48.そんなに差があんの?
建安10年(205年)5月 荊州 南郡 襄陽
黄蓋や韓嵩と話してから数日すると、益州と揚州から重臣が集まってきた。
その目的は、俺が呉王になってから初めての、戦略会議を開催することだ。
出席者は文官が張紘、韓嵩、諸葛瑾、諸葛亮、秦松、張松、李恢。
武官は黄蓋を筆頭に、黄忠、程普、太史慈、張任、楊懐、甘寧、呂蒙、魏延。
軍師系として周瑜、魯粛、陸遜、龐統、法正。
そして俺の親族衆として、孫権、孫瑜も呼んでいた。
「まずは中原の状況について、魯粛から説明してもらおう」
「はい。まず曹操は、袁尚の本拠であった鄴を攻略した後、冀州のほとんどを制圧しつつあります。それと並行して、一度は受け入れた袁譚を、約定ちがいだと責め立て、討伐してしまいました」
「「「むう……」」」
その報告を聞いた数人が、難しい顔でうなる。
ほんの数年前には4州を従え、その権勢に揺るぎがないように見えていた袁家が、あっさりと崩壊したのだ。
それに危機感を覚えるのも、仕方ないであろう。
「残る袁尚と袁煕ですが、今は烏丸3氏の下へ逃げこんでいます」
「とうとうそこまで追いこまれてしまったか。それではあまり先は、長くなさそうですな」
「いや、そうでもないぞ」
烏丸3氏とは幽州に割拠する、遊牧民の有力者たちだ。
つまり袁尚たちは北辺の遊牧民を頼るほどに落ちぶれたわけだが、それを残念がる黄蓋に対し、俺は異を唱えた。
すると黄蓋が、興味深そうに訊ねる。
「ほう……何かテコ入れでも、しておるのですかな?」
「ああ、密偵を通して、烏丸には金を渡してある。だから多少はヤツらも、踏んばれるだろうさ」
「金を? しかし元々、袁尚には資金援助をしていたではありませんかな?」
「冀州を押さえていた時と、今とでは違うさ。金がものを言うのは、これからだ」
たしかに今までも資金提供はしていたが、元が大領主だった袁家にとっては大した額ではない。
なので戦況をくつがえすまでには至っていなかったが、これからは違う。
なにしろ袁尚たちは、あまり金を持っていない遊牧民のところへ逃げこんだのだ。
そこへ資金を提供してやれば、食料を買ったり、兵を雇ったりと、大いに役立つだろう。
そんな話をしてやると、黄蓋たちも納得していた。
すると魯粛が苦笑しながら、推測を述べる。
「とはいえ、多少の金を渡しても、袁家が盛り返すことはないでしょう。せいぜい1年か2年、滅亡が伸びるぐらいでしょうな」
「ああ、そうだな。そこで、だ。いずれきたる曹操との決戦に向けて、軍備を増強しようと思う」
すると黄蓋を始めとする武官たちが、目を輝かせた。
「おお、いよいよですな。具体的には、どのように増強するのですかな?」
「それについては、周瑜から頼む」
ここで周瑜に話を振ると、彼にみんなの視線が集中する。
「了解。皆も知ってのとおり、我が呉軍は水上戦に強い。長江周辺で戦えば、我々の優位は揺らがないだろう。しかしそれでは、勝つことはできない」
「敵の本拠は中原ですからな」
周瑜の言葉を、すかさず黄忠が補足すると、周瑜はうなずきながら先を続ける。
「ああ、そのとおりだ。そして中原では水軍は大して役に立たない。必要になってくるのは歩兵であり、強力な騎兵だ」
「ふむ、当然といえば当然ですな。しかし騎兵は金が掛かるし、馬も全然たりませんな」
「ああ、そうだね。しかし金はどんどん稼ぐつもりだし、馬の手当てにも目処がついているんだ」
「ほほう、さすがは周瑜どの」
「別に、私だけで考えたわけではないけどね」
苦笑しながら周瑜が、漢帝国の地図を広げた。
そして北西の涼州を差しながら、言葉を続ける。
「馬といえば涼州だが、今回の取引先はさらに先も見据えている」
「さらに先ですと? 異国から買うのですか?」
「異国というほどでもないが、北の遊牧民から買おうと思っている」
「鮮卑と取り引きをするですと?!」
その答えに、多くの者が顔をしかめた。
この時代、北方の遊牧民といえばただの蛮族であり、戦うべき敵であった。
しかしそれは彼らがさすらいの民であり、富を持たない人々であることの裏返しでもある。
天候不順などで食料が不足すれば、彼らは出稼ぎ感覚で農耕民族を襲うのだ。
