2 月の都 サリアライン姫
空はどんよりと曇り今日も変わる事なく月の光を遮っている。
月の都ールナ・ムーン。王国を象徴する月が顔を見せなくなって三年の月日がながれた。
その空を城のテラスから見つめている者がいる。長い背中までのシルクを思わせる黒髪を紐で一つに結わえて、揺るぎない意志の象徴のような大人びた黒い瞳を雲にあずけし少女の名はサリアライン。ルナ・ムーンの第一王女だ。
「王女」
ひかえめな低い声が背後から彼女を呼んだ。
ふりかえると父の代より騎士団長をつとめる老兵、リオ・シルヴァギアの姿があった。
ここ数年ですっかりはげあがってしまった頭をうやうやしくさげると老兵は言った。
「夜は冷え込みますぞ」
そう言った老兵は彼女と同じように空を見上げる。
「・・・何をお考えで?」
シルヴァギアの問いかけに彼女は苦笑いした。
「あなたにはなにか考え事をしているようにみえたの?シルヴァギア」
「三年前のあの日もこのような空でしたから・・・」
「・・・・そう。きょうでちょうど三年よ。この国が月の加護を失ってから」
ーあの娘を失ってから。
サリアラインの黒き瞳が遠くをみつめるように細くなる。
三年前のこの日、サリアラインは、ーいやこの国はあまりにも多くのものを失った。
失い続けたままきょうで三年目を迎えた。
(三年もたつというのになにも変わらぬままなのか)
いやむしろ三年前よりも状況は悪化している。
『光の大陸』の国々はもはや数えるほどしか存在していない。
数々の国々がヴァリシオンの手により破滅へと導かれる前に『彼の地』へと寝返った。
だが寝返った国にまつのは厳しい兵役と莫大な税金。
戦で命を落とすことよりもつらい地獄の日々だという。
それでも生きる方が民は幸せなのか・・・。
希望のないままに。ここルナ・ムーンも決断のときを迎えようとしていた。
「民の多くは最後まで戦うことを望んでいます。なによりも我々にはあの方をお守りする誇りがございます」
シルヴァギアの言葉にサリアラインは重く頷く。
「そう・・・私達には命に代えても守りぬかなければならない者がいる。でもー」
「でも?」
「隣国のグリフォスから大量の難民がおしよせているわ。戦うとなれば第一に犠牲になるのは彼らよ」
明日の食料にもことを欠く彼らは安い捨て金ともよべる賃金で徴兵に応じるだろう。
やせこけてまともに歩くことすらできない無力な民ー。国を失い、家族を失い、それでも生きることを求める彼らに自分は死を与えるのか?
ぎゆっと拳をにぎりしめるサリアラインにシルヴァギアは小さくため息をついた。
この王女は優しすぎる。
三年前の戦いで世継ぎの王子であるふたり兄と妹たちを失い、国王である父は二度と剣をもてない身体になった。
かわりに国を支えてきた王女は、髪飾りのかわりに質素な紐で髪を束ね、軽やかで豪華なドレスのかわりに重たい鋼の鎧を身につけようとも、それでもやはり王女なのだ。
どうしても女特有の情に判断を左右される。もともと花摘みが好きなおとなしい少女だった。その優しさゆえに傷つくことも多い。
そしてそんな自分と彼女はいつも葛藤しているのだ。
戦乱さえなければ今頃どこかの王国に嫁いでいたかもしれないのに・・・。
戦争はすべてを飲み込み破壊していく。
それでも戦う意味を自分たちはほんとうに必要としているのだろうか?
ヴァリシオンの元につくられる一つの国。それはまたある意味で『聖霊界』とよべないのか?
