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ホモとLBTQAとジェンダー

母の日

作者: halsan

 その晩はやけに暑く、寝苦しかったことだけは覚えている。

 そう、全身が火照ってしまうほどに。

 特に下腹部の辺りが焼けるほどに。


 ジリリリリリ!

 

 ぷつん。


 目覚ましを止め、ベッドから抜け出すと「暑いな畜生」などと、おっさんみたいな独り言をつぶやきながら、いつものように朝のトイレに向かったんだ。

 トイレに到着した俺は、洋式便器のふたを開け、パジャマをずらし、用を足すべくパンツの穴をまさぐる。

 

 あれ?

 

 いつもの猛る手ごたえがない。

 普段はこの位置にあるはずの俺のちんこが今日に限ってそこにない。

 俺はちょっとだけ動揺した。


「まさか16歳でインポとか、シャレになってねえぞ俺」


 慌てた俺は根元の方に右手を走らせる。

 しかし右手の親指と人差し指は空を切る。

 

 ……。

 

 俺は恐る恐る右の(てのひら)を股間に当ててみる。

 

 ……。

 

 夢か。

 そうだ、夢だな、それなら問題ない。

 俺はパンツをずらして自分の股間をまじまじと見つめてみた。


 ほら夢だ。

 

 そこにあるはずのちんこときんたま、それに生えたばかりの陰毛が、俺の股間からきれいに消え去っていた。 

 その代わり、違うモノがついている。

 

 インターネットのおかげでスマホでもR18が堂々と見れちゃうこの時代。

 当然思春期真っ最中の俺は、女性の大事なところも、これまでバッチリ検索済みだ。

 

 それがちんこの代わりにそこにいた。

 

「おはようコウ、朝食はできているからね。お母さん、先に研究室に行くから」


 どうせ夢だろうと思いながら食卓に顔を出すと、母さんがいつものように朝食を準備してくれていた。

「わかった、いってらっしゃい」

 母さんを見送り、いつものように朝食を食べ始めた。

 ちなみに俺に父親はいない。

 でも別にそれはどうでもいい。


 メニューはご飯とみそ汁、それに今日のおかずは干物をあぶったもの。

 高校に入学してからは、母さんが研究室でこしらえた特製ドリンクを飲むのも毎朝の日課になっている。

 うん、旨い。

 って、あれ? 夢にしちゃ、やけにリアルな味だな。

 それにみそ汁も旨いし干物も旨いし飯も旨いぞ。

 

 ……。

 

 とても嫌な予感がする。

 もしかして、これって現実なのか?

 

 食器を片づけた後は歯を磨いて制服を着込み、学校に出かけるのがいつもの日課。

 念のためパジャマズボンを脱いだ後、もう一度股間を確認してみる。

 

 やっぱりない。

 俺のちんこがない。

 

 とにかく着替えよう。

 着替えて学校に行ってネットで検索してみよう、もしかしたら何かの病気かもしれないし。

 慌てて制服に着替え、机の横にかけてあるバッグを手にした。


 なぜ病院に行かないんだって?

 そりゃそうさ。「ちんこがなくなりました」なんて、誰に相談できるんだよ。

 それにそうした症例があるなら病院にでも行くけどさ、事故と故意以外でちんこがなくなる症例とか検索しても出てこないし。

 それに夢だという可能性もまだ残されているしな。

 そう考えた俺は日常生活に戻ることにしたんだ。


「おはようコウ、相変わらず可愛いな!」

 教室に入るが否や、俺はいきなり後ろから抱きつかれた。

「離せノリユキ、毎朝毎朝うっとうしいからいい加減にやめろ!」


 こいつは幼馴染の平井(ひらい)敬之(のりゆき)

 何故か幼少のころから、こいつは事あるごとに俺に抱きついて来やがる。

 しかし誰もそんなこいつのことを、誰も頭がおかしいとは思っていない。

 俺以外にはな。

 何故ならノリユキはスポーツ万能超絶イケメン野郎だから。


 なので奴が俺に抱きついてきても、女子は俺がうらやましいと思うだけだし、男子はノリユキが他の女子に手を出さないように俺が避雷針の役を担っていると好意的に受け止めている。

