幕間: 曹操クンはブチ切れた
建安10年(205年)8月 冀州 魏国 鄴
「なんじゃ、こりゃ~~~っ!」
「そ、曹操さま。落ちついてください」
「これが落ちついて、おれるか~っ!」
儂は怒りのあまり、目の前の机を蹴飛ばした。
ああ、また儂のお気に入りの茶器が……
しかしそんなことで、儂の怒りは治まらない。
「南陽郡が孫策の傘下に収まりたいとは、真のことか?!」
「それがその……どうやら、事実のようでございます」
「なんでじゃ~っ!」
今度は背後の机を蹴飛ばした。
ああ、今度はお気に入りの花瓶が割れてしもうた。
これも全て、孫策のせいじゃ。
あろうことか孫策め、南陽郡を傘下に収めたいと言ってきた。
しかもそれを、南陽郡自体が望んでいると言うんじゃ。
しかし南陽郡は、張繍を降してから儂の統治範囲だったのだぞ。
それが孫策の下に付きたいとは、儂を馬鹿にしておるのか?
たしかに南陽は元々、荊州であったし、儂の目が行き届いているとは言いがたいかもしれん。
だがそれにしてもじゃ。
「これから南陽に攻め入るか?」
「ご、ご冗談を。曹操さま」
「この顔が、冗談を言っているように見えるのか?!」
「ですから、落ちついてください」
荀彧が必死に儂を制止しようとする中、郭嘉が口を開いた。
「認めてやりましょう、曹操さま」
「なんじゃとっ!」
「ですから南陽郡の荊州入りを、認めてやるのです。職頁は規定どおりに納めると言っていますし、軍事行動の透明化にも配慮しています。ならばそこで浮いた戦力を、我々は華北平定に活用するのです」
「しかしそれでは、儂のメンツが立たんだろうがっ!」
儂の怒りの声に、荀彧や荀攸が首をすくめている。
しかし郭嘉は涼しい顔で、受け流した。
「曹操さまのお腹立ち、お察しします。ですので孫策には、罰を下してやりましょう」
「むう……罰とは?」
「暗殺を仕掛けます」
郭嘉は顔色も変えず、そう言い放った。
「暗殺じゃと? もし失敗して、ばれでもしたらどうする?」
「失敗はあるかもしれませんが、ばれることはあり得ません。そういう者たちを使いますので」
「む、闇の者か?」
「はい」
「しかしそれでは、時間が掛かるであろう」
「いいえ、すでに仕込みは済んでおりますので、あとは命令するだけです」
「ほほう、さすがは郭嘉じゃな」
「お褒めにあずかり、光栄です」
相変わらず冷静なヤツじゃ。
それにしても、とっくに暗殺の仕込みをしておったとは。
いささか独断専行が過ぎるようにも思うが、今回は都合がよい。
「分かった。それでは孫策に南陽郡の件を許し、油断させたところで始末する。それでよいな?」
「はい、承りました」
すると今度は賈詡からも提案があった。
「曹操さま。念のため、離間の策も進めてはいかがでしょうか?」
「む、誰か候補がおるのか?」
「はい。孫策の従兄弟である孫賁・孫輔兄弟と、弟の孫権に揺さぶりをかけてみようかと」
「ふむ…………よかろう。ムダになるかもしれんが、早めに手を打っておくに越したことはないからな。進捗はしっかり報告せよ」
「承知いたしました」
「うむ、楽しみにしておるぞ。ワハハハハ」
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建安10年(205年)12月 冀州 魏国 鄴
「なんでじゃ~っ!」
「曹操さま、落ちついて、落ちついてください」
「これが落ちついておれるか~っ!」
怒りのあまり、机を蹴飛ばすと、またもやお気に入りの茶器が砕け散る。
それを見てますます怒りが募ったが、とりあえず暴れるのをやめ、息を整えた。
そしてまずは郭嘉をにらみつけながら、問い詰める。
「郭嘉! 孫策は建業で、ピンピンしておるそうではないかっ!」
「はっ、まことに面目ございません。建業に潜ませた刺客による暗殺ならびに毒殺、そのことごとくに失敗した模様です」
