第51話 ハシームの思い
絶対安静のハシームはジルの手配によってリリスの家へと連れてこられた。
それはハシーム自身が魔法使いという特殊性のためだった。普通の医者に診せる意味がほとんどなかった。その傷口の異様な修復方法、その部分だけ別の生き物のように自分で止血をしている説明だけをしなければならなくなってしまい、面倒ごとを引き起こす事にしかならないと予想されたからだ。
リリスの家のベッドでハシームは上半身だけ起こしていた。
その側でマリウスはコップに入ったお茶をハシームに渡した。その隣でリリスは黙って二人のやりとりを見ていた。
「これを飲め。魔力の回復に役立つはずだ」
そう言って、マリウスから渡されたのは薬草のブレンド茶だった。数十種類の薬草をすりつぶし、それを煮立てる。そこに蜂蜜を入れたお茶。生物から直接魔力を吸い取るよりも効率が悪いが、無いよりはよっぽどましだった。
「申し訳ない」
ハシームはあの事件の後、まる一日眠った後、目を覚ました。
幸いなことに急所を外れていたこと、リリスの賢者の石とマリウスの魔力を十分に補充できたため、命に別状はなかった。しかし、大量の血を失っていたハシームは、しばらく安静にしておかなければならなかった。
「それで、お主は何の目的で、あの学院に侵入していたのだ? 王子の身分も偽物か?」
老人姿のハシームはコップを手に、ゆっくり頷く。
「ぼくの名前はハシーム・サミュトリート。おっしゃるとおり、王子ではありません。ぼくも貴方と同じ魔法使いです。主に使えるのは肉体変化と魅了の魔法ですが……」
そう言ってコップの薬草茶を一口飲む。
魅了の魔法、その言葉でリリスはお茶会でのシャーロット達のハシームへの評価の異常さに納得がいった。会ったことがないコレット以外はハシームに魅了されていた。それは魔法の効果なのかも知れない。しかし、自分には効いていなかった。それは賢者の石のおかげかも知れない。リリスは自分の胸の傷をそっと触った。
そんなリリスの様子を見てマリウスはハシームに話しかけた。
「それでは、お前の狙いは賢者の石か?」
「ああ、やはりリリスの体にあるのは賢者の石だったのですね。確かに魔法使いとして、賢者の石は喉から手が出るほど欲しいものです。でも、学院へ侵入した理由は違います」
ハシームはしわくちゃの顔を横に振って、マリウスの言葉を否定する。
「では、目的は何なのだ」
「彼女自身ですよ」
ハシームはマリウスの側で一緒に話を聞いているリリスを指さす。
「あの日、あなたたちに助けていただいたとき、魔力がつきかけていました。マリウスさんなら、分かるでしょう。魔力がつきた魔法使いがどうなるか」
「……本当の意味での死」
「ええ、恥ずかしながらあの日、ぼくは本当に死にかかっていました。そしてあなたたちに助けられました。リリスに支えられて、看病されているうちに魔力が流れ込み助かりました。今思えば、リリスの賢者の石から漏れ出した魔力なのかもしれません」
「それで、賢者の石ごとリリスを自分の物にしようとしたのか?」
マリウスはリリスを庇うようにして、ハシームを睨みつける。
「いえいえ、あの日、あなたたちに助けられて、不思議と穏やかな気持ちになったのです。賢者の石の力だったのかもしれません。でも、あなたたちが見ず知らずのぼくを助けようとしてくれた気持ちは本物だった。なんの見返りもない。平民のそれも流浪の民。単純に嬉しかったのです。魔法使いとして、何か手助けできることはないのか。魔力の回復したぼくはあなた達のことを調べさせてもらいました。学院でいじめられていること。しかし、それはリリス、あなた自身の優しさと知識で解決されました。あの王子の一言があったにしろ、それを引き出したのはあなただ。やはり、あなたは私が思ったとおりの人だった」
ハシームはまるで女神を見るかのような目つきでリリスを見ながら話していた。