シルヴァギァは最近そう考えるようになっていた。
むろん、どちらにしろ彼はこの国と運命を共にするつもりなのだが・・・。
「戦いには犠牲はつきものです」
「・・・そうね」
当たり前すぎることを確認されてサリアラインは苦笑する。
傷つかない戦争なんてない。そんな当たり前のことをためらっていては勝利などとうてい夢のまた夢だ。さらにシルヴァギアは言った。
「それにこの国にはグリフォスからの難民を受け入れる余裕はありません。言葉は悪いようですが民の数を整理できるチャンスなのです」
「悪いどころじゃないわね。言葉を慎みなさいシルヴァギア。どこの国の民にも生きる権利はあるわ」
「申し訳ありません」
頭をさけだ老兵が心から彼女に謝ってないことはサリアラインにもわかっていた。
正しいのは彼で間違っているのは自分だということもわかってる。
口にしないことで、自分の行動を正当化しようとする汚い自分がいる。
シルヴァギアの言ったことはいちいち正しい。
『光の大陸』屈指の大国とよばれたここルナ・ムーンですら国民の間に飢餓は進んでいる。
自国の民にすらようやく行き届くかどうかの食料を難民たちに与えることはできない。
そのうちに難民キャンプには餓死したものから異臭が漂い疫病がはやりだすだろう。
それはもはや目前に迫った危険だ。難民は減らさなければならない。
徴兵は相手の戦力を弱めるだけでなく難民を減らすための得策とも言える。
彼女の一言で数千という命が失われる。
ーそれでも守らなければならない。
彼女の愛するこの国を、民を、そしてなによりも『光の大陸』のためにあの娘ー
ーフィオラシアを。
フィオラシア・フィリシア・ルナ・ムーン。
その名のとおりに月と水に愛されし伝説の聖女フィリシアの生まれ変わりとされるサリアラインの最愛の妹。
フィオラシアはいつも彼女は見えないなにかをその透明な瞳で見ていたように思う。
誰よりも戦争を嘆き悲しみ、けれど自ら戦地に赴き兵士たちを看護し励ます強さを持っていた少女。
そこに彼女が存在するだけで兵士たちは奮い立ち、ヴァリシオンとでさえ互角な戦いを続けられたのに。
「お姉様。私に何が起きても信じて守ってくださいますか?」
たっての願いで不毛の地ファシル・アルド・バードを訪れることが決まった旅立ちの朝、妹はそう言った。
思えばこの時、同行する父でもなくふたりの兄でもなく城に残った自分に問いかけたフィオラシアはこれから起こるすべての出来事を予感していたのだろう。
「当たり前じゃないのフィー」
何故、あのとき自分はそう応えてしまったのか?もしもNOと応えたなら何かが変わっていたのか・・・。
遠ざかる小さな背中をひきとめたのならー。
サリアラインの姿に気づき扉の前にいた兵士が剣を彼女にむかって突き付けた。
兜の中から紅い目がサリアラインを見すえる。
その無感情なあかい瞳を見つめ返して、サリアラインは自分にむけられた剣をつかみ扉にふれた。
ーバチッ!
一瞬、金属が触れ合うようなかん高い音がして火花が飛び散った。
それに動じる事なくサリアラインは兵士にその手をむける。
火花にさらされたはずの彼女の手にはなんの傷もない。兵士たちは剣をしまいうやうやしくサリアラインに頭をたれた。
彼女は頷き、重たい扉をおしあける。火花は結界に触れたために起こったもので、兵士たちは彼女が本物のサリアラインであることを確認したのだ。
そうさせるだけの人物がこの部屋にはいる。豪奢な天蓋ベットの傍らに黒いマントをあたままですっぽり覆った人物がいた。
「ごくろうさまヒズ。変わりはないようですね?」
三年前、虫の息だった父と妹をのせた天馬をともない突然あらわれた妖精族の魔女ーヒズ。サリアラインの腰ほどしかない背丈の彼女と外にいる妖精の兵士がいなければとっくにこの城はヴァリシオンの手により崩壊していただろう。
魔女は無言でサリアラインのために位置を確保する。
この魔女もそとにいる兵士も滅多に口を開かない。
妖精たちは人間を嫌っている。
ベットには三年前よりも女らしく成長した彼女の妹ーフィオラシアがその華奢な体には不釣り合いな太刀をもち眠り続けていた。
流れるせせらぎのように清らかな輝きを放つ銀髪に、本来ならサリアラインを優しく見返してくれるはずの深い海色の瞳は今日も閉じられていた
三年間、彼女はこうして眠り続けている。あと何年、待ち続ければ目覚めてくれるのか・・・・。
そっと手をのばしてその頬に触れる。暖かな体温。ほのかに息づく身体。
確かにフィオラシアは成長している。自らを封印し時を待つ。
サリアラインは傍らにいる魔女を見た。
何も語らずただ妹の眠りを守り続ける異種族の民。過去に一回だけ彼女の肉声をきいたことがある。
経験の深さを感じさせる落ち着いた響きで語られたのはちょうど三年前。ヒズがこの城をおとずれた時だ。
突然の兄の死と目覚めぬ妹の姿にパニックになった城を静めたその言葉。
「我が名はヒズ。古き契約により我はこの者を守護する。聖剣アルドの持ち主あらわれし時、月の乙女の呪縛とけるなり」
それっきり今日まで魔女は語る事なくひっそりとフィオラシアを護り得ている。
指はどこうとしても剣を放す事なく眠れる姫は胸に太刀を抱き続ける。
まるでおとぎばなしのようだとサリアラインは思う。
悪の王子に眠り姫。彼女にキスする白馬の王子はいつ現れるのか・・・・。
(疲れてるのかしらこんなことを考えるなんて・・・)
軽くため息をつくと腰掛けていた椅子から立ち上がった。
「それじゃあまた来るわねフィー」
そして魔女に目をむけ返事がないことをわかりつつ言った。
「フィーをお願いしますヒズ」
「ーが来た」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
視線をあげた彼女に魔女はかわることなくただそこにいる。問い直すことは許されなかった。
扉の外に出たサリアラインは呟いた。
確かに魔女はこう言った。
ー時が来た。
闇王子ヴァリシオンが目覚めし七度目の世。深き宿命を負いし子供らが揃いし世界。
時は満ち、光の神々は自らに問う。彼らがつくりだしたものの存在意義を。