60.許都での会盟 (地図あり)
建安13年(208年)10月下旬 豫州 潁川郡 許都
南陽郡を奪還してから1ヶ月足らずで、俺たちは許都へ到着した。
その間、都市を4つも落としているが、どこも最低限の兵士しか置いていなかったため、さほど苦労もなかった。
2つはさっさと降伏してきたし、もう2つは住民の内応で簡単に落ちたからだ。
そうしてたどり着いた許都は、あっさりと城門を開いたのだが、中身はまるでゴーストタウンのようだった。
「うわ~、ひどいっすね。まるで廃墟みたいっす」
「ああ、上流階級は、すっかり逃げ出したみたいだな」
曹操の強引な遷都によって、天子と行政機構はまるごと冀州へ移された。
するとそこに住んでいた上流層も、金目の物を持って逃げ出したのだろう。
残されたのは、そんな余裕もない下層民ばかりだ。
おかげで略奪や殺人、暴行などが頻発し、華やかだった首都は、まるで世紀末の様相を呈していた。
天子のいた宮殿も、目立つ装飾などがはぎとられ、無残なありさまである。
仕方ないので我が軍の兵士が、都市の警備や宮殿の修築に乗り出し、治安の回復に努めた。
すると徐州の昌豨、弘農の張琰、河内の張白騎といった群雄が、許都へ集まってきた。
他にも并州の高幹、青州の管承、徐和という奴らが決起しているが、彼らは冀州に集結した曹操の軍団に備えて動けないので、その名代を寄こしてきた。
俺はそんな奴らを集め、曹操討伐の宣言をする。
「俺が呉王 孫策だ。皆も知ってのとおり、漢の天子であられる劉協陛下は、奸臣 曹操に連れ去られた。残念ながら、我らが仕える漢王朝は、存亡の危機にあると言っていい。かくなるうえは曹操討伐のため、軍を発するつもりだ。諸卿らは俺と一緒に進む意志があるか?!」
「おおっ、俺も行くぞ!」
「我もだ!」
「曹操を打ち倒せ~!」
全ての群雄が、俺に賛同の意志を示してくれる。
そんな彼らに応えるように、俺は最後の号令を掛けた。
「あい分かった。それでは皆で冀州へ攻め寄せ、漢の社稷を取り戻そうではないか。出陣だ!」
「「「おお~っ!」」」
こうして俺たちは、いくらかの協力者を得て、冀州攻めに取りかかったのだ。
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建安13年(208年)12月 司隷 河内郡 汲
他勢力を含め、20万を超える軍勢で北上を開始した。
まず豫州から司隷に入り、黄河を越えるまでの河南尹は、順調だった。
しかし黄河を渡って少し北上すると、行く手に敵が立ちふさがる。
元々、曹操は魏国の黎陽に兵を集め、こちらの動きを見守っていた。
そしてこちらが河内郡を北上するのに応じて、朝歌という都市に軍を移動させてきたのだ。
やむを得ず俺たちは、その手前の汲という都市を拠点とし、曹操軍との戦いに備えた。
「敵の総数は?」
「は、おそらく20万を超えているかと」
「ふむ、ほぼ同等か。それならば、一戦して片づければよいのではありませんかな? なにしろ我らは、曹操軍に勝ち続けておりますからな」
「おお、我らに掛かれば、曹操軍なぞ恐れるに足りんであろう」
魯粛の答えに、周泰や甘寧が勇ましいことを言う。
しかし黄蓋や太史慈などの重鎮は、渋い顔をしたままだ。
その理由を知る周瑜が、たしなめるように言う。
「平地での野戦こそ、曹操軍の得意とするところだ。その兵の練度や騎兵の多さなど、決して侮れないだろうよ」
「しかし我らとて、騎兵を増やし、訓練を重ねてきたのだ。そう劣ることも――」
なおも言い募る周泰に、俺が口をはさんだ。
「いいや、今回に限っては、うかつに攻めるべきじゃない。相手はあの曹操だ。下手をすれば、大敗しかねないぞ」
「むう……ならば、どう攻めると言うのですか?」
「やることは今までと変わらないさ。簡単には負けない態勢を作って、じわじわと相手の力を削る。そして隙あらば、乾坤一擲の勝負を仕掛けるんだ」
すると周瑜がそれに同意しつつ、具体的な目標を示した。
「そうさ。まずは野戦陣地を構築して、櫓を立てるんだ。そこまで行けば、我々の指揮によって、いい勝負ができるだろう」
