱えてやって来た。
「コッ子が……産むようになった……卵……」
鶏の番を繁殖させて孵したヒヨコが、大人になり卵を産めるようになっていたようだった。サキの抱えているざるには、卵が二つ載っていた。
「あまり名前を付けない方が……。……雌鶏だから、まあ大丈夫かしら……?」
鶏たちはペットでは無く家畜であるため時には無情な末路を辿ることがある。雄鶏ならなおさらだ。だが雌鶏であるならば、ある程度温情のある生涯を送らせることが出来る。サキがトラウマになるようなことはあまりないだろう。
保存の処置を終えて、すぐに使用する量の野菜だけ持って家に戻ると、中でアイが喜びに満ちた表情でレマ達を待ち構えていた。明らかに上機嫌な理由を尋ねて欲しそうだった。そんな気持ちを察したというよりも、感じたであろうミズキがアイに話しかけた。
「アイちゃんどうしたのー?」
アイは暫くもったいぶってから答えた。
「遂に完成したんスよ!魔道具が!」
その製作の難しさをアイから聞かされていない者はいない。サキを除いてこの場にいる人間全員が驚き、褒めたたえた。普段は褒められると顔を隠すアイも、よほどうれしかったからなのかそれをしようとしなかった。
「見せて見せて!」
ミズキがせがむとアイが自慢げに筒状のものを取り出した。それは光を放つ魔道具と見た目が似ていた。
「この魔道具にはどういった機能があるの?」
そうレマが尋ねると、既にアイは実演を始めていたようだった。アイがスイッチの様なものを操作すると、先ほどのレマの声がそのまま聞こえてきた。
「音を録音して再生する機能っス。まあ前世でいうボイスレコーダーっスね」
アイがそう言った事でレマは気付いたが、形もそれと酷似していた。
「まあ……この世界じゃあまり使い道ないんスけどね……」
アイの言った通り、この魔道具も偉大な発明ではあったが、商品としての需要は他の魔道具と変わらなさそうだった。精々同じ魔道具研究者か、珍しい物好きの貴族が買っていくだけであろう。それでも自力で魔道具を開発したアイの凄さにケチが付くわけでは無かった。
「今日はお祝いですね」
オーリエがそう決めた日には、決まって豪勢な食事が出る。豪勢といっても貴族の暮らしからしてみれば、ささやかなものではある。それでも、この家に住む者達に取ってはごちそうであり、味と、込められた愛情は、王宮で出されたどんなに豪華な料理であっても敵うものでは無かった。
「ただいま帰ったでござる」
グリンと一緒に薬草取りに行っていたシアンが帰ってきた。だが、一緒に出掛けていたはずのグリンの姿が無かった。
「あれ?グリンさんは何処っスか?」
アイがシアンにそう聞いた。早くグリンにも魔道具の完成を教えたいのだろう。
「グリン殿は用事があるらしく、某だけ帰ってきたでござる」
「そうなんスね……。まあお披露目する回数が一回増えただけっス」
そういい、アイはシアンに魔動具を披露した。シアンの反応もレマ達と同じように驚き、発明させたアイを褒めた。またも、アイは顔を俯けなかった。
グリンはその頃、リオレがいる拠点にいた。あの日に出会って以来、酒を飲みに来るか、他の悪役令嬢たちに話しづらい事を話に来るか、或いはその両方をしに度々訪れていた。今でもグリンはリオレの事を狩人だと思っているし、リオレの方も態々それを訂正していなかった。未だにグリンとミズキの二人は、リオレがレマを監視していることを知っていない。
「……そうか、その子の誕生日が近いのか……」
「ええ……他のはしたことあるけど、一人だけその日が初なのよね」
「それで?それだけを言いに来たわけじゃないんだろう?」
リオレがグリンに心の内を吐露させることを促した。グリンは一口酒を飲み、口を滑らしやすくしてから言った。
「……その子の誕生日にケーキを用意したいんだけど……協力してくれないかしら?」
グリンの言う協力とは、リオレに誕生日当日に町からケーキを運んできて欲しいとのことだった。町から家まで人の足なら半日ほどかかるが、馬ならそれの半分ほどの時間で済む。
「勿論ケーキ代だけじゃなくて、手間賃も渡すわ」
グリンはそういうと巾着袋を取り出し、それごとリオレに渡してきた。リオレが中を覗くとお金が入っていた。手間賃を含むケーキ代という事なのだろう。リオレはその依頼を受けた事を示すように巾着袋を懐に入れた。
