幕間: 曹操クンは間違った?
建安13年(208年)5月 冀州 魏国 鄴
「クハハッ、孫策のヤツ、まんまと命令を拒否してきおったわ。これで遠慮なくヤツを、攻め滅ぼせるというものじゃ」
「しかし曹操さま。うかつに攻め寄せるのは、危険ではないでしょうか? 聞けば孫策は、漢中、襄陽、建業において、軍備を強化しているようです」
「フン、儂はこの華北を制したのじゃ。そんなもの、恐るるに足らんわ」
「しかし……」
「くどいっ! ただちに襄陽へ向けて、軍を進めよ」
「……かしこまりました」
儂が強く命じると、ようやく荀彧が動きだす。
まったく心配性なヤツじゃ。
華北を制した儂が、孫策ごときに負けるわけがなかろう。
むしろ時間をおけば、孫策に余裕を与えてしまうであろうに。
待っておれよ、孫策。
貴様を倒して、この中華を手に入れてやるわ。
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建安13年(208年)7月 荊州 南陽郡 鄧城
「10万以上の兵が布陣しておるとは、さすがじゃな」
「は、しかも敵の城内にも、多くの兵が配置されていると思われます。城を落とすにはいささか心許ないかと」
「フン、すでに追加の兵力も手配済みじゃ。まずはひと当たりして、弱点を探り出せい」
「は、かしこまりました」
荀彧にそう命じてから、今度は郭嘉に訊ねる。
「郭嘉。江南での反乱の手引きは、進んでおるな?」
「はい、予定どおりに進めております。すでに指示は出してあるので、いずれ朗報が届くかと」
「うむ、今後も手をゆるめるでないぞ。それから賈詡の方はどうじゃ?」
賈詡には敵の調略を命じてあった。
しかし彼は平然と報告するものの、その内容はかんばしいものではなかった。
「は、残念ながらはかばかしくありません」
「なぜじゃ? それほどに守りが堅いのか?」
「はい。ある程度以上の人物に接触すると、必ず密偵が捕まってしまいます。敵の重臣の忠誠心の強さは、生半可なものではないかと」
「くっ……おもしろくないのう。やむを得ぬ。今後は情報収集に励め」
「は、承知いたしました」
くそっ、生意気な。
あれだけの大所帯なら、普通は調略に困らないはずなのに。
しかしまあ、反乱の手引きは進んでおるのじゃ。
なんとかなるであろう。
今に吠え面かかせてやるわい。
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建安13年(208年)8月 荊州 南陽郡 鄧城
おかしい。
孫策の討伐が、一向に進まん。
こっちは20万もの大軍で攻めているのに、敵は城を巧みに使って、なかなかボロを見せない。
それどころかこちらの消耗が多すぎるので、一時的に攻勢を控えねばならなかったほどじゃ。
ようやく追加の兵力を加え、入れ替わり立ち替わりで攻めても、なお崩れん。
郭嘉に命じて、江南で反乱を起こさせてもいるのに、考えられんほどのしぶとさじゃ。
おまけに”官渡の戦い”で活躍した霹靂車を投入したら、同じような兵器で仕返しをされてしもうた。
まったく、忌々しいヤツじゃ。
そんなことを考えていたら、陣幕に伝令が駆けこんできた。
「曹操さまっ! 司隷や徐州で反乱が起きた模様です!」
「なんじゃとっ! それは確かか?!」
「はっ、許都からの正式な連絡です」
「ぐぬう……孫策めの謀略か?」
儂が歯ぎしりしながら問うと、郭嘉がそれを肯定する。
「我々がやっているのですから、敵もやると考えるのが妥当でしょう。しかも戦闘が始まってすぐではなく、予備の戦力を呼び寄せてから、反乱を起こさせる辺り、実に狡猾です」
「たしかに、後方の戦力は極端に少なくなっていますから、効果的ですな。この分では、他の州でも反乱が起きている可能性が……」
「ぐうっ、孫策めぇぇ」
儂は怒りに目がくらみそうになりながらも、考えを巡らす。
「……荀彧! ただちに兵の一部を返して、反乱を鎮圧させるのじゃ。同時に他でも起こっていないか、確認せよ!」
「はっ、ただちに」
とりあえず手を打ったが、事態はそれだけで収まらなかった。
なんと并州や青州でも大規模な反乱が起き、冀州や兗州でもそれに続く動きが見られたのだ。
ここまでくると、兵の大部分を返さねばならん。
「……ぐううっ。悔しいが、兵を返さねばならんな。この鄧城で敵を足止めしている間に、残りの全軍で反乱を鎮圧するのじゃ」
「それしかありませんな。ただちに計画を作成します」
「うむ、頼むぞ」
おのれ、孫策。
なんと狡猾なヤツよ。
この落とし前は、必ずつけてやる!
