57.こっちにもあるんだけどね
建安13年(208年)7月中旬 荊州 南郡 襄陽
襄陽で曹操軍との戦いが始まって1週間もすると、俺の足元でも騒動が起こっていた。
「会稽郡で、山越賊の反乱が発生しました!」
「荊州の武陵郡で、異民族が蜂起しました!」
「益州の永昌郡で、南蛮の兵が――」
「交州の鬱林郡で――」
華南のあちこちで、反乱の火の手が上がっていた。
しかしそんな報告が入っていても、俺たちは落ち着いたものだ。
「フウッ、あちらも相当に気合いを入れて、準備をしていたみたいだね」
「ああ、まったくだ。これだけの広範囲で、しかも時期を揃えてくるんだからな」
「フフフ、まあ、予想の範囲内ですけどね」
「まあな」
反乱の数自体は10ヶ所ほどと、かなり多い。
しかしその規模はどれも小さく、各地に残してある戦力で、十分に対処が可能なものだった。
反乱自体は厄介なものの、あらかじめそれが起こると分かっていれば、それほど恐れるものではない。
それに華南の地は益州ですら、俺が治めはじめてからすでに4年も経つのだ。
その安定度ときたら、曹操の治める華北とは比ぶるべくもない。
おかげで周瑜や魯粛も、平然としたものだった。
「こちらからはまだ、仕掛けないのかい?」
「ああ、もうちょっと敵が、食いついてからにしようと思ってる」
「しかし敵は、どんどん増強されてるんだよ。あまり欲張ると、足元をすくわれないかな?」
「ん~、まあ、それが難しいところだけどな」
「まあ、こちらは伝書バトが使えますからな。なんとかなるでしょう」
当然のことだが、俺たちも華北に反乱の芽を仕込んである。
しかもこちらには、伝書バトという便利な連絡手段があるのだ。
これによって、最大の衝撃効果を狙おうと考えていた。
「ふむ、孫策がそう言うなら、任せるけどね。しかしこちらも、いつまでも保たせられないよ」
「ああ、それは分かってる」
なにしろ曹操はアホほど兵士を投入してくるし、騎兵も豊富である。
おかげで我が軍は徐々に消耗していた。
「早くも5千人が、戦線離脱か」
「ああ、こちらも補充はしてるけど、戦力の低下は否めないね」
すでに千人ほどの死者と、その4倍もの負傷者が戦線を離脱していた。
おかげでいくらかの戦力低下は見られるが、士気はまだまだ高い。
なにしろこちらは、複数の城を根拠地にできるのだ。
交代で城壁の中で休息できるので、野営ばかりの敵軍よりはよほど楽になる。
特に樊城や襄陽城の中には、それなりの規模の色街すらあるのだから、ただの野営とは段違いだ。
もっとも曹操軍だって、20万もの軍隊を動かすのだから、かなり大きな野戦陣地を築いている。
それに続々と到着する援軍と入れ替えて、後方の街で休息させることもしているようだ。
さらに敵はこちらの守りの堅さを見て、新たな兵器も繰り出してきた。
「あれが噂の霹靂車か?」
「ああ、そのようだね。ちょっと厄介なシロモノかな」
”霹靂車”、それは曹操が、”官渡の戦い”で使用したと言われる投石機だ。
大きなテコの片側に石を載せ、もう片側を人力で引っ張ると、テコの原理で石が飛んでいく機械である。
霹靂車というだけあって、車輪がついているので、多少は取り回しがいいだろう。
もっとも、人力で引っ張る程度なので、さほど大きな石を飛ばせるわけでもない。
せいぜい30kgほどの石を、200メートル先に飛ばせるくらいだろうか。
それでも野戦陣地の土壁や櫓を壊すには、威力を発揮したという。
敵はその霹靂車で投石を行い、こちらを引きずり出そうとしていた。
こちらが霹靂車を叩こうと前に出れば、すかさず歩兵や騎兵が出てきて反撃する。
さらにじりじりと後退しながら、こちらを城の支援範囲から引きずり出そうとしているのだ。
「まあ、こっちにもあるんだけどね」
「放てっ!」
「「「おおっ!」」」
発射指示と共に、樊城と支城の城壁上から石が放たれた。
