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第五話

 レマがこの家に来て七日目の夕方。家の近くに、大量の藁束が置かれているとサキがレマに言ってきた。半信半疑ながらもサキについていくと、確かに藁束があった。不審物といえば不審物であったが、ありとあらゆる物資が希少な森暮らしである。有難く使わせてもらおうと思い、全て資材小屋に運ぶことにした。この藁を材料にマットレスを作れば、レマのベッドは完成する。

 レマは一度家に戻り、人手を集めた。ミズキも、アイも、オーリエも、不思議がっていたが、何故だかシアンには心当たりがあるようにレマには見えた。

「不思議なこともあるもんだねー」

 資材小屋の扉を閉めながらミズキが言った。

「……もしかして、最近誰かに見られている気がするのと関係あるのかしら……?」

「えっ!?ストーカー!?ヤバいじゃん!」

 ミズキが辺りを見回すが、不審な人影は見えない。

 人影は見えないが、茂みの中に陽光を反射する何かはある。だが、ミズキはそれに気づかなかった。

「……入ろ……早く」

 サキがそう言い、ミズキの背を押した。用事も済んだうえ、サキに急かされ、全員、家の中へ速やかに入って行った。

「ただいま」

 レマ達が家に入ったその少し後、薬草を摘みに出かけていたグリンが帰ってきた。

「おかえりなさい」

 レマがそう言ったがグリンの態度はそっけなかった。そっけないのは出会って日の浅いレマに対してだけでは無かった。他の者たちにも、ミズキにですらそっけなかった。口数もサキに次いで少ない。グリンと出会って一週間ほど経つが、レマはそれがずっと気になっていた。

 翌朝、朝食の準備のために井戸へ水を汲みに行った時に、レマはミズキと二人きりになった。レマはグリンについて思ったことを話した。ミズキもやはりそれが気になってはいるようだった。

「けどさー、それがグリンちゃんらしさなんじゃないー?」

「確かに……」

 そんな会話をしていると急に突風が吹いた。突風はレマ達の髪を乱しただけでなく、グリンが近くの木立で陰干ししていた薬草を幾つか地面に落としていった。それを見たレマは、その薬草を元に戻すため持ち上げようとした。その時、

「勝手に触らないで!」

 というグリンの声が辺りに響いた。レマが振り返ると、家の中から薬草が落ちたのが見えていたのか、グリンがすぐそこに居た。

「ご、ごめんなさい……」

 レマは自分が余計な事をしたのだと思い、謝った。レマの謝罪を聞いて、グリンは苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「……早く!あっち行って!」

 ミズキに促されレマは家の中へと戻って行った。途中、レマが振り返って見たグリンは拾い集めるでもなく、ただ、じっと後悔するように薬草を見つめていた。

 またやってしまった。

 そんな後悔が、またグリンの心の内を満たした。幼い頃から一緒にいた婚約者と、何度こういうやり取りをして、何度目が原因別れることになったのか。言葉足らずと、厳しい態度のせいで、何人の人間を傷つけ、それによって何度グリン自身をも傷つけて来たのか。回数は数えられないが、一つ一つ身に染みて分かっている。それなのにも拘らず、グリンはまたやってしまった。

 今回の件も『地面に落ちたその薬草は迂闊に触るとかぶれるため触らない方が良い』と言えばよかった。落ち着いてならグリンもそう言えた。だが咄嗟に出てきた言葉は、言った自分でも傷つく様な険のある言い方だった。

 手袋をつけてグリンは薬草を拾い始めた。その間にも後悔と自責の念は彼女の頭をぐるぐると回っている。

 覆水盆に返らずという言葉がある通り、言ってしまったものは無かったことにはならない。その行いを償う為に謝罪という行為がある。しかし、そこで謝罪をすんなり出来る人間であれば、愛する者とも別れることは無かったであろう。産まれ持った気質というのは改め難い。グリン自身悪癖だと思ってはいるが、改善することは未だできていない。