 まあどうでもいいことだけれどな。


「あれ? コウお前、シャンプーかボディーソープ替えた?」

「替えてねえよ、それよりうっとうしいから早く離れろ」

「おっかしいなあ。気のせいかな」

 おかしな独り言を口走りながらも、朝の抱擁で満足したのか、ノリユキは自分の席に戻って行った。

 

朱堂(しゅどう)(こう)

「うっす」


 朝のホームルームで、いつものように委員長が出席を取る。

『朱堂 滉』というのが俺の名前。

 ちなみに苗字は「すどう」ではなく「しゅどう」と読む。

 どうも昔は違う漢字だったらしいのだが、明治時代に先祖がこの漢字を当て直したらしい。

 本当だかどうだか知らないが、小学生の頃の社会の宿題で名字の由来を調べるように言われたとき、母さんは俺にそう教えてくれたんだ。

 

 うーん。

 授業は昨日の続きだ。

 夢ならこんな新しい知識は俺に入ってこないよな。

 やっぱり現実なのか、ちんこが俺の股間から家出したのは。

 まいったなあ。

 詳しく調べてみたいけれど、よくよく考えたら、学校のパソコンじゃ検索履歴が残ってしまうんだよな。


「ちんこがなくなった」


 なんて学校のパソコンで検索するのはリスクが高すぎる。

 かといってスマホの検索では限界があるし。

 仕方がない、帰ってから家のパソコンで調べるとしよう。

 

「何よコウ、元気ないじゃん!」

「気のせいだよユキ。それよりいつも悪いな」

「うちも商売だからね。まいどあり」


 俺が通う高校は給食や食堂がないので、弁当持参が基本なんだ。

 今、俺に弁当を届けてくれたのは中谷(なかたに)祐希(ゆき)という、こいつも平井と同じく幼馴染の女子。


 ユキの家は古くからの仕出し弁当屋で、こいつの母親と俺の母さんが昔からの親友ということもあって、高校に入ってからはユキが俺、ユキの両親が交代で共働きのノリユキに毎日弁当を届けてくれる。

 もちろん有料だけれどな。

 弁当代は母さんがユキの母親に毎月前払いしているんだ。


 ただ、こいつんちも、この弁当で商売をするつもりはないので、ノリユキを除く他の連中は弁当が有料だとは知らないんだ。

 なぜなら、有料で買えるとばれたら注文殺到間違いなしだから。


 相変わらず旨いな、この弁当は。

 特に毎日入っている定番の卵焼きがたまんねえ。

 このとろりとした味はユキの店にしか出せない代物なんだ。


「ほら、おべんとがついてるよコウ」

 ふいにユキが俺の口元に指を差し伸べ、米粒を掬い取った。

 その米粒を自分の口に運ぶ。

「やめろよユキ」

「あれ? 照れてるの?」


 突然のことに俺は顔が真っ赤に染まるのがわかる。

 そんな俺の表情をおかしそうにユキは笑い飛ばす。

 そう、俺は多分ユキのことが好きなんだ。

 だってこいつ、高校に入学してから急激に成長したんだもん。


 俺にとって、ユキはただの幼馴染以上の存在なのは間違いない。

 ユキが俺のことをどう思っているのかはわからないけれどさ。

 俺はそっと、横に座っているノリユキの様子を伺ったんだ。

 なぜならこいつはユキ争奪のライバルかもしれないから。


 よし、気づいてないな。

 ノリユキは幸せそうな顔で弁当をかっ込んでいやがる。


 ここで俺は重大な問題に気付いた。

 やべえ、ちんこがないと、将来ユキに(コク)ることもできねえ。 


 とにかく今日は授業が終わったらまっすぐ帰ろう。

 ちんこの家出について調べるために。


「コウ、部活行こうぜ」

「ごめん、今日は急遽飯当番になっちまったんだ。今日は先に帰ってるよ!」

「そっか、わかった!」

 俺はノリユキに嘘をついた。

 しかし奴は俺が嘘をついたなどとは微塵とも疑っていないだろう。


 俺は母さんに「今日は俺が晩飯作るから」とメールを入れ、近所のマーケットで夕飯の材料を三人分購入してから、急いで家に帰ったんだ。


 すぐに母さんから返信が来る。

「どうしたのコウ?」

「部活が休みになったからだよ。それに今日の俺はどうしてもミネストローネを食べたい気分なんだ」

 母さんへのメールにも嘘を仕込んでおく。


「そう、それなら楽しみにしてるわね。それじゃお母さんはもうちょっと仕事を頑張ってくるからね」

「ああ、風呂も入れておくから心配すんな」

「ありがと。それじゃノリユキ君にもよろしくね」

 これでよし。

 

