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The DISASTER ~天災~

作者: 石賀白雀


 ある人物にとっての一大事は、えてして他者にとっては些事に過ぎないものである。

 裏を返せば、人間は往々にして、他人からすればどうでもよいことで懸命に頭を悩ませているものだ。

 茅野浩太郎という青年の一大事は、すなわち、自分の足が臭いことであった。



 ○



「畜生オオォォッ……‼」


 仄暗い自室の中、煌々と明るいパソコン画面の前で。

 大学生、茅野浩太郎は独り、頭を抱えてうめき声をあげていた。


 彼の苦悩の源は、画面に映し出された一本の動画にある。彼が自身でアップロードしたそれは、自分の足のにおいを実家の飼い犬に嗅がせるという内容のもの。

 自らのコンプレックスに嫌気が差し、せめて笑いに変えてやろうと思った末の投稿には、しかしながら「炎上」という結末が待っていた。


『ワンちゃんがかわいそう』

『リードで繋がれてるから逃げられないんだぜ? これはいじめだろ』

『間違いなく動物の権利を侵害していますね』

『こいつはくせぇッ——!』

『あ し く さ』


 騒ぎは動画に対する直接のコメントに留まらず、SNSの話題となり、インターネット掲示板に飛び火し、果てはネットニュースに取り上げられるに至って、茅野はあえなく、動物虐待の極悪人たるレッテルを頂戴した。

 なお、彼を糾弾する匿名たちの内の半分は己の価値観に拘泥する利己的な正義漢であり、もう半分はマジョリティとして弱気をくじきストレス発散を愉しむ勝ち馬ライダーであった。


 茅野は絶望した。


 そもそもの発端は、先日参加した所属サークルの納会である。

 ピッカピカの大学一年生、茅野浩太郎は、自らのキャラクターをお調子者であると自負し、またそのように演じてきていたのだが、その日も「さてさて、今日もいっちょう、場を盛り上げてやりますか」と腕まくりしながら、うきうき気分で会場たる居酒屋に入っていった。

 そしてそれこそが悲劇の始まりであった——宴席が、土足禁止だったのである。


(ヘイヘイ、嘘だろ? ここで靴を脱いだ日には、オイラのヤバすぎる足のにおいがバレちまうYO!)


 さりとて、そのまま立ち尽くすわけにもいかない。大学一年ゆえの飲み会の経験不足が招いた窮地だが、事ここに至っては致し方ない。

 飛んで火にいる夏の虫。

 処刑台に上る心地でスニーカーを脱ぐと、近くから「うわっ」という悲鳴が聞こえた。屈辱であった。


「浩太郎、お前の足ヤバくね? 臭すぎるだろ……」


 鼻をつまむ友人たちからの非難に、茅野は「あはは、そうかもネ」と引きつった笑みを返すのが精一杯であった。思わず頭を掻きむしりたくなった。

 そうして宴席に一歩入った時、先に来て座っていた面々が一斉に視線を茅野へと向けた。すぐにでも消え入りたくなった。

 これからもお調子者としてやっていこうという目論見が、音を立てて、ついでに臭気を放ちながら崩れ去ってゆくのが分かった。


 オー、ミステイク。オイラは今日から、足臭野郎だ——。


 自分が自分であるためにどこか張りつめていた糸、それが切れてしまった茅野は、その後数日以内に例の動画を世に放ち、大バッシングを浴びたのである。


「オイラの人生、終わったな。完全終了チェケラッチョ、イェア」


 今の彼に出来ることは、ただベッドに寝転がることと、シャワーの時にもう少し丁寧に足を洗うことだけであった。



 〇



 そんな人並外れた足の臭さを誇る茅野とて人の子である。オギャアと生まれてきた時から異才と異臭を放っていたわけではない。

 けれども思春期を迎える頃になると、彼の両足は徐々にではあるが、その大器の片鱗を見せ始めた。

 親族の集いの際に、従姉の運転する車に乗せてもらえなかったのは中学二年生の時分である。

 いわく、「だって前に浩太郎を乗せた時、においを消すのにスプレー一本使っちゃったんだもん」とのこと。

 次いで高校生になる頃には、彼は明確に理解していたのである——自分が、他者とは比べ物にならない人間であることを。


『ヒトは自身の体臭が分からない』と、通学バスの中で見かけた消臭剤の広告がうたっている。

 であるとするならば、自分で自分の足が臭すぎるというのは一体どういうことなのだ。ヘイヘイ、自分のにおいは分かんないんじゃないのかYO!

 否、それはあくまでもヒトの話である。つまり、彼の足はこの時点で既に、人体の構造を超越していたのだ。


(いや、普通の人でも己の体臭を全く感じないってことはないんじゃね?)


 ふと、頭の中の冷静な部分が疑問を呈しかけたが、茅野はそれを封殺する。

 油断大敵。

 体臭対策の手を抜こうものなら、いつの間にかクラスの女子たちの噂になってしまうかもしれない。ああ、想像するだに恐ろしい。


『茅野クンってさあ、人知を超えた足のにおいじゃない?』

『分かる~。ホント鼻が曲がりそうだよね~』

『あのにおいさえなければカッコイイのにねえ』

『イケメンなんだけどね~』


 このような評判が、あっという間に学年中に広まってしまうかもしれないのだ!


 放課後の、生徒が部活に向かい静かになった教室の中で。

 高校生・茅野浩太郎は独り、腕を組みながら、自身のにおいが噂になってしまうという想像を膨らませ、ついでに自分がイケメンだと持て囃されるという妄想をもっと膨らませていた。


「茅野浩太郎。貴君、また何か下らぬ事を考えているな」


 めくるめく妄想世界の中でキャッキャウフフしかけていた茅野に、ふと声がかけられた。顔を上げると、そこに居たのは友人、藤川知也その人であった。


「そ、そんなことないぜベイベ。オイラが考えていたのは……日本の将来を憂えていたんだぜ、ヒア・ウィ・ゴー」

「これは奇怪な。鼻の下を伸ばしながら、そんな大層な思考にふける奴が居るものか」


 藤川は笑いながら、茅野と向かい合わせるようにして腰を下ろした。

 藤川は、昔の書生のような立ち居振る舞いが特徴的であり、その理知的な眼鏡姿も相まって、いかにも勉学が得意そうに見えた。しかしその実、彼は大の勉強嫌いであった。


 我ら両名、油断なくおべんきょうをサボタージュすることをここに誓う——茅野・藤川は『無勉同盟』を締結し、学級担任柴崎の叱責をのらりくらりとかわしながら、その友情をさらに固い物へとしていった。


「……アイヤー。バレちまったなら仕方ないぜベイベ。実は今日、坂崎さんに話しかけられてYO。その時のことを思い出していたんだぜ」

「なるほど、坂崎嬢にね。クラスのヒロインとお喋り出来たとあっては、その腑抜けた顔も無理ないか」


 それから二人は、『無勉同盟』の勢力を拡大するための方策を論じ合った。

 茅野はこの同盟に対して、強い愛着を感じていた。彼は高校生となってからお調子者という個性をアイデンティティとして打ち出していったのだが、『無勉同盟』などというふざけた組織のメンバーを名乗ることで、クラスの中ですんなりと道化としてのアピールが出来ていたのだ。

