第47話「それぞれのアフター」
第47話「それぞれのアフター」
まみは自分が何もできていなかった事に打ちひしがれ、ぼーっとしていると車のクラクションの音が響く。
母親「真由美〜」
今日は軽トラで迎えに来たまみの母。
浅野家のセカンドカー、スバルのサンバー4WDだ。
まみは板を荷台に載せ、助手席に乗り込む。
扉を閉めると手慣れた動きでシートベルトを装着する。
と、同時に車は走り出す。
人見知りで学校ではほぼ無言。
ゆきやれぃは慣れてきているので、会話はできるが、自分からの発言はまだそう多くない。
だが家族に対しては普通に喋るまみ。
普段なら車に乗り込み開口一番「疲れた」だの「お腹すいた」だの「楽しかった」だの言うところが、今日は無言である。
当然その異変を母親は即座に察知した。
母「どした?」
まみ「ん?何が?」
母「何かあっただらず」
まみ「別に何も無ぇよ」
母「うそ。何年あんたの母親やってると思ってんの。ケンカでもした?」
まみ「ケンカとかはしてねぇ」
母「『ケンカとか』はしてねぇけど、何かあったって事よね」
まみ「……」
見事な誘導尋問である。
少し時間を空けてからまみが口を開く。
まみ「あたし……スノボへたくそだったんだ」
母「始めて1年目で……え〜っとまだ4〜5回ってとこだらず?へたくそなのが当たり前じゃねぇの?」
まみ「そりゃそうなんだけど……あたし、ゆきちゃんやれぃちゃんよりもへたくそだったんじゃん」
母「上手いと思ってただ?」
遠慮なくズバズバ言う母親。
そしてぐうの音も出ないまみ。
母「上手いと勘違いしてたけど、実際はお友達よりへたくそだったから落ち込んでるんだ」
まみ「そうじゃん!落ち込むじゃん!普通!」
母「あー、だったら練習するしかねぇよね。落ち込んでても上手くならねぇだらずし」
いちいちド正論の母の言葉にムッとするまみ。
まみ「わかってるよ!わかってるけど……」
そこで言葉が詰る。
母「悔しい?」
まみ「うん……。それもあるけど、それよりしょうしい(恥ずかしい)……」
出来ていると思っていた事、ゆきやれぃよりほんの少しだけど、先を行っていると勘違いしていた事が何より恥ずかしいのだ。
穴があったら入りたいとはこの事だ。
とりあえずまみが友達とケンカした訳ではなかった事に安堵した母親。
母「お母さんはスノーボードの事わかんねぇから、紀子に相談してみたら?紀子の方がスノーボードやってる歴長いんだし」
まみ「うん……。今日、お姉ちゃんは?」
母「さっき晩御飯いらねぇってLINEきたわよ。詳しくはわかんねぇから直接紀子にLINEして聞いてみ?」
そうは言われたが、何をどう相談すればいいか、まみはまだ頭の整理がついていなかった。
ただ、沈んだ気持ちのまま助手席の窓に頭を預け、流れる景色をただただ無言で見ていた。
一方、ゆきとれぃのテンションはまみとは真逆であった。
食欲とスイーツの魅力に抗えず、クレープをパクつきながら、れぃの伯父であるペンション木馬のマスター、拓哉が迎えに来るまでベンチであーだこーだと話をする。
ゆき「かぁ〜〜〜!ごしたい(疲れた)体に甘いものが染みるわ〜」
れぃ「……んま……」
ゆき「クレープ、まみも誘って一緒に食べりゃよかったね」
れぃ「……まみのお母さん待たせるわけにゃいかんだらず……」
ゆき「でも、あたし達だけ食べたらまみ、絶対に『ゆきちゃん達だけこすいっ(ずるい)』て言うぞ、きっと」
れぃ「……微妙に似てるモノマネやめろ……」
リアクションは低いが、れぃが笑ったのは感じ取れる。
そこから今日のスノボの話になる。
れぃ「……んで、あたしちょっとわかったんだよね……全ての動きをいつもよりちょっと大げさにやるだけでブレーキもターンも全部変わってくる……」
ゆき「具体的には?」
れぃ「……ん〜っとね。今までのブレーキって0か10か……みたいな感じだったんだけど、3とか7とかブレーキの効きが調整できる感じ……」
ゆき「あたし、それ出来てんのかな?」
れぃ「……わかんねぇけど、できてると思う……」
