47.江南の防衛戦略 (地図あり)
建安10年(205年)4月 揚州 丹陽郡 建業
事実上の交州の支配者であった士燮の要請を受け、俺は太史慈を交州牧とすることを上奏した。
士燮との連名でもあったため、それはすんなりと受け入れられ、太史慈は交州牧に就任する。
これにより俺は、漢帝国の南過半を、本格的に支配することとなった。
するとその影響を受けて、長江の北岸にも変化が生じた。
「広陵郡の南部が接触してきたって?」
「はい、孫策さまと誼を通じたいとのことです」
「う~む、しかし丞相閣下の方はどうなのだ?」
曹操は魏王就任に合わせて、丞相の官職も兼任していた。
もうなりふり構わずに、漢朝を牛耳ろうとしてる感じだ。
そして広陵郡はそんな彼が支配する徐州に属するため、俺が指摘すると、張昭は苦笑いしながら答えた。
「表向きは引き続き、徐州として扱っていただきたいそうです」
「それは少し、虫がよすぎはしないか? 彼らは何を望む?」
「ホッホッホ、丞相閣下は北のことで忙しいですからな。いざという時に、孫策さまの庇護下に入りたいのでしょう」
「ふ~む、まあ徐州にも賊はいるだろうからな」
「お察しのとおりです」
曹操は今、躍起になって華北を攻めている。
そうなると当然、徐州からも兵力を引き抜いているわけで、治安状態はあまりよろしくない。
そんな中で俺は、負け知らずで領地を増やし、とうとう呉王にまで成り上がった。
そりゃあ、俺と誼を通じて、守ってもらいたいと思っても、不思議じゃないだろう。
表向きは、俺も漢朝の臣だしな。
そんなことを考えつつ、俺は指示を出す。
「ふむ。それでは広陵郡へもすぐに兵が出せるよう、準備はしておこう。それと広陵郡と九江郡のどこまでが、俺の庇護を受けたいか、改めて確認してみてくれ」
「はい、そのように手配しましょう。広陵と九江の調略については、すでに動いております」
「さすがは張昭だな。よろしく頼む」
その後、九江郡の各県に接触してみると、南部の大半が俺への恭順を示してきた。
九江郡は俺の統治する揚州に属するが、元の支配者であった袁術が、曹操に敗北した時点で彼の勢力範囲になっていた。
さすがに長江の沿岸は俺が押さえているが、郡都である寿春には、曹操の息が掛かった太守が陣取っており、九江郡のほとんどはそれに従っていた形だ。
しかし今回、その南部が俺に恭順の意を示し、同様に広陵郡の南部も従う意思を見せた。
これによって俺は、長江の北岸に数十キロ幅の勢力圏を得たことになる。
史実でも孫呉は同様の地域を支配していたので、これは自然な成り行きとも言える。
しかしそれはそれで、困った問題があった。
「いざ曹操と敵対した時に、どうしたもんかな?」
「そうだね。住み家を追われる民は、なるべく減らしたいからねえ」
「しかし今から、”ここは戦場になる” などと喧伝するわけにも、いきませんからなぁ」
「だよな~」
史実でも長江北岸は戦場となり、多くの民が土地を追われている。
それどころか曹操は、北岸の民を中原に移住させようとして、大混乱を引き起こしたのだ。
北岸の民からすれば、中原など気候や文化の異なる、なじみのない土地である。
それに比べれば江南の方がよほどに暮らしやすいので、その多くが孫呉に移住してきたらしい。
この世界でもそうなる可能性は高いが、それは人口が増えて喜ばしい反面、ひどい混乱を巻き起こすであろう。
可能であれば、それなりの時間を掛けて移住させ、混乱を回避したいところである。
「やはり協力的な県を巻きこんで、民屯を進めるべきでしょうな。そしていざというときに迅速に避難できるよう、手配をしておくのです」
そう言ったのは魯粛だ。
彼の言う民屯とは、民間人に土地を与えて耕作させる、屯田制のことだ。
あらかじめこちらのヒモがついた人々を住まわせておけば、たしかに混乱は減るだろう。
それに長江北岸を集団農場化すれば、効率的な土地開発もしやすいかもしれない。
「民屯を進めるったって、どう説得するんだ? 曹操と戦うから出てってくれなんて、言えやしないぞ」
「それはもちろんです。なのでまず、噂を流します。魏王さまと呉王さまの支配領域の境界には、賊が住み着きやすい、とかですね。そして孫策さまはそれを憂い、開発の進んだ江南に代替地を準備しているとも」
「う~ん、その程度で土地を明け渡してくれるかな?」
「別に全ての民を移す必要はありません。半分でも移住してくれれば、よほど混乱は避けられるでしょう」
俺の問いに、魯粛はすました顔で答える。