 彼はここに、自分の居場所が存在すると感じていた。その信頼感は、同盟者たる藤川に対しても同様であった。


 二人の会議は続く。


「やっぱりYO、『無勉同盟』の肝は安心感だぜ、イェア。『そうか、お前も勉強していないんだな』と気が休まるのが、この同盟のいいところだチェケラッチョ」

「つまり貴君は、勧誘に際しその安心感を主張すべきというわけだ」

「藤川はどう思うのさ、アーイ?」

「吾輩としては、むしろ脅してしかるべきじゃないかと思うのだ。『貴殿はやれと言われた勉強をただやるだけの人間になり果てるのか? それもまた一興。されどその受動的な態度の行き着く先は、自ら考える力を失った操り人形に過ぎない』とでも囁いてやれば、想像し給え、相手の不安な顔が目に浮かぶようだ」

「いや怖すぎでしょ」


 その話し合いはますます白熱した。

 同じクラスは言うに及ばず学年、さらには学校全体を怠けさせようとする野望の実現に向け、二人は存分に意見を交わしあった。

 議論のあまりの充実具合に気分も高揚し、とうとう茅野はへたくそなコサックダンス、藤川は稚拙なブレイクダンスを踊りながらの論じ合いとなったのだが——。


「二人とも! まーたくだらねえしゃべくりをやってますのね!」


 突如として教室に踏み込んできた女子生徒に、冷や水を浴びせかけられた。


「秦野嬢。くだらないとは失敬な。我らは壮大なる理想の実現を果たさんがため、口角泡を飛ばしていたのだ」

「そうだYO、蘭花ちゃん。『無勉同盟』が大きくなれば、ますます胸を張って勉強をサボれるんだぜ、イェア」

「べらんめぇ、ですわ! それをくだらねぇと言わずしてなんと申しますのっ!?」


 踊り続けながら反論する男子二人に流されることなく、蘭花は腰に手を当てながらガミガミと叱った。


 秦野蘭花は、茅野・藤川の同級生であり、加えて出身中学も同じであった。そのため周囲からは仲良し三人組と認識されており、中でも蘭花は『おばか二人のお目付け役』と位置付けられていた。

 また彼女は、祖母からは女学生言葉の、祖父からは江戸っ子言葉の影響を受け、それら二つがちゃんぽんとなった不可思議な口調を体得していた。


「蘭花ちゃんも同盟入んない? 楽しいYO」

「このすっとこどっこいのこんこんちき! アホウ同盟は解散ですわ、解散! さあ、とっとと帰りますわよ!」

「アウチ! 耳引っ張られなくても帰るぜベイベー」


 三人は同じ路線バスで通学していた。従っておばか二人・ツッコミ一人が織りなすドタバタも、朝から夕方まで続くのが常であった。

 不まじめと几帳面という正反対ではあったが、ある意味ウマが合っていたのである。


 さて、そんな楽しい高校生活を謳歌していた茅野ではあったが、彼には日課があった。それは一日を共にした靴や靴下の後始末であった。


「ただいまワッショイチェケラッチョ」


 茅野は帰宅するなり、脱いだ靴に活性炭の脱臭剤を入れて陰干しした。次いでバケツに水を張り、それまで履いていた靴下をもみ洗いしたうえで、洗濯機に放り込んだ。その靴下も、足のにおいに効果があると宣伝されていた五本指ソックスであった。そして仕上げとばかりに、足をシャワーでよく洗い、デオドラントスプレーをふりかけた。

 このように、高校生茅野は自らの足のにおいを消すために、入念に対策し、懸命に努力していたのである。


 しかし、茅野は。

 クラスメイトはもちろん、友人たる藤川、蘭花にすら、自らの足のにおいがバレぬように注意していた。

 否、むしろ友人だからこそ、引け目の存在を隠していた。

 放課後の教室で体臭について考えていたとは告げず、坂崎杏子という女生徒について考えていたと誤魔化したのも、それが理由であった。


 自分の足のにおいに気付かれたら、嫌われてしまうかもしれない。


 居心地の良い居場所を手に入れたからこそ、彼はそれを失うことを大いに恐れた。その自信の無さもまた、明るいお調子者の高校生、クラスのコメディアンたる茅野浩太郎を構成する核の一つであった。



 〇



 話は大学生茅野に戻る。


 SNSへの投稿により、動物虐待をはたらくトンデモ足臭野郎として見事炎上した大学生、茅野浩太郎。

 彼はその直前、自らの足のにおいが居酒屋に充満する程のものだということが所属サークルに知れ渡ったこともあり、大学に通う意欲をすっかり失っていた。


 これからの将来、炎上者としての重石を背負って生きていくのか……。


 絶望し、未来への不安にさいなまれていた茅野は、しかしながらひょんなことから救われた。


「え、オイラの足のにおいを農業に……?」


 茅野のもとへかかってきた、一本の電話。それは茨城県で農作物を育てている、とあるベンチャー企業からのものであった。

 聞けば、畑の作物を食い荒らす害獣たちを捕まえ処分していたところ、「殺しちゃうなんて生き物がかわいそう」とのクレームが入り、困っていたとのこと。


「いやあ、参りました。畑で作物を育てていたら、頭がお花畑の方たちから文句を言われちゃいましてね。このままでは商売あがったりなんですよ」

「なるほど。それでオイラの靴下を畑にぶら下げておいて、野生動物が畑にやってこないようにするって算段なんですね。殺せないなら追い払えばいい、と」


 茅野がインターネットに投稿した、飼い犬が一目散に逃げ出す衝撃映像。それを見て、その企業の担当者は思わず膝を打ったという。これだ。これならクレームに対抗できる。

 かくして、野菜がケモノたちに食われてゆくのを指をくわえて見ているしかなかったその会社は、わらにもすがる思いで茅野にアポを取ったのである。


 一方で、この話は茅野にとってびっくり仰天、まさに青天の霹靂であったが、心を大いに揺り動かされた。あの動画を上げてしまったことで、「動物をいじめる足が臭いイケメン」の評判が一生自分について回るかもしれないと恐れていたところに、今回の依頼である。

 自分の人生はまだギリギリ終わっていない、今でも誰かに必要とされている……。


「分かりました。オイラの足のにおいで良ければ、存分に野獣どもに嗅がせてやってください」


 禍福は糾える縄の如し。

 一本の動画のために苦境に立たされたかに見えた茅野浩太郎の人生は、奇しくもその動画によって大きく動き出したのであった。



 〇



 畑に吊り下げられた茅野の靴下。その効果はてきめんであった。


「これは臭い! いやもう、本当に臭い! まったく最高だ!」


 件の農業ベンチャーの社員たちは、片方の手でハイタッチをし、もう片方の手で鼻をつまんで喜び合った。

 動物たちの餌場と化していた農地から、ネズミが逃げ出し、ハクビシンが逃げ出し、イタチが逃げ出してゆく。野ウサギは脱兎のごとく、イノシシは猪突猛進の勢いで退散し、果ては空からコウモリが落ちてきた。

 社員の一人が歓喜のあまり鼻をつまんでいた手を放してしまい、悪臭を嗅いだ彼はあえなく失神した。そのため労災ゼロは守られなかったものの、畑の作物はものの見事に守られたのである。


