#29 オオジョロウグモの巣
オオジョロウグモの巣は、お嬢と対峙していた場所から、目と鼻の先だった。
うっそうと茂る森の中の木々の間を歩いていると、突如として大きなお屋敷の前に出た。
広い庭には、良く手入れがされた植木があり、池もある。
獣除けの鹿威しがあって、時々、小気味よい音を出していた。
庭を眺められるように作られたテラスには、日よけがしっかりと掛けられていて、白い丸テーブルに白いチェアが二つ並んでいる。
「梗平くんとは、いつも、あそこに座ってお話をしていたの。梗平くん、今日は来ていないのね。お礼が言いたかったのに、残念だわ。」
お嬢は涼しい顔をして言い、マリア達をちらりと見た。
マリア達は、お嬢の家に招かれていた。
家族を助けなければ入り口は作らないと、頑なにネズミ男の源治に言われ、仕方なく、源治の家族を助けることにした。
しかし、それも罠かもしれない。
B・Bたちは、万が一にもマリアと小金井佑介を奪われないようにする為、源治も三郎も解放しなかった。
三郎を捕まえているヴィゼが左側を歩き、クロが右側を歩いた。
源治を捕まえているノラが前を歩き、B・Bが一番後ろを歩いた。
4人は、マリアと小金井佑介を囲み、守りながら歩いていた。
「………。」
見た目には綺麗で豪華な屋敷なのに、嫌な気が満ちていて、マリアは鳥肌が止まらなかった。
おぞましくも禍々しい、負の気配に満ちている場所だった。
「ねぇ、これの家族は何処?」
来たくも無い場所に案内されて、うんざりした顔のノラがお嬢に聞いた。
「どうせ、どれもまやかしものでしょ?もういいよ。これの家族、返してもらえないと、僕たち帰れないんだ。早くここに連れて来てよ。」
これ以上、奥に入るのは危険だと、考えていた。
「あら、お急ぎだった?でも、お茶ぐらいいいでしょ?源治、お茶をお願い。三郎でもいいわ。」
お嬢は、全く気にしない様子で、さらりと言って、テラスの椅子に腰かけた。
マリア達は、芝生の上に立ち、それ以上は近づかなかった。
「冗談でしょ?2人は解放しないよ。」
ノラは冷たく言った。
「………。」
B・Bは、マリアと小金井佑介の後ろに立ち、屋敷内を見回した。
妖術で見せられているだけのものだと、分かっていた。
術が解けた時、ここがどういう場所になるのか……
考えるだけでも気が重くなった。
オオジョロウグモとは、とても大きくて、何でも食べてしまう蜘蛛だという。
だから、カエルもネズミも怯えて、お嬢の言うことを聞くしかなかったのだろう。
捕まえた獲物を隠して置くとしたなら、簡単には逃げられない場所のはず。
しっかりと糸を張って、外からも入れないようにしてある場所に違いなかった。
おそらくは、この屋敷の奥深く。
これ以上は、足を踏み入れたくなかった。
「それは困ったわね。」
お嬢は、マリアと小金井佑介を、値踏みするように見た。
小金井佑介の手には、今も薙刀が握られている。
小金井佑介の目は、ずっとお嬢を睨んでいた。
マリアは、屋敷を見詰めていた。
マリアの視線は留まらずにさ迷い動き、何かを探しているようだった。
「………。」
実際、マリアは、源治の家族の気配を探していた。
生きているのなら、生き物の気配があると思った。
屋敷のあちこちを見て、気配のありかを探しても、それらしきものは感じなかった。
………。
マリアは目を閉じた。
余計な情報を無くした方が、集中できると思った。
………。
生き物の気配を感じた。
屋敷の中、ずっと奥の方に、じっとして動かない気配があった。
一つ…、二つ…、三つ…、四つ…。
「………。」
マリアは目を開け、屋敷を見た。
「じゃあ、探してくる?」
マリアの意を察して、お嬢が言った。
「……っ‼」
答えるよりも先に、マリアはB・Bに腕を掴まれていた。
「ダメだ。誘いに乗るな。持久戦だ。蜘蛛は持久戦の生き物だ。誘い込まれれば捕まる。」
「……うん。わかっている……。」
B・Bに諭され、マリアは深呼吸をした。
「ここに連れて来てください。あなたがオオジョロウグモであることは分かっています。わざわざ巣の中に自分から飛び込むようなことはしません。」
マリアは、はっきりと言った。
「なっ……!はぁ?」
寝耳に水の小金井佑介が、マリアを見た。
マリアは、小金井佑介の視線を無視した。
今は、そんな説明をしている場合ではなかった。
お嬢は、オオジョロウグモという言葉を聞いた瞬間、源治をじろりと睨んだ。
睨まれた源治は、ぎょっとして怯み、身を縮めた。
だが、気持ちを奮い立たせて訴えた。
「お願いです。もう解放してください。もう充分でしょう?わたしは、もう、充分にあなたに尽くした。終わりにしてください。家族を返してください!お願いします!もう、本当に———」
バンッ!