 家に着くが否や、俺は米を軽く洗ってから炊飯器にタイマー設定しておく。

 次に自家製パンチェッタを粗く切ってそのまま鍋に投入。

 パンチェッタの油が十分に出る間に野菜をこれでもかと刻み倒し、鍋に投入して炒め合わせる。

 そこに缶詰のホールトマトをぶち込んで一煮立ちさせ、そのまま鍋ごと保温器にいれておく。

 味は仕上げの時に整えてやればいいからな。

 これで夕飯の準備は完了。

 

 よっしゃこれでよし。

 それじゃ「ちんこがなくなる症例」について、じっくり調べるとしよう。

 

 ……。

 

 だめだわかんねえ。

 検索してみても、出てくるのはスマホのときと同じようなものばかり。

 

 そんなこんなしているうちにインターホンが鳴る。

 

「コウ、飯食いに来たぞ」

「おう、もうそんな時間か。鍵は空いてるから適当に入れ」

 

 家に来たのはノリユキ。

 そう、こいつは月曜日から金曜日の間は俺の家で夕飯を食っているんだ。

 

 ノリユキの母親にとってみれば、息子の夕食が手料理なのはありがたいらしいし、母さんからすれば二人前も三人前も手間は同じなうえに、やつの母親から飯代をむしれるからお得だということ。

 だから最初は遠慮したノリユキの母親に、俺の母さんがノリユキを俺たちと夕食を共にさせるように、強引に勧めたらしいんだ。

 

 そんなわけで、物心ついたころには俺とノリユキは何の疑問も持たずに夕飯を一緒に食っていたんだ。

 ただ、変わったのは、小学生のころまでは母さんが毎晩夕食をこしらえていたのが、中学に入ってからは俺も飯をこしらえるようになったこと。

 

 まあ、俺が某料理漫画に触発されただけなんだけれどな。

 これが帰りにノリユキが俺の「飯当番」という嘘を全く疑わなかった理由なんだ。

 

「ただいま、あらいらっしゃい。ノリユキ君も来てるわね」


 母さんも帰ってきたところで、俺たち三人はいつものように夕食の席に着く。

「コウの料理は最高だぜ!」

「あら、それならこれからは毎晩コウに夕食を用意してもらおうかしら」

「勘弁してくれ母さん」

「おばさんの料理も、俺、大好きっすよ!」


 などと、他愛もない会話を重ねながら、いつものように夕食を終えると、ノリユキは帰って行った。

 するとふいに母さんが俺に俺の顔を覗き込んで、話しかけてきたんだ。


「コウお前、身体の調子でも悪いの?」

「いや、そんなことないよ」

「ならいいけど。ちょっと様子がおかしいかなと思ったけれど、きっとお母さんの気のせいね」


 さすが母親といったところか。

 俺がひたすら押さえつけている心の動揺を見抜きやがった。

 

 ……。

 

 母さんに相談してみるか?

 いや、さすがにそれは恥ずかしい。

 母親に「ちんこがなくなりました」なんて言えるかよ畜生。


 今晩もやけに寝苦しい。

 脳を襲う睡魔と身体を襲う違和感が交互に訪れる。

 身体をべっとりと油汗が覆うのを感じながらも、俺は睡魔に引きずり込まれていった。


 朝が来て目覚めの時を迎える。

 

「嫌な夢を見たなあ」


 そう、あんなのは夢に違いない。

 ちんこがなくなるなんて。

 

 それでは朝のお通じを。

 

 やっぱり股間にちんこはなかった。

 代わりにあり得ないところにあり得ないふくらみが。

 落ち着け俺……。

 

 胸を「さらし」で巻きつぶした俺は、母さんの前で何食わぬ顔で朝食を食べ、学校に行った。

  