 人の口に戸は立てられぬ。

 業界において、茅野の足の凄さはたちどころに評判となった。

 彼の靴下は「カヤノ・ソックス」として商品化され、口コミが口コミを読んで飛ぶように売れた。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

 遂には組合のお墨付きまで獲得した「カヤノ・ソックス」は、日本全国の畑に吊り下がろうかという程の大ヒット商品となった。


 茅野浩太郎はもはや、一介の落ちこぼれ不登校ではない。

 ワイドショーに取り上げられるような金持ち学生実業家であり、日本の農業を救った麒麟児であった。

 その生活は多忙であり、せっせと靴下をはいては商品生産に励み、その合間に学業をこなしたり経営会議に出席したりといった具合であった。


 もちろん、ここまでの成功を収めれば、かつて茅野にバッシングを浴びせた大衆は手のひらを返す。


『茅野氏の靴下、今度は市街地に出没した熊を追い払ったらしいぞ』

『さすがだ。市役所も前に退治したときは「動物への暴力反対」だとか批判されてたからなあ。靴下のおかげで大いに助かっただろ』

『噂で聞いたんだが、自称動物愛護家がにおいで苦しめるのも虐待だって主張してさ。抗議の意味で「カヤノ・ソックス」を嗅いだらしい。そしたら気絶して救急搬送されたそうだ』

『素晴らしいな、茅野サンの靴下は。クレーム屋を理屈だけじゃなくて物理的にも黙らせたか』

『ああ、まったく素晴らしい臭さだよ。日本一の足臭男だ』

『世界よ、これが日本だ』


 ニュース配信サイト上の、茅野についての記事のコメント欄もかくのごとき絶賛ぶりであった。


 ところが。


 ほどなくして、濡れ手で粟かと思われた「カヤノ・ソックス」の売れ行きに陰りが見え始めたのである。理由は簡単、安価な類似品が作られだしたためであった。

 巷には瞬く間に後追い商品があふれた。

 その内の一つを手に取ってみると、パッケージには「私が履きました」とのメッセージ付きで、生産者の笑顔の写真が貼り付けられていた。


 茅野は激怒した。

 必ず、この邪知狡猾のハイエナどもを除かねばならぬと決心した。




「……決心したのは良いんだけどYO。どうすればこの二番煎じ三番煎じのパクリ野郎どもをわからせてやれるか、どうにもアイデアが浮かばなくて困っちゃうぜベイベ」

「それが、久しぶりに会った幼なじみへの頼み、ですの? 相ッ変わらず、ひょうたくれですこと」


 地元のファストフード店に、中学からの腐れ縁三人が集った。

 呼び出した茅野の用件に、蘭花は大きく嘆息した。


「貴女も変わらず素直でない、秦野蘭花。茅野が動画投稿で大いに叩かれた時、ひどく心配していたではないか」

「でたらめ言うんじゃありませんわよ! そそそそそんな心配なんかしていませんわ!」

「その件については誠に申し訳ありませんでした……」


 罪悪感に押し潰されそうになった茅野が、店内で土下座し靴を脱ごうとしたので、幼なじみ二人が羽交い絞めにして止めた。おかげで、その飲食店が異臭により営業停止となることは避けられた。


「茅野浩太郎、貴君も少し落ち着き給え。本題は貴君の靴下の廉価品対策であろう。それなら不肖藤川知也に一計がある」


 藤川は指で眼鏡をクイと上げ、考えを披露した。

 それは件の生産者と、どちらがより害獣撃退効果のある足の持ち主かを、直接会って比べてみるというもの。さらには、においを嗅ぎあう様子を動画として公開すれば、足臭あしくさバトルとでも称すべきコンテンツとして成立するであろう。


「ヒェア、YO、チェケラッチョ。ありがとう藤川サンキューベリーマッチ、オブリガード、ナマステ。超絶有意義なアイデアだぜベイベ」

「二人とも、何をわけのわからねぇことを言ってやがるんですの? 想像してごらんなさい、男二人が足のにおいを嗅がせ合う……絵面が悲惨ですわよ。間違いねぇ、そんな動画は大失敗するに決まってますわ」



 〇



 結果は大成功であった。


 藤川の腹案に従って、茅野は後追い靴下の作り手と真の足臭男の座をかけた戦いを遂行。

 バトルに勝利した上で、その様子を収めた映像を配信したところ、まるで沸騰したかのようにたちまちの内に話題となった。

 特に、茅野の足のにおいをまともに嗅いだ対戦者が白目をむいて倒れながら発した「くっせぇわ……。くっせぇくっせぇ、くっせぇわ……」の迷文句は、辞世の句ならぬ「くせぇの句」として大層な評判となった。


 おかげで「カヤノ・ソックス」の売り上げはV字回復となった。

 足臭バトル動画によって類似品などとは比べ物にならない臭さが証明されたわけであり、通販サイトのレビュー欄には「あまりにも臭すぎます!」との星五つの評価が並んだ。


 影響はそれだけに留まらなかった。

 なんと、茅野のもとに続々と、足臭バトルの対戦申し込みが舞い込んできたのだ。

 相手は自身の足の臭さに自信がある者、売名行為にいそしむ動画投稿者、ただの馬鹿者など多種多様であった。


 試合が増えるにつれて、次第に戦いのルールや段取りなども洗練されていった。といっても、それは極めて単純である。


 一つ、広い場所を試合会場とする。そうせねば周囲に被害が出るためである。

 例えばある時はゴルフ場を貸し切り、またある時は光が丘公園から人払いをして開催した。

 一つ、バトルが始まるにあたり、選手は一定の距離を開けて向き合う。過度に近い距離でにおいを嗅いでしまうと、後遺症が出る恐れがあるためであった。

 一つ、遂に戦いの火蓋が切って落とされる。大抵の場合、まずは茅野がおもむろに靴を脱ぐ。すると相手は想像を絶する臭さに倒れ伏す。

 これで勝負あり。人知を超える茅野の足とはこれ程のものなのである。

 たまに挑戦者が先に靴を脱ぐこともあったが、しょせんはヒトの足のにおい。茅野にとっては屁の河童であった。

 このように、茅野は次から次へと挑戦を受けて立ち、いともたやすく勝ち続けたのである。


『どうしてですの? ねえ、どうしてこんなアホウな企画がウケてるんですの?』


 茅野のもとに、困惑した蘭花からのメッセージが届いた。茅野はしたり顔で返信を送る。


『それはYO、オトコにとっておバカというのは誉め言葉だからだぜベイベ』

『そんなのはさすがに子どもの頃だけじゃありませんの?』

『オトコってのは、いつまでも少年の心を忘れないもんだぜ、アンダスタン?』

『するってぇと、アタシがアンタと知也に「馬鹿もん!」って叱り続けたのは……?』

『鼻が高いぜチェケラッチョ』

『褒めてませんわッ!』


 空前絶後の大人気企画、足臭バトル。

 その盛り上がりは一過性のブームを超え、支持の広がりは蘭花の理解の範疇を超えた。


 その理由は、確かに茅野の言った通り、馬鹿騒ぎに世の中のオトコ心が惹かれたからであった。

 しかしそれだけではない。もう一つの理由も存在した。それは自らの足のにおいというコンプレックスが、イカれた闘いへの参加を通して笑いへと昇華し得たからであった。


 せめて笑ってくれ——。


 野郎どもは心の恥部の救いを求めてにおいの競争に身を投じていった。その光景はまさに狂騒と呼ぶにふさわしいものであった。


 やがて、とうとう足臭バトルにスポンサーがついた。

 若者世代への人気具合に目を付けたエナジードリンク企業が協賛を申し出て、『フレグラント・フィート・ファイト』なる大会名も付いた。

 こうなれば、もはやただの一企画ではおさまらない。押しも押されもせぬ、立派なエクストリーム・スポーツの仲間入りである。


 さて、『フレグラント・フィート・ファイト』、略してFFFと名前が変われども、茅野浩太郎は変わることなく、圧倒的な知名度と実力とを兼ね備えたトップランナーであり続けた。

