第二話
腰掛けるのに手ごろな倒木に、二人の悪役令嬢が座っている。
「あーそれは相手が悪いわ。……つーかみんな酷くない!?レマちゃん何も悪いことして無いのに!」
レマがこの森に来たいきさつを聞いて、同じ悪役令嬢は被害者以上に怒り始めた。見ず知らずの人間の悪口を一通り言った後、レマがおそるおそる尋ねてようやく自己紹介に入った。
彼女の名前はミズキ。同じ転生者である。六つある他の国の悪役令嬢に、気づいたら転生していた。ミズキはこの世界の元となったゲームをプレイしてないどころか存在すら知らなかったが、自他ともに認める単純さで自分の現状をすんなりと受け入れ、気ままに暮らしていた。慣習を無視して振る舞う傍若無人ぶりに、遂にその国の王子から婚約の破棄を言い渡された。というよりも、
「なんかノリが合わなかったから、むしろこっちが破棄した感じなんだよねー」
ミズキはあっけらかんと言った。そう言うミズキを見ていると、レマは彼女が自分と似た姿をしている事に気づいた。それもその筈であった。各国の悪役令嬢は髪や目の色と髪形が差分的に変えられているだけで、見た目のベースは殆ど同じだからである。といっても、金糸雀色のややくすんだ黄色のウェーブがかっていたはずの髪はストレートヘアーに、透き通るような白い肌は健康的な小麦色に、とミズキの見た目には彼女らしい大胆なアレンジが加えられている。そのため、レマはそれに気づくのが遅れた。レマの目には、自分と似た姿で全く違う生き方をしているこの悪役令嬢が眩しく映った。
「……そういえばミズキさん――」
「――ミズキで良いよー」
「……ミズキはどうしてここに?」
ミズキ自身に呼び捨てにするよう言われ、レマは呼び方を改めてから再度質問した。この森はミズキのいた国からかなり遠くにある。お互いに行く当てもなくさまよって偶々出会うという事はあり得なかった。ミズキはかたわらに置いてあったバスケットをレマに見せた。中には摘まれた山菜や木の実が入っていた。
「うちらの家が近くにあってー、そこから山菜取りに来てたんだよねー。……あっ、そうだ」
ミズキはじっとレマの顔を見た髪と同じ色合いの瞳がレマを真っすぐに見据える。見つめられた時間は一秒にも満たない時間だったが、レマはそっちの気が無いにも拘らず変に意識してどぎまぎしてしまった。
「うちらの家、来なよ。みんなもきっと喜ぶからさ。うん、そうしたほうがいいよ」
そういうや否やミズキは返事を待たず、レマの手を引っ張って行った。半ば強引にレマを連れていくその手は力強くも暖かく、振り払う気にさせなかった。
ミズキが住んでいる家へは三十分足らずで着いた。ミズキを含めて六人が住んでいるという割には、少しこぢんまりとした小屋だった。外には二人の女性が薪割りをしており、そのうちの一人、長くて明るい青色の髪を一本にまとめた、すらりとした長身の女性が、家へと近づいていくレマ達に気づいた。
彼女の名はシアンだとミズキは言った。彼女もやはり悪役令嬢であり、転生者でもあった。
シアンもミズキと同じように、この世界の元となったゲームをプレイしていなかった。しかし、自分の転生した場所が忍者の里だと知ると、そんなことを気にせず、憧れだった忍びの修業を喜んで始めた。どの国の悪役令嬢も産まれ持った素の能力は高い。彼女の熱意にこたえるように忍びとしての腕前はめきめきと上達していき、その運動量に応じて体は大きく育っていった。そうして婚約者の王子を顧みることなく修行に明け暮れていった結果、里ではシアンが一番の実力者なのではないかという噂がまことしやかにささやかれた。
シアンが里一番の実力者であるという噂は、やがて婚約者よりも弱い、里の長の後継者をあざ笑う声へと変質していった。小さな人里での話である。その声は瞬く間に国中に広がり、本人の耳にも届いていった。男という性別を持った者の中には、自分より強い女性を歓迎する者がいる。しかし、それはあくまで少数派であり、王子の方は多数派であった。
