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第八話

 研究所が完成してからの数日間、レマがこの家に来てから降る事の無かった雨が、自分の存在を人々に忘れ去られまいとするかのように、しとしとと降り続いていた。雨では農作業も大工仕事も出来ない。この雨の間、七人の悪役令嬢は思い思いに自分の時間を過ごしていた。ミズキとサキとレマは町で買ったボードゲームで遊び、シアンは瞑想をし、オーリエは趣味の菓子作りに精を出し、研究所にいるアイとグリンはそれぞれの作業や研究に没頭していた。

 ミズキとサキ相手にそれぞれ十連勝したところで、レマは外に置いてある再生野菜の様子を見るため席を離れた。再生野菜は日の光に雨という二つの天の恵みを一身に受けて成長し、予定していたよりも早い収穫を予感させた。

 その逞しい緑の生命を見ながら、レマはこの数日の間の事を思い返していたが、久しぶりにゆったりとしていたという事しか思い出せなかった。特筆すべき事といえばアイが夜中に書いていた設計図が完成したという事ぐらいだろう。

「出来たっス!」

 そう言いながら研究所から戻ってきたアイは、移動させられて中央よりやや右側に置かれたテーブルに勢いよく図面を叩きつけるように広げた。かまどの様な構造物の上に大きな桶みたいなのが載っている。それが何なのか分かる者は殆どおらず首を傾げたり、アイに尋ねていたりしていたが、前世の時の実家に同じようなものがあったレマには分かった。

「これ……五右衛門風呂じゃない……?」

 そう言ったレマにアイが拍手を送ってきた。正解者を称える拍手、という事であろう。アイが説明するには、拾った鍋をかまどに据えて、そこから水が漏れないように木桶を被せ、かまどに火を焚けば、冬でも暖かいお風呂に入浴できるらしい。皆が歓声を上げる中、アイは懸念事項として、かまどの製作に粘土やレンガが必要だが、粘土が採取できるところがこの辺りになく、レンガを一から作るとなると完成が春になるかもしれないと言った。しかし、その懸念事項はグリンがあっさり解決した。薬草を取りに行った際、粘土層の剥き出しとなった断層を見つけたといい、更に、薬の取引をしている村にレンガ職人がいると言った。それなら、本格的に寒くなる前に完成できそうだとアイはほころんだ。

 そんな事を思い出してから家の中に入ると、二人一緒にベッドで昼寝をしているミズキとサキが目に入った。どうやら二人とも、レマにも睡魔にも勝つことを諦めたようだった。

 出しっぱなしにされていたボードゲームを片付けていると、甘い香りが漂ってきた。オーリエがお菓子を焼き上げたようだった。起きていれば真っ先にキッチンに向かう二人は今は寝ている。他の者達よりも多く食べられるという味見役の役得は、今回はレマが独り占めできそうだった。ボードゲームをしまい、心躍らせながらレマはオーリエのそばへ寄った。

「あら、レマさん。丁度お菓子が焼きあがりましたのでよかったら味見していただけませんか?」

「喜んで」

 そのつもりであったレマがその申し出を断る筈は無かった。

「はい。あーん」

 オーリエがそう言いながらお菓子を口元に持って来たのに合わせて、レマは口を開けた。オーリエは味見役に対していつもこのように食べさせる。少し恥ずかしいが、子供の頃が思い出され、悪い気はしなかった。

 オーリエの作ったお菓子はどれも、限られた材料の中でいかに美味しく、特に砂糖の希少な中、いかに少量の使用で甘く出来るかの研究を主眼に作られている。かといって、今まで失敗作と呼べるような代物は出てきていない。だが、今回のはそれと呼べるかもしれなかった。ハーブを使っており、良い香りがする。焼き加減も良く、生焼けでは決してないがパサパサしていても無かった。しかし、

「……あんまり甘くないですよ。これ」

 ほんのり甘さがあったが、お菓子というよりは主食に食べるパンの様であった。

「……そうですか……。すみません。失敗したものを食べさせてしまって……」

 オーリエは落ち込み始めた。慌ててレマはフォローした。甘くないだけで普通に美味しいと伝えるとオーリエは少し元気を取り戻した。

「もしかして……砂糖が無くなったりしたんですか?」

「はい。といってもまだあるにはあるんですけど、残りが少ないので普段よりも少しだけ減らしたんですよね……」 

 レマの推測は半分当たっていた。料理でも砂糖を使う時は多い。オーリエは後の事を考えて砂糖の量を減らしていたようだった。この家の住人でオーリエのお菓子を楽しみにしていない者はいない。仕方が無いが、次の買い出しまで我慢するしかなさそうだった。レマは気を取り直して、オーリエに味見役としてのアドバイスをした。

「多分ですけど、これ、塩とかかけたりしたら美味しいと思いますよ」

「それは良かったです。お塩『だけなら』まだいっぱいありますので」

 『だけ』が付いていない『なら』であれば、砂糖に対して塩が多いという意味になる。だが、『だけなら』と言われれば塩以外の全てが残り少ないという意味になる。もしかしたらオーリエ言い間違いかと思い、レマはおそるおそる聞いてみた。