 茅野はすでに学生実業家としての成功を収めていたが、今度はFFFの勝者という不名誉、もとい名誉を手にしていた。彼の足はそれほどまでに他を隔絶したにおいを有していたのである。

 彼は足臭バトル時代から引き続いて、FFFでも負け知らずであった。

 絶対王者、茅野浩太郎——その足は全くもって臭過ぎた。



 ○



 茅野は胸のすく思いがした。

 今まで、自分の足が発する悪臭は劣等感の源であった。バレてはいないだろうかという、寝ても覚めても付きまとう心配事の原因であったのだ。

 それが一転、周囲の賞賛の対象となった。

 茅野が靴を脱げば勝利は彼の下にやってきた。

 かつて同乗を拒否され、ドン引きされ、そして炎上させられてきて、それでも変えることの出来なかった足のにおいによって、オレは今、みんなの尊敬のまなざしを勝ち得ている——。


 茅野はもう、自分がコンプレックスを隠さなくても良くなったことを知った。

 発覚せぬよう不安に怯えながら過ごした日々に、別れを告げることが出来たのだ。怖れる気持ちは安堵へと変わり、またそれに伴って自信が芽生え、自分自身に対する肯定感も確立した。


 それを後押ししたのは、自分の足のにおいが生得的なものであるという事実であった。

茅野の足のにおいは創意工夫や努力によって編み出したものでは無い。思春期を迎えるにつれて自然と臭うようになっていったもの、つまりは才能である。


「茅野ォ……ッ! お前の足は何の努力も無くそんな凄まじいモンになったというのか!?」


 ある時の『フレグラント・フィート・ファイト』にて、茅野の対戦相手が一撃でのめされたあとに放った、半ば悲痛な叫び。


「ああ、そうさ。オレのこのにおいにはコンプレックスの苦しみはあった。だが努力は無い」


 今では名前も憶えていないような、大した臭気も持ち合わせていなかった男の問いに茅野が答えると。


「そうか、才能だけでその高みに至ったのか……。お前はまさに、『天才』だ」


 男は消え入るような声でそう呟き、とうとう茅野の足のにおいに耐え切れずに気絶した。

 以降、チャンピオン・茅野は『天才』と称されるようになった。


『天才』は敗北を知らない。


 どんな挑戦者が来ようが、茅野はたちどころに相手を下した。その足は並ぶ者のいないほど、純粋に、ただひたすらに臭かった。

 ある者は「すべてはお前を倒すため、三日三晩同じ靴下を履き続けた」と自信たっぷりに足を出したが、茅野は足すら出すことなく、ズボンのポケットから無造作に靴下を取り出すのみであった。


「悪いけど、雑魚が三日程度履いたところで、オレの洗濯した靴下の方が臭いぜ」


 そういって肩をすくめ、ひらひらと揺らしたその靴下が放つ臭気は、洗濯済みにもかかわらず、とんでもなく凄いものであった。

 こびり付いた茅野のにおいは哀れな挑戦者の鼻の穴に直撃。彼我の圧倒的な実力の違いに、敗北者は白目を剥いて膝を着くのが精一杯であった。


 チャレンジャーたちが失神するのは当たり前。

 110番を受け、彼らを頭の病院へと運び込むべく駆け付けたレスキュー隊員ですら、漂う汚臭に気を失うのも珍しいことでは無かった。


 ただし、中には見どころのある強敵もいた。


 今回の会場は埼玉県の大宮公園。

 そこにやってきたのは、自身を世界七位だと自負するオカマ。いや性自認が何であろうがそれは構わないのだが、その筋骨隆々とした足にはたいそう迫力があった。


「見て、アタシの足。サイズが二九・五センチもあるのよ、ぐふふ」


 オカマがしなをつくりながら靴を脱ぐと、思わず茅野の眉間にしわが寄った。

 こいつ、中々のものを持っていやがる——。


 しかしながら、勝ったのはやはり、世界一位の足臭男。


「悪くない足だ。大きなサイズにたっぷりの汗腺……。小手先に頼らず、自分の強みを素直に押し出している。あんた、強くなるぜ」

「あら、ありがとう。アタシ気になったものには真っすぐアタックするの。負けちゃったけど、アナタの足のにおいは気に入ったわ。新宿二丁目から迎えに行くから、ケツの穴かっぽじって待ってなさい、ぐふふ」


 この勝負から数か月の間、茅野は自らの貞操を守るために雲隠れを余儀なくされた。

 試合に勝って勝負に負ける。そういう意味では、このオカマは間違いなく、強敵と呼べる存在であった。

 だがそれでも、バトルの勝者は『天才』茅野浩太郎。彼は世界一位であり続けた。



 ○



 茅野が絶対王者であることは、『フレグラント・フィート・ファイト』のほかにも余波をもたらした。


 靴を脱ぐ。勝つ。

 その繰り返しに比例するように、日夜『天才』の名声も高まった。

 SNSに自分の足の写真を投稿し、そこに「コレに触れると(鼻の粘膜が)やけどするぜ」との一言を添えてやれば、見る見る内に「いいね!」の嵐。


『これが幾多の戦いを制してきたおみ足』

『足が臭いヤツはセリフもくさい』

『貼られた画像を見てるだけなのに、アレルギー反応が止まらないんだが』


 その巨大化した影響力は企業をも動かし、茅野の懐には、消臭剤や洗剤、並びにFFFの主催たるエナジードリンク企業などからのスポンサーマネーが入ってきた。

 遂には大手広告代理店の手によって、「百日間におった『くサイ』」なる、サイを模したゆるキャラ化の企画まで動き始めたという。

 その深遠な計画は、手始めにSNSで話題をさらうことから始まり、グッズ展開やコラボカフェの営業、果ては映画やドラマ化までを見据えたものであるという。まさに約束された成功であった。


 そんな茅野が渋谷を歩けば、若者の街にはキャーキャーと黒山の人だかりが出来上がる。

 彼を写真に収めようとする無数のスマホカメラに爽やかな笑みをプレゼントし、さらにファンサービスとばかりに靴を脱ぎ捨てれば、人々は鼻をつまんでキャーキャーと蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。