その地位相応の高いプライドを傷つけられた王子は、直ちにシアンに一騎打ちを申し込んだ。戦いの場は人気の無い山奥に指定された。そこには立会人も観客もない。王子に勝つ自信しかないのであれば人目に付く場所、或いは御前試合として王や貴族たちの前で戦い、勝って名乗りを上げれば、それだけで耳障りな声は瞬く間に消える。それなのにも関わらず、勝敗の結果を誰にも知られないような場所を戦いの場にした時点で、王子の自信の無さと、負けた醜態を人目に晒したくないという気持ちが、シアンには透けて見えた。
人知れず行われたシアンと王子の一騎打ち。結果はシアンの圧勝だった。シアンの持つありとあらゆる技の技術は王子のそれよりもはるかに上回っていた。誰がどう見ても、敗者自身から見ても完全なる敗北だった。しかし、王子はその結果を素直に受け入れられず、シアンが何か卑怯な手を使ったのではないかと詰め寄った。敗北を素直に受け入れる度量さえ持たない婚約者を、シアンは藍紫色の瞳で冷たく見降ろした。その様子がただでさえ傷ついているプライドを更に傷つけ、王子を激しく激高させた。激情のままに告げられた婚約の破棄をシアンは何の感慨もなく受け入れた。元から王子に対しては何の感情も抱いていなかったからである。
その場でシアンはこの国を出ることを決意した。行く当ては無かったが、とりあえずそれだけは強く思った。そうして始めた行く当てのない旅は、深い森の中にある人家に辿り着いて終わった。
そのシアンがミズキに尋ねる。
「ミズキ。そちらの御方は?」
「この娘はレマちゃん。うちらと似たような境遇でー、さっき森で出会ったの」
シアンの視線が、いきさつを話すミズキからレマの方に移った。レマの身長は成人女性の平均そのものだったが、シアンの身長はそれよりもはるかに高かった。男性の中でも図抜けて高いジョンと同じ高さであろう。その高さから降り注いでくるシアンの優しい微笑みは、厳しい修行に明け暮れたせいかベースの見た目から中性的に変化しており、綺麗な顔立ちの男性のそれに見えた。レマの顔は火を噴きそうになった。
「初めまして。レマ殿。拙者はシアンと申すものでござる」
忍者の里というコミュニティに染まったシアンの喋り方は、現代日本から転生して来た者にとって滑稽ともいえるようなものだった。しかし、レマにそれを意識する余裕が無かった。ただ、挨拶を返すだけで精いっぱいだった。
「もー、シアンちゃんまた里の喋り方でてるよー」
変わってミズキがそれを指摘した。
「……失礼した。十数年以上過ごした土地の喋り方はやはり中々抜けないな」
里の住んでいた時には普通だったこの喋り方も、転生者同士が集まるこの家ではおかしいと言われシアンはなるべく前世の時と同じような喋り方に改めるようにしていた。しかし、改めきるにはまだまだ時間が必要そうだった。
そんな会話をしている三人の元に、一人の少女が寄ってきた。若紫色の瞳と、それと同じ色合いの腰まで伸びた長い髪を持つ少女は、近くまで来ると何も言わずレマを見つめ始めた。その少女は髪の色と長さ、それと瞳の色を除けばレマの子供の頃の姿にそっくりだった。一言も言葉を発さない少女に代わって、ミズキはレマに彼女を紹介した。
少女の名前はサキ。非常に無口で、どこの国から来たかもわからない。ただ、彼女も悪役令嬢であり、転生者でもあるという事。この家に最初に住み着いたという事だけは分かっているらしい。
「あんま喋んないだけでいい娘だよー」
そうミズキは締めくくった。
「初めまして。サキちゃん」