 薬草を全て拾い終えると、またさっきの様に強い風が吹いても薬草が飛ばされないような処置をして、グリンは家へと戻って行った。

 グリンが家の中へ入ると途端に静かになった。自分を意識しての事だとグリンはすぐに分かった。

「……グリンさんも戻られた事ですし、朝ごはんにしましょう」

 気を利かせてか、オーリエがそう言ってキッチンの方へと向かっていった。配膳を手伝う為としてレマを残して、ミズキ、アイ、サキが席を立った。シアンは怪我のためベッドに横たわったままである。テーブルを挟んでグリンとレマのみが座っている。しばしの気まずい沈黙の後、レマが口を開いた。

「その……さっきはごめんなさい」

 違う。グリンはそう思ったがその思いは喉より上に上がってこない。

「素人の私が迂闊に触るべきじゃなかったですよね……」

 自分が事前に説明するべきだった。その言葉が胸につかえる。

「本当に良くなかったと反省しています――」

「――あたしが悪いって言えばいいじゃない!何でそう言わないの!?」

 もどかしさをばねとして、勢いよく飛び出したグリンのその言葉は自問だった。だが、グリン以外にはそう聞こえるはずが無かった。グリンは六人分の視線を感じた。その視線に非難するような意味は込められていなかったが、彼女はその視線に晒されることに耐えられなくなり、逃げるように家を飛び出していった。

 自分の名を呼ぶ声が後ろから聞こえて来る。だがグリンは振り返らず、走った。道などを通らず、がむしゃらに、真っ直ぐに、意味もなく茂みなどを突っ切りながら走っていくと、少し開けた窪んだ地形に出くわした。そこには馬が繋がれており、野宿の形跡があり、野宿をしていたらしき者がいた。

 その野宿をしていたであろう、茶色の短髪の男性は、グリンの姿を見ると露骨に狼狽えた。それをグリンは、こんな森の中で人に出会うと思っていなかったからだろうと解釈した。グリンは自分が怪しいものではない事を伝えるために自己紹介をした。

「あたしはグリン。あんたは?」

「俺はリオレ。……狩人だ」

 リオレは前回の経験を踏まえて、着る時以外は鎧を落ち葉の中に隠すようにしている。そのため、グリンからしてみれば、リオレがレマを監視しに来た騎士だとは分からない。リオレの嘘は、今回は通じた。

 自己紹介を終えたグリンの嗅覚が、香ばしい匂いによって刺激される。その匂いは腹の虫を起こし、元気よく朝の挨拶をさせた。その挨拶は、近くにいたリオレにも当然に届いた。

「食うか?」

 リオレが匂いの元である炙っていたパンを渡してきた。グリンはそれを受け取ると、カリカリと小気味よい音を立てて食べ始めた。

 リオレはもう一つ取り出したパンを炙りながらグリンに尋ねた。

「何かあったのか?凄い形相で走って来ていたが」

 グリンはその問いにはすぐに答えられなかった。デリケートで恥ずかしい、幼稚な自分の内を人に晒け出すことになるからである。

「出会ったばかりの人間には話しにくい事かもしれないが、逆に考えれば、後腐れ無い分自分の思ったことを話せるぞ」

 そう言い、リオレはパンを一度かじった後、焼き具合が足らなかったため、もう一度炙り始めた。そのリオレの言葉には、監視業務の一環として、レマの同居人の情報を得ようという気持ちが含まれていないわけでは無かった。しかし、その割合は極僅かなものであり、残りの殆どは、悲し気な女性を放っておくことの出来ない、男心と騎士道精神が占めていた。

 リオレの言葉はありきたりなものであった。だが、ありきたりといえるほど使いまわされているということは、その効果が幾度も証明されている様なものである。グリンは独り言のように話し始めた。森の中を走っていた経緯ではなく、自分の身の上話から。陽が顔を出してからそこまで時間はたっていない。話をする時間はたっぷりとあった。