すると周瑜が、さらなる改善策を提案した。
「まあ、当面はそれで済ませておいて、並行して江南で軍屯を進めたらどうかな?」
「江南で軍屯をして、どうする?……ああ、いざという時に入れ替えるのか」
「そういうこと。代替地を準備しておけば、北岸の人間も移りやすいだろう? そしてその代わりに軍を入れれば、北岸の守りも固められる」
「なるほどね……北岸の人々が、どこまで応じてくれるか分からないが、そうでもするしかないな。どうしたって混乱は、避けられないだろうし」
「だろうね。民を守るのは必要だけど、それ以前に勝たないといけないからね」
「そのとおりだ」
結局、魯粛と周瑜の合せ技で対処することになった。
最初は徐々に北岸に民屯を増やしながら、江南で軍屯も進める。
そしていざという時には北岸へ軍を送りこんで、民を江南へ避難させるのだ。
いっぺんで全てを済ませるのでなく、あらかじめ協力者を送りこむことで、避難の円滑化と軍事的な隙を減らす案だ。
事前に噂をばらまいておけば、より混乱も減らせるだろう。
こうして俺たちは、廬江、九江、広陵の3郡の住民を少しずつ入れ替え、来たる曹操との戦いに備えるのだった。
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建安10年(205年)5月 荊州 南郡 襄陽
ハロー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
揚州の防衛方針が決まれば、今度は荊州だ。
俺はまた襄陽へ来て、黄蓋、韓嵩と話をしていた。
「防衛の準備はどんなもんだ?」
「それはもう、日夜けんめいに取り組んでおりますぞ」
「はい、あまりおおっぴらにできないのは難ですが、着々と進めております」
彼らは自信たっぷりにそう言ってのける。
俺は益州を制したあたりから、彼らに防衛網の強化を命じていた。
それは襄陽城、樊城の防壁を改修したり、周囲に支城を作ったりすることだ。
さらに襄陽と樊城の間に流れる漢水に浮き橋を掛け、いざという時に連携を取れるようにも計画している。
「うむ、そうか。まあ、さすがにすぐに戦というわけでもないが、着実に頼むぞ」
「はい、それはもちろん」
「ところで、武器の開発の方はどうだ?」
俺はここで、同席していた諸葛兄弟に話を振る。
すると弟の諸葛均が、待ってましたとばかりに口を開く。
「はいっ、最近ようやく、改良型の強弩の開発に成功しました」
「ほう、どんなやつだ」
「これです!」
彼はおもむろに弩を取り出し、それを誇らしげに披露する。
それは少し大ぶりな弩で、なにやら複雑なレバーが付いていた。
「おお、なかなかよくできているな。これで弦を引く力を、軽減するんだな?」
「はい、孫策さまに指示された構造について、私と兄さんで検討したんです。生産性を確保するのに、ちょっと苦労しましたけど」
「うむうむ、作りやすさは大事だからな」
そう言いながら俺は弩のレバーを引き、弦を発射位置まで持ってくる。
普通なら、足を引っ掛けて全身で引っ張らねばならないような、重労働だ。
しかしテコの原理でその力を減らしているので、上体だけでもなんとか弦が引ける。
それでいて威力は高そうで、矢を300メートルは飛ばせるとか。
これがあれば、戦闘で大きく役に立つだろう。
一般に弩は、通常の弓よりも威力が高く、素人でも使いやすいと言われる。
しかしその分、構造は複雑だしメンテナンスもいるので、それなりにお金が掛かるものだ。
加えて弓の方が、連射速度は優れているし、射程距離だって弩に劣らない場合がある。
有名なイングランドの長弓兵なんて、弩の数倍もの連射能力を持っていたし、有効射程も長かったという。
しかしこれは毎日きびしい訓練を、何年もしてものになるような兵種だったりする。
それに比べれば、狙いもつけやすく、射撃前の状態で待機できる弩は、いろいろとメリットが多い。
しかしまあ、前述のようにとにかく金が掛かるので、通常の弓と組み合わせて使うのが理想であろう。
俺の場合、野戦に行くような精兵には弓を持たせ、砦や城には弩を蓄えておく。
弩なら、さして訓練していない徴集兵にも使えるからな。
さらに大規模な騎兵部隊との戦いにも、強弩は威力を発揮するだろう。
元々、強弩ってのは、漢民族が遊牧民の騎兵に対抗するために開発したものだからな。
それをさらに連射性と生産性を高めれば、曹操との戦いにも役立つというものである。
こうして俺たちは、江南の防衛体制を着々と固めていた。