「何だコウ、元気ないぞ!」

 こっちの悩み事も知らずに、いつものように後ろから飛びかかってくるノリユキ。

 ああうざい。


「ん?」


 あ、やべえ。

 

「お前、怪我でもしたのか?」


 やっぱり気付いたかこいつは。

 そう、こいつは俺の胸に違和感を感じたんだ。


「ちょっと蕁麻疹(じんましん)が出てな。包帯を巻いてあるだけだ」

「ふーん、そうか。大事にしろよな」


 ……。

 

 うん。

 

 昼にはいつものようにユキが弁当を届けてくれる。

 でも、これまでと比べると何となく弁当も味気ない。

 俺に向けてくれるユキの笑顔にも、いつものような嬉しさを感じることができない。

 駄目だ俺、相当ダメージがでかいようだ。

 早く何とかしなければ。

 

「コウ、やっぱり調子が悪いんじゃないの?」

「大丈夫だよ母さん。何でもないさ」


 母さんの心配そうな表情を振り切るように俺は風呂に飛びこみ、慣れない部分を慣れない手つきで洗って行く。

 

 柔らかいな。

 

 って、駄目だ俺。それ、自分のおっぱいだからな!


 今日も寝苦しい。

 ならば寝なければいいのだが、睡魔は容赦なくやってくる。

 眠りたくないのに眠りを強制されるような夜。

 体内を掻き混ぜさせられ、脳を塗りつぶされていくかのような夜。


 結局俺はちんこを取り戻すことができていない。

 毎朝俺は胸にさらしを巻き、学校でのトイレは職員用まで出向き、体育がある日はワイシャツの下に体操着を着て行った。

 

 ノリユキは毎日、同じように俺を構ってくれた。

 ユキも毎日、同じように俺の表情を覗き込んでくれた。

 

 だが、俺の中では変化が起きていた。

 俺だけが同じではなかったんだ。

 

 ノリユキの所作が、いちいち気になる。

 あいつが後ろから飛びかかってきたときに、俺の身体を包むあいつの両腕。

 首筋に当たるあいつの吐息。

 やめろよと言いながら振りほどこうとする俺の手に力強さを返してくる、あいつの武骨な手の甲。


 一方、急速にユキに対しての思いが冷めていくのを実感してしまう。

 とうとう今日はやってしまった。

 いつものように「おべんとついているよ」と指を伸ばしてきたユキの腕を、俺は反射的に払いのけてしまったんだ。

 

 しまった。


 ユキは一瞬驚いたような表情を見せた後、すぐに悲しそうな顔になった。


「ごめんね……」


 次の日から、ユキが俺に接してくることはなくなった。


 夜が俺の身体を(もてあそ)ぶ。

 睡魔が俺の脳を弄ぶ。


 そしてその日はやってきた。

 

 いつものように飛びかかってくるノリユキ。

 同時にあいつは俺を後ろから抱き締めたまま硬直してしまう。

「え?」

「黙って、ノリユキ」

 俺は俺達二人のいつもの光景に興味を示さないクラスメイト達がこちらに注目しないように、あいつにだけ呟いた。


「ねえ、相談があるんだ。俺と一緒に帰ってくれる?」


 今日、俺は胸にさらしを巻かないで学校に来たんだ。

 ノリユキにははっきりと伝わっているはず。

 俺の胸があいつの腕を押し返す感触が。


 しらじらしい時が教室を通過していく。

 そして放課後がやってくる。

 俺とノリユキは、何事もなかったようなそぶりで帰宅の途についた。

 

 ここは俺の部屋。

 俺はベッドにノリユキを座らせると、その前に無言で立った。

 混乱したような目で俺を見るなよ、恥ずかしいじゃないか。

 

「どうしたコウ? もしかしたらお前……」

「なりたくてなった訳じゃない」


 俺はノリユキの前でワイシャツをゆっくりと脱いでいく。

 日焼けしていた肌はいつの間にか白く透き通り、筋張っていた腕はほっそりとなめらかになっている。


 あいつがつばを飲み込む音が聞こえる。

 こいつの視線が俺の胸に突き刺さる。

 

 俺は無言でズボンのベルトに手を掛けた。

 

