54.華北、平定さる
建安10年(205年)12月初旬 揚州 丹陽郡 建業
孫賁・孫輔兄弟の説得に成功してから、俺は主要人物を集めて会議を開いた。
「以上が最近、曹操陣営から仕掛けられたと思われる事件です」
諜報担当の魯粛から状況を説明してもらうと、出席者の多くが顔をしかめた。
「なんと、孫策さまの暗殺に飽き足らず、親族の離間まで企んでおったか」
「漢の丞相ともあろうものが、まったく……」
「油断も隙もあったものではないな」
主に武官たちが憤慨する中、俺は話を続ける。
「どれも証拠はないので、責任を問うこともできん。しかし曹操が俺たちのことを、相当うとましく思っているのは事実だろうな」
「そりゃあ、向こうは華北に掛かりっきりなのに、こっちが平和で発展しつづけているとなれば、仕方ないだろうさ」
「まあな。でもそれだったら、あっちも適当なところで手打ちにして、内政に取り組んだらいいのさ」
「そんなこと、できっこないのを知ってるくせに」
「そんなのは知らんな」
周瑜がニヤニヤと笑えば、俺もニヤニヤして返す。
実はこの時期の華北では、なかなか愉快な事態が発生していた。
幽州に逃げこんだ袁煕・袁尚兄弟が、現地異民族である烏丸族の助けを借りて、巻き返したのだ。
事の発端は、烏丸が幽州の将軍 鮮于輔を攻めたことにある。
史実では曹操が鮮于輔を援護したため、烏丸は負けて幽州を逃げ出している。
しかしこの世界の烏丸は、俺の支援で強化されていた。
それなりに金があれば、彼らだって食料を買って、兵を増やせるのだ。
おかげで鮮于輔は幽州を追い出され、冀州へ後退した。
これは史実にない動きであり、曹操の苦虫を噛みつぶしたような顔が、目に浮かぶようだ。
すると陸遜が、さらに焚きつけるように言う。
「せっかくですから、こちらからも反乱を誘発してみませんか?」
「う~ん、残念ながらまだ伝手がないんだ。適当な群雄に当たりをつけて、通信手段を確保するのが先かな」
「そうですか……仕方ありませんね」
「それなら、曹操の暗殺はどうっすか?」
今度は呂範がアホな提案をしてきたが、それは即座に却下だ。
「あほう。こっちまで暗殺に手を染めたら、同じ穴のムジナじゃねえか。こっちはあくまで、清廉潔白なふりをするんだよ。まあ、曹操が暗殺を試みたっていう噂をばらまいて、敵の評判は落とすけどな」
「うへえ、さすが兄貴。悪党っすね」
「そう褒めるなよ」
そんなコントを繰り広げてたら、程普が重々しく訊ねる。
「それでは孫策さま。今後も我々は力を蓄えるだけで、攻めこまないのですかな?」
「そのつもりだったけど、状況によっては攻めるのもありかな」
「ほう。その状況とは?」
「まずは袁尚たちがどこまで粘るかだな。ヤツらが最低でも幽州を保って、その他の反乱分子と渡りがつけば、仕掛けるかもしれない」
「フォッフォッフォ、それは楽しみですな」
楽しそうにする程普の言葉に、同調するヤツらは多い。
そんなに簡単な話じゃないのに、気楽なヤツらだ。
まあ、今後も状況を注視するとしよう。
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建安11年(206年)6月 揚州 丹陽郡 建業
ハロー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
袁尚たちが幽州でがんばってると思って喜んでたら、曹操のヤツが巻き返しやがった。
なんと10万近い兵力を投入して、烏丸を撃破したのだ。
これによって袁尚たちは、烏丸の本拠である柳城へ後退した。
さすがに息切れをしたのか、曹操は冀州へ一旦戻ったが、状況は史実に近い形になっている。
「なんか曹操の軍、以前よりも強力になってないか?」
「はい、どうやらそのようです。おそらく魏王に就任したのが、良い方向に影響しているのでしょう」
