43.馬謖、そんなんじゃもう……
建安9年(204年)5月 益州 蜀郡 成都
成都で呉王になる話なんかをしているうちに、各地に散っていた軍勢の多くが戻ってきた。
そのほとんどは楽な平定戦を終え、戦勝に沸き返っている。
その中から、今回が初陣になるような若者を集めて、話を聞いてみた。
「みんな、今回の実戦はどうだった?」
「はい、すごく緊張したけど、なんとかやれました」
口火を切ったのは、弟の孫翊だ。
彼は興奮に頬を染めながらも、誇らしそうに胸を張っている。
「そうか。ちゃんと古参兵のいうことは、聞いたんだろうな?」
「もちろんですよ。聞かないで失敗なんかしたら、もう戦に出れませんからね」
「僕もがんばりました!」
「私も!」
すると孫匡、孫瑜、孫皎なども、口々に体験を語る。
どれも小規模の戦闘しかなかったはずだが、それでも新人にとっては初めての体験だ。
みんな、興奮もあらわにおしゃべりをしている。
しかしそんな中で1人、ドヨ~ンとしている者がいた。
「馬謖はその腕、どうしたんだ?」
「うっ……矢に、当たりました」
馬謖は左腕をケガしたのか、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
すると兄の馬良が、彼をかばうように言う。
「す、すみません。私がいながら、守れませんでした。私の責任です」
「……」
しかしかばわれた馬謖は、唇を噛みしめている。
どうやらなにか、やらかしたような雰囲気だ。
俺はそんな彼に、カマをかけてみる。
「ふ~ん……ちゃんと周りの言うことは、聞いたんだろうな?」
「うぐ……」
すると馬謖は何も言えず、うつむいてしまう。
実は今回、新人たちを送り出すにあたって、いくつか注意を与えておいた。
例えば付けられた古参兵の言葉に耳を傾け、謙虚に行動するようにとか、あまり前に出ず、生き残ることを最優先にする、などだ。
どうやら馬謖は、それが守れなかったらしい。
古参兵が引き止めるのも聞かず、前に出過ぎたところを、流れ矢に当たってしまったとか。
俺はそんな彼に目線を合わせつつ、静かに訊く。
「なあ、馬謖。なぜ俺の指示を守れなかった?」
「……別に、守らなかったんじゃありません。ただ庶民の兵士が、偉そうなことを言ったので、ちょっとカッとなって」
「ほう……たしか俺は、お前たちに付けた兵士の言葉は、俺の言葉と同じものとして聞け。そう言ったはずだな?」
「……」
馬謖は目をそらしたまま、何も言えない。
そんな彼を見て、俺はため息をついた。
「は~~~……馬謖。そんなんじゃもう、戦場に出せないぞ」
「な、なぜですか? たった一度の失敗で、私の将来を奪うなど、ひどいではありませんか!」
それを聞いた馬謖が、俺に食ってかかる。
勝ち気そうな目をいからせて抗議するさまは、ひどく幼く見える。
実際に彼は数えで15歳でしかないのだが、だからといって許せるものでもない。
「あのな、馬謖。失敗自体は大したことじゃないんだ。人は誰でも、失敗するからな」
「ならばなぜ――」
「お前が失敗の原因から目をそむけたままで、反省しないからだ。そのままではお前は必ず、似たような失敗を繰り返すだろう。そんな人間に、安心して兵を預けられるはずがないだろうに」
「うぐっ」
彼は目に涙をいっぱいに浮かべながら、唇を噛みしめる。
その目は俺を責めていたが、それはお門違いというものだ。
こんなざまでは史実でやらかした大失態を、この世界でも引き起こしかねない。
馬謖は第1次北伐で、周りの注意も聞かずに街亭の山上に布陣し、張郃に大敗してしまった。
おかげで成功しかけていた戦略が破綻し、蜀軍は漢中に撤退せざるを得なかったのだ。
本当に馬謖がそこまで愚かだったのか、ちょっと疑問に思うほどだが、諸葛亮が望む以上の大勝を挙げようと焦ったがゆえの、失態だと言われている。
実際、彼は頭がいいわりに、己を客観視できないように見える。
そのため一時の感情のみで行動し、それを反省できないようだ。
再びため息をつきながら、馬良に目をやると、彼が進み出た。
