6.廬江陥落、そして未来の名将も
興平元年(194年) 9月 廬江郡 舒
袁術の指示で、廬江の太守 陸康を攻めることになったが、戦況は停滞していた。
しかし別途、周瑜に頼んでおいた切り札が、ようやく俺の下に到着したのだ。
「兄貴、なんすか? このガキ?」
「今、自己紹介したばかりだろう。陸遜だよ、陸遜。彼は今、敵対している陸康の、甥っ子なんだ」
「あ、分かった。こいつを人質にして、降伏を迫るんすね?」
「アホか、お前は」
「あいたっ」
呂範がアホなことを言うもんだから、思いきり後頭部をどついてやった。
見ろ、陸遜が脅えてるじゃねえか。
そんな彼の緊張をほぐすべく、俺は満面の笑みを浮かべて話しかける。
「こいつの言ったことは気にしなくていいからな。それでここに来てくれたってことは、周瑜の説得に応じてくれたんだろ?」
すると陸遜は、おずおずと答える。
「え、ええ。まだ協力するかどうかは決めてませんが、あなたの話を聞いてみたいと思いました」
「当然の話だな。人づてに話を聞いただけで判断するなんざ、阿呆のすることだ。とりあえず、そこに座ってくれや」
陣幕の中で陸遜に椅子をすすめると、俺もその前に座って、改めて彼を見る。
今年12歳になるはずの彼は、背もそれほど高くはなく、顔立ちも幼さを残している。
しかし後に呉を支える名将となるだけの風格を、すでに漂わせていた。
ちょっと線の細い顔立ちだが、その容姿は美麗でいて、しっかりとした意志のようなものを感じさせる。
敵のど真ん中に飛びこんだにもかかわらず、さして動揺していないのはさすがというべきか。
俺は咳払いをしてから、彼への説得を開始した。
「ンッウン……さて、周瑜から聞いているとは思うが、俺は陸康さんを助けたいと思っている」
「何いってるんすか? 兄貴っ!」
「お前は黙ってろ!」
「あいてえっ!」
またもや邪魔をする呂範をどつくと、改めて陸遜に視線を向ける。
すると彼は戸惑いの色を浮かべながら、俺の意図を問う。
「はい、そこまでは周瑜さんからうかがっています。しかし敵であるはずの叔父を、なぜ助けようとするのですか?」
「うん、当然そう思うよな? だけど正直に言えば、俺は陸康さんを敵だとは思ってねえんだ」
「あに――モガッ」
また騒ごうとする呂範の口を、今度は孫河が押さえてくれた。
グッジョブ、孫河。
彼に感謝の視線を送ってから、陸遜に目を戻すと、彼はさらに困惑していた。
「敵でないとは、どういう意味でしょうか? 現実に今、こうしてにらみ合っているのですよね?」
「ん~、まあ、成り行きで戦闘もしたけど、俺はあくまで話し合いで決着をつけたいと思ってるんだ。そのために陸遜、君に来てもらった」
「それは私に、降伏を勧める使者になれということですか? 残念ながら叔父は、親族が赴いたぐらいで、考えを変えたりはしませんよ」
「まあ、普通はそうだろうな。だけど陸遜。君が行けば、少なくとも話は聞いてもらえるだろうし、叔父さんを説得することも可能だと思っている」
「ど、どういう意味ですか?」
俺がじっと陸遜の顔に視線を当てると、彼は警戒するように身を引く。
「陸家の神童。そう呼ばれるにふさわしい知恵を、すでに君は持っている。そしてこのままでは陸康さんは、ただの犬死にになりかねない。そうは思わないか?」
「……まるでいつでも、城を攻め落とせるような言い方ですね?」
「落とせるさ。すでに2ヶ月以上、対陣してるんだ。あの城の弱点なんか、とっくに調べ上げてある。ただしそれにはかなりの犠牲も予想されるし、なにより俺は、陸康さんを殺したくないんだ」
「……とても信じられませんね」
ひどく疑わしそうな顔で、陸遜が言う。
まあ、当然だろう。
これぐらいで説得されるほど、甘い相手じゃない。
そこで俺は彼に顔を近づけ、声をひそめながら言った。
「信じられないか。まあ、そうだろうな。だけどちょっと想像してみてくれ。俺の親父は、破虜将軍までいった孫堅だ。親父はこの揚州に、独自の勢力を築こうとしていた。それは長江を天然の防壁として、高度な自治権を持つ勢力だな。どうだ? なんかそういうの、ワクワクしないか?」
「ッ!……本気ですか? いくら長江を盾にしても、そんなことは不可能ですよ!」
「そうか? そりゃあ、漢王朝が万全ならそうかもしれないけど、今の中央は乱れまくりだ。現実に統制がゆるんで、群雄が割拠しているじゃねえか」
「それはまあ、そうですけど……だからといって我々にできることなんか、たかが知れていますよ」
「なんだよ。子供のくせに夢がねえな?」
「その子供に説得を強要するような人に、言われたくはありません」
陸遜はムッとした様子で、反論してくる。
しかしそんな様子は、むしろ子供っぽくてかわいかった。
「まあ、そう怒るなよ。俺は陸遜なら、叔父さんを説得できると考えてるんだ」
「だから何を根拠に、そのようなことを言うのですか?」