「……あの、もしかして塩以外の調味料って……」

「無いですよ。お砂糖もほんのわずかです」

 この家の住民の食生活を根本的に揺るがすような発言だった。試しにレマが調味料の入っている戸棚を見てみたが、確かに胡椒や唐辛子の様なスパイスも醤油や味噌などの調味料も無かった。中には『塩』と注記された、膨らんでいる袋だけあった。

「……私、今から町に行ってきます」

「雨が降っていますし、およしになられた方がいいですよ。それにグリンさんも換金用のお薬を作り終えていないでしょうし……」

「何でそんなに落ち着いてられるんですか!?」

 この家で食べる食材は、主に新鮮といい難い野菜に、保存の効く干し肉、薬草取りのついでにグリンが摘んできた山菜などである。それらの上等と言い難い食材を美味しく食べる事が出来ているのは、オーリエの料理の腕とそれによって活かされる調味料たちの活躍があればこそだった。それが塩しかないとなると、流石のオーリエでも料理を美味しくすることは不可能であった。

「別にお塩だけでも美味しくいただけませんか?」

 オーリエは繊細な味覚を持つが故に、粗食の中にも美味しさを見出せるようだった。レマが絶句している間に、オーリエは折角作った甘くないお菓子に塩を振りながら言葉を続けた。

「それに慌ててもどうにもなりませんから」

 オーリエはただの物腰柔らかな女性という訳では無いようだった。オーリエは塩を振ったお菓子を一つ食べ、納得したように小さく頷くと、小さめの皿を取り出し、それにいくつか載せていった。そして二つのコップにお茶を淹れ、その皿と一緒に盆にのせると、それをレマに渡してきた。

「研究所にいる御二方に渡してきてください」

 レマは黙って頷いて了承した。

 研究所の扉をノックして中に入るとキツい薬草の匂いがした。入り口付近にいるグリンがかつて見たようにすりこぎで薬草を潰していたからだった。そのグリンの近くにある薬草の小山を見て、粗食を口にし続ける生活はだいぶ長引きそうだとレマは悟った。

 お菓子は二人共から好評だった。帰ってそれを伝えるとオーリエは嬉しそうに笑った。

「はい。どうぞ」

 レマはオーリエからお茶の入ったコップを渡された。一口飲むと、温かい液体が体の何処を通っているのかよく分かった。ここ数日の気温は日が厚い雲に覆われているために低く、その上雨に体を濡らされ、少しの間外に出ていただけだったが、それだけで体温を奪われていたようだった。

 レマがお茶をすすりながら、ふとキッチンの方を見ると、鍋でスープの様なものが作られていた。夕食の準備にはまだ早い。レマの視線に気づいたのかオーリエがそれを説明してくれた。

「お外の方に、と思いまして……」

 『お外の方』は凍えていた。数日振り続いた雨のせいで雨具はその機能を最低限にも保っておらず、受けた雨水をろ過だけし、半日程リオレの体を濡らし続けていた。水が無ければ三日で死に至るといわれているが、体温を保てなければ三時間で命を失う恐れがある。冬ではないとはいえ、気温は決して高くは無い。そんな中で濡れネズミになっているリオレは死の危険が迫っていた。

 しかし、リオレはそんな状態になっても監視を続けていた。エリへの忠誠心などでは無く、騎士の矜持の為でもない。体を温めようと思って飲んでいる酒のせいで判断力が鈍っているからだった。アルコールを摂取すれば血管が広がり一時的に体温は上がる、だがその後に体温は、寧ろ下がる。リオレは自ら死神の鎌を首元に持っていっていた。だが、本人はそんなことに気づかず、かじかんだ手で酒を煽っている。このまま行けば安らかにあの世に逝くことが出来るだろう。

 無意味に眺めているリオレの監視先に動きがあった。家の中から二人の女性が出て来たのだ。雨具で顔や体が隠れてあまりよく見えないが、一人はレマで、もう一人はいつも家の中にいる女性だった。二人とも雨具の下に何かを抱えて来ている。リオレの方に。この時、リオレは逃げなければならなかった。しかし、低体温症による判断力の低下に加え、酔いが完全に回った頭では、感覚の曖昧な足を動かすのも億劫に感じられ、何より、もう何人にも自分の存在がバレている今、隠れる必要もないのではないかという投げやりな思考が大部分を占めていた。そのため、酒を煽りはすれど、動こうとはしなかった。

 二人の女性は、長く生えた下草を踏みしめながらリオレの下へと来た。

「こちらを、どうぞお召し上がりになってください」

 レマではない方の女性がローブの下から差し出してきたのは、温かそうな、湯気の立ったスープであった。食べ物では無く、温かさに飢えていたリオレは、差し出されたそれを貪るように啜った。火傷しそうなほど熱かったが却ってそれがリオレにとってありがたかった。