 話題沸騰のエクストリームスポーツ。その頂点に君臨する『天才』は、自らの体臭によって大衆をも動かし得る稀代のインフルエンサー、時代の寵児となるに至った。

 茅野浩太郎は全てを手に入れたのである。



 ○



「最近、浩太郎の様子がおかしくありませんこと?」


 世田谷区、下高井戸駅近くの喫茶店にて。

 ロイヤルミルクティーで口を湿らせてから、蘭花は問うか否かの迷いを振り切るようにして尋ねた。

 向かいの席に座る藤川は、スポーツ新聞の片隅の記事をじっと黙読している。その記事には『FFF絶対王者ついに百連勝 うち九割は病院送り』とあった。


 藤川が顔を上げた。


「かの男は高慢になった。成功し過ぎたのだ」

「アイツ、なんだか口調まで変わっちまいましたものね」

「茅野浩太郎は己を盛り上げ役として、あえて軽い人物を演じてきた。そうせねば他者と接する自信が無かったのやもしれぬ。それが富も名誉も勝ち得たことで自信を付け、軟派者の口調をまとわずとも平気で居られるようになったのであろう。しかし今度は却って、周りを見下すようになってしまった。傲慢になり下がった」


 一息に喋って、藤川は口を真一文字に結んだ。何かを決意したような顔であった。


「アイツ、このままでは孤立しちまいそうですわ。杞憂かもわかんねぇですが……」


 胸の前で手を組む蘭花の顔には、はっきりと「心配」の二文字が浮かんでいた。


「貴女の言う通りだ、秦野蘭花。茅野浩太郎は今のままでは、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、そのうえ足が臭い男だ。もはや見ていられぬ。不肖藤川知也、一肌脱ごうじゃないか」


 藤川はやおら立ち上がると、卓上に二人分の代金を置いて。


「なに、貴女の心配する気持ちももっともだ」


 そう言い残し、「そそそそそんな心配なんかしてませんわ」の反駁の声を背中に受けながら、泰然と喫茶店を出て行った。



 ○



 今、『フレグラント・フィート・ファイト』の対戦会場では、チャンピオン・茅野浩太郎への試合前インタビューが行われている。


「——茅野さんはFFFで負け知らずですが、勝ち続けるための何か秘訣でもあるんですか?」

「秘訣? 特にないね。オレはオレのままで既に最強だから」

「ほほう、さすがは『天才』といったところでしょうか。圧倒的な自信です。すると、例えば試合に向けての追い込みなどは……?」

「そんなの必要ナッシング。ま、あえて挙げるなら、シャワーで足を洗ってから試合に挑むかな。ほら、においを落としてやんないとさ、臭すぎて相手がカワイソウだから」

「おおっと、これは対戦相手への挑発か? 茅野選手、余裕しゃくしゃくです」

「強過ぎて申し訳ない。と言いたいところだが、敵が弱過ぎるのが良くない。少しは骨のあるヤツがいるかと思ったんだが、まあ、期待はしていないさ」


 肩をすくめる茅野の姿が、FFFの生配信の画面に映る。コメント欄も大いに盛り上がった。


『茅野のセリフ、むかつくなー。でも憎らしいほど強いからな』

『だれかヤツを倒せる猛者はいないのか』

『あれより臭い足の持ち主がいてたまるか』

『今日の挑戦者も、シークレットとかいって情報伏せてるけど、結局茅野には勝てないんだろうな……』

『おい、なんか現地の様子がおかしいぞ』


 ふと、会場に変化があった。それは高笑いであった。


「ふは、ふはは、ふははは、ふはぁーっはっはっは! ふふん」


 一人の男が、真っすぐ歩いてきている。学帽を被り、詰襟を着込み、羽織をはためかせるその姿は、まさに書生そのものであった。


「骨のあるヤツは居ないと言ったかね、茅野浩太郎。ならば不肖藤川知也、一戦お相手つかまつろう」

「藤川……なるほど、今回の謎のチャレンジャーというのは、お前のことだったんだな。まあ、敵が誰であろうと関係ない。オレの足の超人的な臭さに、ただ膝をつくのみだ」


 茅野は藤川の登場にやや驚いた風であったが、すぐに余裕の表情を取り戻した。


『あの藤川って男は、どうも茅野サンに足臭バトルの企画を授けた知恵者であるらしい』

『なら、このFFFの発案者のようなものだな』

『全ての元凶か』

『ああ、諸悪の根源だ』


 視聴者たちは藤川の正体を知り、一様に尊敬の念を抱いた。ただしそれでもなお、バトルの勝負は圧倒的に茅野に有利であると予想された。

 その予想は茅野にとっても同じであったようで。


「しかし疑問だ。藤川、お前とは中学生の頃からの付き合いだが、お前の足が臭いというのはとんと聞いたことがない。どうして今回、戦いを挑むんだ?」

「なに、吾輩も自分の足のにおいにいささか引け目があってね。人並みに隠し通していたのだよ。それに何ゆえ戦いを挑むのかだって? 答えは単純明快だ。茅野浩太郎、貴君を倒し、その傲慢な鼻をへし折るためである」

「抜かせ。お前の足ではオレの鼻を折れはしない。逆にオレの足でお前の鼻が曲がるだけだ」

「確かに、吾輩の足そのままでは貴君を打ち破るのは困難である。だがね、茅野浩太郎。吾輩にも勝算というものがあるのだよ。これを見給え」


 ニヤリとほくそ笑んだ藤川は、ふいにズボンの裾をグイと引き上げた。

 あらわになったのは、ボロボロの革靴。

 茅野の目が見開かれ、コメント欄が過熱する。


『あれは……合成皮革⁉』

『当たり、ですわ! 天然皮革と違って、合成皮革は空気を通しませんの。つまりあの中は足が蒸れた状態で密閉され、臭気が凝縮されてますのよ!』

『なんかすごく詳しい人いるぞ』


 藤川が靴紐をほどき、レースステイをがばりと開いた。中の臭気が漏れ出し、会場にいる命知らずの観客たちがむせ始めた。


「茅野浩太郎。貴君に勝つには工夫と努力が必要だ。吾輩はここしばらく、この靴と寝食を共にしてきた。足を徹底的に蒸れさせるために、履いたままで生活をしてきたのだ。寝る時も風呂の中でも、病める時も健やかなる時も脱ぐ事は無かった」

「くっ、そこまでしてオレを倒そうというのか……!」


 茅野は思わずたたらを踏んだ。これは想定外の臭さが来るぞと、覚悟を決めた。

 一方の藤川は、淡々とした様子で告げる。


「さあ、脱ぐぞ」


 その一声とともに、足は完全に解き放たれた。熟成された汚臭が辺りに拡散し、逃げ遅れた観客たちが次々と倒れ伏す。茅野も後ろへのけぞり、白目をむき、口から泡を吹いて——。


「やったか!?」


 藤川が思わず声を漏らした。だが、ついに茅野は倒れなかった。

 のけぞった姿勢がゆっくりと元へ戻っていき、充血しているもののその眼にはしっかりと意志が宿っていた。


「ふう、危ないところだったぜ。なかなかキツいにおいではあったがな。残念。オレは自分自身の足のにおいをかいで平気な男だ。多少臭かろうが耐性はある」茅野は肩をすくめて嘆息した。「なあ、藤川。お前は頑張ったよ。充分努力した。でもオレには勝てないんだなあ。持ってるもんが違うもんなあ」


 やはり茅野は絶対王者であった。

 常人の努力も及ばぬ実力を持つのだという自負が、『天才』にはあった。


 彼の強さは試合を見届ける者たちも認めるところであり、ほとんどの者は藤川の健闘をたたえる気持ちが半分、王者の敗北という歴史的瞬間が訪れなかったことを惜しむ気持ちがもう半分であった。

 ——ただ一人、藤川知也を除いて。


「……まだ吾輩のターンは終わっていない」

「なにィ?」


 怪訝な顔をした茅野に相対して、藤川は重心を落とし構えをとる。瞬間、茅野の脳裏に、悪寒とともにある記憶がよみがえってきた。


「待てよ、この構えは!?」

「吾輩の努力は靴を履き続けることのみにあらず。少しばかり、踊りの練習もしてきたのだよ。さあ、思う存分食らい給え——我が必殺技、『嗅覚崩壊』をッ!」


 藤川は大きく身体を動かし始めた。すぐにその動きはスピードを増してゆく。


「こ、これは……!」


 茅野は戦慄した。それは紛れもなくブレイクダンスであった。高校生の頃、『無勉同盟』の議論時に舞ったような拙いものではない。遥かに滑らかで動きの激しい踊りであった。

 ブウン、ブウンッ……!

