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ひまわりと彼岸花

 慣れない浴衣は、陽射しを肌まで透すから。

 まるで裸で表へ出たみたいだ。

 大通りを駆けるその一歩のたびに袖がはためく。

 見えない弦を爪弾くバチのように。

 君に私が判るだろうか。

 浴衣姿を見せるのは初めてだから。

 体は真夏の太陽に焼かれても、心は氷のように冷え切ってるんだ。

 蒸気は水に戻り、首筋を流れ落ちる。

 焦る私を、電車が追い抜いてゆく。

 巻き起こる風が、線路脇の彼岸花を揺らす。

 普段は寂れた駅の、一年に一度の喧騒。

 お盆の花火大会の賑わい。

 その中に、君は居た。

 あの日と同じ笑顔で。

「や。」

 君が照れもしないから、私は少しはにかんだ。

 やあ。

 それだけ言ったら、頬が熱くなった。




 線香花火。先の紙って火を点けるところじゃないんだよ。むしって取っちゃうんだって。本当は。でも点けたいよね。そこから始まってほしいじゃない。捻じられた紙に火が点いて熱を帯びてゆく様は、封じ込めた思いが解き放たれているみたい。だから点けるよ。




 天気予報。

 午後は雨だって。

 こんなに晴れてるのに。

 私がそう言うと、

「不思議だね。」

 って君が言う。

 花火、中止かもしれないって。

 私がそう言うと、

「そっか。」

 って君が言う。

「でも良いや。」

 って。

「君と会えたから。

「それだけで良いや。」

 って。

 君が言う。

 だから私は、

 そうかなあ。

 って言った。




 線香花火。始まりは愚図るじゃない。プスプスと、バチバチと。あれ、勿体ぶって、なんだろうね。愚図るよね。駄々っ子みたいにさ。素直じゃないんだ。




 広場は盆踊りの準備をしてる。

 やぐらが組まれる。

 提灯が吊り下げられる。

 みんなが始まりを待っている。

 でも雨だって。

 私がそう言うと、

「踊れば良いじゃないか。」

 って君が言う。

 だから私は、

 ばかねえ。

 って言った。




 線香花火。小さくはぜて、物語が始まる。始まるんだ。物語が。その予感だ。




「海、行こうよ。」

 君が言う。

「置いてきたものがあるんだ。

「大切なもの。

「ね。

「海、行こうよ。」

 君が言う。




 踊れ、火花。踊れ、火花。この時がお前の舞台だ。踊れ、火花。踊れ、火花。




 海への道。

 木陰のバス停に看板。

『こどもだけで うみに はいっては いけません』

 ここを一緒に歩くのは二度目だよ。

 覚えてる?

 去年のこと。

 君は時々学校から居なくなる。

 明るいのに友達とは馴染めない君だから。

 彼岸花の中に一輪で咲くひまわりみたいに。

 どこへ行っているの?

