46.交州からの使者
第3章のはじまりです。
建安10年(205年)2月 揚州 丹陽郡 建業
ハロー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
とうとう俺、呉王になっちゃいました。
この王というのはどこかの郡に封ぜられる爵位で、その郡は国と呼ばれる。
皇帝を除けば、それこそ最高の爵位に当たり、後漢の臣としては位人臣を極めたと言っていいだろう。
本来であれば皇族でないと認められないんだが、そこはそれ。
漢帝国の南半分を治めて、いろいろ貢献してるんだから、いいだろうってことになった。
もっとも、それに先だって曹操が魏王になってるんだから、俺だけが責められることはない。
とはいえ、それでもいろんな声が上がってるんだよ。
さすがに面と向かっては言わないけど、成り上がりだ、僭越だ、傲慢だって、陰口たたかれてるのが分かる。
でもたぶん、俺よりも曹操の方が突き上げは激しいと思うな。
俺の支配領域には、中原ほど厄介なのは少ないからね。
それはそうと、俺は元々、呉侯の爵位を持ってたから、そのまま呉王として封ぜられたわけだ。
でもこれって列侯と同じで、国への統治権はほとんどなかったりするんだよな。
あくまで漢王朝から派遣された役人が管理して、その租税の一部を受け取るって感じなのだ。
しかし揚州、荊州、益州の大部分を押さえる俺に、影響力がないはずがない。
今回、俺は揚州牧に程普を、荊州牧に黄蓋を、そして益州牧に黄忠を押しこんで、さらなる支配権を確立した。
おまけに俺は王になったもんだから、その権威は爆上げである。
おかげで統治がやりやすい、やりやすい。
権威に弱いヤツらがワラワラと寄ってきて、ヘコヘコと頭を下げていくからな。
そしてそんな中の1人に、交州の士燮が混ざっていたんだが、こいつはちょっと様子が違った。
「はじめまして、孫策さま。士燮 威彦と申します。呉王への就任、心からお慶びを申し上げます」
「うむ、わざわざ交州よりの来訪、大儀であった。それに加え、ずいぶんと多く、祝いの品をもらったようだな」
「いえいえ、孫策さまのご温情により、商売の方も順調ですので。これしきのこと、なにほどでもございません」
そう言って俺を見上げる顔は、かなりの高齢に見えるが、その言動はしっかりしたものだ。
この男こそが、交趾郡太守 士燮である。
たしか歳は70近いはずだ。
今まで俺は、交州の商売にくい込むだけで、統治には興味がなかったので、会ったことはなかった。
しかしさすがに俺が王になるとあっては、無視できなくなったのであろう。
士燮は大量の贈り物をたずさえて、建業まで罷りこしたのだ。
その献上品の多さときたらもう。
真珠・大貝・瑠璃・翡翠・サイの角・象牙などの珍宝だけでなく、バナナ・椰子・龍眼などの果物までと、呆れるほどだ。
それらの一部だけでも、けっこうな財産になるだろう。
これだけの贈り物をするからには、用件はあいさつだけではなかろう。
そう思って世間話をしていたら、やがて核心に迫ってきた。
「ところで孫策さま。今後、交州とはどのように接していかれるおつもりでしょうか?」
「ん? 別につき合い方を変えるつもりはないが」
「さようでございますか。しかし私どもとしましては、孫策さまに交州も治めていただけないかと、愚考しているのですが」
そう言って上目遣いにこちらを探るさまは、まさに百戦錬磨の政治家といった感じだ。
しかし俺はそんな彼を、突き放した。
「いや、やはり交州とのつき合い方を変えるつもりはないな。益州のように混乱しているならいざ知らず、交州は士燮どのの下、それなりに治まっているのであろう?」
「これは過大な評価、ありがとうございます。しかし交州が治まっているのは、孫策さまが水軍を出してくれているおかげもあります。それに私も、ずいぶんと老いました。息子どもでは不安が残りますので、この辺りで呉王さまに治めていただければ、安心できるというものです」
実は交州には、朱符、張津などといった刺史が、漢王朝より派遣されていた。
しかしそこは南のはての辺境といってよく、”治安、何それおいしいの?”って土地柄である。
5年ほど前に張津が殺されてからは、士燮が事実上、交州の監督者に任じられていた。
