42.俺が呉王とか、無理だろう
建安9年(204年)5月 益州 蜀郡 成都
なんとか張魯を言いくるめ、北への守りも固めた俺は、また成都に戻ってきた。
そして州内の秩序回復に努めながら、比較的、平穏な日々を送っていた。
そんなある夜、俺は周喩と魯粛を呼びだす。
「どうしたんだい? 孫策。大事な話って」
「さようですな。州内の治安はメキメキ回復しておりますし、民心も落ち着きつつあるので、特に問題はないかと思いますが」
「ああ、そういう話じゃないんだ。これを見てくれよ」
そう言って出した書状を、周瑜と魯粛が読む。
「ふむ、また曹操から文句を言ってきたか。ただちに攻略をやめて、許都へ出頭しろとはね」
「フハハ、まあ、彼がそう言うのも、無理はないでしょうな」
そう、それは曹操からの、再度の詰問状だった。
案の定、俺が返した書状にブチ切れて、また送ってよこしたのだ。
それにはただちに攻略をやめ、許都へ来て釈明しろとある。
「まあ、俺がヤツの立場でも、同じことを言うかもしれない。もっとも益州の攻略は、もう終わってるんだがな」
「ハハハ、そうだね。釈明もなにもないよね。そういえば曹操は今、どんな状況なんだい?」
そんな周瑜の問いに、魯粛が答える。
「最新の情報では、袁尚の留守を狙って、鄴へ向かったとのことですが」
「ふむ、たしか兄の袁譚は、曹操に寝返ったんだよね」
「ええ、そうです。そんなことをやってるので、袁家は劣勢ですよ」
「とはいえ、当面は曹操も北に掛かりきりだろう。だったら、無視してもいいんじゃないかな」
「私もそう思いますな」
周瑜と魯粛はこともなげに、勧告を無視しろと言う。
その態度には、曹操への恐れはまったく見られない。
「ん~……俺もそれは考えたんだが、これを利用する手はないかと思ってな」
「利用するって、何に?」
「例えば時間稼ぎだな。仮にこれを無視した場合、その先はどうする?」
「そりゃあ、北への守りを固めつつ、支配領域の統治を進めるさ。いずれは中原にも対抗できるだけの、力を蓄えるためにね」
「それが妥当でしょうな」
どうやら彼らの意見は一致しているようだ。
「それはつまり、漢王朝と決別するってことだよな?」
「そうだね。ここまでやったからには、曹操も許さないだろう」
「本当にそうかな? 今の曹操は、なんとしても袁家を追い詰めて、とどめを刺したいだろ? だったら妥協の余地はあると思わないか?」
「ふむ、その可能性はあるけど、そうでない可能性も高い。なにしろ袁家は分裂してるんだ。早々に決着がつくかもしれないよ」
「いや、俺はけっこう長引くと思うな。袁尚と袁煕には、資金援助もしてるからな」
「う~ん……それもそうかな」
史実を知っている俺は、強気の見積もりを主張する。
なにしろ曹操は、袁家を片付けるのに207年まで掛かっているのだ。
多少は早めに見切りをつける可能性もあるが、俺の資金援助もあるから、そう早くはならないと見ている。
つまり曹操は、なるべく俺たちにはおとなしくしておいて欲しいはずなのだ。
すると魯粛が俺に問う。
「益州を攻めた言い訳はどうするのですか?」
「それは今までどおり、劉璋が益州を統治できず、民が迷惑していたからだって言う。漢王朝だって、それで劉璋を呼び出してたんだ。つじつまは合うだろ」
「しかし、勝手に兵を起こしたのも事実ですよね」
「そこはあれさ。益州から難民が流れてきて、要望されたってことにしよう」
「う~ん、少し苦しいですが、理由にはなりますか」
魯粛の顔は渋いながらも、強く反対はしない。
すると今度は、周瑜がつっこんできた。
「いくらそんな言い訳を並べたって、曹操が信じるとは思えないな。こっちは勝手に益州を攻めて、曹操の顔をつぶしたんだ。敵対以外に選択肢はないだろう」
「だから金や兵糧、南海の珍品なんかをさ、許都に送るんだ。一時の恥をしのんで、頭を下げれば、なんとかなるかもしれないじゃないか」
「そこまでして、ご機嫌を取る必要があるのかい? すでに私たちは3州の大半を支配しているんだ。広さだけでいえば、十分に華北に匹敵するよ」