 グリンもやはり悪役令嬢であり、転生者であった。ゲームの事は知らないが、皆と同じように婚約者もいた。

 グリンの厳しい口調は前世からのものだった。相手を思いやったり、いたわったりするつもりの言葉がとげとげしく加工され、口から出て行く。前世であるならば、友人や兄等、その口調と対等に渡り合う、或いは先程の言い方は良くなかったと指摘してくれる存在がいた。しかし、高貴な家に生まれ変わったグリンの周りにいるのは、侍女や執事など、彼女の口から無意識に飛び出した鋭利な言葉を、黙ってその身に受けることしか出来ない立場の者達ばかりであった。幸か不幸か、グリンは、自分が相手を傷つけるような事を言ってしまったとわかる程度の客観力を持ち合わせてはいる。相手を傷つけてしまったとわかる度に自分も傷ついていった。そして、それは何の償いにもなっていないという事も痛いほどよくわかっていた。

 グリンの厳しい言動に耐えかね、侍女たちは次々と辞めていった。グリンと長い付き合いになっていれば、彼女のトゲに覆われた殻の内側にある、優しさを感じられることが出来たであろう。だが、世の中には優しさが剥き出しになった人間もいれば、トゲの殻の内側に、更に鋭利なトゲを備えた核がある人間もいる。あるかどうか不明なグリンの優しさをあてにして、自分の身が傷ついても仕えようとする者などいなかった。

 この世界の両親は良く言って放任主義で、グリンと顔を合わせる事すら稀という状態であり、他に血を分けた兄弟もいない。グリンは幼くして孤独になった。

 前世の習慣から、植物、特に薬草について関係する本を読みふけり、ある程度の知識を得たら採集に出かけ、取った薬草を煎じたり、すり潰して飲んだりする毎日。一人でそんな日々を送っていた。寂しくないわけではないが、誰かを傷つけてしまうよりかはいいと思っていた。

 いつもの様に本を読みふけっていたある日、滅多に顔を見せない両親が、グリンと同世代の男の子、そしてその子の従者を引き連れて会いに来た。両親が説明するには、その男の子がグリンの婚約者だと説明した。同じ家格の貴族の一人息子らしい。

 それから、二人は度々会うようになった。グリンは相手を傷つけないように口を閉ざしていたが、会う回数が増えていくごとに口数も増えていった。そんな中、グリンの口から、つい、言うまいと気を付けていた厳しい言葉が飛び出てしまった。グリンは後悔した。しかし、今までと同じような結果にはならなかった。婚約者は言い返してきた。グリンにとって、この世界に来て初めての対等な存在との出会いだった。

 その日以来、二人は会うたびに、子供らしい意地の張り合いによって、微笑ましい言い争いをした。時には喧嘩もしていたりしたが、それでも、この心待ちにしていた対等な関係をグリンは楽しんでいた。周りから見れば険悪な仲だと思われていたが、グリンはこの言い合いが、二人の仲の良さの表れだと思っており、それは彼も同じだと思い込んでいた。そんな関係が続いていくと、やがてグリンは、レマと同じようにその婚約者を愛すようになった。彼が風邪を引いた時には侍女や双方の親の反対を押し切り、自ら看病をしたり、培った知識を頼りに薬草を調合して薬を作りそれを飲ませたりした事もあった。そうして元気になった婚約者と、またいつも通り言い合いをはじめる。大人になってもそんな関係が続くと思っていた。

 ところが、二人の身長が伸びるにつれて、お互いに頑として譲らなかった言い合いは、次第に婚約者の方から折れることが増えてきた。その頻度は時を経るごとに増えていき、それと反比例するように言い合いの時間は減っていった。グリンもそれには薄々感づいてはいたが、それを認めることは、お互いの距離が離れていっていることを認めるようで出来なかった。対等の言い合いがグリンの一方的な責めに変わりかけた頃、婚約者はグリンを避けるようになった。素直に会いたいと言い出す事も出来ず、グリンは鬱々としながら、また幼き日の様に本と薬草を友にして日々を過ごしていった。

