58.孫策の逆襲
建安13年(208年)8月中旬 荊州 南郡 襄陽
「敵の一部が後退してるって?」
「はい、後方に下がっていた部隊や、こちらへ移動中の部隊が、華北へ引き返しはじめました」
「フフフ、これも孫策の悪だくみのおかげだね」
「バカ言え。俺はちょっと、群雄の背中を押してやっただけだ。なあ、魯粛」
「そうですな。火種はいくらでも転がっておりますから」
「だったらもっと早くやって欲しかったな」
「こういうのには、好機ってのがあるんだよ」
つい最近まで、曹操軍の猛攻にさらされていたというのに、軽口を交わすほどの余裕が、俺たちに生まれつつあった。
その原因は、華北で勃発した反乱の嵐だ。
魯粛の諜報機関は、以前から華北の不満分子に接触して、情報と資金を提供していた。
そして頃合いよしと見るや、一斉に反乱を促したのだ。
それには伝書バトによる通信が、威力を発揮したのは言うまでもない。
これによって大きなとこだけでも、并州の高幹、徐州の昌豨、青州の管承、徐和、弘農の張琰、河内の張白騎などが兵を挙げた。
しかもほぼ同時発生であり、さらに周辺の小勢力もそれに呼応するのだ。
華北は一気に、戦乱の様相を呈してきた。
さすがの曹操も、これには顔を青ざめさせているだろう。
なにしろ40万近い兵士を、襄陽周辺へ投入していたのだ。
おかげで各地の防備はスカスカで、突然の反乱には対応しきれないはずだ。
そのため大慌てで、兵力を引き戻しはじめたのだ。
「さて、どれほどの兵力が残るかな?」
「まあ、こっちもほっとけないだろうから、半分ぐらいじゃねえか」
「どうだろうね。いずれにしても、今度はこっちの番さ」
「ああ、たっぷりとお返しを、してやろうじゃないか」
そう言って俺たちは、獰猛な笑みを浮かべていた。
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建安13年(208年)8月下旬 荊州 南郡 襄陽
あれから1週間ほどで、曹操の狙いが見えてきた。
敵は襄陽の北 十数キロに位置する鄧城周辺に、数万の兵士を置き、残りは華北へ撤退していったのだ。
「案の定、閉じこもったね」
「ああ、鄧城の兵力でこちらを牽制してる間に、反乱を鎮めようって魂胆だな」
「フフフ、それがこっちの狙いとも知らずにね」
「まあ、普通なら、倍かそこらの兵力じゃ落とせないからな」
密偵の報告では、鄧城とその周辺の野戦陣地に、6万前後の兵士が残っているらしい。
城攻めに3倍の兵力がいるとすれば、18万は必要になってくるし、犠牲も大きいだろう。
ただし普通のやり方なら、だ。
「それじゃあ、しばらく小競り合いをしてる間に、準備を進めようか」
「ああ、華北を取りにいくぞ」
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「放てっ!」
その号令と共に、重さ百キロはありそうな石が、うなりを上げて飛んでいく。
やがてその巨岩は、400メートルほど先の地面に着弾し、盛大な土ぼこりを巻き上げた。
「ちょっと近すぎる。照準を修正しつつ、次弾装填」
「「「おおっ!」」」
諸葛亮が陣頭に立って指揮しているのは、新たな投石機だ。
それも霹靂車をマネたやつではない。
さらに強力な性能を持った、平衡錘投石機だ。
西洋ではトレビュシェットとも呼ばれる、強力な兵器である。
これはテコを人力で引っ張るのに代わり、巨大な錘の位置エネルギーを利用する。
おかげで人力では不可能な重さの石を、より遠くへ飛ばせるようになった。
この投石機は、本来なら西洋で12世紀ごろに開発されるもので、中国でも13世紀に使われている。
それはモンゴル帝国が南宋を滅ぼすきっかけになった、襄陽・樊城の戦い(1273年)である。