お嬢がテーブルを叩いて、源治を黙らせた。
ハッとした源治は青褪めていた。
手も足もガタガタと震え出した。
「三郎、あなたも?あなたも、もうやめたいの?」
「…ゲコッ…ゲコゲコッ…」
「ちょっと、何!暴れないでよ。」
キッとお嬢に睨まれた三郎は、急に暴れ出し、捕まえているヴィゼを慌てさせた。
「おい、落ち着けって。」
見兼ねたクロも一緒に、暴れる三郎を押さえた。
「はぁー……」
動けなくなった三郎を見て、お嬢は大きな溜息を吐いた。
「本当に使えないやつばっかりね。もういいわ。あなた達には期待しない。自分でやるわ。わたしが捕まえる。全員捕まえて食べてしまえば済むことよ。」
背景音は、ゴゴゴゴゴゴ……。
地響きのような音と共に、庭が消え、屋敷が消えた。
マリア達は、うっそうと茂る木々に囲まれた空き地に立って居た。
周りを囲む木々のあちらこちらに蜘蛛の糸が張り巡らされている。
屋敷があった場所の奥の方に、一際、頑丈に蜘蛛の糸が張られている場所があり、その先は、洞窟になっているようだった。
巨大な樹木の根元に出来た洞窟を、牢獄のように使っているようだった。
お嬢の姿も変わっていった。
手足は伸び、体は大きくなっていった。
色が変わり、形が変わる。
顔の皮膚は波打ち、可憐な顔が徐々にオオジョロウグモの顔に変わった。
とんでもない大きさのオオジョロウグモだった。
大きな牙は、人間をも簡単にかみ砕けそうだ。
長い間ここに居て、色々なモノを食べて、生き続けて来た姿だった。
「うわ、キモ…。」
クロが呟いた。
お嬢の大きな目玉が動いて、大きな脚が動き出した。
「まずい!バラけろ!」
小金井佑介の声で、マリア達は散り散りになって動いた。
ドンッ!
拘束を解かれたネズミ男の源治は、洞窟に向かって走っていた。
ドンッ!
ヴィゼの手から逃れた三郎は、お嬢の元へと走った。
ドンッ
だが、振り下ろされたお嬢の足に串刺しにされそうになって、慌ててヴィゼの元へ戻って来た。
「……ゲコッ」
その様子を見ていたヴィゼは、呆れながらも感心した。
さすがは、自分の身の安全だけを考えている。
「死にたくなければ、ついてこい!ぼくから離れるなよ!」
ヴィゼはイタチの姿になった。
慌てた三郎は、本来の姿である小さなカエルの姿になり、イタチになったヴィゼの背中に、飛び跳ねて乗った。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
ノラもペルシャ猫の姿になり、オオジョロウグモ女怪物となったお嬢の足から逃れていた。
B・Bとクロは、イヌワシとカラスになり、お嬢の気を反らす役目をしていた。
その間に、マリアは思念で弓と矢を作り出していた。
祓うにしても、お嬢の体は大き過ぎて、一度では祓えそうもなかった。
小金井佑介は、薙刀を振り、お嬢の足に対抗している。
しかし、お嬢の巨大な脚は、ただの虫の脚とは違い、簡単に切り落とすことは出来なかった。
ガツッ!
「……っ!」
振るった薙刀が弾かれて、小金井佑介の体勢が崩れた。
「小金井くん!」
マリアは作り出した弓で、再び小金井佑介に迫るお嬢の巨大な足に向けて、光の矢を放った。
光の矢は、放射状に広がり、小金井佑介に向かって来ていたお嬢の足を覆った。
「ギャーァー!!!」
おぞましい叫び声が辺りに響いた。
お嬢の巨大な足は、マリアが放った矢の光が触れた部分だけ、焼けて灰となり、崩れた。
足の先だけを失ったお嬢は、別の足でマリアを狙った。
マリアは、再び、矢を作り出そうとしたが、間に合いそうになかった。
「マリア!」
イヌワシのB・Bが、マリアに向かった。
次々に振り下ろされる巨大な脚を掻い潜り、マリアを掴んで、巨大な足から逃れさせた。
次の瞬間、
「ギャーァー!!!」
お嬢のおぞましい叫び声が上がり、光が走ったのを、マリアは見た。
振り向くと、お嬢の巨大な脚の半分から先が、灰となって崩れて落ちた。
オオジョロウグモは、バランスを崩して、動きが悪くなった。
オオジョロウグモの怪物となったお嬢の怒りの籠った目が、小金井佑介を睨みつけていた。
この小僧が!
怒りの声が聞こえて来るようだった。
「はぁ…、はぁ…」
小金井佑介が、薙刀で祓ったのだと、マリアは理解した。
「おのれぇー!!!」
地面が揺れるほどの迫力ある声が、辺り一面に響き渡った。