 ある日、グリンが薬の材料を買いに町へ出かけていると、婚約者がいた。庶民たちに正体がバレないように変装をしていたが、グリンにはすぐに分かった。話しかけづらく、かといって何事もなかったかのように去っていくことも出来なかったグリンは、後をつけていくことにした。暫く後をつけていくと、婚約者は一つの住宅の庭先へと入って行った。その家は、富裕層とも呼べないが、決して貧しいわけではない、平民と呼ぶにふさわしいような家だった。婚約者が玄関先に立つと、内から扉が開けられ、中から女性が一人出てきた。女性は激しい咳を二回してから婚約者と短く言葉を交わし、家の中へと招き入れた。大人であれば誰しもが逢引だと察する現場だった。しかし、グリンはそういう考えに至らなかった。何故なら恋に対して盲目的であり、そして何より薬師としての慧眼を持っているため、そのような考え方に至らず、女性の病状の方が気になったのだった。

 屋敷に戻ってから調べた結果、そこの町では激しい咳が症状の流行り病が流行し始めていると突き止めた。それに、その病に効く薬の作り方も。グリンはすぐさま薬を大量に作り、翌日から、身分を隠してその町に配っていった。無論、婚約者の入って行った家にも配った。薬は良く効いたようで、町の罹患者たちは日に日に体調が良くなっていった。

 薬の入ったバスケットの数が二つから一つになり、その大きさが半分になった頃、どんよりとした空の下でグリンは町で婚約者と出会った。婚約者は、身元を隠すために薄汚れたローブに全身を包んでいたグリンに気づかなかった。その事について、グリンは何ら気にも留めていなかったが、彼がすれ違いざまにした咳については気になった。ただの風邪かもしれなかったが、念のために婚約者を呼び止め、グリンは余っていた薬を一つ手渡した。婚約者は怪しいものを見るような目つきでそれを受け取ると、礼も言わず去ろうとした。その態度にムッとしたグリンは頭のフードを取り正体を明かした。そして狼狽する婚約者に人から物を貰ったら礼を言うという初歩的な道徳を教え始めた。かつての様に厳しく。

 大人になり、大人の密会をするにまで成長した婚約者にとって、それはプライドをやすりで撫でられるような行為であった。婚約者は反発した。その反発を、グリンは昔の様な意地の張り合いだと勘違いした。婚約者は反発し、グリンは言い負かそうとする。つかの間の、久しぶりな対等の言い争いをグリンだけは楽しみ、噛み締めた。そして、暫く言い合った後、ほんの少し間が開いた。その時に、グリンは婚約者とあっていた女性の事をふと思い出し、何気なく口にした。その発言は、そういう考えに至らなかったグリンにとって何の悪気も悪意も他意も無かった。しかし、このタイミングで口に出すということは、大人だけでなく、ませた子供にですら、浮気を問い詰めようとしている様に見えたであろう。実際に婚約者はそう思い、謝るどころか、これまでの鬱憤もあって逆上した。逆上した婚約者は今までのグリンの行き過ぎた言動を並べ立て、非難し始めた。その中には、グリンにとって楽しかった思い出でもあった、幼少の頃の言い争いも含まれていた。

 思ってもみなかった婚約者の反応に、グリンは臆し、視界が滲んだ。そして、それを悟られまいと、さらに激しく言い返した。激しい口喧嘩の末、飛び出た婚約者の一言は、二人の関係を完全に断ち切った。

「いつも口喧しく突っかかってきやがって!お前の事は昔から嫌いなんだよ!二度と顔を見せるな!」

 そういうと婚約者は走り去っていった。それは実質上の婚約破棄であった。

 彼も自分が傷つけた者達の内の一人だったとグリンは初めて知った。

 ショックのあまり呆然と立ち尽くすグリンの鼓膜を、まるで世界が崩れたかのような激しい物音が揺らす。それは手から落としたバスケットに入っていた薬壺の割れた音だった。グリンの足元に、緑色の水たまりが広がっていく。その水たまりに塩気を含んだ水滴がいくつか滴り落ちていき、その後、空気中の成分が溶け込んだ水滴が大量に降り注いで、それらを洗い流していった。

