49.私は使ってもらえるんですよね?
建安10年(205年)5月 荊州 南郡 襄陽
「問題はそれだけじゃない。我々の軍には、致命的な弱点があるんだ」
我が軍の軍備を増強するための会議で、周瑜が高らかに言い放つ。
そして彼は、太史慈に目を向けた。
「太史慈なら、それが分かるだろう?」
すると太史慈が、軽く肩をすくめながら言う。
「それは我が軍の騎兵が、圧倒的に弱いということだろうな」
「なんと、それほどか?」
「いやいや、我らとて、それ程ひどくはないであろう……」
太史慈の指摘に、数人の武官が異を唱える。
しかし黄蓋や程普のように、うなずいている者も少なくなかった。
そんな彼らを見回しながら、周瑜が口を開く。
「彼の言うことに、異論のある者もいるだろう。たしかに我が軍にも、乗馬をよくする者はいる。しかしそれは個々の武だ。ここで問題となるのは、集団としての武なんだ」
そう言われ、ようやく多くの者が納得したような顔になる。
そう、我が軍の最大の弱みは、大規模な騎兵を運用するノウハウがないということなのだ。
それは馬の数が少なく、水軍主体の戦いが多い江南では、当然のことではある。
「昔、孫堅さまと共に、中原で戦った頃を思い出すわい。あの頃は中原の騎兵の多さに驚き、そして苦労させられたものじゃ」
「うむ、まさにケタが違ったのう」
黄蓋と程普が、懐かしそうな顔で思い出を語る。
すると孫堅と共に戦った者たちが、同意するようにうなずいていた。
ここで孫権が、手を挙げて訊ねる。
「あの~、具体的に中原だと、どれぐらいの騎馬隊が出てくるんですかね?」
「そうだな。俺が見た分では、千とか2千ぐらいの部隊が普通だったかな。最近はどんなもんだろう?」
太史慈がそう答えつつ、魯粛に目を向けると、彼は当然のようにそれに答えた。
「そうですな。北方の公孫瓚は、4万の兵の内、騎兵を1万も揃えたと言われます。歩兵との比率はさておき、最低でもそれぐらいは、我々も揃えたいものですな」
「4万の内の1万か。時代は変わったな。しかしそれだけの騎兵、どうやって使う?」
「問題はそこだね。孫策はどう思う?」
ここで周瑜が俺に話を振ってきた。
とはいえ、これについては事前にある程度、打ち合わせてある。
俺はその内容を、自分なりにまとめながら語った。
「中原で使うなら、歩兵を横から突き崩す突撃騎兵だな。しかしこれは消耗が激しい。いざという時のために温存して、普段は騎射で対応するべきだろう」
「たしかに騎兵の損害の多さには、苦労しましたからな。しかし若の考えた鐙を使えば、多少はマシになるのではないですかな?」
そう言って返したのは、黄蓋だ。
しかし俺は首を横に振る。
「多少はマシになるかもしれないが、基本的には変わらんだろう。それに鐙の存在は、できるだけ隠したいしな」
「まあ、真似されてしまえば、それまでですからな」
俺たちは益州攻略でも鐙を使っていたが、その存在はなるべく秘匿するようにしていた。
使いどころは限定していたし、目立たないように色を塗るなど、偽装も施していたのだ。
もちろんちょっと目端の利くヤツが見れば、何かあるのは分かるが、だからといってすぐに広まるものでもない。
「まあ、使うべき時には、ガッツリ使うけどな。ただ序盤の小競り合いなんかには、使わないようにしたい」
「う~む、それでは中原の突騎兵には敵わんのではないかのう……」
黄蓋がそうぼやくのも無理はない。
基本的に騎兵なんて、突撃するようなものではなかったのだ。
それが後漢時代になって、突撃戦法を取るように変化した。
これには馬用の防具が開発されたり、北方遊牧民を騎兵として雇えるようになったことが関係しているようだ。
しかしこの時代、鐙もないからふんばりが利かず、下手な当たり方をすれば、簡単に落馬してしまう。
おかげで損耗率も相当に高かったらしく、よほど金がないと維持できない兵種なのだ。
後漢では幽州の突騎兵なんかが有名で、袁尚と袁煕がこの幽州へ逃げこんでいる。
しかしいずれは幽州も曹操に平定され、突騎兵が敵になる可能性は高い。
その時のためにも、準備はしておかなければならない。
「まあ、その辺は要検討だな。強弩の連射性を上げたり、重装歩兵の戦法で対応できる部分もあるだろう」
「そうだね。突騎兵だって、無敵じゃないんだ」