ゆき「何で?」
れぃ「……ゆきの滑り見てたらさ……ターンの入りからターンの頂点……って言うのかな……そこまでの減速がスムーズだもん……あ、伯父さん来た……」
ボディにWB102と書かれた白いバン。
中から拓哉が手を降る。
拓哉「玲奈、お待たせ。荷物、後ろに積んで」
ハッチバックを開けて荷物やボードを入れる。
拓哉は運転席で何やらお客さんからの電話に対応している。
荷物を積み、後部座席に乗り込む二人。
拓哉「はい……はい……わかりました。10分から15分でお迎えに行けると思います。しばらくお待ち下さい。はい、では……は〜い」
電話を終えた拓哉はチラとれぃ達を見て「じゃあ、行くよ」と言うと車を走らせ始めた。
れぃ「……おじさん、お客さん?……」
拓哉「うん。玲奈送って行った帰りにお客さん乗せて戻る。ちょうど良いタイミングだったわ」
ゆき「日曜から泊まるお客さんもいるんだなぃ(いるんですね)」
拓哉「そりゃいるさ。土日しかお客さん来ねぇんだら経営成り立たねぇ」
そう言うと苦笑いする。
実際は平日にお客さんが来てくれていても経営に余裕があるとは言い難い状況なのだが、それを姪や姪の友達に言っても仕方ないのでそれ以上はこの件について話さなかった。
拓哉「それより今日はどうだった?」
れぃ「……今日はちょっと何か掴んだ感じがした……」
拓哉「おっ!そりゃいいね。どの辺り滑ってただ?」
れぃ「……コース名まではわかんねぇ……」
そう言うとれぃはゆきをチラっと見る。
ゆき「ゴンドラ乗って、そこからペアリフト乗って……って、初中級コースを一通り」
拓哉「へ〜。もう中級コース入ってるんだ。若い人は上達早いねぇ〜」
そう言われると気分がいい二人。
顔を見合わせ、思わず笑顔になる。
……と、言ってもれぃは相変わらず口角が少し上がる程度だ。
そんな他愛もない話をしていたら、あっと言う間に駅に着いた。
ゆきとれぃは荷物を下ろし、拓哉はお客さんに駅に着いた連絡を入れる。
電話中だったので、れぃ達は少し頭を下げ、手を振って拓哉と別れる。
拓哉も通話しながらそれに応え、手を少し上げて見送る。
ゆきとれぃがすれ違った4人の中年男性が拓哉の所の今日のお客さんのようだ。
拓哉が歓迎の言葉で出迎えるのが後ろから聞こえた。
ホームにはちょうど乗る電車が入って来たのが見えた。
二人は慌てて改札を通り、電車に駆け込む。
ゆき「これだけの荷物持ってとぶ(走る)とキツいわ」
れぃ「……だな…、体も筋肉痛だし……」
ゆき「え?もう筋肉痛来てる?」
れぃ「……ゆきは来てねぇの?……」
ゆき「ん〜……。ダルさはあるけど、筋肉痛は……」
そう言いながら疲れてそうな体のあちこちを触って確認する。
ゆき「あ、やっぱ来てるわ。あいててててて……」
れぃ「……だよな……」
そう言うとれぃは一度肩を揺らした。
たぶん「クスっ」と笑ったのであろう。
板を抱きしめるように持ち、バッグを足元に置いて座席に座る。
座った途端襲い来る睡魔。
ゆき「やべ〜〜〜、えれぇ眠いわ」
れぃ「……電車乗り過ごしそう……」
ゆき「寝ねぇように、れぃ、何か喋って」
れぃ「……あたしにいきなりハードル高い注文するじゃん……」
ゆき「だって疲れてるし、暖房効いてるし、電車はいい感じで揺れるし、シートは温かいし……」
ゆきの言葉がフェードアウトする。
れぃ「……寝るな、寝たら死ぬぞ……」
ゆき「んぁ?ガチで一瞬寝落ちたわ……」
れぃ「……寝付き良すぎんだろ……」
ゆき「着いたら起こして〜」
れぃ「……ばかやろう……あたしだって眠いんじゃん!……」
度胸があるのかわがままなのか。
ゆきは時折ひどくマイペースになる。
はたまた本当に睡魔に勝てなかったのか、スースーと寝息を立てて寝落ちてしまった。
一方のれぃは、弟の面倒を見てきたせいか、普段はマイペースなキャラを演じているが、実は非常に面倒見が良い。
別に今したい訳ではないのだが、眠気覚ましの為にスマホのゲームを立ち上げる。