 下着は既に替えていた。

 ノリユキの視線が俺の胸から、露わになっていく俺の太ももに移っていくのがわかる。


 目の前の視線が俺を刺激する。

 それは俺の身体を弄ぶ夜を思い出させる。


「コウ、お前……」

「そうさノリユキ、俺は『女』になったんだ」


 昨晩、俺は猛烈な衝動に身体を苛まれた。

 それは生物としての本能であるのかもしれない。

 それは大脳からでなく、腹の中心から俺の全身に訴えかけてきた。

 

「子を成したい!」


 俺はその想いに染まった。

 

 俺は、俺はなノリユキ、俺はお前と、「子」を成したいんだ。


 俺は目の前で膝立ちとなったまま硬直しているノリユキの頭を両の手でゆっくりと抱え、胸に抱きかかえた。

 こいつの呼吸と鼓動が伝わってくる。


 もうだめだ……。

 止まらない……。

 

 胸の中ですっかり力が抜けてしまったノリユキの顎を右手で支え、ゆっくりと俺の顔に向ける。

 

「お願い、受け入れて……」


 そのまま俺はノリユキの唇に俺の唇を近づけた。

 ノリユキの戸惑う視線を受け止めながら。


 ところが、唇が触れあう直前に、突然白い霧が部屋に溢れかえってしまう。

 なんだこれは!

 

「はいそこまで、ご苦労さま!」


 急激に白く色が抜けていく意識の中で、そんな言葉だけが最後に耳元へと残された。

 

 ここはどこだ?

 

 俺が目覚めたのは暗い部屋。

 

「あら、お目覚めね。コウ」


 この声は……。

 

「心配しないでも大丈夫よ。計画通りだからね。あなたに訪れているであろうあなたの欲求も、私が満たしてあげるから」


 計画?

 

「ふふ。ノリちゃんもいい仕事をしてくれたわ。ここまでコウを女に目覚めさせてくれるなんてね」


 目覚める?


 何を言っているんだ?

 何を考えているんだ?


「何をするんだ、母さん!」


 俺の絶叫に母さんは楽しそうに答えたんだ。

 

「何って、あなたを通じて、完全な『私』を作るのよ」


 同時に俺の胸と下腹部に、これまで経験したこともないような快感がねっとりと襲いかかってきた。


 やめろ! やめろ! やめて……。

 

「やめてもいいの?」


 やめ、やめ……。だめ……。

 

「それじゃいくわね」


 母さんが耳元で囁くと同時に、俺は下腹部から脳天までを一気に貫かれた。

 痛みを伴う快感に……。


 俺……。

 

朱堂(しゅどう) (こう)は留学のため、しばらく休学するそうだ」


「先生はああ言っているけれどさ、ノリユキは留学のこと、コウから聞いていた?」

「いや全然。それより俺はユキが知らなかったことに驚いているけれどな」

「なんで?」

「あいつ、お前に惚れていたんだぜ」


「でも、だまっていなくなっちゃうなんて、薄情よね」

「そうだな、薄情だな」

「泣くなユキ」

「ノリユキだって……」


 俺の父親を殺したのは俺。

 なぜなら、父親は母さんを殺そうとしていたから。

 そんな記憶をなぜか取り戻した。


 それはある日の夜のこと。

 いつものように母さんに寝かしつけられた俺は、父親と母さんの激しい口論で目が覚めた。


 父親は母さんの上にのしかかっていた。

 母さんは嫌がっていた。

 父親の手が母さんの首にかかっていたように見えた。


 母さんが死んじゃう!