「いいのか?持ち逃げするかもしれないぞ?」
「そうする人間ならそんな事言わないわよ。それに、あんた見るからに善人だし……」
グリンは一度大きく皮袋を傾けると、立った。
「それじゃあお願いするわね」
グリンが去る直前に手渡してきた皮袋は、滞在時間の短さにしてはかなり軽くなっていた。
そんな二人の様子を水晶越しに見ていた者がいた。エリであった。傍らには黒い巾着袋に入った『王家の秘薬』があった。
「何よ……。バレないどころか普通に交流してるじゃない……」
手に入れた秘薬をレマにどうやって飲ませるかを考えるために、初めて覗いたレマの生活。ふと監視しているはずのリオレの姿が見えない事が気になって、リオレの方を覗いてみたらこの光景が映っていた。遡って今までのリオレの嘘を暴いていってもいいが、それをしている暇はエリになかった。エリはすぐに侍女を呼び、指示を下した。
「私に合うサイズの鎧と兜。それに馬。それからケーキの材料を用意して頂戴。……あ、材料は結構多めにね」
レマの誕生日まで一週間。あまり時間的余裕はない。エリは久しぶりに、体の中を熱いものが駆け巡っていくのを感じた。
翌日、エリは買ってきてもらったケーキの材料を持って、以前住んでいた下宿へと変装していった。人目を避ける必要があったからだった。大家の老夫婦は突然訪れたエリを歓迎してくれ、キッチンを貸してほしいという急な願いも聞き入れてくれた。これはエリが神の祝福を受けた女性だからというよりも、老夫婦にとってエリが孫の様な存在だったからであろう。エリは礼を言うと早速キッチンに立ち、ケーキ作りを始めた。この世界のキッチンでケーキを作るのは初めてであり、エリは苦戦していたが、空いた時間が出来れば人目を盗んで下宿に訪れ、練習し続ける日々を数日続けると、遂に人前に出しても恥ずかしくないケーキが作れるようになった。レマの誕生日の二日前の事だった。
その次の日に、エリは、報告に訪れていたリオレにこういった。
「あなたの監視の任を解くわ。お疲れ様」
エリはそう言い、リオレに質問の暇を与えず下がらせた。恐らくだが、元からリオレはケーキの受取の為に、明日まで、エリにバレないようにこの町にいるつもりであっただろう。それが、監視の任が無くなった今、堂々と町に滞在できる。これで、今日、森でリオレと鉢合わせする可能性はほぼ皆無になった。
エリは急いで下宿へ向かった。王家の秘薬を隠し持って。
下宿でのケーキ作りは手慣れた事もあって今までで一番早く終わった。秘薬の分量は測っていないが、それ以外はきっちりとレシピ通りに作った、ちゃんとしたケーキだった。秘薬入りの大きなケーキと普通の小さなケーキが二つ、キッチン台の上に並んでいる。小さなケーキは材料が余ったために作った老夫婦用のケーキだった。エリはそのケーキを老夫婦に渡すと、感想も聞かずに下宿を飛び出していった。あまり時間が無い。箱に入れた大きなケーキの形が崩れないように気を付けながら、エリは下宿近くに隠してあった馬と鎧がある場所へ向かった。そこで素早く鎧を着装し、馬にまたがり、レマの住んでいる家へと向かった。
これからの彼女の思い描いている筋書きはこうである。リオレの代理を装いながらケーキを住人の誰かに渡す。日にちがずれていることはそもそも、ケーキを用意している浅緑の髪の女しか気づかない。他の者はまず受け取る筈だった。それからなし崩し的に始まったレマの一日早い誕生日会。最初の一口は必ずレマが食べる筈である。そうして秘薬入りケーキを食べたレマは倒れ、エリの作戦は成功する。
完璧な計画とはいいがたいが、時間も手段も限られている現状ではこれが最善だとエリは思っていた。
目的地へは、日が赤く染まった頃に着いた。兜で顔を覆い、扉を叩く。中から、金糸雀色の髪の女が出て来た。
「どちらさまー?って女騎士さんじゃん!?どうしてこんなとこに!?」
「リオレ様の代わりにお届け物を届けに参りました」
「リオレって誰―?」
エリはしまったと思った。てっきり全員と交流があると思っており、この女とはそれが無いとは知らなかった。だが、金糸雀色の髪の女は細かい事を気にしない人間らしく、疑いもせずケーキを受け取った。エリは辞儀し、その場を去っていった。後ろから陽気なお礼の声が聞こえてきた。