れぃも例外なく睡魔に襲われているので、ゲームをしててもミスだらけである。
それでも何とかゆきが降りる駅まで睡魔と戦い続けた。
れぃ「……ゆき、起きろ。次だぞ……」
ゆき「ん〜〜〜あと5分……」
れぃ「バカヤロ!あと5分寝たら乗り過ごすわ!」
最初は肩をトントンと叩く程度だったが、効果が無い。
体をゆすっても、まだうにゃうにゃ言って目を覚まさないゆき。
やがて駅が近付くアナウンスが車内に流れる。
れぃ「ヤバいヤバい!ヤバいって!駅に着いちまう!ゆきっ!起きろ〜〜〜」
そう言うとれぃはゆきのほっぺたをつねり上げる。
ゆき「ひたたたたた……わかった、起きる起きるってば」
ゆきはまだ寝ぼけた顔をしていたが、無事に降りる駅で降りる事ができた。
寝ぼけ眼のまま、閉まった扉越しにれぃに手を振るゆき。
れぃも手を振って応えるが、心の中で
『あんにゃろ、明日覚えてろよ』と毒づく。
とりあえず無事にゆきを降ろす事ができた安心感か、れぃはそのまま寝落ちてしまった。
一方のゆきは暖かい電車の車内から、日が陰り寒さが増した風にあてられ、一気に目を覚ます。
ゆき「寒っ!」
ゆきの家は駅から歩いて帰れる距離なので、荷物を抱えて家路を急ぐ。
ゆき「寒〜……早く帰ってお風呂入りてぇ……」
疲れていると、板と荷物が余計に重く感じる。
ゆきの家は薬や化粧品を扱うお店をしている。
日曜日は定休日だ。
普段は店の入口から家に入るのだが、今日はシャッターが閉まっているので裏の勝手口から入る。
ゆき「ただいま〜」
母「あら、お帰り。早かったのね」
ゆき「ちょっと早めに切り上げたからね〜。お風呂沸いてる?」
母「まだ。今から沸かしたら、荷物片付け終わる頃には溜まるわよ」
ゆき「え〜〜〜だるい〜〜〜」
母「うだうだ言ってねぇで動く動く!」
母親に促され、もたもたと風呂の準備と後片付けを始めるゆき。
ゆき「あ、そうだ。れぃ、ちゃんと降りる駅で降りれたかな」
まさにどの口が言う……である。
ゆきはスマホを取り出し、れぃにLINEを入れる。
ゆき『れぃ、ちゃんと駅で降りれた?』
スマホを持ったまま寝落ちていたれぃはスマホのバイブで飛び起きる。
れぃ『ヤバっ!寝落ちてた!ここどこ!?』
電車内の電光掲示板に次の駅名が表示されているのを読んで愕然とする。
れぃ『ゆきからのLINEで起きた。3駅乗り過ごした。まだ電車の中』
ゆき『マジか』
れぃ『やってもぅた。次で降りて乗り直す』
れぃは次の駅で降り、反対向きの電車の時間を調べる。
れぃ『うげ……ダメだ。こんなに待ってらんねぇ……。お母さんに迎えに来てもらお……』
れぃはスマホを取り出し電話をかける。
れぃ「……あ、もしもし、お母さん?ごめん。電車で寝落ちて乗り過ごした。迎えに来て欲しいんだけど……」
こうしてれぃは迎えが来るまで駅の待ち合い室で待つはめになった。
さすがに眠気は飛んでいる。
やらかした自分に対して一度大きくため息をつき、ベンチに座り込む。
待つ間退屈しのぎにスマホを取り出すが、スキー場で使ってスマホが冷えたせいかバッテリー容量が既に10%を切っている。
れぃ『これ、連絡来た時にバッテリーなくなってたら使えなくなるじゃん……』
仕方なくスマホをポケットにしまう。
ぼーっと駅の待合室に貼ってあるポスターや広告を眺める。
その中の数枚はスキー場のポスターだ。
『白銀の世界で始まる恋もある』
と言うキャッチコピーが書かれたポスターに目が止まり、今まで忘れていた柳江の事が頭をよぎる。
れぃ『何で柳江の顔が出てくんだよ!……違う!恋とかじゃねぇし!ってか、恋とか始まんねぇよ!』
あえてそのポスターを見ないように反対方向を見る。
そこには「2/14バレンタインデーフェア 思いよ届け!」と書かれたポスター。
れぃ『あ゛〜〜〜どいつもこいつも!まっ、あたしにゃ関係無ぇし!あ……でも友チョコはゆきとまみにはあげてもいいかな……。あと、美紅里ちゃんと……渡せるんだらののこさん』
れぃはもともとお菓子作りが趣味なのである。