「そう嫌ったもんじゃないぞ。彼らには彼らの事情もあるんだ。その辺をうまく調整すれば、共存だって不可能じゃない」
「しかし!」
「まあまあ、俺の話を聞けって。とりあえず涼州の韓遂や馬騰に、相談してみたんだ。遊牧民と取り引きできないかって」
「彼らにとって、遊牧民は仇敵ではありませんか!」
「韓遂どのが敵に通じたと、讒言されるのではありませんか?」
武官のほとんどが、血相を変えて意見してくる。
しかし俺は涼しい顔で、結果を披露してやった。
「そうでもないぞ。韓遂や馬騰なんかは元々、遊牧民とつき合いがあるからな。むしろ乗り気な感じだった」
「まことですかっ? それは」
「ああ、マジだって。ひと口に遊牧民と言っても、いろいろいるんだ。すでに漢とつき合いのある部族もあれば、戦を好まない部族だってある。ただ、食料がないと、そうも言ってられないからな。出稼ぎ感覚で、略奪しにくるんだ」
「出稼ぎだなんて、そんな……」
「たしかに襲われる方は、迷惑でしかないな。それで俺は、ちょっと提案してみたんだ。遊牧民から馬や羊を買ったり、護衛に騎兵を雇ってみたらどうかってな」
「そんなことが、可能なのですかな?……」
黄蓋が疑わしい顔で問う。
「まだ交渉中だけど、案外わるくないんじゃないかって話だ。これが上手くいけば、俺たちも馬が買えるぞ」
「えっ、でもそんなの、国内で買えばいいじゃないっすか」
次に反応したのは呂範だ。
彼が言うように、漢帝国には多くの馬産地があって、大量の馬を供給している。
しかし問題は、有名な馬産地は北方ばかりで、俺たちの支配地にはないことだ。
「そりゃあ、買うけどさ、大量に仕入れたりしたら、曹操に警戒されるだろ。下手すると、取り引きを邪魔されるぞ」
「え~、そこまでやるっすかねえ?」
「間違いなく邪魔してくるさ」
ここで周瑜が断言すると、彼に視線が集まる。
それを意識しつつ、周瑜は苦言を呈した。
「みんなちょっと、危機感が足りないんじゃないかな? 我々がこれから戦わねばならないのは、あの曹操だよ」
「別に曹操だからといって、それほど恐れる必要もないのではないか?」
すると程普が、少し挑発気味に言葉を返す。
周瑜はそんな彼を見て、深刻な表情で訊ねた。
「敵だらけの中原で生き残り、天子を擁して、今まさに華北をたいらげんとしている人物を、大したことないと言うのかな? 程普どのは」
「むっ……そういうわけではないが、我らとて10年足らずで中華の南過半を制したのだ。それが必要以上に敵を恐れていては、兵の士気にも関わるであろう」
程普が強い調子で言い返すと、多くの武官がそれにうなずいていた。
一方、黄忠や太史慈のように、それを冷ややかに見ている者もいる。
そんな状況を見て、周瑜が軽く横に首を振りつつ、魯粛に話を振った。
「魯粛。この中華で我々の支配領域と、それ以外でどれほどの人間がいるか、教えてもらえるかい」
「ふ~む、そうですな。現状の孫策さまの支配領域ですと……おそらく1500万人ほどでしょう。そしてそれ以外の華北地帯には、2800万人ほどが住んでいると思われます」
「なんだと? 華北の方が倍近いではないか……」
「ええっ、そんなに差があんの?」
魯粛の言葉に、多くの者が驚いている。
なにしろ俺たちが統治する華南は、華北よりもむしろ広いぐらいなのだ。
それが逆に半分近い人口しかいないと聞けば、驚くのも無理はない。
しかしこの時代の大人口地域というと、やはり黄河流域なのだ。
それは洛陽周辺が南北の結節点であり、洪水被害が少なかったのもあって、そこを中心に都市文明が発達してきた結果である。
それに比べれば長江流域なんて、まだまだ新興発展地域に過ぎない。
「これほどの人口差がある状態で、そこを制圧する労力は、同等だと言えるかな?」
「むう……それはもちろん、差があるであろうな」
「理解してもらえたようで、良かったよ。それで、だ。人口差が大きいということは、兵士の動員数にも差がつくということだ。仮に我らが15万の兵を動員できるとして、敵はその倍は堅いだろう」
「30万か……とんでもないな」
「うへえ……そんなのとやり合うなんて、正気じゃないっすね」
あちこちでうめき声が聞こえる中で、周瑜はさらにダメを押す。
「問題はそれだけじゃない。我々の軍には、致命的な弱点があるんだ」