それは高所にあることも手伝って、敵の倍以上の距離を飛んでいく。
敵のど真ん中に着地した石が、数人の敵兵をなぎ払って混乱を巻きおこしていた。
するとそれを見て、ハイテンションではしゃぎまくるヤツがいた。
「やった! 見た見た、孫策さま? フハハハハッ、まるで敵兵が、ゴミのようだ!」
「兄さん、恥ずかしいよ。子供みたいにはしゃいで」
「馬鹿者! 俺の作った機械が、活躍してるんだぞ。これを喜ばずして、なんとする!」
「いや、だから……」
無邪気にはしゃぐ諸葛亮を、諸葛均がたしなめていた。
そんな彼らこそが、あの投石機を作り出したのだ。
「諸葛亮も諸葛均も、いい仕事してくれたな。それに魯粛たちもだ」
「フハハ、そうでしょ、そうでしょ?」
「僕は兄さんに付き合わされて、ほとほと疲れましたよ」
「私どもも少々苦労しましたが、お役に立ったようで何よりです」
そう言って答えるのは、諸葛兄弟と魯粛だ。
曹操が霹靂車を投入してくるのは予想ずみだったので、こっちも対抗策を準備していたのだ。
まず密偵を曹操陣営へ潜り込ませ、霹靂車の仕組みを調べさせた。
そしてその情報を諸葛兄弟に渡すと、諸葛亮が寝食を忘れて開発に取り組み、その改良型を作り上げたのだ。
それに付き合わされた形の諸葛均は、いろいろと苦労したのだろう。
おかげで彼の表情は複雑そうだが、諸葛亮はそんなことお構いなしだ。
その間にも次々と石が飛んでいき、とうとう敵の霹靂車に被害が出はじめる。
さすがにたまらなくなった敵軍が、慌てて退却を始めた。
「ようやく退却したか。しかし今後も、人海戦術で来るんだろうね」
「だろうな。こっちはなるべく被害を抑えつつ、耐えるしかないんだが、できるか?」
「孫策の無茶振りには慣れてるからね。なんとかしてみせるさ」
「さすがは周瑜。頼んだぜ」
不敵に笑う周瑜は、とても頼もしく見えた。
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その後の曹操軍の攻撃は、熾烈を極めた。
敵は40万人にもならんとする大軍勢をもって、入れ替わり立ち替わりに攻撃してきたのだ。
それと同時に、曹操は虎の子の騎兵軍団も積極的に投入してきた。
その数4万とも5万とも思われる騎兵が、怒涛のように押し寄せる。
それに対して味方は、歩兵の守りで耐えながら、諸葛兄弟が改良した強弩で対抗していた。
元々、北方の遊牧民族に対抗するため作られた強弩は、威力は高いが速射性には乏しい。
その点をテコの原理で改良した強弩は、従来の倍ちかい速射性能を発揮していた。
これによって軽装の騎兵は大打撃を受けるようになり、うかつには近寄れなくなった。
問題は馬までも防具で鎧われた、重装騎兵だ。
ヤツらはその硬い守りを盾に進撃し、味方の歩兵を蹂躙せんとする。
対する味方は、重装の長矛隊を前に出し、その勢いを止めようと奮戦した。
そうして足止めしているところへ、味方の騎兵隊が襲いかかり、敵に打撃を与えて追い返すのがパターンとなっていた。
そんな血みどろの殴り合いが、何日も繰り返された。
おかげで敵味方ともに、損耗が激しい。
味方の死傷者の数はすでに2万人を超え、さらに増加傾向である。
当然、補充はしているのだが、それも追いつかなくなりつつあった。
対する敵は倍以上の損害を出しているはずなのに、いまだ衰えを見せない。
何がなんでも、俺を倒すつもりなのであろう。
そのため曹操は、水軍も繰り出してきて、制水権を奪おうとした。
しかし水軍に関しては、こちらの方が1枚も2枚も上手だ。
これについては朱治と朱然が中心になって、敵の水軍を蹴散らしてくれた。
おかげで漢水の南岸は安泰のまま、補給と兵士の休息に役立っている。
そんな不毛な戦いを繰り広げていると、ようやく敵に異変が発生したのだ。
諸葛亮ファンの人には、すいません。
でもちゃんと活躍してるし……