柳江の事を思い出さないようにあえてお菓子作りと「友チョコ」の事を考えて頭の中から柳江を追い出す。
れぃ『あとお母さんとお父さんと……ん〜〜〜、余ったら聡太にもくれてやるか。あと、忘れてる人いなかったかな……。そうだ。お世話んなったし、拓哉伯父さんにも持って行かず。あとは居なかったかな……』
その時またふと柳江の顔が脳裏をよぎる。
れぃ『そだからお前は違う!ってか、そもそもバレンタインデーは好きな人とかお世話になった人にチョコを送って気持ちを伝えるイベントであって、あたしは別に柳江を好きとかじゃねぇじゃん!むしろ柳江があたしの事を好……』
そこまで想像が及んで一気に赤面する。
れぃ『違う違う違う違う!断っじて違う!柳江は別にあたしの事好きとか言ってねぇじゃん!ゆきに聞かれた時も全否定してたじゃん!』
間髪入れずに記憶の中の柳江が言う
柳江『向井さんは魅力的だと思う』
実際には柳江はそう言っていないが、既にれぃの脳内で記憶が改ざんされている。
れぃ『あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!』
恥ずかしくて顔を真っ赤にして顔を伏せる。
もしここが自宅のベッドの上なら全身でバタバタ暴れまわっていただろう。
れぃ『そんな訳ねぇ!あたしはホラ……陰キャだし、愛想無いし、無表情だし、チビだし、スタイルも良く無ぇし、可愛げないし、愛想無ぇし……あ、これさっきも言った……あと、ほら、えーっと……口悪いし……』
自分の世界に没頭しているれぃに突如声がかかる。
父「玲奈?」
れぃはビクっと体を震わせる。
母親から連絡を受けた父が仕事帰りにれぃを迎えに来たのだ。
れぃ「た……たまげたぁ!」
父「たまげたのはこっちさ。電話しても出ねぇし、ずっと俯いたまま微動だにしねぇし……あれ?玲奈、顔赤くねぇか?」
れぃ「え?え?顔、赤い?」
父親はれぃの額に手を当てる。
父親「うん、なんかちょっと熱あるかも。急いで帰らず」
車に板と荷物を積み、れぃは後部座席に乗り込む。
父親「寒くねぇか?ヒーターもうちょっと温度上げるか?そこにフリースあるから羽織っときなさい」
れぃ「あ、うん。大丈夫。」
まさか自分が柳江の事を考えていたせいで顔が赤くなってたとは言えないし、認めたくない。
変に大丈夫だと言って顔が赤い理由を父親に追及されるのも嫌なので、れぃはおとなしくフリースを被る。
車のヒーターとフリースの暖かさでれぃはそのまま寝落ちし、自宅に着くまで起きる事はなかった。
れぃが車に乗り込んだ頃、別の場所では車から下りてくる女性が一人。
手にはスーパーの袋を下げている。
玄関の呼び鈴を鳴らすと元気な声で住人を呼ぶ。
ののこ「ちゃーっす!美紅里さん、ののこでーす!」
玄関の鍵がガチャと開き、美紅里が顔を出す。
美紅里「言ってた時間よりちょっと早くない?あたしまだ髪乾かせてないんだけど」
そう言った美紅里は風呂上がりなのか、薄着で頭にはタオルを巻いている。
ののこ「えへへ〜、スタッフ用のシャワールーム混んでたからシャワー浴びずにそのまま来ちゃった。美紅里さん、シャワー貸して下さい!」
美紅里「今さらだけどあんた、ホントに図々しいわね」
そう言うと美紅里はクスと笑う。
ののこ「まぁまぁあたしと美紅里さんの仲じゃないっすか」
悪びれる事なくののこはそのまま浴室に向かう。
ののこ「あ、これ差し入れっす」
スーパーの袋をゴトっと置いて浴室に消えるののこ。
音からして缶ビールやチューハイを買い込んできたのだろう。
やれやれと言った表情で美紅里は袋の中身を冷蔵庫にしまう。
美紅里が髪を乾かし終えた頃、ののこが浴室から出て来た。
ののこ「お風呂頂きました〜」
ののこは下着だけ履き、首からバスタオルを掛けている。
ブラすらしていない。
美紅里「服くらい着て来なさい!」
反射的にそこにあったクッションをののこに投げつける。
ののこ「え〜、暑いんすよ〜」
美紅里「とにかくダメ!」
ののこ「は〜い」