レマが握手の為に手を差し出すと、サキはそれにしがみつくように両手で握手した。サキの小さな手はまるで死者のように冷たかったが、その力強い握りは間違いなく生者のものだった。レマは強く握り返してそれに応えた。
外にいた二人への自己紹介が済んでから、レマはミズキに連れられて、家の中へと入っていった。ミズキによれば二人、街へ買い物に出ており、明日帰ってくるらしい。
家の中は外観から見たイメージよりかは広く感じられた。それでもレマが住んでいた屋敷よりかはだいぶ小さい。入り口から見て、奥にキッチンがあり、そこで女性が一人料理をしている。そこから手前の部屋の中央の辺りに大きなテーブルがある。左手に六つのベッドが等間隔の隙間を開けて互い違いに配置されており、足元にはそれぞれブランケットボックスと呼ばれる大きな箱があった。右手にはレマから見てガラクタのように見える機械類に囲まれた机がある。
「ただいまー」
挨拶の返事がすぐ返ってきた。
「おかえりなさい――あら?」
ミズキは外の二人と同じようにレマの紹介と事情の説明を始めた。
「可哀そうに……。レマさん、お腹すいていませんか?もう少しでお夕飯ができるのでそれまで待っていてくださいね」
料理をしていた女性はそう言った。料理をしているためか、ウェーブがかった琥珀色の髪が頭の後ろでひとまとめにくくられている。そして、それと同じ色の瞳が、やや目じりの垂れた細く開いた瞼からうっすらとレマを覗いていた。その柔和な表情と物腰から、レマはその女性から柔らかな母性を感じた。
彼女の名はオーリエ。レマ達と同じ悪役令嬢であり、転生者でもある。ミズキやシアンのように彼女もまた元となったゲームをプレイしておらず、名前も知らない。ただ、転生してしまったものは仕方ないと受け入れ、令嬢という立場に甘えず、前世と同じように自分の身の回りの事は自分でしながら生活していた。そのおかげで庶民からの評判は良く、婚約者である王子との関係もオーリエの持ち前の包容力によって良好なものであった。そのまま幸せな生活が続いていくとオーリエ自身そう思っていた。
しかし、そうならなかった。オーリエは王子の母、つまり、王女から嫌われていた。階級社会の権化のようなその王女からしてみれば、庶民のようにふるまうオーリエが奇異で不気味に見えたのだ。その上、成人しているとはいえ、愛しの息子を取られるという危機感もあった。王女は事あるごとに王子にオーリエの欠点を吹き込んでいった。しかし、王女からすればそのつもりであったが、王子からすれば母親から将来の嫁の愚痴を延々聞かされ続けている様なものだった。毎日のように耳にする、無益だがうんざりするほど聞かされる、中身も何もない王女の愚痴に嫌気がさした王子は、遂に、婚約の破棄をする事を老いた母に約束した。
オーリエが急に告げられた婚約の破棄の理由を尋ねると、王子から右の様な経緯を説明された。それを聞いてオーリエの心は急速に冷めていった。冷えて固まった心には、経緯の説明をし終わった王子の口から出た『それでも愛している』の言葉が、僅かたりとも染みてこなかった。自分を嫌う姑とそれの言いなりになる夫。この二人と共に幸せな結婚生活を築ける気がしなくなったオーリエは口ではなく行動で返事を示した。黙ってその場を後にし、オーリエは使い慣れた調理器具一式を背負い、家を出た。元から一人でも生きていける。どこか自分を必要としてくれる居場所を探そう。そう思って。
そうして国を出て、道に迷ったことを自覚せぬまま道なき森を進んで行くと、オーリエはこぢんまりとした家と、そこにいた腹をすかせた二人、若紫色の髪をした少女と金糸雀色の髪の女性、そして自分を必要としてくれる居場所を見つけたのだった。
オーリエの言葉通り夕飯はすぐに出来上がった。ミズキは家の外にいる二人を呼びに行き、レマは配膳を手伝う。