エリは馬にまたがると、薄暗くなった森の中を帰っていった。
その翌朝、エリの陰謀の事などつゆ知らず、リオレは店でケーキを受け取った。
「少し大きかったか?」
七人で食べても翌日に持ち越しそうな、二段重ねのケーキを慎重に運びながら、リオレは店を出た。
「まあ、いいか。悪い事じゃないだろう」
祝い事は盛大にした方が良いという持論をリオレは持っていた。そのため、注文したケーキは、グリンが恐らく想定していたであろう値段よりも大分足が出ていたが、それはリオレの手間賃の分で補った。
時間はまだ昼と朝の境目ぐらいの時間帯であり、気温もまだ冬の名残を感じさせる低さであるため、急いでいかなくても傷みそうにない。リオレはケーキが崩れないようにゆっくり行くことにした。
「それにしても……急に監視の任を解かれたのが凄い気になるな……」
馬の背に揺られながら、リオレがそうひとりごちた。急に命ぜられた任務なため急に解かれても不思議ではない。だが、リオレは嫌な予感がしていた。そして、その予感は当たっていた。
リオレは普段よりも長い時間をかけ拠点に着いた。ここで待っていれば夕方になる前にグリンが受け取りに来るという約束だった。しかし、日が赤く染まり、その姿を山際に沈みこませようとしている時間になってもグリンは現れなかった。
リオレはしばらく悩んだ結果、意を決して、グリンの家に向かうことにした。どうせ監視の任は解かれているのである、彼女たちと接触することに今は何の制約もない。それに嫌な予感もある。リオレはケーキを持って、森を通い慣れた方へ歩いていった。
家のそばまで近づくと人の気配があるのは分かった。だが、監視中に感じていた活気はなかった。心臓が嫌なリズムで鼓動をし始めた。リオレは二、三度躊躇ってから扉を叩いた。暫くしてから扉がゆっくりと開き、中から浅緑色のツインテールの女性が出てきた。その眼は赤く充血し、髪色と同じ色の瞳を縁取っていた。
「ごめんなさい……。忘れていたわ……」
グリンが珍しく素直に謝罪した。その普段と違う様子が、何か重大な出来事があったということをリオレに予感させた。
「その……中に入ってもいいか……?」
女の園に入るのは憚れるが、中で何が起きたのか確認しておきたかった。グリンは扉を更に開けた。入っていいという事なのだろう。そう解釈し、リオレはおそるおそる入って行った。数か月の間外から眺め続けていた家の内部は外観よりも広く感じられた。奥にはキッチンがあり、食べかけのケーキが置かれていた。右手の方には大きなテーブルがあり、そこの席に五人の女性が沈痛な面持ちで座っていた。そして左手にはベッドが等間隔に互い違いで七つ置かれており、その一つでレマが死んだように熟睡していた。しかし、ただ寝ているにしては様子がおかしい。リオレはレマに近寄った。近くで見てようやく分かった。レマは熟睡しているのではなく、昏睡しているのだった。
「昨日、誰かから届けられたケーキを食べてからこうなっているの……。すぐに吐かせようとしたけど……全然反応が無くって……」
リオレがその時の様子を尋ねるとグリンは詳細に教えてくれた。
グリンが帰宅するとテーブルに謎の箱が置いてあった。近くにいたミズキにこれが何か聞くと、
「リオレって人からだってさー」
「……約束の日は明日だって言ったのに……。……まあ仕方ないか……」
明日まで置いておくのも衛生的にも味的にも宜しくはない。グリンは皆を呼び集めてから箱を開けた。中には、少し形が崩れていたが、大き目のケーキが入っていた。
「レマ。あんたの誕生日ケーキよ」
「私ですか……?誕生日は明日ですけど……?」
「……日付が変わるまで祝えば一緒でしょ?オーリエ、サキとミズキがつまみ食いする前に切り分けて頂戴」
「ケーキなら私でも作れましたのに……」
オーリエが無念そうに言った。それほどレマの誕生日ケーキを作ってあげたかったのだろう。
「それじゃサプライズにならないじゃない。……明日作ればいいでしょ!そんなに落ち込まないで!」
蝋燭が無いため、誕生日の者が暗闇の中でそれを吹き消すという儀式は省かれた。