「わ、私がよく言ってきかせますので、また機会をもらえないでしょうか?」
「いや、それでは逆効果だ。しばらくは放っておいてやれ。馬謖、別に戦場に出ることばかりが仕事ではない。文官として――」
「あっ、謖」
とうとう馬謖はその場から、走り去ってしまった。
馬良がそれを追うが、まあ、任せておこう。
俺は改めて、周りの新人たちに話しかける。
「いいか、みんな。失敗が悪いんじゃない。失敗から学ばないことが悪いんだ。自分たちが士大夫として、兵の上に立つ者としてふさわしいか、常に自問しろ。そうすればいつかは、良き将になれるだろう」
「「「はいっ」」」
馬謖には悪いが、他の者にとっては、良い教育になったのかもしれない。
彼も自分の過ちに気がつき、立ち直ってくれるといいのだが。
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建安9年(204年)5月 益州 蜀郡 成都
各地に散っていた部隊が戻ってきたことで、益州の状況がつかめてきた。
文官がその内容をまとめてくれたので、主要人物を集めて話を聞くことにする。
「それでは益州の状況について、聞かせてもらおうか」
「はい、孫策さま。各部隊の報告をまとめた内容がこちらになります。端的に言いますと、かつてないほどに益州の治安が向上いたしました」
そう言って報告をしたのは、文官筆頭の張粛だ。
彼は弟の張松と共に、劉璋が去った成都の役人をまとめ、政務を進めてくれていた。
彼によれば、益州の漢中、巴、広漢、蜀、犍為、牂牁、越巂、益州、永昌、広漢属国、蜀郡属国、犍為属国の12郡は、おおむね秩序を取り戻しつつあった。
それは我が軍が比較的、厳正な法をもって、統治に当たっているからだと言えるだろう。
もちろん軍隊なんてのは暴力装置なのだから、完全に統制することなどできはしない。
しかし俺は揚州を制圧している頃から、軍には暴行や略奪をさせないよう、徹底してきた。
おかげでこの時代としては、異常なほど品行方正な軍ができあがっている。
実際に兵糧は揚州、荊州から持ちこんでたし、軍法を犯す者は容赦なく罰するのだ。
末端のささいな騒動は別として、軍隊としては常に統制を失うことはない。
そのためか、多くの地域で解放軍のように歓迎されたそうだ。
そりゃまあ、東州兵や張魯、南蛮西南夷なんかが、日常的に暴れまわってたんだ。
歓迎もされるだろう。
「孫策さまの軍は、本当にすばらしいですな。領民から感謝の声が上がっております」
「うむ、それは劉璋どのと約束したからな」
元益州牧の劉璋は、せめて民に無体を働かないでくれと言い残し、益州を去っている。
今、彼は故郷の江夏郡に移り、静かな時を過ごしていた。
そのまま変な野心を持たなければ、いずれ列侯に封じてやる予定だ。
「それで、太守の任命はこれでよろしいですかな」
「ああ、まずはそれで様子を見よう」
今回の功績を考慮して、益州の太守を以下のように配置してみた。
漢中郡 張魯
巴郡 太史慈
広漢郡 周泰
蜀郡 黄忠
犍為郡 蒋欽
牂牁郡 陳武
越巂郡 凌操
益州郡 呂蒙
永昌郡 甘寧
広漢属国 魏延
蜀郡属国 孫河
犍為属国 陸遜
それぞれ名目的な配置であり、状況が落ち着いたら軍務を優先してもらうことになるだろう。
ただし黄忠だけは今後も益州に留まってもらい、内外に目を光らせる予定だ。
「それから水路と狼煙台の整備ですが、本当にここまでおやりになるのですか?」
「ああ、俺は普段、建業にいるからな。いざという時に動けんようでは困る」
「そうですか。だいぶ費用が掛かるので、まずはやれるところから手を付けましょう」
「うむ、頼む。最近は伝書バトという通信手段も検討しているからな。モノになったら、こちらへも展開しよう」
「はい、承りました」
俺はこの益州でも通信手段の確立を、張粛らに指示していた。
なにせ今後は、広大な3州を守っていかねばならないのだ。
そのためには情報伝達の速さが、重大な意味を持つ。
この他にも、確認すべきこと、改善すべきことは山のようにあった。
しかし何はともあれ、俺の益州攻略は、大成功に終わったのだった。