「何分森暮らしなものでこんなものしか用意できません……。お口に合えばいいのですが……」
夕飯はレマの今までの生活と比べるとかなり質素なものであった。僅かに入った、街で買ってたであろう野菜と、見た事の無い山菜やキノコを穀物と一緒に煮て味を調えたものであった。それでも自然のなかでほぼ自給自足の生活をしているにしては上等な食事である。これもひとえにこの森の豊かさとシアンのサバイバル能力の高さによるものであるとオーリエは言った。
ミズキと外にいた二人が戻り、五人の悪役令嬢は前世の習慣の通りに合掌し、食材とそれを取ってきてくれた人と作ってくれた人に感謝をしてから食事を始めた。レマは木を削って作られたここにいる誰かの手作りであろう匙を使って、おじやのような料理を少し掬って食べた。少ないながら入っている野菜の旨味と僅かについたおこげの香ばしさが素晴らしい。屋敷にいた時に似たような料理は何度も食べてきたが、その中のどの料理よりも美味しかった。屋敷の料理人よりも食材も調味料も調理法も限られている環境で、ここまで美味しい料理が作れるオーリエの料理技術の高さがうかがえた。レマがそう思っていると、ふと視線を感じた。その視線の元の方を見るとオーリエが何かを伺うようにこちらを見ていた。きっと料理の感想が聞きたいのだろうと思ったレマは、思ったままの感想を言った。するとオーリエは嬉しそうに笑った。春の柔らかな昼下がりの日差し。そんな笑い顔だった。
「ねぇねぇ。明日何する?やっぱレマちゃんの椅子とか要るよねー?」
窓から差し込む夕日の中、食事を一番に食べ終えたミズキはそう言った。
「確かに。この家には人数分しかないから、絶対に必要になるな」
「でしょー?せっかく新しいの作るんだからさー可愛いの作ろうよー。レマちゃんはどんなのがいいー?」
一同は和気藹々と、これから一緒に住むレマの家具のデザイン案を出し合い、そして作業手順の計画を立てていく。楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていき、赤く染まった空は徐々に薄暗く、そして真っ暗になっていった。
日が沈み、夜になると五人はすぐに寝始めた。明かりとなる魔道具を使うのがもったいないからである。レマは街に出かけた二人のどちらかが使っているベッドを使わせてもらった。静かに横たわっていると今日の出来事が逆順で浮かんできた。食事を終えてこれからの計画を楽しく話したこと。オーリエの料理の美味しさ。サキとシアンの二人の事に、ミズキと森の中で出会った事。そして、愛する者にエリの奸計によってとはいえ嫌われてしまった事。自然とレマの体が強張った。色々あったから今まで思い返すことが無かったが、自分は今日、ジョンから婚約の破棄を告げられているのである。そう思うと、悔しいという感情と、悲しいという感情が入り混じったものが心の器を満たしていき、ついにはあふれ出て目のあたりから零れ落ちそうになった。その時、小さな体が、レマの寝ているベッドに潜り込んできた。その体の持ち主は手先や足の先は冷たかったが、中心の方は心安らぐ温かさを持っていた。レマは縋るようにその体を抱きしめた。すると、その体温の心地良さと、一日中森をさまよい歩いた疲労によってすぐに夢の中へと誘われていった。
朝。レマが目を覚ますと、五人の中で一番小さな体を持った者は、自分のベッドへと戻っていた。枕の上に足を乗せて寝ているその寝相の悪さから見るに、ただ寝ぼけてレマのベッドに入ってきたのかもしれない。或いはレマの気持ちを察して行った行為だったか。どちらにせよレマの気持ちが救われたという点では変わりが無かった。レマはサキに心の中で礼を言った。
どちらであったのかは少女にしか分からない。
第23回角川ビーンズ小説大賞に応募して落選した作品です