皆の前に綺麗に等分されたケーキが置かれた。グリンは主役より早く食べようとする二人を注視しながら、レマに最初に食べるように促した。その時、ふと気づいた。誰から届けられたのか聞いた時にミズキが伝聞形で言っていたことを。そして、そもそも拠点でグリンが受け取りに行くという取り決めだったことを。
「ミズキ。ケーキを届けてくれたのは茶色の短髪の男性?」
ミズキは首を横に振った。顔は分からないが、騎士の格好をした女の人だといった。おかしい、そう思った時には手遅れだった。レマが急に机に突っ伏した。
「――絶対にケーキを食べないで!触ってもダメ!」
グリンは急いでレマを抱き起したが、全く意識が無いようで 糸の切れた操り人形のように体が脱力していた。シアンに補助してもらい、グリンはケーキを吐き出させようとレマの口に手を突っ込んだが、全く反応が無かった。最悪の事態がグリンの頭の中を駆け巡り、慌てて脈拍を測ったが、やや弱かったがどちらも安定していた。呼吸もか細いが続けられている。瞼を開き魔道具の光で目を照らすと、反応して瞳孔の収縮もしている。死んではいないようだった。
レマをベッドに運び、気つけ薬を試してみたが一向に反応が無い。薬を飲ませようにも意識を失っている人間に飲ませられるわけもなく、点滴もこの世界では発明されていない。その他、グリンは思いつく限り手を尽くしたが、そのどれにもレマは反応を示さなかった。それはまるで死んでいるようだった。
「あたしが……余計な事をしたから……?」
皆は違うと言ってくれた。だが、サプライズに拘らず、オーリエにケーキを作ってもらっていたら楽しい誕生日会を過ごせたのではないか。そんな考えが頭の中を廻り続けた。
皆がそろって、ただ、無言でテーブルに座っていると、正真正銘のレマの誕生日が訪れた。数時間前にはバースデーソングを日付が変わった頃に歌おうというミズキの提案に皆が賛成していたが、それを覚えている者は誰一人としていなかった。
そのまま、誰も一睡もしないまま夜が明け、日が昇りだした頃、オーリエが朝食を作る為にキッチンに立ったことで、ようやく、皆が活動を始めた。活動を始めたといっても、最低限の生理的欲求を満たす以外は、夜中と同じようにテーブルに座ってすすり泣くか沈痛な面持ちでテーブルの面を見続けることしかしなかった。
そんな状況の中リオレが来たのだとグリンは言った。
突然意識が無くなり、死んだようにあらゆる刺激に反応しなくなる。リオレはそんな状態に一つ心当たりがあった。
「……もしかしたら、これは王家の秘薬によるものかもしれないな」
「……王家の秘薬?」
「ああ、あくまで噂だと思っていたが……」
この国の歴史には、大貴族が突如意識を失うという事件がよく起きる。その貴族たちは皆、王権をも凌駕しようとするいわば王族の政敵であり、あまりにも王族側にとって都合の良すぎる事から、そういったものがあるのではないかと昔から言われていた。
「実際に見るのは初めてだが、恐らくそうだ」
リオレはレマを再度見た。安らかな寝顔だった。
「そんなものが……どうして……こんなところに……」
憤りの為かグリンの右こぶしが震えている。
「誰がしたのかは知らないが、恐らく、レマ様を狙っての犯行だろう」
「治るんでしょうね?」
治る。という答え以外求めていない問だった。幸いにも解決の糸口はあった。
「……その秘薬には、解毒薬の存在も噂されている」
自由に相手の意識を奪えたり目覚めさせたりすることが出来てこそ、効果的な政治的武器になり得る。リオレの言葉を裏付けるように意識を回復した例もいくつかあった。
「その話、真か?」
長身の藍紫色の髪の女性が話しかけてきた。何故だかリオレはその女性の声に聞き覚えがあった。その声をどこで聞いたか思い出そうとしていると、テーブルの周りに座っていた他の女性もリオレの周りに集まってきた。
「……ああ。だが、解毒剤どころか秘薬すら、その実物を見た者はいない。それに、もしあったとしてもどこかに隠されているだろう。見つけることは不可能だと思うぞ」
そう口にしてすぐ、リオレは自分の言葉が間違っていることに気づいた。正確に言えば不可能では無い。だが、それを言うのはリオレの立場的にも問題があり、彼女らにとって危険な方法であった。
