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【孫策を支えた家臣団】

【周瑜】175~234年

孫策の無二の親友として知られ、その関係は”断金の交わり”と呼ばれる。

字は公瑾。

太尉を輩出するほどの名門一族であり、旗揚げ当時から後ろ盾として大きな存在感を示した。

加えて天才的な作戦指揮能力によって、軍事面でも大きく貢献。

呉王朝成立後は、大将軍として軍部を統制した。



【魯粛】172~229年

周瑜に匹敵するほどの孫策の親友であり、呉王朝の諜報機関を統率した稀代のスパイマスター。

字は子敬。

周瑜と共に天下2分の計を構想し、その諜報能力によって孫策の覇業を支えた。

よく諜報機関を指揮し、情報収集のみならず、敵の撹乱、煽動、破壊工作までをこなす。

特に曹魏戦において、華北で反乱を起こさせた手腕については、語り草になっている。

呉王朝では、丞相直下の軍師として諜報機関を統率した。



【張昭】156~236年

孫策の旗揚げ時から陣営に参加し、その内向きを取り仕切った文官のトップ。

字は子布。

張紘と共に孫策陣営の名士の代表として知られ、”呉の2張”と呼ばれた。

孫策が皇帝になってからも、諫言かんげんするべきことは諫言し、呉政権の重しとして尊敬される。

呉王朝の初代丞相に就任し、名士たちの取りまとめに貢献した。



【張紘】153~220年

張昭と共に、早くから孫策を支えた功臣。

字は子綱。

199年頃から許都へ常駐し、孫策と漢朝の間を取りもった。

彼の働きは孫策に将軍位や官職をもたらし、最終的には呉王への就任も実現させた。

呉王朝では司徒に就任し、よく孫策を支えた。



【陸遜】183~245年

194年に叔父の陸康の説得に駆り出され、孫策陣営に加わることになった名将。

字は伯言。

孫策に心酔しつつも、周瑜の薫陶を受け、優れた軍事能力を発揮した。

2代目の大将軍に就任し、軍をよく統制した。



【黄蓋】154~219年

孫堅時代から呉に仕えた名将。

字は公覆。

襄陽防衛戦と、その後の曹操軍撃破に参加し、よく兵を統率した。

勝利後は驃騎ひょうき将軍を拝命し、”孫呉の5虎将”として勇名をはせた。



【程普】151~215年

孫堅時代から呉に仕えた智将。

字は徳謀。

曹魏戦では建業を守り、後半では合肥、寿春を攻略した。

その後、車騎しゃき将軍を拝命し、”孫呉の5虎将”の1人となった。



【黄忠】148~220年

荊州攻略後に配下となった良将。

字は漢升。

曹魏戦では漢中を守り、後半では長安周辺を攻略した。

また涼州で王を自称していた宗建も、黄忠軍に討ち取られている。

衛将軍を拝命し、”孫呉の5虎将”と呼ばれた。



【太史慈】166~226年

揚州の制圧時に孫策配下となった勇将。

字は子義。

襄陽防衛戦では主力を率い、数的に劣勢な状況でもよく軍を支えた。

河内郡の決戦では、2万もの別働隊で曹操軍の後背地を攻撃して、勝利を決定づける。

その功績により前将軍を拝命し、”孫呉の5虎将”となった。



【甘寧】174~225年

襄陽攻略後に、孫策に見出された猛将。

字は興覇。

曹魏戦では精鋭を率い、その勝利に貢献した。

後将軍を拝命し、”孫呉の5虎将”と呼ばれた。



【諸葛瑾】174~241年

襄陽攻略後に出仕した文官の重鎮。

字は子瑜。

非常に有能でありながら、敵を作らないその人柄は、万人に慕われた。

張昭の後に丞相を務め、政権の安定に寄与した。



【秦松】166~235年

会稽制圧後に出仕した文官の重鎮。

字は文表。

その政務能力は”2張”にも匹敵するといわれ、呉王朝の安定に寄与した。

呉王朝では司空に就任し、よく孫策を支えた。



【龐統】179~234年

襄陽攻略後に見出された軍師。

字は士元。

魯粛の補佐として諜報機関を差配しつつ、益州攻略戦、曹魏戦にも軍師として参加。

よく孫策軍の将たちを補佐した。

呉王朝では太尉を務めた。