「そんな中、あなたを無理矢理にでも自分の物にしようとしている人の噂を聞きました。その人はあのカイルでした。そのため、あなたを守ろうとぼくは学院に侵入したのです」
「じゃあ、お前は初めから今回の誘拐事件の犯人はカイルと分かっていたのか?」
「確信してはいませんでした。リリス、あなたをいろいろな意味で狙っていたのは他にもいました。例えば、あのカトリーヌ嬢です。彼女はジルと恋仲になろうと必死になっていたにもかかわらず、相手にされず、その上あなたにジルを奪われた……そう思い込んでいたのです。あなたを殺したいほど憎んでいてもおかしくはなかった。そのため、ぼくは真っ先にカトリーヌ嬢の周りを捜索しました。無駄足でしたが……」
ハシームは深いため息をつく。そのため息にリリスは自分の捜索にハシームはどれほどの労力を費やしてくれたのだろうかと申し訳ない気持ちになった。
「その後、カイル殿の周りを捜索しましたが、警備が堅い上に、まさか船に監禁しているとは思わず、見つけ出すのが遅くなりました」
「なんで、最初から儂達に相談しなかった⁉」
マリウスはいらだちを隠そうともせず。詰め寄る。マリウス達は何の手がかりも得られないまま何日も過ごした。その間にハシームは確信に近づいていた。もしも自分とジル、そしてハシームが協力していればもっと早くリリスを助けられたのでは無いか? そんな疑問がマリウスをいらだたせた。
「そのとき、あなたは少年の姿だったじゃないですか。ただの少年従者に相談してどうなります? ジル王子とぼくはリリスのことで言い争いをした仲です。その上、つい最近転校してきた異国の王子が、この国の四大貴族の一人が誘拐犯ですよ、と訴えても信じてもらえますか? 無理でしょう」
確かにマリウスがハシームの事を魔法使いと気がつかなかったように、ハシームもマリウスのことが自分よりも遙か年上の魔法使いとは思わなかったとしてもおかしくない。
「確かに……それもそうだな」
自分が逆の立場でも同じ事を考えたはずだ。そう考えると、マリウスは納得するしかなかった。
お互いがお互いの正体が分かっていれば、早い段階から協力できたのかもしれない。通常、魔法使いは自分の正体を隠している。自ら正体を明かすか、誰かに紹介してもらわないと知り合えることはできない。それは魔法使いという特殊性ゆえ、仕方の無いことだった。
「それで、お前はこれからどうするつもりだ? 借りは十分返してもらったと思うが……なあ、リリス」
「はい。本当に助かりました。ありがとうございます。わたしはたいしたことをしていないのに、命がけで助けていただきました」
それまでじっと聞いていたリリスは深々と頭を下げてお礼を述べる。
リリスが意識を取り戻してすぐのハシームのもとに来たのは、真相を知るためではなく、感謝を示したかったのだ。
「ぼくは……」
ハシームは目線を落とし、すこし考えた後、意を決したように顔を上げる。
「リリス! ぼくは君の力になりたい。君の側で、君の力になりたいんだ。君ならば魔法使いにも偏見がないようだし……」
その真剣なまなざしに戸惑い、リリスは意見を求めるようにマリウスを見るが、マリウスはそれを拒否するように瞳を閉じる。自分で判断しろと……助言はする。知識も与える。しかし、責任ある立場の人間になるのであれば、最終的な判断を人に委ねてはいけない。そう、マリウスは普段からリリスにずっと言っていた。
確かにリリスには魔法使いに対する偏見はない。十才のときからマリウスという大魔法使いと一緒に生活している。偏見どころか、その知識、知恵に尊敬の念を抱いている。
「分かりました。ハシーム様、貴方の力をわたしに貸してください。よろしくお願いいたします」
こうしてハシームはマリウス同様、リリスの友人であり、先生であり、保護者となったのだった。
元々この作品のタイトル「老人を助けただけなのに、王子に付きまとわれて困っています」でした。
その老人とはマリウスとハシームを指していたのです。




