第8話 五年前 出会い
五年前、リリスは父親であるロランド子爵とともに、自分の屋敷に向かう馬車に乗っていた。
「今年もあまりよくないな」
ロランド子爵は農地を視察して、悲しそうにつぶやいていた。
「また、領民のみなさんが逃げだすの?」
「その可能性もある。そうかと言ってそれを無理に止めても、餓死者が増えるだけだしな」
「でも、人がいないことには街も活発にならないのですよね」
「お前の言うとおりなのだ。良い土地が先か、良い人材が先か、なかなか難しい問題なのだよ。今は土地が良くなく、人が集まらない負のスパイラルなのだよ」
「じゃあ、わたしが良い人材を探してきます」
「あはは、期待しているぞ。ん? どうした」
ロランド子爵がそう言った時、急に馬車が止まった。
「前方道路中央に人が倒れております。これより排除しますので少しお待ちください」
護衛騎士の一人がロランド子爵に報告すると、リリスは馬車の扉を開けて外を見ると、そこにはかなりの高齢の老人が一人で倒れているのが見えた。
生きてはいるようだが、自分一人では立ち上がれないほど弱っているようで、護衛騎士が無理矢理立ち上がらせていた。その姿は余りにも弱々しく、助けを求めているようにリリスには見えた。
「お父様、あのご老人を助けてあげましょう」
ロランド子爵にそう言うと、リリスは馬車の外に飛び出した。
「待ちなさい。リリス」
ロランド子爵の止める声を後ろに聞きながら、老人に駆け寄るリリス。
老人の金色の長い髪は汚れてくすみ、青い瞳は力無く半分閉じ、白い肌は多くのシワに囲まれていた。
「どこか具合でも悪いのですか?」
リリスの言葉にゆっくりと目を開く老人。
「リリー⁉」
「え?」
老人は急にリリスの肩をつかみ、そう叫んだあと咳き込んだ。
なにかにむせてしまったのか、それとも病気なのか判別がつかない。
「無礼者! リリス様を離せ!」
「いいのよ。それより水を持ってきてちょうだい」
老人を無理に引き離そうとする護衛騎士にリリスは言った。
「しかし……」
「お願い、早く!」
領主の娘であるリリスの言葉に、護衛騎士は渋々、自分の水筒を差しだす。
リリスは水筒を老人の口に運ぶと、ゆっくりと水を飲み始めた。老人は一息ついたようだった。
「すみません。落ち着きました」
「いえ、それよりわたしの名前はリリスですよ。リリーって?」
リリスは不思議そうに老人の顔をのぞき込んだ。
老人は、今にも雨が降ってきそうな曇った空を見上げた。
「私の娘の名前だ。あまりにもあなたにそっくりで……驚かせて申し訳ない。あの子はもう、生きているはずがないのだから」
老人が悲しそうに言うと、ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。
私にそっくりな娘? リリスは老人のその言葉に興味を引かれた上に、雨の中、その老人をそのままにしておくことも出来ず、馬車に招いたのだった。
老人は旅人だと言い、旅で見聞きした話をしてくれた。リリスは先ほどの自分に似た娘の話も気になったが、老人がしてくれる旅の話の方が刺激的だった。世界中を回り、いろいろな人々と交流して文化を学び、いろいろな物を見てきたらしい。
「リリス様、南の大陸には首の長い馬がいるのですぞ。その長い首で高い木の葉っぱを食べたり、遠くまで見回せたりするのじゃ」
キリンや象の話、ピラミッドや空中庭園、年に一度だけ月夜に咲く花。奇跡が起こせる賢者の石。虫を捕って食べる花。人よりも大きなイカ。木と紙でできた家に住む小人。
親子にとって老人の話はどれも新鮮で興味深く、まるでおとぎ話のようにわくわくとして聞き入っていた。そのため、普段は退屈な雨の道中が全く気にならなく、どのくらい時間がたったかも忘れるほどだった。
そんな楽しい時間の中、急に荷馬車が止まり、外が騒がしくなる。
金属がぶつかり合う、かん高い音が何度も馬車の中にも聞こえてきた。
第10話まで過去の話になります。