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建安13年(208年)9月 豫州 潁川郡 許都
「馬鹿なっ! 鄧城が落ちただと? 何かの間違いではないのか?!」
「はっ、残念ながら事実のようです。夏侯淵、徐晃どのは討ち死にされ、于禁、満寵どのは敵に降伏したとのこと」
「なんでじゃ~っ!」
あまりの悲報に、机をひっくり返してしまった。
兄弟同然の夏侯淵が、死んだだと?
信じられん。
いや、信じたくない。
そもそも鄧城には、6万もの兵を残していたはず。
それをこの短期間で打ち破っただと?
まさか、密偵による内部工作か。
「何か謀略を仕掛けられたのか?」
「いえ、それが投石機による攻撃で、城壁が壊されたようです。こちらの想像を超えるような、新兵器を使われたのではないかと」
「ぐうっ、またか…………やむを得ん、鄴へ遷都じゃ。天子を動かせ」
「そ、それは!」
「問答無用じゃ~っ! ただちに作業に掛かれ~っ!」
「「「ははっ」」」
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建安14年(209年)1月 司隷 河内郡 汲北部
「曹操さまっ、朝歌が攻撃を受けています」
「なんじゃとっ! たしかか?!」
「は、太史慈が率いる軍に、奇襲を受けた模様です」
「くそっ、ただちに援軍を送れ!」
河内郡で孫策と対峙しておったら、一部が後方に回りこんだという。
おかげで兵が浮ついていたところへ、敵が総攻撃を掛けてきた。
「敵の騎兵隊が右翼の後方に回ろうとしています。右翼が壊走しはじめました!」
「くそ~っ、なんでじゃ~っ!」
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建安14年(209年)3月 冀州 魏国 鄴
とうとう我が城が、孫策どもに囲まれてしまった。
冀州の各地に配置していた軍も、周辺から攻撃を受けていて、身動きが取れん。
このままではジリ貧じゃ。
いや、それどころか、孫策は新兵器を使って、城壁を破壊してきおった。
かくなるうえは、天子を人質にして、撤退を迫るしかない。
儂は孫策本人を呼び出して、じかに脅しをかけてやった。
「ただちに軍をひけっ! さもないと……」
「さもないと、なんです?」
「さもないとこうだっ! 分かったか?!」
「ひ、ひぃっ……た、助けてくれ」
頭に来たので、劉協に短剣を突きつけてやった。
ここまで来たら、何をやっても一緒じゃ。
しかし孫策は一向にひるまん。
「諦めなされ、曹操どの。もう勝敗は決しました」
「まだじゃ、まだ決まっておらんぞ。なにしろ天子は、この手にあるのだからな」
「しかし天子を人質に使っている時点で、もう誰も従いませんぞ」
「いいや、まだ儂には、忠勇なる兵士が何万人もついておる。まだまだこれからよ!」
「曹操どのっ! 目を覚まされよ。これ以上の――」
その時ふいに、左わき腹に激痛が走った。
驚いて後ろを振り向けば、そこには荀彧がいる。
「ぐ、ぐお……な、なぜじゃ、荀彧?」
「申し訳ありません、曹操さま。しかしやってはいけなかったのです。天子さまを人質に取るなど……」
荀彧が泣きながら、儂にわびている。
急激に力が抜けて地面に倒れると、短剣が抜けてさらに血がほとばしった。
こんなところで、儂は死ぬのか?
もう少しで中華を統一できたというのに。
儂はどこで何を、間違った?…………