#10 初めて体験した日本の梅雨
今日も雨だ。
「………。」
マリアは外を眺め、思う。
イギリスも雨は多かった。
でも、日本ほどには湿気はなかった。
学校の中は、エアコンにより温度も湿度も管理されているので、快適に過ごすことが出来る。
しかし、その反面、外に出た時の不快感は、半端ではなかった。
梅田奨くん行方不明事件から一ヶ月が経っていた。
“あちら側”から奨くんと一緒に、ショッピングモール内に戻って来たマリアと凪は、真っ先に警察官である榊原に連絡した。
榊原は、予想していたよりも、ずっと早いマリア達の帰還に驚いていた。
そして、奨くんを連れて戻って来たことを知り、とても喜んでいた。
『すごいよ。初めてとはとても思えない迅速な対応です。驚きました。すぐに迎えに行きます。親御さんにも連絡しますね。兎に角、無事でよかった。お手柄です。ありがとうございます。』
奨くんを保護し、両親の元へと帰すのは警察の役目なので、榊原は奨くんを連れて、一度、警察署に向かった。
その後、両親と対面し、一緒に病院へ行って、念の為の心と体の診断を受けるのだという。
それでも、すぐに両親と会えるのなら良かったと、マリアは思い、ホッと胸を撫で下ろした。
『報告書は、後日、提出してください。』
この言葉を聞くまでは。
警察から依頼された事件には、報告書を提出しなければならないらしい。
事件の捜査方法や、解決するに至るまでのあれやこれやを、全て文章にして報告するのが“報告書”なのだと、報告書の意味が分からず、ぽかんとしていたマリアに、榊原は説明した
『すみませんね。決まりなので、お願いします。』
警察の提出する報告書など、一度も書いたことの無いマリアに、さらりとすぐに書けるはずがなかった。
当然、凪が書くもののと思っていたマリアに、凪は、「報告書は次期宮司が書くものだ。」と、断言した。
『マリア、もしかしたら忘れているのかもしれないが、わたしは神使だ。神使が報告書を書くのか?おかしいだろう?』
少し怒らせてしまったのかもしれない。
報告書を提出するまで、3週間もかかった。
書き方が分からなくて、何度も書き直さなければならなかった。
文章の確認。
誤字の確認。
琴音と凪からのOKを貰うまでの3週間だった。
B・Bと使い魔達は、当日に事件を解決させたというのに、今度は机にかじりついて難しい顔をしているマリアを見て、不思議そうにしていた。
琴音と凪に、何度もダメ出しされて、その度、項垂れるマリアを見て、今度はどんな難題と向き合っているのかと、疑問に思っていたに違いない。
マリアが、実は報告書と闘っていると、知った時のB・Bと使い魔達の憐みの表情は、決して忘れはしないだろう。
それくらい、日本語の文章に馴染みの無いモノにとって、日本語の文章作成は難しいのだ。
出来ることなら、報告書など、もう二度と書きたくないと、マリアは思っている。
警察から事件解決の依頼が来なければ、報告書を書く必要は無い。
超常現象的な事件など、もう起きなければいいと、マリアは願わずにはいられなかった。
「マリアちゃん、大丈夫?なんか憂鬱?」
沢井萌々が話し掛けて来た。
いつの間にか、授業は終わっていたらしい。
教室の中は快適で、油断していると意識が遠くへ行ってしまう。
「うん。外と中の快適さがあまりに違っていて、教室から出たくなくなる。」
「くすくす…仕方ないわね。日本の梅雨の時期の湿気、すごいでしょ?日本の梅雨、初めてですものね。体力削がれる感じ、しちゃうわよね?」
津谷美和も来て、くすくす笑った。
梅雨に入ってからのマリアは、授業中、居眠りとまではいかなくても、ぼーっとしていることが多くなった。
それは、湿気のジメジメに体力が削がれているからなのだと、津谷の言葉で、マリアは知ることになった。
「湿気って、体力使うんだ。」
沢井が驚いたように言った。
どうやら、沢井も知らなかったようだ。
「そりゃあ、そうよ。」
津谷は、沢井を嗜めるように、言葉をつづけた。
「生まれた時から日本で暮らしている沢井さんでも、梅雨に体がだるくなること、あるでしょう?なら、今年、初めて日本の梅雨を体験している月城さんは、もっとだるく感じていて当たり前なの。いい?同じではないことは覚えておいてね?」
ぴしゃりと言われ、しゅんとなった沢井は、項垂れながら返事をした。
「……はぁい。」
ここは平和だ。