56.襄陽防衛戦
建安13年(208年)7月初旬 荊州 南郡 襄陽
続々と曹操の軍が、襄陽周辺へ集結する中、俺は樊城で最後の確認をしていた。
「漢中と建業の周辺状況はどうなっている?」
「はい、漢中方面では長安に曹洪、辛毗を中心に約3万の兵が入っております。対して建業方面は、合肥に李典を中心に、やはり3万の兵が集まっているようです」
「ふむ、思ったより少ないな。せっかく黄忠と程普を貼りつけたってのに」
「まあ、こんなものでしょう。あちらも主攻方面はこの襄陽と、見定めたのでしょうな」
「そんなところか」
漢中と建業にはそれぞれ2万ほどの兵がいるので、1.5倍の敵をひきつけたと考えれば、そう悪くないかもしれない。
俺は気を取り直して、目の前の状況について訊ねる。
「それで、こちらの布陣状況は?」
「はい、すでに17万の兵が、樊城を中心に布陣を終了済みです」
「そうか。兵士たちの状態は悪くないだろうな?」
「はっ、むしろ体力を持て余しているほどです」
「それは良かった」
今回、俺たちは全体で、21万という大兵力を動員した。
これは華南の人口の1%ほどに当たり、経済や生産活動に影響なく動員できる限界だ。
もちろんこれ以上の徴兵も、短期的には可能だろうが、それは社会への影響が大きすぎる。
そして漢中と建業に各2万を振り分け、この襄陽には残り全てを配置したって寸法だ。
その内訳は樊城に2万、東西の支城に各5千、そして漢水南岸の襄陽にも後詰めで1万を配置。
さらに漢水を守る水軍1万の他、12万もの大軍が、城外に布陣している形になる。
ちなみに樊城は1キロメートル四方ほどの城で、城壁の高さは10メートルもある。
襄陽城の方はもっとでかくて、3キロメートル四方ほどもある。
襄陽城だったら、それこそ10万の兵士も収容できるだろうが、あいにくと漢水の南岸だ。
なので樊城とは浮き橋でつなぎ、補給拠点と水軍の基地みたいな位置づけにしている。
東西の支城は樊城から2キロほど離れた位置に建設され、最大で1万人ほどは籠れるようになっている。
そして樊城と合わせて3つの城の周囲には、12万人もの大軍が布陣していた。
20万の曹操軍には劣るが、そこは城壁上からの弓射、投石によって補う予定だ。
さらにこっちは兵士が疲弊したり傷ついたりしても、城内で休ませられるし、補給もしやすいから、決して敵には劣らないはずだ。
対する曹操軍は、許都から進軍してきたので多少は疲れているが、まだまだ余力はありそうだ。
しかし兵士の多くは野営することになるので、長期戦になれば士気の低下と疲労は避けられまい。
そんな状況で、はたして敵はどのような手を打ってくるのか?
「ふむ、それにしても騎兵が多いようだね」
「ああ、幽州の突騎兵は有名だからな。しかも烏丸を従えたんだから、増強したんだろうよ」
魯粛が収集した情報によれば、敵の騎兵は3万にもなるという。
しかもそのうち1万は重装騎兵だというんだから、相当なものである。
ここでいう重装騎兵とは、兵士だけでなく馬も鉄の防具で覆った騎兵である。
それまでの軽装騎兵なら、強弩の集中攻撃で、ある程度対処できる。
しかし重装騎兵ともなると、強弩の攻撃にもひるまず、歩兵を蹂躙し得るのだ。
ただし優秀な騎兵だけでなく、大重量にも耐えられる馬が必要なので、そうそう数を揃えられるもんじゃない。
だから重装騎兵だけで1万てのは、相当に気合いの入った編成と言えるだろう。
対する我が軍も、騎兵は増強していた。
しかしなんとか1万を揃えた程度であり、重装騎兵はたったの2千だ。
敵との差は、重装歩兵と城の支援などで、埋めようと考えている。
やがて準備が整ったのか、敵の一部が動きはじめた。
「敵の前衛が動きはじめました。どうやら3軍に分かれて、樊城と支城をそれぞれ攻めるようです」
「まずは小手調べといったところか。こちらは敵の動きを見て、指示を出そう」
「ああ、そのための訓練は、さんざんしたからな」
俺と周瑜、そして魯粛は、樊城の城壁上から指揮を取っていた。
さらに城壁の一段高いところには目のいい兵士を配置し、敵の動きを報告させている。
その情報から俺たちが作戦を決め、軍鼓と手旗信号で部隊に指示を出す方法を確立していた。
