#9 あちら側からの脱出
ショッピングモール内で、突如、姿を消した梅田奨くんを連れ戻す為、マリアと凪は、“あちら側”と呼ばれる妖の世へ行った。
そして、妖ばかりの世界で見つけた小さな農具小屋の中で、ようやく奨くんを発見した。
奨くんは、妖の目を逃れ逃れて、ずっと隠れていたらしい。
怖かっただろう。
心細かっただろう。
でも、声をあげて泣いても、寄って来るのは恐ろしい姿をした妖だけだと分かるから、泣くことも出来なかったに違いない。
それは、マリアが見つけた時も同じで、ホッとしたのに、泣くことも出来ず、ぐっと堪えているのが分かるから、マリアまで泣きそうになってしまった。
「もう大丈夫だよ。一緒に帰ろうね。」
マリアは、出来る限りの笑顔を作って、奨くんを励ました。
凪が周囲を見回し、誰も居ないことを確認して、マリアに合図を送った。
凪から送られた合図を見て、マリアは奨くんを連れて小屋を出た。
今度は、ここから妖の目を避けて、人の世に出ることが出来るだろう路地裏を目指さなければならなかった。
「妖の気配で、行動まで分かるものなの?」
マリアは凪に聞いた。
妖の気配が人間の気配と違っているのは分かるが、妖一人一人を区別して、こちらに向かって来ているかどうかまで、判断するのは難しいと思った。
マリアは、ここ妖の世に来て、妖と区分されるだろうモノの気配が、何となく分かるようになった。
いや、妖だらけのこの世界で、人間の気配というものが違っていることに気付いたのかもしれない。
だからこそ、小屋の中で隠れている気配が、人間であると、奨くんだと、マリアは判断出来た。
人間の世に居て、どこに居て、どう行動しているのか、たくさん居る人間の一人一人の気配を探ることは、まず無いだろう。
それは、ここ妖の世でも同じで、妖一人一人の行動まで、気配だけで探るのは難しいと思った。
凪は、周囲の気配を探りながら、マリアに言った。
「遠い気配ならば、動きは分かる。近い気配でも、数が少なければ、把握することは出来るし、回避することも出来るだろう。問題なのは、近い気配で、数が多い場合だ。一度に把握できる数は限られている。イレギュラーが居れば、尚更、難しくなるだろう。」
「イレギュラー?」
「そうだな。空を飛ぶモノや、地中を移動するモノ、瞬間移動が出来るモノ……とかかな。」
「そんな妖、居るの?」
「居ない———と、断言することは出来ない。とにかく移動するぞ。向こうだ。」
凪の説明に、驚くマリアを見て、凪は、少し怖がらせてしまったかと後悔し、話をすぐに変えた。
足が進まなくなれば、帰ることは出来ない。
凪が先を歩き、その後を、奨くんの手を引き、マリアが続いた。
木造長屋の前を通り過ぎ、裏路地通りを警戒しながら進んでいく。
すると、少し開けた一画に出た。
その先を行けば、目的の路地裏に出ると思われた。
「………。」
しかし、凪は、一気に通り過ぎようとはしなかった。
「………。」
何かが来ると、マリアも感じた。
突如、開けた一画に竜巻のような風が巻き上がり、そこに花魁姿の狐が姿を現した。
「これはこれは、次期宮司様、こちら側へは初のお目見えですね。先日の七曜神楽はお見事でした。近年、稀に見る奇才の持ち主とお見受けいたしましたわ。ぜひとも食したい。わちきの血となり肉となり、わちきに力をお与えくださいな。」
花魁姿の女狐は、マリアの姿をその目に捕らえ、妖艶な笑みを浮かべた。
「………。」
マリアは、初めて向けられた殺意に恐ろしくなり、奨くんの手を握ったまま、一歩後ろに下がった。
B・Bは、本当にマリアを殺そうとはしていなかったのだと、改めて分かった瞬間だった。
「さがれ!紫!」
珍しく、凪が声を荒げた。
「まぁ、凪様。狐のよしみではありませんか。しばしの間、お目をつぶっていていただけませんか?」
「わたしをお前と同列にするな!下がらぬのなら祓うぞ!」
凪の手の平に、再び青白い炎が現れた。
先程よりも、遥かに大きな炎だった。
紫と呼ばれた花魁が、わずかに怯んだ。
だが、すぐに、マリアをキッと睨み、言った。
