52.なんとなく分かんだよ
建安10年(205年)9月 揚州 丹陽郡 建業
建業で刺客に襲われた後、即座に調査が行われた。
その結果、刺客が使っていた部屋で暗器や毒薬が発見され、暗殺を狙っていたことが明確になる。
しかしその先については、プッツリと手がかりが途絶えてしまった。
まず女官を採用した文官を問い詰めると、賄賂をもらっていたことが発覚する。
ただしあまり詳しく詮索しないでくれと言われた程度で、それなりにしっかりした家柄のはずだった。
しかしよくよく調べてみれば、その経歴は真っ赤なウソで、まんまとだまされた形になる。
ならば周瑜が捕まえた刺客を締め上げようとしたら、こっちは早々に自害されてしまったそうだ。
こちらも油断していたつもりはないが、敵の方が一枚上手だったらしい。
どうやら、かなり気合いの入った組織が絡んでいるようだ。
「それで、結局わからずじまいか」
「はい、面目ありません」
かくして文官の元締めである張昭が、不始末の報告にきていた。
俺が襲われたと聞いて、血相を変えて調査の指揮を執っていたのだが、ほとんど成果もなく、ひどく不本意そうな顔をしている。
「まあ、敵もよほど手間暇かけて、暗殺を仕掛けたはずだ。手がかりがないのも仕方ないだろう」
「そう言っていただけると、多少は気が楽になります」
張昭はそう言って静かに頭を下げたが、内心は怒り狂っているのだろう。
なにしろ俺の本拠地で襲撃を受けたのだ。
内向きを仕切る張昭としては、面目が丸つぶれである。
そんな彼に、魯粛が協力を申し出る。
「今後はうちも協力して、暗殺対策を立てましょう。多少はそちらの知識がありますので」
「そうだな。密偵の視点で助言をもらうだけでも、多少は違うだろう。今後は互いに連携を取って、防衛に努めてくれ」
「かしこまりました」
すると今度は周瑜が口を開いた。
「証拠は見つからなかったけど、今回は曹操陣営の差し金で間違いないだろう。それについては、どう対処する?」
「う~ん、証拠もないんじゃ、糾弾もできないしなぁ。せいぜいこちらに刺客が紛れこんでいたので、そちらも気をつけてください、とでも言ってやるか?」
「ハハハ。まあ、皮肉ぐらいにはなるかな」
「それ以上は俺も期待してないさ。それよりも問題は、敵がどこまでやるつもりか、だな」
「戦争まで踏み切るかどうかってことかい?」
「ああ、そうだ」
それに対し、魯粛は否定的な見解を示す。
「今のところ、曹操は華北に集中しており、こちらに手を出す余裕はなさそうですが」
「でも袁尚たちは幽州に押しこめたんだろ? ならこちらへ注意を向けても、おかしくはないんじゃないかな」
周瑜が言うように、曹操に負けた袁尚と袁煕は、幽州へ逃げこんでいた。
長男の袁譚はすでに討ち取られているので、曹操の優位は揺らがないだろう。
「周瑜が言うように、こっちへ向いてくれると楽なんだがな」
「ええ、その方が面白くなりますが、難しいでしょうな」
「だよな~」
すると話の見えない呂範が、質問する。
「曹操が攻めてきた方が、都合がいいんすか?」
「ああ、向こうから攻めてきてくれれば、堂々と迎え撃てるからな。昔ならいざ知らず、呉王となった今じゃ、あまりうかつなことはできないんだ」
「そんなもんすかねぇ」
俺の言葉に、呂範が疑わしそうな顔でぼやく。
しかしこの場にいる周瑜、陸遜、魯粛、龐統、張昭などは、当然のような顔をしていた。
彼らとは今まで何度も、この話をしてきたからだ。
仮に今、俺たちが中原に攻めこんでも、かなりの領土を征服できるだろう。
それこそ許都ですら奪えるかもしれない。
しかし今の俺たちには、その大義名分がない。