そのやり方は軍鼓のリズムで部隊を指定し、手旗で動きを指示するものだ。
簡単な符牒の組み合わせで、例えば ”誰々は西を回って、敵の側背を突け” なんて指示ができる。
これは樊城だけでなく、東支城には黄蓋と陸遜を、西支城には韓当と龐統を配置し、同じように指示を出すようになっている。
これによって10万を超える大軍を、柔軟に運用しようとの狙いだ。
いちいち伝令を走らせねばならない敵に比べれば、格段に伝達速度が速くなる。
さらに城壁上からの援護を合わせれば、少々の数の不利は覆せるだろう。
やがて敵の前衛が我が軍に近づき、矢戦が始まった。
味方は地上の弓兵だけでなく、城壁上からも矢を撃ち放つ。
敵前面の歩兵は盾を掲げているが、味方のすさまじい矢の雨に、手傷を負うものが続出していた。
それでもひるまずに進んできた歩兵が、味方と矛を交えた。
振り下ろされた武器が容赦なく兵士を打ち、その肉をえぐる。
「ふむ、周泰を少し下げて、呂蒙を前に出そうか」
「ああ、いいんじゃねえか。おい、周泰を少し下げて、呂蒙を前に出せ」
「「はっ、了解しました」」
指示を受けた伝令が、信号係のところへ走ると、軍鼓が鳴りはじめ、手旗が振られる。
それを受けた周泰と呂蒙の部隊が、徐々に動きはじめた。
「ふむ、上手くいってるようだね。これはちょっとした革命だ」
「まあ、今回みたいな戦じゃないと、使えないけどな」
「それにしたってさ。こうも自由に兵を動かせるなんて、将としてこんなに嬉しいことはないよ」
「ハハハ、周瑜らしいな」
天才的な戦術家である周瑜にとって、大軍が手足のように動かせることが、何よりも心地よいのだろう。
おかげで小手調べとはいえ、味方の損害は少ないままに、戦況は推移する。
やがて攻めきれないと悟った敵軍から、撤退の合図が鳴らされた。
「まずは判定勝ち、といったところかな」
「いえいえ、損害の少なさでいえば、圧勝でしょう。お見事でした」
「フフフ、ありがとう。とはいえ、まだまだ戦いは始まったばかりだ。気を引き締めないとね」
「ああ、そうだな。たぶんいろいろと、嫌がらせもしてくるだろうし」
「だけどこっちだって、やるんだろう?」
「そりゃそうさ。頼むぜ、魯粛」
「フハハ、お任せください」
そう言って笑う俺たちは、悪そうな笑顔を浮かべていた。
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その後しばらく、曹操軍の攻撃は地味なものだった。
小規模な部隊を小刻みに前へ出し、チクチクとこちらの戦力を削る戦法に、切り替えたのだ。
「えらく消極的になったな」
「ああ、被害が予想以上に多かったので、様子を見ることにしたんだろう」
「いや、それだけじゃないな」
そう言って魯粛の方を見れば、彼がうなずきを返す。
「はい、兗州と冀州に、大規模な動員令が出されております。この勢いですと、20万どころか40万人もの大軍が、この襄陽へ押し寄せるでしょう」
「ほら、やっぱりな。俺たちを数で押しつぶすつもりだ」
「フフフ、それぐらい、予想はできていたじゃないか。というよりも、こちらの望むところだよね」
周瑜がそう言いながら、ニヤリと笑う。
俺もそれに合わせて、笑いを返す。
「まあな。20万をひねり出しただけでも驚きだってのに、その倍の兵士を駆り出すんだ。影響がないはずがない」
「ああ、その隙を突いて、だね」
華北の人口は3千万近いので、40万でも60万でも、徴兵は可能だろう。
しかしそれは民に大きな負担を強いるし、治安だって悪化する。
ちなみに史上初めて中国を統一した秦は、人口2千万のうち2百万人も動員していたという。
人口の1割が軍隊とは、侵略に侵略を重ねた戦闘国家ならではの異常事態であろう。
それゆえに、崩壊も速かったんじゃないかと思う。
何が言いたいかというと、身の丈を超えた動員なんかすると、その反動も大きいってことだ。
たしかに曹操は華北を平定したが、その統治は万全には程遠い。
いくら魏王として権威を強めたとしても、それになびかない勢力はいくらでもいるのだ。
そんなヤツらが騒ぎ出したら、いかな曹操とて耐えきれまい。
もっともそれは、華南にも言えることだ。
いずれにしろ単純な戦闘だけでなく、謀略を交えた戦いが、陰で動きはじめていた。