一向に落ちない襄陽の攻略にいらだったフビライ・ハーンが、ペルシアから技術者を呼び寄せて、投石機を作らせたらしい。
そのため”襄陽砲”とか、”回回砲”と呼ばれている。(回回とは西アジアの意味)
つまりこの平衡錘投石機は、史実より千年も早く開発された、オーバーテクノロジーな兵器なのだ。
しかし原理さえ分かっていれば、作れないこともない。
そこで俺はうろ覚えの知識を諸葛兄弟に伝えながら、その開発を指示していた。
さすがに難航はしたが、諸葛亮たちを雇ってすでに6年も経つ。
彼らの優秀な頭脳と、モノ作りに対する情熱によって、こうして日の目を見ることになったのだ。
そして何回目かの砲撃で、とうとう城壁の一部が崩れた。
「うお~っ、やった~! 見た見た? 孫策さま。これが”諸葛砲”の威力だよ!」
「ちょ、兄さん。興奮しすぎだよ」
またまたハイテンションで、諸葛亮がはしゃぎまくる。
それをなだめる諸葛均も、平常運転だ。
「ああ、見事なもんだ。これでお前たちの名前も、歴史に残るな」
「そうでしょ、そうでしょ? 後世の人間よ。稀代の天才 諸葛亮の名を知れ~! フウハハハ~」
「やめてよ、兄さん。恥ずかしいじゃないか……」
諸葛亮が胸を張りながら、バカ笑いをしている。
自分の名が後世に語り継がれることを想像して、悦に入っているのだろう。
俺は諸葛亮を雇った時の約束どおり、武器に彼の名前を付けることを許した。
今回は諸葛均と一緒に作ったのもあって、新たな投石機は”諸葛砲”と呼ばれている。
ちなみにこの時代の城壁は、版築という工法による土壁だ。
それは型枠に入れた土を何回も突き固め、積み重ねていく地味なやり方である。
非常に手間隙は掛かるが、材木資源が乏しくなりつつあった華北では主要な工法になっている。
土とはいえ、それなりの強度を持っているから侮れない。
ただし水にさらされ続ければ崩れてしまうので、降雨時は城壁上に枯れ草を敷き詰めて、水を防がなきゃならなかったなんて話もある。
それからレンガはこの時代にもあるが、日干しか低温で焼成した簡易レンガぐらいしかない。
本格的にレンガを焼くには、膨大な燃料がいるからだ。
万里の長城をレンガで建造した明の時代には、周辺の山が丸ハゲになったらしいな。
そんなわけで、レンガ壁ほど強固でない城壁に、半日ほど掛けてたっぷりと巨石を叩きこんでやった。
さすがに百キロ近い石を何発もくらえば、城壁もガタガタになる。
やがて一部の城壁が大きく崩れ、城内への侵入が可能となった。
「攻め落とせ!」
「「「うお~~~っ!!」」」
城壁の崩壊を見るやいなや、味方の突撃が始まった。
数万もの軍勢が進入路へと殺到するのを見て、敵兵が慌てているのが、遠目に見える。
とんでもない巨石の連続攻撃によって、被害は出ているだろうし、士気も大きく下がっていることだろう。
案の定、通常の攻城戦よりもはるかに簡単に、城内へ侵入できた。
やがて城門が内部から開放され、さらに多くの兵士が突入していく。
それを見ていた周瑜が、安心したように言葉をもらす。
「どうやら勝ったようだね」
「ああ、まだ油断はできないが、山場は越えたな」
「それもこれも、諸葛砲のおかげだね。それにしても孫策は、よくあんなのを考えついたね?」
「いや、俺だけで考えたんじゃないさ。諸葛亮と諸葛均が、がんばってくれたおかげだ」
「フフフ、そういうことにしておこうか」
訳知り顔でそう言う周瑜に、俺はあいまいに笑っておいた。
さすがに前世知識を元に作ったなんて、言えないからな。
いずれにしろ、最初の難関である鄧城は、これで落ちた。
それは曹操にとって予想外の速さであり、彼の戦略を根底から覆すことになるだろう。
この勢いのままに逆襲すれば、ヤツも簡単には対応できまい。
待ってろよ、曹操。