曹操が献帝を傀儡にして好き勝手やってるのは事実だが、彼が漢朝を支えてるのもまた事実なのだ。
そんな状況で後ろから刺したら、俺の名声も地に落ちてしまう。
そんな話をかいつまんでしてやると、ようやく呂範も納得がいったようだ。
「なるほど~……ただ勝ち負けだけで考えてちゃ、いけないんすね」
「まあ、そういうことだ。しかしだからといって、黙ってるのもおもしろくない」
「そうだね。向こうが動かないんなら、動きたくなるよう、こちらも工夫しないと」
「何をやるんすか?」
「それはまあ、いろいろさ」
「ですな。黙ってやられている必要はありません。フフフ」
そう言って笑う周瑜と魯粛の顔は、ひどく邪悪そうだった。
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しかし周瑜たちが暗躍を始めてからも、俺への攻撃はやむことがなかった。
「どうぞ、旦那さま」
「うむ、ありがとう」
俺はある晩、政務を終えてから、大橋に酌をしてもらい、酒を飲もうとしていた。
それで酒を口に含もうとしたら、なんかモワッとしたのだ。
その瞬間、俺の脳内に警報が鳴り響いた。
”おい、毒はいってんぞ、それ”
ソンサクさんから、毒入り警告きました~!
俺はおもむろに盃を下ろすと、大喬の持っている酒器を奪い取り、臭いをかいだ。
「だ、旦那さま、いったい何を?」
「これは違うな。しかしこの盃には、毒が入っている」
「な、なんですとっ!」
「だ、大至急、たしかめろ!」
さすがに俺の言葉を疑うヤツもおらず、毒の有無を確かめることになった。
しかし人体実験をするわけにもいかないので、哀れなネズミを持ってきて、酒をなめさせる。
するとネズミはしばし動いた後に、コロリと死んでしまった。
その後は大騒ぎだ。
どういう経緯で毒が盛られたのか、関係者が血まなこになって調べはじめた。
俺はそんな騒ぎを尻目に、勝手に酒を飲んでいた。
「だ、旦那さま。そのようなお酒、飲んでも大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。たぶんさっきのは盃に毒が塗ってあったんだろう。でなけりゃ毒見役に気づかれるかもしれないからな。こいつは大丈夫だよ」
「なぜそんなことが、分かるのですか?」
「ん~? 臭い、かな?」
「いや、孫策さま、ほとんど無味無臭でしたよ」
「なんとなく分かんだよ」
「「「えぇ~~~?」」」
さすがに俺も偉くなってきたので、飲食時は毒見役をそばに置いている。
しかし毒見も完璧ではないし、今回みたいに器に毒を塗られたりすると、あまり意味がない。
まあ、さすがに無味無臭で即死級の毒なんてないと思うが、体調を崩すぐらいはできるだろう。
そんなことをチマチマと続けていれば、毒殺も不可能ではないのかもしれない。
しかしここに、そんな目論見を打ち砕く存在がいた。
そう、ソンサクだ。
なにしろソンサクときたら、刺客が扮した女官を、直感で見やぶるような男である。
それが今回は、飲食物にも適用されたのだろう。
俺はその後もソンサクの直感に従って、大いに飲み食いした。
最近は毒見役を挟むので、じれったくて仕方なかったんだよな。
これからは、作ってすぐの温かい食事を持ってくるよう、指示しよう。
これについては大橋をはじめとする家族たちも、同感だったようだ。
ちなみに毒の混入者については、怪しいのが1人見つかった。
まず間違いなくこいつが盃に毒を塗ったんだが、しかしその先を吐かせる前に、また自害されてしまった。
なんとも見上げた根性というか、刺客魂って感じだな。
裏社会おそるべし。
しかしまあ、そんな暗殺組織も、ソンサクに掛かっては形無しってのは、幸いだった。