「ああ、襄陽でやったことをやるんすね? たしかにあれは、上手くいったっすからね」
「そういうことさ。あとはみんなの奮闘しだいで、敵を倒せるだろう」
「なるほど、そういうことか」
「ま、やることはあまり変わらんな」
今後の戦闘方針について、理解が広がるにつれて、みんなの顔が明るくなってきた。
そこですかさず、俺が号令を掛ける。
「よ~し、この調子で、曹操の軍をぶっとばしてやろうぜ。そしてこの中華を、統一するんだ」
「「「おお~っ!」」」
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その後、俺たちが北上すると、曹操軍も南下してきた。
そして朝歌と汲の中間ぐらいで、俺たちはにらみ合う。
「急げ、土壁を作るんだ!」
「こっちへ資材を持ってこ~い!」
事前に調べておいた小高い場所に陣取りながら、味方は土木工事に励んでいた。
それまで何もなかった平原に、にわかに野戦陣地が構築されていく。
まだ矛を交えてはいないが、すでに戦いは始まっていた。
「フフ、工兵隊がいい仕事をしているね」
「ああ、このために訓練してきたからな」
野戦陣地の構築に奔走しているのは、新たに創設した工兵隊だった。
俺たちは成都の攻略に際しても、野戦陣地を活用した。
その経験もあって、いかにすばやく工事をするのが大切かという考えが浸透し、工兵隊の創設に至ったのだ。
戦闘は苦手だけど、力は有り余っている。
そんな連中を集め、スコップやツルハシを持たせれば、工兵隊のできあがりだ。
しかし数十人ならいざ知らず、数千人もの工事を指揮できる指揮官なんて、あまりいるものじゃない。
そう思っていたら、思わぬところに良い人材が転がっていた。
「諸葛亮さま、北側の土壁は終了しました」
「よし、次はこれを持って、東側へ回れ。均、次のはできたか?」
「はい、兄さん。これでお願いします」
「よくやった。さあ、次のに取り掛かるぞ!」
なんと諸葛兄弟が、大活躍してくれたのだ。
彼らは普段、兵站計画と兵器開発に従事しているが、その過程で建築にも関わることがあった。
というのも、俺が開発を指示した平衡錘投石機は、高度な建築技術を求められたからだ。
当然、野戦陣地に投石機を据える仕事もあるわけで、その過程で諸葛亮が口を出すことが多くなった。
そうこうしているうちに、”じゃあ、お前がやれよ” みたいな話になって、諸葛兄弟が総監督に就くことになったのだ。
兵站業務自体は、戦争が始まってしまえば、後方の官僚機構が担当するという事情もある。
そして諸葛亮というのは、本当に頭のいいヤツで、実に効率よく工事を進めてくれるのだ。
さすがは史実で、軍政の天才と呼ばれただけはある。
もっともこの世界の彼は少々、人格的に問題があって、現場とぶつかることも多いのだが、諸葛均が間に入ることで解決した。
諸葛均は人当たりがよく、目端も利くので、兄の足りないところを、よく補ってくれるのだ。
おかげで工事は驚異的な速さで進み、簡易的な櫓が立った時点で、敵があわてて攻めてきた。
「敵、右翼と左翼が押し出してきます。その数およそ2万ずつ」
「ふむ、そう来たか。至急、この指示を黄蓋どのと韓当どのへ」
「「はっ」」
櫓上からもたらされる情報を、周瑜がサクサクと整理して、指示を出す。
もちろんその横には俺と魯粛がいて、彼を補佐している。
しかも俺なんか、ちょくちょく櫓に昇って、敵の動きを見たりしていた。
「おい、周瑜。右翼の動きがおかしいぞ。なんか企んでる」
「うん? どんな風にだい?」
「こいつらがこっちに――」
そんな感じで指揮を執っている我が軍は、優勢に戦いを進めていた。
やはり高所から状況を見られるというのは、それだけで有利なのだ。
この世界でも繰り広げられた”官渡の戦い”では、やはり袁紹軍が櫓を建て、優位に立ったらしい。
それを潰すために投入されたのが、霹靂車ってわけだ。
今回も敵は櫓をつぶしにくるだろうが、分かっていれば対応のしようはある。
こうして曹操との一大決戦が、始まろうとしていた。