「だからこそさ。俺たちは一時的に支配に成功しているけど、領民全てがそれを受け入れてるわけじゃない。ある程度、時間を掛けて、俺たちの統治を受け入れさせる必要があるんだ」
「う~ん、たしかにそれはそうなんだけどねぇ」
「たしかに、それは必要ですな」
周瑜と魯粛もそのこと自体には賛成であるものの、どこか釈然としない感じだ。
今回の益州攻略に当たって、曹操とは決別する前提だったのだから、それも仕方ないだろう。
周瑜はしばし考えてから、また口を開いた。
「上手くいくかどうかは分からないけど、やってみる価値はあるか。実際問題、漢王朝から離れることに抵抗のある者は多いだろうからね。その点だけでも利点はある」
「ふ~む、やはり普通の方には、厳しいですかな?」
「ああ、むしろ魯粛ほど抵抗がないほうが、おかしいんだよ」
「そうですかねえ」
周瑜に指摘された魯粛が苦笑する。
実際にこの時代の人間にしては、魯粛は異常に権威や伝統にこだわらない。
その点、周瑜はまだ一般的な価値観に近い方だろう。
しかしそんな彼から、とんでもない話が出てきた。
「そうだ。いっそのこと、孫策を呉王に封じてもらったらどうかな?」
「ご、呉王だって? 皇族でもないのに、それは無理だろう」
「いえ、それは面白いですね。それこそ山のように貢ぎ物を送れば、案外みとめてくれるかもしれません」
あまりにぶっ飛んだ提案を否定しても、魯粛までが周瑜に同調する。
しかし今の漢王朝では、王位は皇族にしか許されていないのだ。
貢ぎ物ぐらいで、どうにかなるようなもんじゃない。
「おいおい、魯粛まで……一体どんな理屈で、呉王にしてくれって言うんだよ?」
「孫策さまは揚州と荊州を治め、見事に発展させています。それに加え、今度は益州の混乱も治めたのですから、その功績は明らかです。今後、揚・荊・益の3州をまとめるには、王の称号が必要だと言えば、認めてくれるかもしれませんよ。逆にそれができないなら離反すると、仄めかせばいかがでしょうか?」
「フフフ、いいね。その線で上奏文をまとめて、張紘に送ってみようか。彼なら案外、上手くやってくれるかもしれないよ」
「お前ら、本気か?」
そう言ってにらみつけると、しばし沈黙が訪れる。
するとふいに周瑜が吹き出した。
「プッ、無理だね」
「フハハ、無理でしょうな」
「……なんだよ、冗談かよ」
頭の中を疑うような提案だったが、どうやら冗談だったらしい。
まったく、まぎらわしい奴らだ。
「いくら曹操が困っていても、そんなことを認めるはずがない。漢王朝の中に、もうひとつの国を認めるようなものだからね」
「そうですな。やるとすれば、孫策さま以外の重鎮を、揚州と益州の牧にすえる、といったところでしょうか」
「それで仲間割れを誘うんだね」
「ええ、そういう意味では、周瑜どのなどはよい標的でしょう」
すると周瑜が鼻で笑った。
「フフン、そうしてくれれば、逆にやりやすいんだけどね」
「まあ、そうだな。俺は裏切りを気にしなくて済むからな」
「フハハッ、さすがですな」
俺もすかさず周瑜を支持すれば、魯粛も楽しそうに笑う。
もしも曹操が周瑜を取り込もうとしても、俺にとっては都合がいいくらいだが、それほど甘くはないだろう。
それよりは、俺にライバル意識の強い孫賁とか、まだ若い孫権あたりが狙われそうな気がする。
まあ、その辺はおいおい対策していけばいいだろう。
「それじゃあ、とりあえずダメ元で、漢王朝に対して呉王の位を要求するか。それで断られたら曹操を非難しつつ、呉王を名乗るって感じかな」
「ああ、その方向で検討しよう。また忙しくなるね」
「フフフ、しかしそれだけ、我々もやる気が出ますな」
嬉しそうにする彼らを見ると、俺もやる気が出るというものだ。
しかし問題は山積みだ。
「とはいえ、俺たちだけでは決められないから、早々に建業へ戻って、張昭たちと相談しないとな」
「まあ、それは当然だね。家臣の不満を全ては解消できないけど、できるだけ努力はするべきだ」
「ですな。まあ、じっくりやりましょう」
この日、俺たちに新たな目標が生まれた。
はたしてそれに対し、曹操はどう反応するだろうか。