「それから彼に二度と合わないように国を出たら、この森にある家を見つけたのよ」

 グリンはこの世界がゲームの世界であるという事と、自分が転生者であるという事を伏せて、生い立ちと、ここに来た経緯をリオレに話した。話す前に東にあった陽は一番高い所にいる。

「……そうなのか。何とも言い難いな……それは……」

 リオレは皮袋に入った液体を盃に注ぎながらそう言った。話の内容は迂闊に意見を述べることの出来ないものだった。リオレの聞いた限りでは、どちらか一方が悪いと断じがたいものだった。許嫁がいるにもかかわらず浮気をした婚約者は勿論悪い。だが、そもそもグリンがもう少し素直であれば今頃幸せな結婚生活を送れていたはずであった。別に、今目の前にいるグリンに肩入れして、見たことも無い男の悪口を言うのはたやすい。だが、グリンの様子を見るとそれは望んでいないようにも見える。かといって、グリンに直接素直になれと言ったところで彼女自身それを痛いほど分かっているだろう。リオレに出来ることは発酵した芳醇な香りのする飲み物をグリンに渡すことしかなかった。

「飲むか?酒だ」

 グリンは、迷っているのか少しの間だけ差し出された盃を見つめると、皮袋の方をふんだくり、それに直接口をつけて飲み始めた。

「……まあいいか。それで、この森に住むまでは分かったが、それ以降の……そうだ、どうしてあんな形相で走ってきていたんだ?」

 グリンが口を開こうとした時、遠くの方から彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。グリンはその声に応えなかった。黙って酒を煽っている。リオレが拠点に選定したこの場所は茂みに囲まれており、態々茂みを避けずに真っ直ぐ進むような事をしなければ、見つけられることは無かった。

「いいのか?」

「いいわよ。どうせ出て行くつもりだったし……」

 そういうグリンの顔には名残惜しさが垣間見えた。

 自分を呼ぶ声が小さくなるにつれて、グリンの頭の中に、この森に来てからの記憶が呼び起こされていった。

 グリンがこの家に来た時には、既に三人が住んでいた。三人は四人目の入居者を快く受け入れ、温かく歓迎してくれた。グリンの知識と技術は、森暮らしでは一層役に立った。食べられる野草の見分け方。怪我をしたときの適切な処置。それに、資金源としての薬の製造。慎ましやかであったが、充実した日々であった。一人、また一人と住人が増えていくにつれて、充実度はさらに増していった。

「……水仕事してるせいで手が赤切れしたオーリエに、軟膏を作ってあげたら、すごい喜ばれて抱きつかれたりしたな……すぐに振り払ったりしちゃったけど……」

 その時のオーリエの悲しそうな顔が鮮明に思い出された。その記憶を押し流すかのようにグリンは酒を煽った。喉が灼ける。

 景気よく飲んでいくグリンを見ながら、リオレは少しずつ盃を傾けていった。もう一袋持ってくるべきだったと思いながら。最終的に、グリンはリオレが聞きたがっていた所を話さず、皮袋を抱いて気持ちよさげに寝息を立て始めた。

「意外と酒に弱かったのか……?」

 グリンが抱いている皮袋をそっと取り返すと、皮袋の中身は残り僅かになっていた。リオレは前言を撤回した。

 地面にじかに寝ると体温を奪い取られる。風邪ひくのは良くないと、リオレは予備の寝具でグリンを包み込んだ。泥酔しているのか熟睡しているのか分からないが、そうしている間もグリンは気持ちよさそうに寝ていた。

 そうしてから、盃に入った酒を皮袋に戻し、リオレは昼食として干し肉を炙り始めた。グリンの寝ている様子を見ながら、リオレはもう一度捜索の声が聞こえたら起こしてあげようと思った。