 って私が訊いたら、

「海へ。」

 って君が答える。

 だから、

 私も連れて行って。

 って言った。

「大人に怒られるんじゃないかな。」

 って君は心配したけれど、

 誰も何も言わないよ、きっと。

 って私は言った。

 そして学校を抜け出したんだ。

 夏休みはもう終わっていたのに、海へ。

 制服のまま真昼の街に飛び出すなんて。

 人とすれ違うたびに緊張したね。

 世界が踊っていた。

 輝いていた。

 ほら、看板の裏で見上げた、あの枝の。

 揺らめく木の葉の向こうの太陽の。

 そこから注いだ幾筋もの、光のダンス。

 日溜まりの中に捨てられた線香花火。

 南風に置き去りにされた赤トンボのようだ。

 ライター、持ってるよ。

 って私が言った。

 そうだ、持っていた。



 火花が弾ける、火花が弾ける。松の葉だ。鷹の爪だ。血飛沫だ。いいや、彼岸花だ。火花が弾ける、火花が弾ける。



 彼岸花の咲く防潮堤を越えれば視界が開ける。

 森の向こうに海が見える。

 風が強くなる。

 今度来るときは浴衣が良いね。

 なんて、浴衣を着たこともなかったのに言ってみた。

「きっと似合うね。」

 って君は笑った。

 ひまわりみたいに。

 燃えるような風。

 花びらを焼く風。

 潮騒。

 海。



 火花は弾ける。夏の記憶に。そして鮮やかに炸裂する。



 打ち寄せられた黄色い浮き輪は、青空から落ちてきた一輪のひまわりだ。

 誰かに拾われるのを待っていたのだろう。

「おいでよ。」

 って君が言う。

 爪先を湿らせて。

「水、冷たいよ。」

 って君が言う。

 くるぶしを濡らして。

 泳げないの。

 って私が言う。

 みんなには隠していた。

 本当は君にも隠していたい。

「浮き輪あるから。」

 って君が言う。

 膝まで浸かって。

「持っててあげるから。」

 って君が言う。

 波の間に間に。

 練習してからね。

 って私が言う。

 真夏の陽射しは砂を焼いて。

 砂を握りしめた私の掌を焼いて。

 輝く波間にゆらめく君の影は淡くって、抱きしめるには遠過ぎて。

 だから私は立ち尽くすだけで、それだけで幸せで。

 掌いっぱいの時間だけを握りしめて、震わせて。

 指の間から零れ落ちるのも判っていたから。

 だから。

 でも、もしかしたら。

 君との距離を縮められるかもしれない。

 そう思ってしまったから。



 線香花火は弾ける。



 遠雷。

 冷たい風。

 雨。



 線香花火は弾ける。



 バス停で雨宿り。

 彼岸花も寒そうだ。

 浮き輪は畳んで看板の陰に。

 持ってきたの、それ?

 まるで初めから自分の物だったみたいに。

 夏の忘れ物はこんなふうに作られるんだ。

 線香花火もきっとそうだったんだろう。

 トタンを叩く雨音に合わせて君が口ずさむのは、私の知らない歌。

 そうだ、私は君の好きなものに近付きたかったんだ。

 警報のサイレン。

 それさえ君の伴奏。

 私は傍らで聴いていた。

 これは大切な時間だ。

 それが判っていた。



 線香花火は弾ける。そして最後の火花が暴れ出す。


 雨がバス停を打ちのめす。

 まるで打楽器みたいに。

 浴衣に染みこんだ雨が、肌から熱を奪う。

 盆踊りは中止になりました。

 ってアナウンスが告げる。

 花火大会は中止になりました。

 ってアナウンスが告げる。

 私たちは肩を並べてそれを聞いていた。

 触れ合わない腕に、君の体温を感じられたなら。


 線香花火は息をつく。季節を駆け抜けたランナーのように。


 雨が小やみになる。

 駅へと向かう人のまばらな列。

 露を宿す彼岸花。


 線香花火は震える。夏の終わりに怯えているのかもしれない。


「じゃ。」

 まるで明日会えるみたいに君が言う。

 うん、じゃあ、……じゃあね。


 ぽとり。オレンジ色の雫が零れる。まるで火の涙。私の代わりに泣いてくれているのなら、余計なお世話だ。私は泣けないんじゃない。泣かないんだ。きっと最後になるこの時間を笑顔で飾るために。


 人の波が君をさらう。

 改札の向こうへと。

 浮き輪みたいに遠ざかってゆく。

 寄せては返す波間を漂い。

 だから私は立ち尽くすだけで、それだけで。

 掌いっぱいの時間だけを。

 全部零れ落ちても、なお。


 じぶじぶじぶ。溶けたマグマが縮まってゆく。自分を抱きしめるみたいに。真っ黒に固まってゆく。冷えてゆく。握りしめた拳から力が抜けてゆくように。

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