俺たちが交州の商流に手をつっこむまでは、それでもよかったのだろう。
南海貿易の利益を独占できていたからな。
しかし俺たちが後押しする揚州商人の参入で、それは崩れてしまった。
その結果、”大して利益も出ないのに、州の監督なんてやってられっか!” と士燮が考えても、無理はないであろう。
それで今回、呉王就任のお祝いがてら、責任を押しつけにきた、そんなところか。
俺はその場にいた魯粛に、話を振る。
「ふむ、交州の話、どう思う?」
「そうですな。かの地には多くの蛮族や犯罪者が、潜んでいると聞きます。そのような者どもにとっては、呉王さまの権威も関係ないでしょう。いかな孫策さまといえど、その統治には苦労するかと」
「ふむ……そうであろうな」
そこで士燮を見やると、彼が口を開いた。
「なにごとも完璧を目指しすぎれば、つまずくものでございます。ほどほどにお目こぼしをいただければ、私が抑えてみせましょう」
「その方、孫策さまに犯罪を見逃せと申すか?」
ここで士燮を問い詰めたのは、張昭だ。
孫呉のお目付け役としては、今のは聞き逃せないだろう。
士燮は、”自分が裏社会を抑えるから、法律の適用も任せろ” と言っているに等しいからだ。
しかし俺はそんな彼をなだめる。
「まあ、そう目くじらを立てるな、張昭。実をいうと俺もそろそろ、士燮と手を結んでもよいと思っていたのだ」
「それは何ゆえですかな?」
「権力者がバラバラに動いていては、いろいろと不都合も起きるだろう。それは揚州の商人のみならず、交州の民にとっても不幸なことだ」
「ああ、たしかに。それはありますな」
弱肉強食の世界といってしまえばそれまでだが、交州にも善良な民はいるだろう。
そんなところで2種類の権力がせめぎ合っていれば、そのしわ寄せは民に行く。
そんな話を張昭とすれば、士燮が感心したような目を向けてくる。
「おお、孫策さまはまことに名君であらせられますな」
「別に世辞はいいぞ。常にそうありたいとは、思っているがな」
「いえいえ、お世辞などではございません。民のためであれば、清濁をあわせ呑む覚悟がおありと推察しました。叶うならば、私も孫策さまの下で働きたいと存じます」
そう言って士燮は、深々と頭を下げた。
「頭を上げてくれ、士燮よ。貴殿の願いは聞きいれた。そうだな……連名で交州牧を推薦する書状を、朝廷へ送るというのはどうだろうか? 候補は太史慈が適当と思うが」
「おお、太史慈どのであれば、交州の荒くれ共もその威に服しましょう。こちらからもぜひ、お願いいたします」
「うむ、それでは手配を頼む、張昭」
「ははっ」
こうして太史慈を交州牧とし、士燮と同盟する計画が決まった。
太史慈は腕っぷしが強いだけでなく、中原でも名が売れているほどの猛将だ。
おそらく俺の期待に応えて、交州を統治してくれるだろう。
もっとも俺は、交州の泥沼にどっぷり足を漬けるつもりはない。
交州全体を中原同様に統治するなど、土台無理な話だからだ。
あそこには犯罪者や異民族が跋扈していて、俺の言うことなんて聞かないだろうからな。
ならば最低限のインフラと、統治を受け入れる領民だけを保護すればいい。
後は海岸線を固め、徐々に支配領域を増やすだけだ。
それと交州には、霊渠という運河もある。
これはなんと荊州と交州の間を、船で通行可能にするものだ。
長江へ通じる湘水と、香港付近へ流れていく漓水という川を、山の中でつなげてるんだぜ。
これを秦の始皇帝が、4百年も前に作らせたってんだから、さらに驚きである。
しかも別の川をくっつけるからには多少の高低差があるわけで、原始的な閘門を開閉して、船を行き来させてるらしい。
原理的にはパナマ運河と一緒である。
どんだけ凄いんだよ、古代中国の技術。
しかし始皇帝がこれを造らせたのは、軍事物資を迅速に交州へ送るためだったらしい。
つまり支配のための道具だな。
これを改修して、荊州と交州の貿易に使えば、どうだろうか?
うまくやれば、けっこうな利益が上がるかもしれない。
今後の検討項目である。
そんな思惑もあって、士燮との会談は友好的に終わった。
そしてしばらく後、太史慈の交州牧就任が朝廷に認められ、俺は4州を支配することとなったのだ。