 だから俺は台所から包丁を持ち出して、父親の後ろから背中を刺したんだ。


 その後のことは覚えていない。

 父親の俺を見る驚きと、何かの感情が入り混じった目線以外には。




「あの時のお父さんはね、私の研究を止めようとしていたのよ」

「研究?」

「そう。完全な「複製人間(クローン)」を作る研究」


 あの人と私はね、クローンの研究をしていたの。

 実はあなたも私達の実験から産まれたの。

 私の卵子が持つ遺伝子情報を損壊しないように、彼の精子が持つ遺伝子情報のほとんどを壊してね。


 でもだめだった。

 どうしても彼の遺伝子情報の残骸が残ってしまったの。


 だから、あなたの兄弟姉妹となったかもしれない受精卵はほとんど処分したのだけれど、あなただけは残したわ。

 もしかしたら今後利用価値があるかもしれないからと判断してね。


 その後の遺伝子操作で、あの人と私は画期的な成果を発見したわ。

 それは、遺伝子の「X染色体」と「Y染色体」を書き換える方法。


 そうよ。ヒトは性染色体が「XY」なら(オス)、「XX」なら(メス)になるの。


 これは画期的な発見だったけれど、残念ながら私達のクローン研究には直接関係はない。

 でもね、彼と私は思い至ったの。


 あなたのように、あらかじめ極限まで遺伝子情報を両親のどちらか片方に寄せた個体と、その遺伝子情報を持つ方の親が交われば、もう片方の親から引き継がれた遺伝子情報の残骸が除去された、より純度の高い生命体が生まれるのではないかとは考えていたわ。


 でもね、例えばあなたの精子と私の卵子を交わらせてもダメなの。

 なぜならあなたの精子は既に卵子としての私の情報は持っているから。

 そこを単に上書きするだけだから、不純物を消すことはできない。


 ところが、ここがポイントなの。


 もし、あなたが女になって、私が男になれれば、私の精子はあなたの卵子に含まれる、あの人の遺伝子情報に干渉できるわ。


 ね、これならより遺伝子情報の純度を高めることが可能になるの。


 実はあの晩はね、実はあなたのことを、あの人と取り合いしていたのよ。


 ごめんね。

 あの人ったらさ、実験体のあなたに情が移っちゃったみたいでね。

 私の実験計画を相談したら、「神をも恐れぬ所業だ!」なんて激昂(げっこう)しちゃってさ。

 あなたをこのまま育てていくだなんて、馬鹿なことを言い出したのよ。


 だから、あなたが彼を刺してくれたことは感謝しているわ。


 後はわかるわね。

 私はあなたのY染色体をXに書き換えたの。

 多分あいつの残骸はそこにいるから。

 同時に私は自身のX染色体の一つをY染色体に書き換えたわ。

 私が持つ遺伝子情報をより効率的にあなたに伝えるためにね。


 わかる?


 そう、あなたに女性器ができたのも、あなたが私の男性器に貫かれたのも、大事な実験なの。

 朝のドリンクも、お弁当の卵焼きも、すべてあなたの身体に女性ホルモンをなじませるための料理だったの。

 夜に悪夢が走ったのは、少しずつ手術を進めていたから。

 あなたの組織を培養し、すぐに移植できるように準備していたから、生活に不具合はなかったでしょ?


 心配しないで。

 このままあなたは大切にしてあげるから。

 だって、産まれてくる子供の遺伝子が、すべて私の遺伝子で構成されていないかもしれないでしょ。

 成功するまで実験は繰り返さなきゃ。


 ね。

 だからずっと大切にしてあげる。この部屋で。


 熱波が去った後に訪れた長い夜が冬将軍を誘い、いつの間にか氷が温もりに溶かされていく。

 あの日から十か月が過ぎた。

 それは自らの命すら自由にならない絶望の日々だった。


 新緑香る季節のある日のこと。

 内臓をかき回され、下腹部を引き裂かれるような痛みが脳天からつま先までを襲う。


 そして……。


 おぎゃあ おぎゃあ


 母さんは俺が産んだ赤子を取り上げ、楽しそうにあやしている。


「いい子ね。遺伝子情報もいい子だと、もっといい子ね」


 そう子守歌のようにつぶやくと、母さんは俺を再び生命維持装置に固定し、赤子を連れ去った。


 再び俺に絶望の日々が訪れると思ったかい?

 俺もそう思ったさ。

 でもね、どうやらそうでもないらしい。


 多分母さんの実験は母さんの想像以上に大成功だったのだろう。


 なぜって、あの子が生まれる瞬間に、こんな声が俺の脳裏に響いたからさ。

 だからここで俺は待つことにしたんだ。


「ママ、必ず助けてあげるから」


 ああ、待っているよ。

 たとえお前が何者であろうともね。


 お前は俺の子だからさ。



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