ののこを再び浴室に追いやると美紅里は眉間にシワを寄せ、こめかみの辺りを指で押さえる。
頭が痛いと言った表情だ。
やがて、何も無かったかのようにののこが再び浴室から出てくる。
今度はちゃんとスウェットの上下を着ている。
酒も持って来てるし、泊まる気満々だ。
美紅里「ちょっと紀子、あなたくつろぎ過ぎ。スウェットまで持って来て、泊まる気満々じゃない」
ののこ「そうっすよ」
何を今さらと言った表情が余計に美紅里の癇に障る。
美紅里「あたしは明日も仕事なのよ!」
ののこ「あ、あたしも〜。それより美紅里さん、はい」
ののこは冷蔵庫から買ってきたビールを2本取り出し、1本を美紅里に渡す。
どうにも会話が噛み合わない。
美紅里が次の文句を言う前にののこにビールを手渡され、思わず受け取る。
と、同時にののこのビールがプシッと音を立てる。
美紅里がののこを見た時にはののこは既にビールを飲み始めている。
ののこ「飲んじゃった〜。もう運転できないから帰れな〜い」
美紅里「ああっ!もぅ!」
美紅里もやけになったようにビールを開ける。
ののこ「美紅里さん、あらためてカンパ〜イ」
完全にののこのペースである。
少しうんざりした表情だが、ある意味いつも通りなので、思わず美紅里も笑ってしまう。
美紅里「で?今日は?」
ののこ「ん?」
美紅里「何か話したい事があるって言ってたじゃない」
ののこ「あ〜、それなんですよ」
美紅里「どれよ」
ののこ「うちの妹、どうです?」
美紅里「その事を聞きたくて来たの?」
ののこ「そうですよ」
美紅里「呆れた。別にLINEとか電話でもいいじゃない」
ののこ「美紅里さんの表情見ながら話聞きたいんですよ〜」
美紅里「何よそれ」
ののこ「まぁまぁ来ちゃったものはしょうがない」
美紅里「それは紀子が言うセリフじゃないよね」
ののこはニシシと人懐っこい顔で笑う。
美紅里「はぁ〜〜〜、毎回あんたのペースには振り回されるわ」
美紅里はため息を一度ついた後、ビールをあおる。
美紅里「で?まみの何を聞きたいの?」
ののこ「あ、美紅里さんも真由美の事『まみ』って言うんだ」
美紅里も言われるまで気付かなかった。
いつの間にかそう呼んでいたのだ。
ののこに指摘され、少し動揺した美紅里だが、そこは表情を崩さず、さも当然であるかのごとく振る舞う。
美紅里「他の子達がそう呼んでるから自然とね」
ののこ「あー、ゆきちゃんとれぃちゃんね。あの子達もかわいいよね〜」
美紅里「そうね……。あの子達は他の生徒達が見せる教師と生徒の壁みたいなのを見せないわね」
ののこ「あの子達、美紅里さんの事『美紅里ちゃん』って呼んでますよね?」
美紅里「ほんと、びっくりよ。あたしを何だと思ってるのかしら」
ののこ「ですよね〜。美紅里さん昔っから近寄りがたいオーラめっちゃありますもんね」
美紅里「それを口に出して言うのは紀子くらいのもんよ。なのに紀子……あなた学生時代、よくあたしにあそこまで馴れ馴れしくできたわね」
美紅里も自分に近寄りがたい雰囲気がある事は自覚していた。
ののこ「あー、あたしそう言う雰囲気の人、いじりたくなるんですよ」
美紅里「呆れた!いじるの目的であたしにつきまとってたの?」
ののこ「もちろんそれだけじゃねぇですよ。怖そうで厳しそうで冗談とか一切通じなさそうな雰囲気えれぇ出してたけど、時折ふと優しい目をしてるのも見てましたから」
ののこ自身が自覚していない特技がこれだ。
しっかりと人を観察し、本質を見逃さない。
美紅里は面と向かって言われる事に少し照れくささを感じ、あえて不愉快そうな表情を作る。
美紅里「からかうんじゃないわよ。で?まみの何を聞きたいの?」
ののこ「あー、そうそう。え〜っとね……真由美、かわいいでしょ?」
美紅里「は?」
美紅里はてっきりまみのスノボの上達具合とか、そう言う事をののこが聞きに来たのとばかり思っていた。
だから想定外のののこの言葉に思わず「は?」と答えてしまった。
ののこ「え〜!めっちゃ可愛いじゃねぇですか!」
