9.丹陽への侵攻開始 (地図あり)
興平2年(195年)6月 九江郡 歴陽
蒲や葦を用いたイカダによる奇襲は功を奏し、長江北岸に陣取っていた敵軍の撃破には成功した。
1万近くもいた敵軍はバラバラになり、南岸へと逃げていった。
おそらく敵将の張英や樊能は、本拠地の曲阿に帰って軍を再編するはずなので、当面の脅威は去ったといえるだろう。
さらにこちらは数百程度の犠牲で済んだうえに、千人近い投降兵を吸収できた。
投降兵の中には凌操という勇士もいるので、我が陣営は逆に強化されたことになる。
しかし俺たちは、まだ敵の先鋒を撃破したばかりだ。
次は丹陽を攻略すべく、作戦会議を開いた。
「それじゃあ、周瑜。敵の状況を説明してくれるか?」
「ああ。まず私たちが撃破した張英らは、おそらく曲阿に戻って軍を再編するだろう。それにはそれなりの時間が掛かると思われるが、丹陽郡の秣稜にも、かなりの軍勢が陣取っている。その数は万を超えるという話だよ」
「マジかよ。どんだけ敵は強大なんだ……」
「これが国を敵に回すってことなのか……」
周瑜の話を聞いた将兵から、絶望的なつぶやきがもれる。
俺はそんな空気を振り払うように、明るい話題を提供した。
「まあ、待て。多少は敵が優勢だが、それがまとまって攻めてくるわけじゃない。俺たちが一丸となって立ち向かえば、可能性がないわけじゃないさ。そうだろう? 周瑜」
「ああ、もちろんだ。それに万を超える敵といっても、その大半は平民に毛が生えたような存在だ。十分に勝ち目はあるよ」
「なるほど。それでまずは、秣稜へ向かうのか?」
「いや、その前にやることがある」
周瑜はニヤリと笑うと、地図で歴陽の東側を指差した。
「実はここにある牛渚砦には、敵の物資が保管されてるらしいんだ。これを奪うことで、こちらを強化しつつ、敵に打撃を与えることができる」
「おおっ、さすがは周瑜。頼りになるぜ」
「フフフ、そこからが大変だけどね」
周瑜は謙遜してみせるが、目標が決まったことで、味方の士気が上がった。
この調子で牛渚、秣陵と、攻略してやろうじゃないか。
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興平2年(195年)7月 丹陽郡 牛渚
あれからすぐに準備を進め、俺たちは長江を渡った。
敵から奪ったモノも含め、近隣からかき集めた船と、蒲葦イカダも総動員しての、全軍渡河である。
そうして周瑜の案内に従い、牛渚砦を急襲したんだが、ここには百人ほどの守備兵しかいなかったので、すぐに片がついた。
これにより、6千人もの軍勢が2、3ヶ月は賄えそうな食料と、それなりの武具を手に入れた。
そして補給の目処が立ってひと安心したところで、俺たちは砦に腰を落ちつけながら、周辺に偵察兵を放つ。
すると秣陵の状況が、見えてきた。
「秣陵城の南に、大軍が控えているだって?」
「ああ。秣陵には薛礼という武将が入って守りを固め、さらに窄融という武将が、その南の砦に陣取っているらしい」
「なんで、ふた手に分かれてんだ?」
「どうも窄融の率いる軍勢が、宗教集団らしいんだ。おそらく秣陵の住民と揉めて、城外に出たんじゃないかな」
「なんだそりゃ? 戦争中にいがみ合って、分裂したってか。劉繇のところも、苦労してそうだな」
「フフフ、どうやらそのようだね」
周瑜が苦笑しながら、俺の指摘に賛同すると、他の幹部たちも笑っている。
ちょっと緊張がほぐれたところで、俺は方針を示した。
「よし、まずは窄融の部隊をぶっつぶす。総員、戦闘準備だ」
「「「おうっ!」」」
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あれから数日のうちに、俺たちは窄融の軍に襲撃を掛けた。
敵は万近い兵力ということで、最初はびびっていたが、実際に当たってみると、存外あっけないことが分かる。
「なんだ、ありゃ? まるで素人じゃねえか」
「まあ、そういうことだね。宗教集団が中核になってるから、まともな兵士が少ないんだろう」
「この調子なら、けっこう早く決着がつくか?」
「そうだといいんだけどね」