 グリンははっと目を覚ました。頭が痛い。辺りは暗く、もう、夜であった。いつの間にかまとっていた毛布をはぐると、暗闇から今日ですっかり聞き慣れた男の声がした。

「よお。起きたのかい」

 そういうと、リオレは気が利くことに水の入った器を差し出してきた。グリンはそれを有難く頂戴すると、ごくごくと嚥下音を立てながら一気に飲み干した。

「……ありがと」

 グリンは素直に礼を言った。それは彼女自身、言ったという事が分からないほど自然なものだった。

 リオレは彼女の変化にすぐに気づいた。そして、普段のトゲがある言動は、相手を傷つけまいとして神経質なっているが故に、却ってそうなってしまっているのではないかと思った。そのため、酒で思考と気が緩まっている今、素直になれたのではないか。

 リオレはそうグリンに伝えた。例えその考えが間違っていたとしても解決の糸口になると思って。

「『もっと気楽に』ねぇ……」

 リオレのその提案は受け入れ難かった。気を付けていてこのありさまである。もし、何も気にせず過ごしていたらどうなるか分からない。そう思っているとリオレが更に言葉を投げかけてきた。

「それが無理なら『相手を信じる』とかどうだ?詳しくは知らないが、今まで仲良くやっていけてたんだろう?それなら、今更多少ひどい事を言ったとしても相手は何も気にしないだろうし、関係性が壊れたりしないと思うぞ」

「……そうかしら?」

「その証拠に……」

  そう言ってリオレは静かになった。そうすると遠くの方からグリンを呼ぶ声が聞こえてきた。

「……自分を傷つけてきた者を一日中探し回る。なんて事しないと思うぞ」

 次第に、声が聞こえて来るだけでなく、魔道具の放つ松明より少し光量に乏しい光も見えるようになってきた。その光は心当たりでもあるように、真っ直ぐこちらに向かって来ている。

「……あたし、行くわ」

「そうしてくれると助かる」

 近づいて来る光から、隠れるようにしながらリオレは言った。

「色々世話になったわね」

「ただ話を聞いていただけさ。……それより早く行ってくれ」

 光はだいぶ近づいて来ていた。グリンはリオレに自然と礼を言うと、窪地を抜け出し、光の方へと向かって行った。

 光が遠ざかっていくのを感じながら、リオレは、空になった皮袋を片手に、盃に入った今回の功労者を飲み干した。

 グリンが光の下に辿り着くと、怪我の為に杖を突いているシアンとレマがいた。三人はしばらく無言で歩いた。まるでグリンから話し始めるのを待っているようであった。沈黙と良心の呵責に耐えかねて、グリンは口を開き、酒の力を借りて、レマに今朝の事を謝罪した。

「……その……朝の事は……ごめんなさい……」

「許しません」

 その言葉は覚悟していた。それでも、実際に言われ、グリンの胸が締め付けられた。だが、レマは救済の言葉を続けた。

「……ただ、今晩一緒に寝てくれたら許します」

「そんなんでいいのかしら……?」

「グリンさんを探していたせいで、私のベッド今日中に出来なかったんですよ?責任取ってください」

 二人の会話を聞いていたシアンが笑い出した。杖を突いている為、魔道具の灯りで映し出された影が三本足の怪物のように見える。

「確かにそれは相応の償いでござるなぁ。……ところでグリン殿、臭いがするが酒でも飲まれたか?」

「……気のせいよ」

 家には明かりがついていた。普段使わない魔道具を使ってまでグリンの帰りを待ってくれていたのだ。それは、皆のグリンが戻ってくると信じる気持ちと、戻ってきて欲しいという願いを可視化したようだった。

 家に入ると、ミズキとオーリエの抱擁と、朝から何も食べていないだろうという事で用意された三食分の料理がグリンを出迎えた。抱擁は素直に受け入れたが、料理の方は物理的に受け入れがたいと、皆と分け合って完食した。

 その日の晩のベッドは狭かったが、今までで一番寝心地が良かった。

 


第23回角川ビーンズ小説大賞に応募して落選した作品です

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