「お代わりもありますので、よかったら」

 レマがそう言って、ローブの下からさっき食べたのと同じスープの入った小鍋を取り出した。リオレは鍋を受け取ると直に食べ始めた。スープが喉を通ると、それが血液となって全身に循環していったかのような錯覚に陥るほど体が温まっていった。死神は舌打ちをしながら鎌を収めた。

 鍋を空にすると、リオレの頭を酔いだけが支配するようになった。その酔った頭の中では、自分にスープの温かみと、久しぶりの人の温かみを与えてくれた二人を女神なのではないかという考えが起こり始めていた。その考えは、酔いで冷静になることの出来ない脳内で増幅され、リオレの心境は、熱心に信仰していた二人の女神が目の前に降臨した敬虔な信徒のそれに近かった。リオレは感激と感動と感情のままに言った。

「お二人にお礼させて下さい!自分で用意できるものであれば!何でも用意させていただきます!」

 二人の女神は予期していなかった反応に少し戸惑った。だが、そのうちの一人はすぐに信徒に奉納すべし物品を上げていった。

「大き目のお鍋が欲しいです。あと、お砂糖に、胡椒に、異大陸の……それです、そのスパイスとそれに似た種類の……はい、その赤くて辛いのと、シナモンに、唐辛子に、お醤油に、お味噌に、お酢に、にんにくに、からしに、わさびに、しょうがに、バターに、食用油に、小麦粉に……」

 オーリエは指折りながら様々な物品を挙げていった。それらは戸棚から無くなった調味料の類だった。リオレはそれらを必死に覚えようとしているのか熱心に聞いている。相手から言い出したこととは言え、遠慮せず欲しいものを全て挙げていくオーリエに、レマは強かさというものを見た気がした。オーリエが全て挙げ終えると、次はレマの番が来た。

「あの……本当にいいんですか?」

「はい、勿論です!レマ様!」

「……どうして名前を知ってるんですか?」

「……それはレマ様と同じ国のものだからです」

 リオレは酔っているためか、素面の時よりも上出来な嘘を吐いた。レマは国では有名人であり、知らぬ者はいない。レマはその嘘を信じた。

「そうだったんですね。……私が欲しい物でしたら、う――」

 レマは馬が欲しいと言い出しそうになり、慌てて止めた。流石に高価すぎると思ったからだった。改めて、なるべく安価で欲しいものを挙げた。

「農具が欲しいですね。鍬と鋤を数本ずつ。それと野菜の種……冬の間に育つ……はい、それです。あと、ニワトリの(つがい)を一組……」

 これなら馬よりも安価でも揃えられるはずだった。

 リオレは二人への貢納品を、忘れない様に頭の中で何度も繰り返すと、辞儀してからその場を去った。しかし、ふと思い出したように二人の下に戻ってこう言った。

「くれぐれもこの事は他の方には内緒で」

 一番気づかれてはいけない監視対象にバレている時点で、何の意味もないのだが、酔っているリオレは習慣的に言った。リオレはそんな滑稽な自分に気づく暇なく歩みを進める。なぜなら、気力と足の感覚が戻っているうちに拠点に戻る必要があるからだった。。

 それから数日後、大量の調味料を抱えたオーリエと、農具と種と鶏を抱えたレマをグリンとミズキはかなり怪しんだ。だが、事情がなんとなく分かった他の者達に言いくるめられ、納得していないながらも、それ以上の追及をすることは無かった。

 更に一月ほどが経ち、王宮。

 エリは自室で何度目かの報告をリオレから受けていた。

「また、異常なし、ね……」

 エリはつまらなそうに言った。リオレから聞かされるレマの生活は、端から期待していたわけではないが、あまりにも面白みが無かった。惨めな生活を送っている、或いは他国の御曹司に見初められてラブロマンスを繰り広げている、とかならまだしも、スローライフを満喫しているというだけではエリは何の興味も持てなかった。興を失ったエリはリオレを下がらせた。

 扉が閉じるとエリは窓の方に視線を向けた。外では例年より少し早い降雪が始まっていた。エリは窓のそばに近寄ると気だるげに雪を産み落とし続ける雪雲を見上げた。ここ数日ほど倦怠感が体にまとわりついて離れない。エリは既に平穏無事な王宮生活に飽きていた。レマが国にいた時期であれば、倒すべき相手と、彼女からジョンを奪い取るという目標があり楽しかった。だが、今はそれが無い。ただ、将来のためにエリに顔を覚えてもらおうと訪ねて来る貴族に形式的な応対をする毎日であった。

 刺激が欲しい。何か目標が欲しい。そんなことを考えていると、エリはふと、自分には前から果たすべき目標があったと思い出した。それはレマを追い出してから殆ど触れずに保留していた。

「そろそろジョンでも『獲り』に行くか……」

 目立った障害が無い今のエリなら容易に達成できる目標であった。だが、それでも求めていた目標であることに変わりはない。エリの目に覇気が戻った。

 


第23回角川ビーンズ小説大賞に応募して落選した作品です

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