ののこは東京での暮らしでかなり言葉が標準語になりつつあるが、醉うとやはり地元の言葉が戻ってくる。
美紅里「紀子、ちょっと待って。あなた何を聞いてるの?」
ののこ「真由美が可愛いって事の確認」
美紅里「そうじゃなくて、まみのスノボの上達とかそう言う事を聞きに来たんじゃないの?」
ののこ「あ、もちろんそれも知りてぇ」
美紅里「それ『も』?」
ののこ「いや、だから……真由美、えれぇ可愛いじゃねぇですか」
どうにもののこが何を聞こうとしているのか解らない美紅里はとりあえず話を聞く事にした。
ののこ「顔はあたしにそっくりでそもそも可愛いし」
自分で自分を可愛いと言うののこの言葉に口を差し挟みたくなるのをぐっとこらえ、話の続きを聞く。
ののこ「物静かで借りてきたお人形さんみてぇだし」
それも、ただ単に人見知りで固まっているだけなのでは?と頭に過るが、そこもあえて何も言わず聞き役に徹する。
ののこ「かと思えば、動く時はかなりアクティブに動くしぃ〜」
そこに異論はないが、それと可愛いは関係ないと思う。
だがそれもまた、ぐっと堪える美紅里。
ののこ「かと思えば家でだらけてる時はナメクジみてぇで可愛いんじゃ〜ん」
ののこは頬に手を当て、満面の笑みである。
一方の美紅里は、可愛い物を例える表現としてナメクジはどうなのか。
いや、それ以前に自分は今、何を聞かさせれいるのか、いよいよわからなくなってきた。
ののこ「こないだも真由美ってば、ベットからギリギリ届かねぇ物を取る時、ベットからこう……ずる〜んって軟体動物のようにずり落ちて、物を引っ掴んでまたずる〜んってベットに戻って……」
美紅里「あ〜……紀子?まみが可愛いのはわかったけど、あたしは今、何を聞かされているんだ?」
ののこはキョトンとして美紅里を見る。
ののこ「真由美の可愛い所じゃん」
美紅里「えっと……それは、子猫とかそう言う可愛い物に対してお互い『可愛いよね〜』とか言い合う……みたいなそう言う会話を紀子は望んでいる訳?」
ののこ「そうじゃん」
ののこも「何をいまさら」な顔で美紅里を見る。
さすがに脱力し、ゴンっと言う音を立てて美紅里は額をこたつに打ち付ける。
ののこ「何すか、美紅里さ〜ん。真由美の話しやしょよ〜」
既に3本目のビールの封が切っているののこ。
いつになくピッチが早い。
美紅里「紀子、あんたちょっとまみに対して過保護すぎ」
こたつに突っ伏したまま美紅里が唸るように声を出す。
ののこ「違いやすよ、美紅里さん。あたしは過保護なんじゃなく、シスコ〜ン」
美紅里「自分で言うか……」
ののこ「そうなんスよ。あたし、妹の事えれぇ好きで……。子供の頃、あたしに妹ができた時、超嬉しかったんじゃん。お母さんにも『妹のめんどう見てあげてね』って言われてさぁ〜……あれやこれや世話焼いてたら真由美もあたしに懐いて、いつでもあたしの後ろにくっついて歩くようになってさ〜」
妹に対する推しトークのトーンから、徐々にののこの声のトーンが下がる。
その異変を感じた美紅里はそっと顔を上げる。
ののこ「昔っから人見知りな所あったんだけど、今ほどじゃなかったんじゃん。今みたいな超が付くほどの人見知りって言うか、コミュ症にしてしまったの……あたしのせいなんじゃん……」
そこでののこはまたビールをぐいっとあおる。
ののこ「妹が可愛くて世話を焼いて、そしたら妹が懐いて、めんどうを見てるのを親に褒められて、嬉しくなってあたしがすべきじゃねぇ事まであたしがやるようになってしまって……」
ここまで聞いて美紅里はののこなりの闇を抱えている事を知る。
ののこはまみの極度の人見知りと、それを起因とする友達や人との交流の機会を奪ってしまったと自責の念にかられていたのだ。
ののこ「真由美、あたしのせいで人と喋る経験を積む事ができんで、小中学校の9年間、あらかた一人で過ごして来たんじゃん!」
そう言うとののこは空になったビールの缶をグシャと握りつぶした。
二人の間に少し沈黙の時間があったが、美紅里が口を開いた。
美紅里「紀子……あんたはバカか」