「ん、どういうことだ?」
魯粛の説明だけではピンとこない俺に、周瑜が説明してくれる。
「魏王になったために、郡太守や県令に対する影響力が大きくなってるんだよ。諸侯王は、漢王朝で最高位の官職だからね」
「以前の司空だって、ほぼ最高位だったろうに。そんなに違うのか?」
「郡太守や県令は、皇帝陛下の下、独立した権限を持っているからね。たとえ3公や丞相といえど、そう思うようには動かせないのさ」
「ふ~ん、そんなもんかねえ」
曹操は以前まで司空の地位にいたが、それだけで全ての役人が言うことを聞いてくれるわけじゃなかったらしい。
漢王朝では基本的に郡県制が採用されていて、それらのトップの裁量権が大きいからだ。
しかしさすがに諸侯王ともなると別格な存在で、明確な上下関係が発生する。
おかげで兵の動員能力が高まって、大軍を起こしやすくなったのだ。
もっとも、最初は曹操も魏王就任を強行したため、反発が大きかったのだろう。
しかし俺や曹操が王に封ぜられてから、すでに1年半も経つので、そろそろその権威が有効に機能してきたってわけだ。
「なるほど。魏王の権威で、動員能力が高まっているのか」
「そういうこと。ある程度、予想はしてたけど、思った以上にそれが進んでいるね」
「でもそれなら、俺の方も高まっているよな?」
「今さら何を言ってるんだい。そんなの当然じゃないか。だから南陽郡や九江郡だけでなく、広陵郡までこちらになびいたんだよ」
「ああ、それもそうだな」
たしかに1年ほど前、荊州の南陽郡が俺の傘下入りを希望してきた。
それを受け入れたら、案の定、九江郡と広陵郡も傘下入りを希望したのだ。
広陵郡なんて隣の徐州なのに、俺の下に付きたいって言うんだぜ。
「今の俺だったら、どれくらい動員できるかな?」
「そうですな……華南の経済に配慮したとしても、20万人は堅いでしょう」
「おお、とうとう20万を超えたか」
魯粛の回答に、感慨深いものを感じる。
しかもこれは山越族などの異民族は含まない数字だ。
彼らの多くは戸籍に載ってないからな。
もっとも、華北にも遊牧民がたくさんいるから、これはあまり変わらないかもしれない。
「ここまでくれば、曹操と互角に戦うのも、現実味が出てくるね。なにしろ中原は人口が多い分、反乱分子も多いから」
「ああ、事前に仕込んでおけば、向こうも全ては動員できないだろう」
中原の動員能力は30万人ともいわれるが、その全てを南に向けられるはずもない。
周瑜が言うように、曹操との戦いに現実味が出てきた。
「あとは今までどおり、謀略で曹操の足を引っぱりながら、軍備を整えればいけそうだな」
「ああ、ようやくその絵が見えてきたよ」
「フフフ、これからも忙しいですな」
そう言って笑い合う俺たちの顔は、なかなかに邪悪そうだった。
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建安12年(207年)8月 揚州 丹陽郡 建業
しかしその後の展開は、望ましいものにはならなかった。
なんと曹操は烏丸を打ち負かした後に、敵の本拠地まで押し寄せて、袁尚と袁煕を討ち取ってしまったのだ。
おかげで烏丸も全て降伏し、遼東の公孫康なんかも恭順の意を示したらしい。
これによって曹操は、華北をほぼ制圧した形になる。
たしか史実では207年の暮れに達成していたので、それよりも早いぐらいだ。
くそう、こっちもいろいろ邪魔してやったのになあ。
しかしこちら側の準備は、ほぼ万端だ。
華南の経済はうなぎのぼりだし、領民は戦争や飢饉に苦しまずに済んでいる。
そして襄陽、漢中、建業を中心とした防衛体制も、バッチリだ。
攻めてこれるもんなら、来てみろってんだ。
な~んて、ウソです。
戦争なんか、しなくてすむなら、それに越したことはないのに。
だけど無情にも、戦乱の足音は、すぐそこまで迫っていた。