こちらが歴戦の旧孫堅軍団を中核にしているのに比べ、敵は軍事の素人ばかりのようだ。
おかげで野戦においては、常にこちらが主導権を握り、翻弄していた。
しかしそのせいで、窄融軍は早々に砦に籠ってしまう。
「ちくしょう、一向に出てこなくなったな」
「そりゃあ、あれだけやられればね。向こうには援軍の当てもあるし」
こっちも敵を誘い出そうと、いろいろ挑発してみたのだが、全く引っかからない。
初戦で叩き過ぎたせいか、亀のように閉じこもっていた。
「くっそ、どうするかな。ここはじっくり腰を据えて、この砦を落とすべきか……」
「残念だが、それはやめた方がいい」
「なんでだ?」
「曲阿の密偵から、連絡が入った。近日中に敵は軍の再編を終え、牛渚の奪還に動くらしい」
「マジかよ? ちょっと早すぎねえか」
「残念ながら、事実だよ」
俺たちが窄融軍の攻略に行き詰まっているところに、まさかの凶報である。
張英たちを撃退して、まだ2週間ほどしか経っていないというのに、予想外に立ち直りが速かった。
その情報で、陣営内に動揺が走る。
いや、落ち着け、俺。
こんな状況になるってことは、前世知識で知ってたじゃないか。
それなら歴史をなぞって、方針を決めればいい。
「決めた。秣陵城を先に落とすぞ。夜陰に乗じて、今晩中にあっちまで移動する」
「おいおい、あまり無茶を言うなよ。急にそんなこと、できるわけないじゃないか」
「いいや、敵の意表を突くには、多少の無茶をしなきゃならないんだ。頼む、なんとかやってもらえないか?」
俺は真剣な表情で周瑜に頼みこみ、他の武将にも目を向ける。
すると周瑜がため息をつきながら、仕方なさそうに言った。
「は~~~っ……言いたいことはいろいろあるけど、孫策の言葉にも一理あるね。私の方で案内役を手配するから、みんなは部隊の統率をお願いできるかな?」
「むう……なんとかやるしかないのう」
「それにしても、無茶が過ぎるであろう」
「いやいや、若はそれで良いのです。我らがそれを支えればいい」
「さすが兄貴っす」
仲間たちはなんだかんだいって、自分の仕事に戻っていった。
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興平2年(195年)7月 丹陽郡 秣陵城
いろいろと困難はあったが、俺たちはなんとか夜のうちに、秣陵城まで移動した。
幸いにも、対峙していた窄融の軍に気取られることなく移動でき、さらに秣陵城の方も油断していた。
「掛かれ~っ!」
「「「うお~っ!」」」
ようやく周囲が見えるようになってきた頃、俺たちは敵城へ総攻撃を掛けた。
6千近い兵士が蛮声を上げながら、城壁に取りつき、はしごを立てかけて、登ろうとする。
当然、敵からは矢やら石やらが飛んでくるが、その抵抗は弱いものだ。
予想外の襲撃に、城兵が対応できていないからだ。
あれよあれよと言う間に、複数の地点が突破され、やがて内側から城門が開けられる。
こうなるともう、結果は決まったようなものだ。
実際、その日の昼前には城主の薛礼が逃亡し、敵軍は降伏した。
最初は2千ほどいた敵兵も、半分は討ち取られるか逃げるかしており、残りは降伏した形だ。
それに引きかえ、こちらの損失は2百ほどと、圧倒的に少ない。
数の優位に加え、兵の士気・練度が高く、敵の意表をつけた結果である。
「薛礼には逃げられたようだな」
「ああ、逃げ足だけは速かったらしい」
「ハハハッ、俺たちとしては大助かりだけど、劉繇の人材不足は深刻そうだ。それで、敵の動きは?」
「丹陽の中では、大きな動きはないようだね。ただし曲阿では、いよいよ樊能が軍を動かすらしい」
「そいつらが最後の関門になりそうだな。そっちの監視は大丈夫だろうな?」
「任せてくれよ。ちゃんと長江沿いに密偵は配置してあるから」
「それなら大丈夫だな」
さすがは周瑜、敵への諜報体制は万全らしい。
彼がここまでできるのも、叔父の周尚が丹陽太守として赴任しているのが大きい。
丹陽郡の連絡体制を、彼が利用できるからだ。
いずれにしろ、まずは敵の包囲網を食い破った。
この勢いで、早々に丹陽を手中にしたいものだ。