#17 夢か現か
病院の敷地内にある高い木の上に、白い鳩が止まっている。
白い鳩は、明かりが消えているたくさんの病室の中の、一つの病室の窓を見ていた。
その病室は、8日前、雑居ビルの前で倒れている所を発見された、柳梗平という少年が入院している病室だ。
現在、午前2時21分。
彼は、ベッドの中で、すやすやと眠っている。
時計の長い針が動いた。
動いた瞬間、柳梗平は、パッと目を開いた。
まるで、目覚ましが鳴って起こされたような目の覚まし方だった。
そして、ベッドから起きて、スリッパを履いて、そのまま病室を出て行った。
廊下を歩き、トイレの前を通り過ぎ、階段を下りていく。
ナースステーションに居る看護師たちは、廊下を歩いている柳梗平に、何故か誰も気付かなかった。
3階から1階まで降りると、ロビーを横切り、緊急用の出入り口に向かった。
迷う様子も、隠れる様子も無く、堂々と歩いていた。
カチャッ…
緊急用の出入り口のドアを開けると、和傘を差した着物姿の小柄な男が1人、立って居た。
雨は降っていなかった。
「お待ちしておりました。」
男は、傘を持ってない右手を膝に当て、足を少し開いたまま腰を折り、礼をすると、持っていた艶やかな赤い着物を、柳梗平に羽織らせた。
顔は全く見えなかった。
「では、参りましょう。」
男の案内で病院を出ると、病院の前で籠が待っていた。
蓑と笠を被った、こちらも小柄な男が2人、籠を持っている。
2人とも、どんな顔をしているのか、見ることは出来なかった。
柳梗平は、着物姿の男に促されて、籠に乗った。
柳梗平が乗れるとは思えない籠の大きさだったが、柳梗平が中に入ろうとすれば、すんなりと中へ入ってしまった。
胡坐をかいても座ることが出来る広さがあった。
籠が持ち上げられる感覚がした。
柳梗平は、籠に揺られながら、これから向かう先で待っているであろう人のことを考えた。
百合の花を彷彿させるような女の子だった。
可憐で、品があり、華やかな女の子だった。
大切に、大切に育てられてきたのだと分かった。
世間知らずのお嬢様というより、箱入り娘と呼ぶ方が相応しいと思った。
身体が弱く、外に出ることが出来ないのだと言っていた。
身体が、もっともっと強くなれば、外に出られて、どこにでも行けるのに………と、身体の弱い、可憐な彼女は嘆いていた。
『だから、梗平さんが来てくれて、とてもうれしい。また来てくれる?今度からは、源治を迎えに行かせるわ。』
たわいない話をするだけなのに、彼女はとても嬉しそうだった。
『約束よ?また来てね。』
そう言って、白くて細い、綺麗な小指を差し出して、指切りをせがんだ。
はにかむ笑顔が愛しくて、胸が高鳴った。
毎日でも来たいと思った。
でも、身体の弱い彼女には、毎日は無理なのだ。
源治と呼ばれていた着物姿の男は言っていた。
『お可哀想です。外に出られないことで、お友達も出来ず、いつもおひとり。あんなにも楽しそうなお顔、この源治、見たのは久しぶりです。梗平殿、ありがとうございました。』
『彼女の病気、治す方法はないの?』
柳梗平は聞いた。
彼女がずっとこのままなんて可哀そうだと思ったからだ。
着物姿の源治は、少し考え、躊躇いながら言った。
『無いことも無いのですが、それには、協力してくれる人が必要なんです。簡単なことではないので、誰にでも出来るというわけでは……』
『どんな方法?ぼくには協力出来ない?』
柳梗平は食い下がった。
方法があるなら何とかしてあげたいと思う気持ちが強かった。
源治は、驚き、そして、覚悟を決めたように話し出した。
『神社で働く宮司という者には、不思議な力があると言います。しかし、今現在、宮司として働いている者は忙しく、ここへ来るのは困難です。ですが、次の宮司となる子供だったら……どうでしょう。次とはいえ、宮司になるのなら、例え子供であっても、不思議な力はあるはずです。子供であるなら、ここへ来る時間もあるでしょう。その不思議な力でお嬢の身体を強くしてもらえれば、お嬢は外へ出ることが出来るはずです。』
『次の宮司となる子供って?』
希望を見つけた柳梗平は、更に詰め寄った。
源治も、更に詳しい話を柳梗平に聞かせた。
『きっと警察が連れてきます。警察は、お嬢のことを調べているんです。外に出られないお嬢の体を、警察は研究材料としか見ていません。しかし、自分たちの手に負えないと判断した時、宮司の不思議な力を当てにするはずです。宮司は暇ではありませんから、おそらく、次の宮司となる子供を寄こして来るでしょう。見守り役もきっと一緒です。見守り役には注意してください。あの者達は警察の味方です。油断できません。お嬢のことは、絶対に、ひと言も口にしないでください。』
どんな理由があるにしても、彼女を研究材料にするなんて許さない。
彼女は体が弱いだけで、独りぼっちなのに……。
あいつらは、好きな時に好きなだけ、外に出ることが出来るのに……
「源治さん、8日前、警察が子供を二人連れてきましたよ。きっと次の宮司です。でも、安心してください。彼女のことも、源治さんのことも、ぼく、話しませんでしたから。」
「そうですか。」
「………。」
「………。」
傘と笠の下、3人の男がにやりと笑った。