「ん~、それはまあ、伝え聞いた話からだけど、実際にこうして話してみて、やはり間違ってなかったと思うよ」
「……私の何が、あなたに分かるというのです?」
陸遜は訝しむように、俺に問いただす。
「ちょっと話しただけでも、君の聡明さは感じられる。それと同時に、実はけっこうな激情家なんじゃないか、とも思った」
「そんなことは、ありません!」
「まあまあ、熱くなるなよ。とにかく俺は、この揚州で勢力を築きたいんだが、その過程で陸家みたいな名家と、対立したくない。人材が集まらなくなるからな」
「それはまあ、そうでしょうね……」
「うん、だから陸康さんを君に説得してもらうと、すごく助かる。それが成功した暁には、十分に恩に報いるよ」
「恩に報いるとは、具体的にどういうことですか?」
陸遜は疑わしげな態度を保ちながらも、興味をそそられたようだ。
俺はそんな彼の目を見すえ、静かに言った。
「いずれ俺の幕下で、働いてもらいたい」
「それでは恩賞にならないではありませんか!」
「そうか? たしかに保証はできないけど、今の漢王朝で働くよりは、よほど楽しいと思うぞ」
「なっ、なんということを……」
俺のぶっちゃけ話に、陸遜は絶句する。
しかし彼は少し考えると、また口を開いた。
「仮にその話を受けるとしても、叔父を説得する材料がありませんよね?」
「おう、そこは陸遜の弁舌に期待するしかない。こっちから出せる条件は、城を明け渡してくれれば、陸康さんと城兵の命は取らないってことぐらいだ。多少の財産の持ち出しも、見逃すよ」
「ふむ……生真面目な叔父を動かすには、もう少し材料が欲しいところですね」
「そうは言ってもなぁ……おい、周瑜、なんかないか?」
困った俺は、そばで話を聞いていた周瑜に振る。
すると彼は文句を言いながらも、協力を申し出てくれた。
「まったく、仕方ないね。私も陸遜に同行して、説得してみるよ」
「おっ、さっすが周瑜センセイ。頼むよ」
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周瑜を伴った陸遜が会いにいくと、陸康は彼らを城に招じ入れた。
そして半日ほどして戻ってきた頃には、見事に降伏をもぎ取っていたのだ。
「さすがは陸遜と周瑜だ。ご苦労だったな」
「まったくだよ。完全に君の戦だというのに、こんなに苦労させられるとは。これは大きな貸しだからね」
「ああ、今は借りておくぜ」
そう言って笑い合う俺たちを、陸遜が不思議そうに見ている。
「なぜなのですか? 周瑜さんはなぜそれほどまでに、孫策さんを信頼できるのですか?」
「フフフ、彼とはくされ縁だからね。それに彼の夢を、私も手伝ってみたいのさ」
「だからといって、あそこまで譲歩しますか?……」
陸遜によれば、周瑜は陸康を説得するため、相当な譲歩をしたらしい。
例えば江東の利権を譲渡したり、いざという時には周家が全面的に陸家をバックアップする、とまで言ったらしい。
それに加え、今のままでは犬死にだと説得され、生真面目な陸康もようやく折れたんだとか。
そんなもん、ただの口約束だというなかれ。
これには周家という一族の、名誉が懸かっているのだ。
一度約束したからには、どんなことをしてもやり遂げるのが、名家のプライドである。
そもそも陸遜を呼んできてもらったのも、周瑜にしか頼めないことだった。
陸家みたいな名門に、俺みたいな庶民が独りで会いに行っても、門前払いをくらうだけだからな。
実際、数年前に陸康に会いにいった時は、会ってくれなかったし。
あわよくば、陸康の説得にも協力してくれないかと思っていたら、見事に成し遂げてくれたのだ。
実家の名誉を懸けてまでやってくれたその恩は、でかいとかそんな問題じゃない。
もう周瑜には、足を向けて寝られないほどだ。
しかし、俺は俺のやり方で、その恩を返していくつもりだ。
まずは江東を制覇し、さらに長江流域に独立政権を打ち立てる。
俺はそこの王となり、周瑜には大将軍でもやってもらうかな。
そんな妄想を描いていたら、陸遜が話しかけてきた。
「独立政権とかそんなこと、本当にできると思ってるんですか?」
「さあな、それはやってみなけりゃ分からねえさ。だけどな、できないできないって言ってたら、何も始まらないだろ?」
「そう、かもしれませんね…………もし、もし私が望めば、その企てに加えてもらうことは、できますか?」
「もちろんだ。今回は世話になったし、陸遜は有望そうだからな。今すぐは無理だが、いずれ参加してもらえると嬉しい」
俺が大真面目にそう言えば、陸遜は元気よくうなずいた。
「はいっ、よろしくお願いします」
どうやら俺は、名家との関係だけでなく、未来の名将も手に入れたようだ。
これで名家との関係も壊さずに、廬江陥落。
そして陸遜も……
ウヒヒ。
メチャクチャ都合いいなと思われそうですが、周瑜と陸遜を使うってのは、アリだと思うんです。