「失敗したで済むかっ! どれほどの金を掛けたか、分かっておるのか!」
「承知しております。些少ではございますが、私の俸給をしばし返上させていただきます」
「そんなことを言っているのではない! あれほどの金を受け取っておきながら、こうも簡単にしくじるのが許せんのじゃ。闇の者とは、その程度のものなのか?」
今回の暗殺には、郭嘉の俸給の何十倍もの金を掛けておる。
かなり高いとは思ったが、それだけ信用の置ける相手だと思って払った。
裏社会では泣く子も黙る、最強の暗殺者集団じゃ。
それがことごとく失敗し、建業から駆逐される勢いだという。
「は、真偽は定かではありませんが、孫策の勘働きが尋常でなく、刺客も毒も嗅ぎつけられてしまうとか」
「なんだと?……そんなことが、あり得るのか?」
「分かりません……」
そう言う郭嘉は冷静を装いながらも、怒りをこらえているようだった。
それを見て、少し冷静になった儂は咳払いをし、今度は賈詡に問う。
「ゴホン……それで、敵の仲間割れを誘う策も、失敗したのか?」
「はい。孫賁、孫輔、孫権のいずれもが将軍職を受けたものの、こちらになびく様子は一切ありません。それどころか、孫策がじかに話をして、絆を深めたとの報告がきております」
「なんじゃと? 普通は信じたくとも、信じきれるものではないぞ」
「は……その点については、孫策はよほどの大馬鹿か、大物のどちらかではないかと」
「くそっ、面白くないのう」
まるでヤツが儂よりも大物だと言われてるようで、実に面白くない。
しかも、それ以上に面白くないことが起こっていた。
「鮮于輔が幽州から追い出されたというのは、本当か?」
「はい、残念ながら烏丸との戦いに敗れ、冀州へ落ち延びたとのことです」
「なぜじゃ? ヤツには十分な援軍を送ったはずではないか!」
そう問い詰めると、荀彧が言いにくそうに報告する。
「……それが烏丸の兵が、妙に多かったらしいのです。おそらく袁尚や袁煕だけでなく、誰かが支援しているのではないかと」
「まさか!」
「はい、孫策から資金が流れている可能性が、高いと思われます」
「孫策め~っ!!」
とうとう頭にきて、また机を蹴飛ばしてしまった。
おかげでまたお気に入りの……
いや、そんなものはどうでもいい。
「荀彧! 近隣の諸侯に号令を掛けろ。魏王の名において、烏丸を討伐してやる。協力しない者は、逆賊として討つともな」
「ははっ、ただちに」
荀彧が泡を食ったように、部屋を出ていく。
それを見ながら、儂は決意を固めていた。
もう遠慮はしない。
全力で烏丸を叩き潰し、そして孫策を打倒してやろうではないか。
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建安12年(207年)9月 冀州 魏国 鄴
「ワハハハハッ、気分がよいのう」
「はい、今回はお見事でした」
「うむ、これも懸命に働いてくれた、そなたらのおかげよ」
「とんでもない。魏王さまの威勢に、華北の民が服したためです」
「ハハハハッ、そうかそうか。民が儂の威勢に服したか」
「はい」
「まことに」
とうとう儂は烏丸を打ち破り、袁尚と袁煕をも討ち取った。
それというのも、諸侯が魏王である儂の権勢にひれ伏し、恭順してきたからだ。
おかげで想像以上の兵が集まり、烏丸を倒すことができた。
こうなれば、やることはだたひとつ。
「荀彧、孫策を許都に呼びつけよ」
「は、どのような名分で、でしょうか?」
「なんでもよい。民をそそのかしてるとか、漢王朝への反逆の疑いがあるとか言って、出頭して弁明しろと命じるのだ」
「かしこまりました……おそらく出頭はしてこないと思うのですが、その時は?」
「その時こそ、逆賊として討ち取ってやるわ。楽しみじゃな、グハハハハハハッ」
見ておれよ、孫策。
中華を統べるのは、この儂じゃ。