【徐庶】178~233年

襄陽攻略後に見出された軍師。

字は元直。

賀斉と共に、異民族の平定に大きく貢献した。

戦働きは少ないが、その知略によって異民族をよく統制し、中華に安定をもたらした。

呉王朝では大鴻臚だいこうろに就任している。



【賀斉】171~227年

会稽攻略後に出仕してきた猛将。

字は公苗。

徐庶と共に異民族の平定に奔走し、大きな貢献を残した。

一部からは悪魔のように恐れられたが、その公明正大な態度から多くの人々に慕われたという。

呉王朝では左将軍を拝命した。



【諸葛亮】181~244年

襄陽攻略後に出仕した文官。

字は孔明。

当初は出仕を断っていたが、孫策じきじきの要請に応じて仕えた。

性格的に少々問題を抱えつつも、兵站計画や兵器開発に、抜群の功績を残している。

後に司金中郎将として、農具や武器の製作を統括した。



【諸葛均】185~243年

兄 諸葛亮と共に出仕した文官。

字は子貢。

ともすると暴走しがちな兄と、周囲の間を取りもった苦労人。

後に度支中郎将として、兵站を統括した。



【馬良】187~242年

襄陽攻略後に見出された俊才。

字は季常。

最初、文官として働いていたが、益州攻略戦から武官として参戦。

地味な仕事もいとわない態度が認められ、安南将軍まで昇進した。



【馬謖】190~258年

馬良の弟で、兄と共に出仕。

字は幼常。

やはり途中から武官に転向したが、益州で失態を演じたため、しばらく戦場から離れる。

後に馬良の副官として復帰し、曹魏戦でも活躍した。

呉王朝では文官に復帰し、最終的には司空を務めた。



【韓嵩】164~225年

襄陽攻略後に孫策に仕えた重臣。

字は徳高。

”2張”なみに孫策の信頼が厚く、その高い能力から大司農を務めた。



【法正】176~220年

益州攻略後に士官した軍師。

字は孝直。

魯粛と共に、丞相の下で諜報機関を指揮した。



【孫賁】168~226年

孫策の従兄弟で、孫堅時代からの宿将。

字は伯陽。

孫策の信頼が厚く、呉王朝では魏王に封ぜられ、北方ににらみを利かせた。



【孫輔】180~244年

孫賁の弟で、兄と共に軍を率い良く戦った。

字は国儀。

呉王朝では平壌王に封ぜられ、涼州を統率した。



【呂範】178~228年

孫策の旗揚げ時からの腹心。

字は子衡。

孫河と共に孫策の身辺を警護し、呉王朝では光禄勲を務めた。



【孫河】170~224年

孫堅時代から呉に仕えた腹心。

字は伯海。

主に孫策の身辺警護を担当し、呉王朝では衛尉を務めた。



【孫権】182~252年

孫策の実弟。

字は仲謀。

呉王朝では合浦王に封ぜられ、南海の貿易や外交を統率した。



【朱治】156~224年

孫堅時代から呉に仕えた宿将。

字は君理。

文武に優れた功臣で、最終的に右将軍まで出世した。

以上で本作の投稿は全てとなります。

お付き合いありがとうございました。

もし楽しんでいただけたなら、下の方の★で評価してもらえると幸いです。

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新作始めました。

それゆけ、孫堅クン! ~ちょい悪オヤジの三国志改変譚~

今度は孫堅パパに現代人が転生して、新たな歴史を作るお話です。

― 新着の感想 ―
[良い点] 三國志が大好きで特に呉が好きだったので、毎回の更新を楽しみにし読ませてもらいました。 完結おめでとうございます。お疲れ様でした。 次回作は「江東の虎」と呼ばれた孫堅が主人公だということなの…
[気になる点] 献帝その後どうなったんでしょう? [一言] 完結お疲れ様でした 投稿ペースもテンポもほどよく読みやすい作品でした 次回作も期待してます!
[良い点] 完結お疲れさまでした。更新ペースが早くテンポも良かったです、次回作も頑張って下さい。
感想一覧
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