「次期宮司とは名ばかり。神使の後ろに隠れることしか出来ないのか?無事には帰さぬ。手なり足なり置いて行くがいい。」
「うぅぅぅーー-!」
奨くんは、恐ろしさのあまり、唸りながらマリアの足にしがみ付いた。
紫はにやりと笑い、高らかに大声を発した。
「次期宮司がおりますぞ!奇才を持つ娘がこちら側に来ておりますぞ!力を望むモノはおいでませ!逃げますぞ!逃げますぞ!」
「しまった!いそげ!」
凪は、急ぎ奨くんを抱え、マリアの手を引き、走り出した。
続々と妖たちが、集まって来ていた。
「奇才を持つ娘だと⁈」
「黒石神社の次期宮司だ!」
「オレが食う!邪魔だ!どけ!」
「いや、オレが食う!」
「指だけでもいい。俺にもよこせ!」
我先にと、妖たちはマリア達を追っていた。
マリアは、息を切らせながらも、凪に手を引かれ、路地裏まで逃げることが出来た。
しかし、迷路のような路地裏を正確に進まなければ、あの場所に出ることは、おそらく出来ない。
「凪、道順、覚えているの?」
「いや、途中までしか覚えていない。」
「どうするの?あぁ、もう追って来た。」
路地裏に、妖たちが入って来ているのが見えた。
「ここはまっすぐだよ。」
奨くんが路地裏の先を指差した。
「覚えているの?」
「うん。」
子供の記憶力は偉大だ。
マリア達は、奨くんの記憶を頼りに、路地裏を奥へと進んだ。
問題は、あの場所に辿り着いても、人の世に戻ることが出来るかだ。
「凪、わたし達がこっちに来た場所に着いたとして、わたし達だけで向こうに戻る事って出来るの?」
あちら側への入り口は、あちら側の住人にしか作り出せないと、凪は言っていた。
凪は、奨くんを抱きかかえ走りながら、マリアの問いに答えた。
「出来る。こちらから人の世には、この路地裏を正確に通れば、戻ることが出来るはずだ。」
マリアは、凪の言葉を信じ、凪の後ろを走った。
「いたぞ!逃げられる!」
「急げ!」
妖たちも路地裏を進んで来ていた。
路地裏を進んでいるマリア達には、もう先に進む以外、逃げる場所はなかった。
このままでは、いずれ、追いつかれてしまう。
マリアは、覚悟を決めて、立ち止まった。
「マリア?」
「構わずに進んで!すぐに追いつくから!」
言って、マリアは、何も持たない手で、弓の構えをした。
何も持っていないが、今、自分の手には弓があると思い込んだ。
いつも使っている琴音から貰った黒い弓を持ち、いつも使っているトールと朔乃から貰った矢を構え、今、妖たちに向けている。
すると、マリアの手が光を帯び、その光は徐々に弓の形を模った。
同時に矢も作り出す。
しっかりと重さを感じた時、マリアは光の矢を放った。
光の矢は、扇状に広がり、妖たちを呑み込んだ。
七曜神楽の時と同じだ。
「うわぁー‼」
「ギャー‼」
「ぐわぁー!」
光の矢に呑み込まれた妖たちは、焼けて灰となり、崩れ落ちた。
「うわー!」
「祓われる!」
「逃げろ!」
光の矢から逃れた妖たちは、マリアを恐れて逃げ去った。
マリアは、もう追って来る妖が居ないことを確認して、すぐに凪と奨くんを追った。
凪と奨くんは、次に曲がる場所で待っていた。
「こっち。」
「こっち。」
「こっち。」
「こっち。」
「こっち。」
マリア達は、奨くんの案内で、次々と路地を曲がり、
「ここだ…。」
目的の場所に辿りついた。
突き当りの壁際に、あの渦巻き状に歪んだ空間がある。
「マリア、念じろ。入って来た場所を思い浮かべろ。」
凪が言った。
凪も思い浮かべているに違いない。
「奨くんは、ママの顔を思い浮かべてね。」
マリアは、渦巻き状に歪んだ空間を見て、少し怯えた表情をした奨くんに笑いかけ、小さなウサギの女の子が案内してくれた階段の踊り場を思い浮かべた。
「行くぞ!」
凪の声を合図に、渦巻き状に歪んだ空間の中に足を踏み入れた。
「!」
急に明るい場所に出て、目が眩んだ。
人のざわめきと、楽しげなBGMが聞こえる。
「………。」
ショッピングモール内の階段に、マリア達は立って居た。
振り向くと、そこに渦巻く状に歪んだ空間は無かった。