「そういうことだ。それよりも問題なのは、中原との兵力差を、いかに埋めるかだな」
新たな問題提起に、周瑜が反応する。
「それについてはもちろん、考えがあるよ。ねえ、魯粛」
「ええ、敵が多いなら、味方を増やせばいいのですよ」
周瑜と魯粛が、悪そうな顔で笑みを浮かべる。
そんな彼らの顔を見れば、その狙いは明白だ。
「フフン、華北の反乱分子をあおるんだな?」
「ええ、そのとおりです。仮に曹操が華北を制しても、その安定化にはもっともっと時間が掛かります。我々に協力してくれる方々も、多くいるでしょう」
「ハハハ、さすがは魯粛だ。もう当たりは付けてるみたいだな?」
「もちろんです。幽州の烏丸や青洲の黄巾残党など、不満を抱く者なぞゴロゴロしておりますよ。中原には」
「だろうな。そんなところを制圧しつつあるんだから、曹操も大したものではある」
「その後の苦労も、相当でしょうがな」
実際問題、曹操の気苦労たるや、相当なものであろう。
傍から見ている限りは笑い話ですむが、いずれは我が身と思い直し、気持ちを引き締める。
「結論としては、騎兵を中心に軍を強化してから、裏で敵の足を引っぱりつつ、襄陽から攻めのぼる。そうなるだろうな」
すると程普が、少し不満そうに問う。
「江東からは攻めないので?」
「ああ、そっちは牽制して兵力を引きつけるぐらいだな。江東はたぶん、合肥が主攻方面になるだろうけど、無理に落とす必要はない。水軍を中心にして、長江流域を守ってくれればいい」
「ふ~む、少々物足りませんが、理には適っておりますな」
湿地と水路が密集している長江流域は、歩兵と騎兵の連携を得意とする曹操軍には戦いにくい。
それに対して水軍を得意とする我が軍は、船を使った兵力の柔軟な運用ができる。
そのうえで防御重視で立ち回れば、まず負けはないのだ。
ちなみに合肥が主攻方面になるのは、ここが水路で中原とつながっているからだ。
例えば曹操の本拠地である譙からは、渦水、淮水、肥水、施水という川をたどれば、合肥にたどり着く。
天子のおわす許都だって、潁水から淮水に入れば、合肥に船で行けるぐらいだ。
おかげで史実でも、合肥を中心に戦闘が繰り返されたわけだな。
すると今度は、黄忠が漢中について訊く。
「漢中方面はどうでしょう? 長安を突く姿勢を見せれば、かなり優位になるのではないですかな?」
「う~ん、それはそうなんだけどな……」
そう言いながら、兵站担当の諸葛亮に目を向けると、彼は首を横に振った。
「秦嶺山脈を越えて戦うのでは、とても兵站が持ちません。むしろ敵をひき込むぐらいの、算段をして欲しいですね」
「う~む、やはり難しいか……」
「諸葛亮の言うとおりだ。大兵力では兵站が持たないし、逆に小勢力では敵に叩きつぶされる。状況次第ではあるが、漢中方面も陽動だけに留めるべきだろうな」
たしかに漢中は長安にも近いが、その間には秦嶺山脈が横たわっている。
そこにはいくつかのルートがあるが、険しい山道か、渓谷に設けられた桟道ぐらいしかない。
それは兵力の移動以上に、兵站に負担を掛ける。
ぶっちゃけ、史実で何度も北伐をした蜀や、漢中に攻めこんだ魏には、ご苦労さまと言うほかない。
そんな場所なのである。
史実でそれを実行した諸葛亮が、冷静にそれを否定してみせたのは、これまた皮肉な話だ。
ここでなおも程普が、抵抗を試みた。
「それでは孫策さま。建業は朱治にでも任せて、儂は襄陽に――」
「それはダメだ。敵を牽制するには、それなりの武将をおいておかないと意味がないだろう? 程普は建業、そして黄忠には漢中を任せたい」
「ぐむう……」
「ふ~む、仕方ありませんな」
さすがに程普も黄忠も、それ以上の抗議はしなかったが、どこか不満そうだ。
2人とも、どんだけ戦争がしたいんだって話だ。
互いに50歳を超えてるのに、元気なこった。
すると今度は太史慈が、期待の目を向けてくる。
「私は使ってもらえるんですよね?」
「ああ、太史慈には働いてもらうつもりだ。ただし、交州の仕置きはちゃんとしろよ。てこずってるようなら、呼ばないからな」
「はい、それはもう……」
太史慈が舌なめずりするように、獰猛な笑みを浮かべる。
これからしばらく、交州には血の雨が降るかもしれない。
そして彼の部下の悲鳴も……
なんにしろ、曹操との激突も近そうだ。
それまでにしっかりと、準備を整えておかないとな。