 藤川の両脚が、まるでヘリコプターのように回転した。尋常ならざる臭さの足が、右へ左へ上へ下へ、自由闊達に踊り狂った。辺りの空気が巻き込まれ、小さな竜巻が起こりゆく。


「ぐはぁ……っ!」


 茅野が血反吐を吐いた。

 走馬灯が浮かび、「これで死んだら史上最悪の死因だ」との思いがよぎった。

 彼を追い詰めたのは、藤川の編み出した勝利の方程式、すなわち「臭気×遠心力=破壊力」。

 藤川の足が縦横無尽に振り回され、激臭が突風となって茅野の鼻孔その奥深くに直撃。


「ほげえええぇぇっ!」


 鼻血が噴出し、全身の力を失った茅野はついに両膝をついて崩れ落ちた。

 まごうことなき、完膚なきまでの敗北。

 絶対王者が、その座から陥落した瞬間であった。



 〇



 新しいチャンピオンとなった藤川が、崩れ落ちたままピクピクと痙攣する茅野を一瞥した。

 顎に滴る大粒の汗をぬぐって、踵を返す。そうして試合会場を後にしようとして——。


「ま、待ちやがれ……!」


 振り返ると、青息吐息の茅野が顔を上げ、苦悶の表情を浮かべていた。


「どうした。敗者がいまさら何を言う」

「何故だっ! どうしてお前は、そんな途轍もない新技を編み出せたんだ……!」

「簡単な話である。吾輩は己の何が武器となるのか、自分自身を見つめただけに過ぎない。貴君も少しは自己を省み給え。では、さらばだ」

「く、くそっ。いやだ、負けたくない! 失いたくない! ……ぐはっ」


 茅野は怨嗟の声を絞り出し、それを最後に気絶した。藤川はそれを見届けると、今度こそ会場から出てゆくのであった。



 ○



「政治家も、選挙に負ければただの人」という言葉がある。同様に、かつてFFFの絶対王者であった茅野浩太郎も、闘いに負けてしまえばただの足臭男であった。

 彼は全てを失った。スポンサーは離れ、世間の人気も凋落した。あるのはただ、大量の「カヤノ・ソックス」の在庫である。


「どうすんだ、こんなもん」


 彼はたまプラーザ駅近くの下宿先、そのベッドの上で独り言ちた。部屋の中は返品された靴下の段ボール箱で埋め尽くされている。


 彼は不意にヤケになった。

 いっそのこと、この靴下を東京スカイツリーからぶちまけてみるか。無数の悪臭たちが高度634メートルからばら撒かれてみろ、首都東京は阿鼻叫喚だ。あまりの臭さに、人々はマスク無しで生きられなくなるであろう。外出を自粛して、働き方もテレワークへと変わるかもしれない。

 茅野はぐちぐちと、世の中への復讐を妄想した。


 チャイムが鳴った。しばらく無視をしていたが、インターホンはそれでも押され続けた。

 居留守を諦め出てみると、そこに立っていたのは蘭花であった。何やら大きな袋を両手に提げ、重たそうにしていた。


「ちょいっとお邪魔しますわ」

「何の用だ?」

「様子を見に来ましたの」

「……オレの様子を見ても仕方ないだろう。オレは何もない男だ」

「確かに、世間様ってやつにとっちゃあそうですわね。でも、いいこと? アンタは私にとって腐れ縁の幼なじみですのよ」


 蘭花は言い切ると、ずんずんと居間に入り、腰に手を当てて室内を見回した。


「アンタ、きっと食事は摂っていないでしょう?」

「何も食べたくはないからな」

「なら、食べてえってなったらお食べなさい」


 蘭花は大袋の中から食料を取り出しては、ほとんど空であった冷蔵庫に次々と収めていった。

 茅野は困惑し、うろたえた。


「待ってくれ。どうしてそんなに世話を焼いてくれるんだ。言っただろう、オレにはもう何もないって。親切にしてくれたところで、何も返せない。オレは藤川に負けて終わったんだ……本当は分かってるんだ。藤川が、増長したオレに見かねて、オレを終わらせるために勝負を挑んだんだって」


 茅野は心の熱がふいごを動かすようにしてまくしたてた。対する蘭花は、まるで打ち水を撒くかのごとくピシャリと告げる。


「違いますわ」彼女はじっと茅野を見つめた。「終わらせるためじゃありません。知也はアンタを変えるために戦いましたのよ」

「……変えるため、か」


 茅野の呟きを聞いて、蘭花は何か納得したのであろうか、もう用事は済んだと言わんばかりにさっさと玄関に戻った。


「今はまだ、アンタは休みが必要ですわ。もうしばらく休養をお取りなさいな。そして元気になったら、知也の言葉を思い出して。いいこと?」


 扉が閉まった。部屋に一人、茅野が残された。


 それから一週間が過ぎた。

 茅野はようやく、寝ても覚めてもベッドの上で過ごす生活から脱した。蘭花からもらった分の最後の栄養ゼリーを吸いながら、考えを巡らせる。


「貴君も少しは自己を省みたまえ、か」


 呟いたのは、直接対決の後に放たれた、藤川からのメッセージ。


「へへ、そりゃそうだよな」


 茅野は自嘲的に苦笑を浮かべた。

『天才』としてFFFに君臨する間、彼は傲慢であった。

 周囲から褒められることで確固たる自信を手にしたと思っていたが、その内心では、周りの人間は己の自尊心を満たすための装置に過ぎなかった。

 そしてまた、世間は茅野浩太郎という人間の一挙手一投足に目を奪われていたと自負していたのだが、実際のところ、周りが注目していたのは絶対王者という地位と、その財産であった。思い違いをしていたのだ。


 茅野はポリポリと頭を掻いた。


 高校生の頃、彼は卑屈であった。心の中ではビクビクしながらも、コンプレックスを隠すべく道化を演じていた。

 そして大学進学後、自分の足のにおいがバレ、かつネットで炎上したことでいよいよ劣等感が破裂した。

「カヤノ・ソックス」と『フレグラント・フィート・ファイト』は、そのような苦しみから自分を救ってくれた、はずであった。自分は正しく自信を身に着け、人としてあるべき自尊心を獲得したのだと思った。そして、自らの商品を通して社会に貢献し勝利を通じて強さを証明することで、自分が優れた人間であることを確信したはずであった。

