63.天の祝福?
建安14年(209年)3月中旬 冀州 魏国 鄴
荀彧の裏切りにより、曹操はあっけなく死んだ。
あまりに予想外な展開に、しばしあっけに取られていたら、今度は荀彧が毒をあおって、後を追ってしまう。
「ひ、ひいっ。2人とも、死んだのか?」
「……はい、どうやらそのようです」
「ならば朕は、助かったのじゃな?」
「そのとおりでございます、劉協陛下。ただちに安全なところへお連れしましょう」
「う、うむ。頼んだ……」
意外に立ち直りの早い劉協の声で、俺も現実に引き戻された。
その後すぐに陛下を連れて安全圏へ逃れると、改めて鄴城へ使者を出し、降伏を勧告する。
するとすでに曹操の死を察知していた敵軍は、若干の混乱の後、降伏した。
そして敵兵の武装解除を進める間、俺は劉協の相手をしていた。
「それにしても世の中は、分からないものじゃな。あれほど恐ろしかった曹操が、こうも簡単に死ぬとは」
「ご心労、お察しします。長い間、曹操に利用されてきたのですから、緊張することもあったでしょう」
「フッ……まあ、な」
自嘲気味に笑いながら、劉協が遠い目をする。
実際問題、緊張するどころでなくて、命の危機を感じることもあったはずだ。
たしか200年ごろには、董承が主導で進めた曹操暗殺計画が露見し、劉協の側室を含む関係者が処刑されている。
その後の生活が、安らかであったはずがない。
そんな話をしているうちに、鄴城の接収が進み、俺たちは劉協を伴って入城を果たした。
そして寝床の確保など、雑事を片づけると、身内だけで集まって戦勝祝いの宴を催す。
「我が軍の勝利に、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
一気に酒を飲み干すと、ガヤガヤと雑談が始まる。
「おめでとうっす、兄貴。これで中華は兄貴のもんっすね」
「ばっか、呂範。あんまりそういうこと言うな。すぐ近くに天子さまがいるんだからな」
「あ、そうだったっすね。テヘヘ」
そう言う呂範の顔は、まるで悪びれていなかった。
逆にあおろうとしていると思えるほどだ。
すると呂範に限らず、周りの連中も悪ノリを始めた。
「いや~、しかし曹操も、意外にあっけなかったですな。華北の覇王を称していたわりに、情けない」
「しかりしかり。まあ、孫策さまに掛かれば、当然かもしれませんが」
「そうですな。我らが覇王、孫策さまにかんぱ~い!」
「「「かんぱ~いっ!」」」
「だからやめろって、お前ら」
早くも酔っぱらいはじめたオヤジどもが、俺の制止も聞かずに騒ぎまくる。
俺が諦めて周瑜と話そうと思っていたら、その場に兵士が駆けこんできた。
「孫策さま! なにやら夜空に異変が見られます」
「異変だと?」
ただならぬ雰囲気に、急いで外に出てみると、夜空に光の帯が乱舞していた。
「な、なんだ、あれは?」
「何かの凶兆か?」
「いや、あれほど美しいのだ。吉兆であろう」
外に出ている兵士たちが、空を見上げながら騒いでいる。
それもそのはずで、夜空には見事なオーロラが広がっていたのだ。
幻想的な光の帯が、鮮やかに夜空を彩っている。
そのあまりの見事さに、しばし見とれていたら、いきなり周瑜が声を上げた。
「皆の者、あの光こそ逆賊曹操を倒し、漢朝を正道に戻した呉王さまを、祝福するものではないだろうか?!」
「おい、周瑜。何を言いだすんだよ」
俺の問いかけにもかまわず、周瑜は言葉を続ける。
「それはつまり呉王さまは、天に認められたのではないかと、私は思う」
その言葉で一瞬しずまりかえってから、周りの人々が騒ぎはじめた。
「天に認められたって、それは天子さまのことか?」
「いやいや、天子さまはもういるじゃねえか」
「だったら次の天子さまじゃねえか?」
「それはおめえ……」
そんな会話が飛びかう中で、ふいに周瑜はひざまずき、俺に臣下の礼を取った。
そしておごそかな声で唱えたのだ。
「呉王さま、バンザイ」
すると周りのヤツらも一斉にひざまずいて、周瑜にならった。
「「「呉王さま、バンザイ!」」」
突然のことに俺が動けないでいると、周瑜が立ち上がり、何もなかったかのように声を掛ける。
「さあ、みんな。改めて今日の勝利を、祝おうじゃないか」
「うっす、朝まで飲むっす~」
「フハハッ、めでたいのう」
「よ~し、飲むぞ~」
元の雰囲気に戻ったことに安心して、俺も室内へ戻ろうとすると、少し離れた場所にいる劉協と、目が合った。
”やべ、今の見られたな” と思いつつ、声を掛けるべきか悩んでいると、彼は少しきまずそうにしながら、屋内へ下がってしまう。
俺も少しきまずい思いを感じながら、”まあ、なんとでもなるか”と思いながら、宴に戻ったのだ。
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グッドモーニング、エブリバディ。
孫策クンだよ。
夜遅くまで飲みまくっていたが、翌日も朝からお仕事だ。
まずは城内の状況を確認しつつ、必要な指示を出していく。
城内はおおむね調査が終わり、曹操軍の残党もおとなしくしているようだ。
さらに各地の情報を取り寄せ、今後の動きについても話し合った。
建業と漢中には昨日中に手紙を送ってあるので、すでに兵を出して事態の収拾に動いているだろう。
おそらく遠からず、長安や合肥などの重要拠点も、制圧できると見ている。
そんなことに没頭していたら、急に劉協陛下から呼び出しが掛かった。
皇帝つきの侍従に案内され、俺は中庭の東屋へと連れていかれる。
「孫策さまが参りました」
「うむ、そこに座ってくれ」
言われるままに対面に座り、神妙にしていると、彼が喋りはじめた。
「今さらだが、昨日はよくやってくれたな。おかげでこうやって朕は、生きていられる。誠に大義であった」
「ははぁっ。お役に立てたなら、これ以上の喜びはありません」
「フッ、そうかしこまらんでもよいぞ。しょせん朕は、なんの力も持たない傀儡だからな」
「そんなことは――」
「だから建前はよいと言っておる。無礼をとがめたりはしないから、もっと楽に話してくれ」
「そう言われましても……」
劉協の真意を測りかねて、俺は口ごもる。
すると劉協はおだやかな顔で、また話を続けた。
「ところで、昨晩の光の乱舞は、見事であったな」
「ええ、きれいでしたね」
「うむ。あれはたしかに、天が祝福していると言われても、信じたくなるものだ」
「ハハハ、それはちょっと、どうかとは思いますけど」
「しかし偶然というには、あまりに出来すぎであろう?」
「それはまあ、そうですね」
劉協はそこで一拍おくと、驚きの言葉を吐いた。
「うむ。そしてな、祝福されているのは、朕ではないと思うのだ。昨日、言われていたように、孫策。おぬしのことだと思う」
「……いやいやいや。そんなことないですよ! 陛下でしょ、うん」
俺が冗談ぽく返すと、劉協は苦笑してから、こう言った。
「のう、孫策。おぬし、皇帝になってくれんか?」