このまま何も言わず帰ろう。監視の任は終わっているのである。これ以上彼女らと関わりあいになることはない。町に帰って忘れてしまえばそれで終わりの事だ。そうリオレは思ったが、一組の自分に縋るような目と目が合ってしまった。目線を外す為に目をそらしたが、外した先にも縋るような目があった。六組の色鮮やかな瞳を持った目が、リオレを縋るように見つめているのだった。一番見慣れた浅緑色の瞳と目が合った時、リオレは大きなため息をついて、大きな独り言を言い始めた。
「あーそういえば、エリという王宮の三階の西の端にある部屋に住んでいる女性が、何でも見通せる水晶を持っていたなー」
リオレは独り言を言いながら女性たちを押し分け扉の方へと向かって行った。
「それにー、五日後に貴族の女性を集めたパーティーがあるなー。その日に不審な人物が入らないように気を付けて警備しないとなー」
そう言ってリオレは扉を開けて出て行った。リオレの意図が伝わらなかった者はいなかった。
「不器用な男っスね……」
「でも、優しい男よ」
グリンがケーキの箱の持ち手に括り付けられた巾着袋に気づき、手に取って中を見た。中には渡した額からケーキ代を差っ引いた分がそのまま入っていた。
それから、悪役令嬢たちは解毒剤を入手するための準備を入念に進めていった。
計画の内容としてはパーティーに潜入し、必ず参加しているであろうエリを会場で確保。それから周囲の人間に気づかれないように会場を抜け出し、三階にあるエリの自室へと向かい解毒剤のありかを調べてもらう。そして解毒剤を奪取し、レマを目覚めさせる。
計画では、荒事が起きないようにするつもりだが、念のために準備しておいた方が良いというシアンのアドバイスにより、非殺傷性の武器をアイとグリンが手分けして作っていった。
そうして出発の日まで時間が経過したが、その間もレマは目覚めなかった。排泄や飲食も必要としないらしく、何もしなくても異常をきたしたり、やせ衰えたりすることは無かった。
「それじゃー行ってくるねー」
ミズキがレマに出発の挨拶をした。国を飛び出してこの家に辿り着いて以来、ずっと仕舞われていたドレスを身にまとっていた。
「もう一度こういうの着るとは思ってなかったっス」
ドレスの着心地が悪いのか、しきりに体のあちこちを触りながらアイが言った。ぼさぼさの前髪が整えられて横に流されているため、普段隠れ気味だった藍色の瞳が露になっている。
「こんな事もあろうかと普段からお手入れしていて良かったです」
オーリエがそう言った。彼女の着ている物も含めてドレスはどれも状態が良かった。
「助かるでござる」
シアンは忍びの里の出身であるため着物を着ていた。
「……一人だけ着物だと目立つんじゃないかしら?」
「大丈夫でござるグリン殿。近頃は他国の貴族の女性も着ているらしいでござる」
そんな会話をしている二人の間を、皆と同じように着飾ったサキが通った。手には、春の気配を鋭敏に感じ取って蕾を開いた、レマの髪と同じような真っ赤な色の花が、一輪握られていた。
皆、最初はサキだけ留守番させようとしていたが、サキが、
「留守番……一人で出来ない……。誰か……一緒に」
といったため連れていくことにした。誰もこの一大事に留守番したくないという気持ちは同じだった。
サキは花を胸元に置いた。綺麗な花であった。この花が萎れる前にレマに見せてあげようと、奇しくも全員が思った。
「皆さん。お召し物をなるべく汚さないようにお気を付けください」
オーリエがそう言った。衛兵やほかの参加者に怪しまれないように、綺麗な状態を維持しなければならなかった。皆、裾をたくし上げたり、縛ったりしてあまり汚さないような処置をした。万が一のために戸締りをして、悪役令嬢御一行は家族を取り戻しに行く戦いへと向かった。
森の中を歩いていく色彩豊かで煌びやかな格好をした彼女たちを見れば、誰しも春の訪れを知らせに来た妖精だと思うであろう。実際に、その光景を見かけた木こりはそう思った。
緑の草木が芽吹き始めた森の中を、六人の悪役令嬢が確かな足取りで進んで行く。六色の髪はどれも綺麗に整えられ、髪と同色の瞳は宝石の様に輝いていた。
第23回角川ビーンズ小説大賞に応募して落選した作品です