 しかしそれは独りよがりな誤解であった。


 高校時代が正しかったとは言わない。だが少なくとも、孤独ではなかった。

 彼が本当に失っていたもの、それは富でも名声でもなく、他者と共に生きていくという心であったのだ。


「もしもし、蘭花ちゃん?」


 茅野は、意を決して蘭花に連絡を入れた。


「ごきげんよう。目は、覚めまして?」


 蘭花の声には安堵の響きが感じられた。


「ああ。蘭花ちゃんのおかげでばっちり覚めたよ。本当に、ありがとう」

「あら? 感謝するってぇなら私ではありませんわ」

「もちろん、藤川にもこれから電話する」

「そうですわね。知也に伝えるべきですわ。でもそれは、電話を通してじゃあありませんわね」

「え?」

「知也は話をするつもりはありませんの。ただ、戦う意志があるだけ」

「……まさか」

「さあ、FFFにエントリーしてご覧なさい。もし知也に何か言ってやりたいなら、それは試合会場で。ね?」

「蘭花ちゃん……」


 電話は切れていた。


 茅野は困り果てた。藤川に感謝を伝えたいなら、FFFで勝利しろ。そういうことなのだろう。

 悔しいが、今のオレの足ではあいつの必殺技にはかなわない。


 されど茅野は、諦めるつもりも毛頭なかった。

 何か無いだろうか。

 色々な策を練ってみたものの、なかなか有効なアイデアは出てこなかった。


「参ったな、こりゃ……ん?」


 ヒントを求めてクローゼットの中をあさってみると、奥の方で服やガラクタに埋もれかけた段ボール箱が目に入った。

 それは実家から運び入れたもので、そこには主に高校時代から大学二年時、すなわち「カヤノ・ソックス」で成功した頃にかけての、教科書やら着なくなった服などが雑多に詰め込まれていた。

 この箱には特に藤川に勝つために役立つ物は入っていないだろう。そう判断しかけたが、茅野の脳裏にふと、自省に励めという藤川のセリフが浮かんだ。


「まあ、自分の過去に触れるのも自省の一つではあるかな?」


 まるで試験前に部屋の整頓に着手する学生だな、と茅野は苦笑した。そして軽い気持ちで箱を開け、瞬間、苦笑いが吹き飛んだ。


「ぐわああああーーっ」


 視界に飛び込んできたのは、高校時代にクラスのヒロインこと坂崎杏子に送ろうとしたラブレターの文字。

 その内容のあまりのイタさに、茅野はまるでプロボクサーに殴られたかのごとく、脳味噌がぐわんぐわんと揺れているように感じられた。


 彼はハエを打ち叩くようにして箱を閉めた。これは人間が見てはいけないパンドラの黒歴史なのではないか。

 そっと物入れの奥に戻そうとして、しかし思い直した。

 無かったことにはしてはいけない。

 見て見ぬふりをすることは、多分、藤川からの叱咤激励に背くことと同じだ。


「立て、立つんだオレ——まあ、昔の恋文以上にイタいもんなんて出てこないだろ……ぐはあぁぁっ」


 次に箱の中から出てきたのは、「カヤノ・ソックス」で新進気鋭の実業家として注目された頃に受けた、雑誌の短期連載の文面であった。

 軽く一読して、愕然とした。

 こいつ、なんて生意気なんだ。世の中を舐めている。自ら恃むところ頗る厚過ぎる。


 それはラブレターほどのイタさを持ってはいなかったが、既にかなりのダメージを負っている茅野の心にとっては、十二分に厳しいものであった。


「ほぎゃあっ」


 箱の中から出てくる出てくる、尽きること無きブラック・ヒストリーの奔流。

 それは例えば、「カヤノ・ソックス」を履いてプールで女の子たちと撮った写真。いくら商品の宣伝を兼ねていたとはいえ、水着に靴下といういで立ちはあまりにもあんまりであり、もはや変態的であった。

 あるいは、『無勉同盟』の広報と称して作成した、内輪ネタだけで構成された自家ラジオ番組の音声データ入りⅭⅮ。

 もしくは、文化祭のステージで盛大に滑った時に着ていた、高校三年時のクラスTシャツ。

 他にも、卒業アルバムに写った、お調子者としてのアイデンティティに則り調子に乗りすぎた自分の姿。

 それから、「カヤノ・ソックス」の事業家から日本国の総理大臣になるまでの荒唐無稽な未来予想図(バージョン1.03)。

 果ては、かつて自分に酔いしれながら執筆していたブログのURL。

 あとは、何故か片方しかない靴下。


「し、死ぬ。いやむしろ殺してくれ」


 茅野は悶え苦しみ抜いた。

 イタいイタすぎる。

 まるで藤川に敗北した時のように、膝をつき、目は血走り、息は上がっていた。

 しかしそれでもなお、茅野は目を背けることなく、過去の周りから見た自分という存在と対峙し続けた。


「オレ、他人からはこう見えたのか。……ん、待てよ」


 そこで彼は、あるものの存在に気が付いた。


「そうか。もしかしたら、これなら……!」


 茅野はそれを掴むと、ゆっくりと立ち上がった。



 ○



 挑戦者・茅野と王者・藤川。


 二人は今、神奈川県は三浦海岸に特設された試合会場で向かい合っている。

 季節は春。

 砂浜には静かに波が打ち寄せ、柔らかな風が二人の髪をなでる。

 今回のバトルも、例によってインターネットでの配信が行われている。下馬評では、圧倒的に現王者・藤川が支持されていた。


 試合は静かに始まった。

 互いが互いを見据えながら、ゆっくりと、しかし着実に歩みを進め、所定の位置につく。

 そのまましばらく無言の時間が続いた。一体どんなにおいになるのか……会場の緊張がいやがうえにも高まってゆく。

 静寂の中にごくり、とつばを飲み込む音がひときわ大きく聞こえた。それは藤川の発したものか、茅野のそれか……否、音の出どころは観客の一人、やたら異彩を放つオカマであった。


 オカマを横目に見て、冷や汗が一筋。先に動いたのはチャレンジャー、茅野であった。


「さて、藤川。こいつをとくとご覧あれ。これが今回に向けてオイラが選んだ、最終決戦の相棒だぜ。ホホイ」


 茅野が決然とした表情で取り出したのは、五本指ソックスである。配信番組のコメント欄はがぜん盛り上がった。


『あれって確か、においを防ぐためのアイテムでは?』

『よりによって決戦でにおいを減らすなんて、ヤツはいったい何を考えてるんだ』

『ついに狂ったか』

『狂ってんのは足臭バトルに見入ってる俺たちの方なんだよなぁ』


 茅野と対峙する藤川もまた、挑戦者の意図が読めないでいた。


「五本指ソックス——足の指の間にも布地があることで、足先の蒸れを減らし、ひいては足のにおいをも減らすというアイデア商品……茅野浩太郎、貴君は確か、高校時代に履いて来たことがあったな」

「ああ、あの頃のオイラは『イェェェア、これが最先端のお洒落だぜ! スウィィィト!』などとうそぶいて、自分の足のにおいを気にしているなんて悟らせないようにしていた。いわば、自分の足から目を背けるためのグッズだYO」

