55.孫策、ケンカを売る
建安12年(207年)12月 揚州 丹陽郡 建業
「許都に兵が集まってるだと?」
「はい。その数、すでに5万を超え、なおも増加中のようです」
「チッ、もう動いたか。もっと休んでりゃいいのに」
曹操が華北を平定し、しばらくはおとなしくするかと思っていたら、半年足らずで動きはじめやがった。
せっかく安定したんだから、しばらく休めばいいのに。
思わず舌打ちしたら、周瑜が他人事のように言う。
「たしかに、予想以上に早いね。それだけこっちのことを、危険視してるってことかな」
「そういうことなんだろうな。俺はこのままでいられるんなら、おとなしくしてるってのに」
「アハハ、心にもないことを」
本音を口にしたら、周瑜に笑われてしまった。
まあ、今までさんざん、中華を統一するって言ってるからな。
でも曹操が攻めてこないんなら、おとなしくしててもいいかなって、思ってるんだぜ。
ちょっとだけどな。
「しかし曹操は、どんな名目で兵を出すんだ?」
「表向きは天子さまの前で、閲兵式をするためらしいですぞ。裏では兵糧を大量に集めてるので、バレバレですが」
俺の問いに、魯粛が呆れたような声で答える。
すると周瑜が皮肉そうな顔で、今後の展開を推測する。
「フフフ、この後は孫策を許都に呼び出して、臣下の礼を取らせる、とかかな? もしも出頭しなければ、そのまま攻め入ればいいしね」
「なるほど。逆に出頭したら、どこかで暗殺される可能性もあるな」
「まあ、やるかもね。いずれにしろ、今の孫策は強大すぎて、放っておけないんだ。どうしたって決戦は避けられないんだから、諦めた方がいいよ」
「はぁ……やっぱりそうか……しょうがない。とりあえず張昭たちと話してから、襄陽へ行くか」
「ああ、そうしよう」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建安13年(208年)3月 荊州 南郡 襄陽
ハロー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
建業で打ち合わせを済ませると、俺たちは襄陽へ向かった。
そして中原の様子をうかがいながら、防衛計画を進めていたら、曹操が言いがかりをつけてきやがった。
「俺が華北の経済を、混乱させてるだぁ?」
「ああ、この詰問状にはそう書いてあるね。そして案の定、許都へ出頭して弁明せよとある」
「やれやれ。俺はむしろ、物価を安定させたんだがなぁ」
「それは華南の話だけで、華北はまた違うからね」
華南では劉巴たちによって、物価の安定化政策が進められていた。
董卓が乱造する前の五銖銭を鋳造して、それに見合った物価が形成されるように指導したのだ。
さらに金を大量に供給するなどして、華南の経済成長を支えた。
一方、曹操は華北で何をやってたかというと、銭以外の現物や労力による納税を認めて、混乱した経済を建て直した。
農産物や家畜、布などの市場取り引きのルールを周知させ、現物による取り引きを復活させたのだ。
これによって董卓五銖銭によって混乱していた華北の経済は、一時的に持ち直したそうだ。
しかし数年前から平和を謳歌している華南と比べれば、その脆弱性は明らかだ。
好景気に沸く華南に銭が引き寄せられ、華北はますます銭不足になっている。
おかげで華北の経済は停滞したままで、その責任を俺になすりつけてきたってわけだ。
「まあ、あながち的外れでもないところが、なんだな」
「こうなることは、十分に予測されてたからねぇ」
「というよりも、そうなるように誘導すらしてましたよね」
劉巴たちと経済政策を話し合う中で、こうなるのは予測がついていた。
むしろそうなれば、華北の経済の足を引っ張ることができて、徴税能力も低下させられる。
そう考えた俺たちは、積極的に華北の銭を引き寄せるよう、誘導したのだ。
表向きは、あくまで華南の経済成長のためってことになってるがな。
「さて、丞相閣下には弁明の手紙を送っておくか。忙しくてそちらへは行けませんってな」
「フフフ、そうなるといよいよ、戦争だね」
「まあな。そして敵を引き寄せて叩いたら、そのまま逆襲だ」
「ハハハ、実に楽しみですな」
「ああ、みんなもこれから頼むぜ」
「「「おうっ!」」」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建安13年(208年)7月初旬 荊州 南郡 襄陽
ていねいに呼び出しを拒否しつつ、曹操にケンカを売ってやったら、ヤツめパクっと食いついてきた。
その数20万人という兵士を動員して、南陽郡へ進軍を始めたのだ。
すでにその先鋒は、南陽の中心に近い宛に到達しているという。
「”王にしてもらった恩を忘れ、漢朝に刃向かわんとする逆賊 孫策を討ち果たさん”、ときたか。気合い入ってるな~」
「何、のんきなこと言ってんすか、兄貴。逆賊認定っすよ」
「別にそんなの、どうってことねえよ。こっちだって曹操のこと、”君側の奸”呼ばわりしてるからな」
「そうそう、今さらどうってことないさ。それはそうと孫策。難民への対応は大丈夫なのかい?」
「それはまあ、ぼちぼちってとこだな」
20万人もの兵士が通過したら、その土地はボロボロになる。
食料は奪われ、女はさらわれ、目ぼしい金品は残らないだろう。
もちろん曹操も多少は抑制しようとするだろうが、20万もの兵を完全に統制できるはずがない。
そのため俺は、曹操軍が通過しそうな地域には、早めにお触れを出し、取られそうな物資を避難させていた。
軍隊の略奪なんてこの時代、当たり前なもんだから、住民も素直にそれに従っている。
もちろん全てを移すことなどできはしないが、多くの人間が曹操軍の進路から逃げ出していた。
残ったのは堅固な防壁に囲まれた城郭都市であり、こういうところにはそれなりの自衛力もある。
襄陽より北の街には、曹操に逆らわないよう言ってあるので、それほどひどいことにはならないだろう。
まあ、多少の悲劇は、どうしても避けられないだろうがな。
そんな状況を注視しながら、襄陽の防備を固めていると、敵がとうとう樊城の北に現れた。
「敵先陣、約2万が布陣しました。大将は夏侯淵と思われます」
「さらに張郃の軍1万も、樊城の北西に布陣しました」
「曹仁の軍1万が、北東に布陣しつつあります」
先程からひっきりなしに、敵の動きについて連絡が入ってくる。
「おうおう、続々とご到着だなぁ」
「フフフ、天下分け目の戦いになるのは、間違いないね」
「2人とものんきなこと言ってるっすねえ。本当に大丈夫すか?」
そう言う呂範ですら、まるで危機感は見えなかった。
「フフン、襄陽を取ってから、もう8年になるんだ。その間に、さんざん準備はしてある」
「ああ、今の襄陽は、中華最大の要塞と言ってもいいだろう。そして城を盾に戦う訓練も積んである」
「そんな要塞に挑む敵の兵士こそ、ご愁傷様ってお話だ」
「うわあ、すごい自信っすね。ちゃんと責任とってくださいよ」
「もちろんだ。まあ、見てろって。呂範の方こそ、ちゃんと仕事しろよ」
「うい~っす」
その後も続々と、敵軍が襄陽周辺に集結してきた。
しかしそれこそが、曹操の覇権の終わりにつながる道なのだ。
さあ、中華統一の戦いを始めようじゃないか。