「それを何故、今ここで履くのだ。この最終決戦の場で」


 いぶかる藤川の問いかけに対し。


「その答えは藤川、お前がくれたんだぜ。アーイ?」


 茅野はライバルを見据え、真っすぐ指さした。


「吾輩が? 吾輩は貴君に、自分自身を見つめろとは言ったが」

「ああ。敗北者となったオイラは破れかぶれになった。だが、お前さんのその一言に導かれるようにして、クローゼットの奥底、封印されしガラクタ箱をあさったんだ。オイラが見ないようにしていた過去の未熟さ、逃げていた昔の過ちというヤツに触れて、己の弱さと向き合って……その果てに、オイラはとうとう、この靴下を見つけた」


 茅野は、まるで肺腑から絞り出すようにして言葉を紡いだ。その瞳が見ていたのは、過ぎ去った日々の苦悩と、栄光。


「それが自分自身を見つめた結果か。例えにおいが弱まろうと、自己と対峙した成果として、五本指ソックスを選んだ……。その意気やよし。だが、片や『新・足臭王』、片や防臭靴下。勝負あったようだな」


 藤川は肩をすくめて嘆息した。しかしその顔には、確かに、茅野の変心への安堵の感情が混じっていた。

 ともかく、最終決戦もこれで勝負あり——。


「それはどうかな、アーイ?」

「……なんだと?」


 藤川は弾かれたように顔を上げる。目の前の挑戦者はいつの間にか、その表情をふてぶてしい笑みへと変えていた。

 その茅野が、まるでマジックの種明かしをするかのような口ぶりで、説明を始める。


「確かにお前さんの言う通り、こいつには足の指一本一本を生地で包むことにより、足の蒸れを減らす効果がある。だがしかァし! それはあくまで、『人間の足』の場合だYO」

「なんだと?」

「今でこそ敗北者だが、元『絶対王者』の足をなめない方がいいぜ、アンダスタン? 五本指ソックスは足の指ごとに分かれている……つまり、表面積が増えているんだな」

「ま、まさか……!」


 現王者・藤川がたじろぐ。

 彼にとってみれば、敗北に打ちひしがれていた茅野が、そこから立ち直ることまでは想定していた。

 ところが、茅野は立ち直るばかりでなく、早くも雪辱を晴らす策を練ってきていたのである。

 それこそが、挑戦者・茅野が導き出した計算式——すなわち、『(染み込んだ汗の量+雑菌の量)×布面積=臭さ』という、新・勝利の方程式であった。


「オイラの足から分泌された汗をたっぷり吸いこんだ布地が、しかもその面積を増大させているんだ。においが一体どこまで増すのか……さあ、答え合わせと行こうじゃないか、イェア」


 茅野はそれを最後のセリフとばかりに、ゆっくりと、しかし確実に、その靴を脱ぎ始めた。


 茅野のかかとが靴から出た。付近の雑草が枯れた。

 土踏まずがあらわになった。あまりの臭さに飛ぶ鳥が落ちてきた。

 足の指が日の下にさらされた。それをネット配信で見ていた視聴者が失神した。

 そして茅野の足が靴から完全に脱げ、踏み台の上に置かれた——茅野の勝利が、確定した。


「うわあぁぁぁーーーッ‼ 鼻が、鼻がぁぁぁーーっ!」


 五本指ソックスにじくじくと染み込んだ刺激臭が、藤川の鼻にダイレクト・アタック。彼は衝撃のあまり、きりもみとなって吹き飛んだ。

 完全勝利——それは、元『天才』が挫折を克服したことを意味していた。



 〇



 人間の鼻に生える体毛、鼻毛。


 ウイルスやほこりなど、異物の侵入を防ぐフィルターとしての役割を持つそれは、一説によれば、そういった異物の多い環境下において、より早く伸びる傾向があるという。

 そして、鼻に対する異物という点では、常軌を逸した汚臭もまた同じである。


 今、ダメージを受けふらふらと立ち上がった藤川の鼻からは、1メートルほどの鼻毛の束がもっさりと生えていた。これも足臭バトルという過酷な環境に身を投じた男たちの、ある意味で名誉の負傷といえよう。


「や、やられた……。完全に吾輩の負けだ。まったく、折角ライバルに勝てたと喜んでいたんだがな。茅野浩太郎、吾輩はまだまだ貴君には追い付けていなかったようだ」


 もさもさと鼻毛を揺らしながら、藤川が右手を差し出した。


「藤川……。お前のおかげで、オイラは己と向き合うということの本当の意味を知った。オイラはお前に成長させてもらったんだ。ありがとう、サンキューベリーマッチ、オブリガード。オイラのライバル……本当に、感謝している」


 一方の茅野も、いくら自分自身の体臭といえど、鼻には刺激が強すぎたのであろう。80センチほどはみ出た鼻毛をぶら下げながら、藤川の右手をがっしりとつかむ。


「自分の弱さを直視し、過ちを受け止める。それが出来るのは強者の証だ。茅野浩太郎、貴君は名実ともに強くなった。それでこそ吾輩のライバルだ」

「お前こそ、たとえ敵の助けになると知っていても、そいつのためになるなら助言が出来る。それは紛れもなくお前が強いヤツだからだぜ、藤川。それでこそ、オイラのライバルだYO」


 友情を確かめ合い、固く握手をする二人の男。

 戦いの激しさを中和するかのような穏やかな風が戦場をめぐり、二人の鼻から垂れ下がる鼻毛の束をなでてゆく。

 優しい風は二人の足のにおいを乗せ、試合会場である三浦半島から、静かに北上していった。



 〇



 春うらら、鼻毛たなびく友二人。


 この日、主に三浦半島から横須賀市にかけて、悪臭の110番が相次いだ。においは風に運ばれて、横浜市にある時の総理大臣の邸宅にまで漂ったという。

 まさに規格外の臭さ。

 王者に返り咲いた茅野は、この語り継がれる伝説によって、新たなる称号を手に入れた。その名も、DISASTER——天災。


「アンタたち、もう満足しましたの? いい加減にアホウなことから足を洗ってもらわないと、周りの被害が尋常じゃありませんわ」


 死屍累々となった観客たちの中から、蘭花が鼻をつまみながら歩み出てきた。鼻呼吸から口呼吸に切り替えるだけで無事であるという点で、彼女もまた、臭すぎる幼なじみへの耐性が出来ているらしかった。


「そうは言うが、しかし男には譲れないものがある。なに、この領域にまで足が臭くならない女性には分からなくても仕方のないことだ。そうであろう、茅野浩太郎」

「ヘイヘイYOYOチェケラッチョ。その通りだぜ、藤川。同じ土俵に立てない蘭花ちゃんには悪いが、まあなんだ、オイラたちの靴下を洗わせてあげることぐらいなら出来るかな、ガハハ」


 互いの友情を確かめ合った茅野・藤川両名は、朗らかな笑顔のまま、脱いだ靴下を蘭花に手渡した。

 そしてその様子の中継場面を見ていたネット民により、二人は無事、『女性差別者』として仲良く炎上したのであった。


「いや結局炎上すんのかYO」




 めでたしめでたし。



おことわり(100年後にこの作品を読まれる方へ)


作中において、神奈川県三浦半島付近で悪臭の110番が相次ぐというシーンがありますが、これは2020年6月以降、主に横須賀市を中心として断続的に発生している同様の事象を元ネタとしております(なお、2021年5月現在、原因は不明のままであります)。ご了承ください。

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