41.まずは天下2分の計ってやつ? (地図あり)
建安9年(204年)2月初旬 益州 蜀郡 成都
法正と関羽を帰してから様子を見ていると、ようやく3日後に反応があった。
城門が開いて、また法正がやってきたのだ。
「お待たせしました、孫将軍。ようやく話がまとまりました」
「おお、まとまったのか。それで劉璋どのは、降伏してくれるのだな?」
「はい。民を無為に戦につき合わせるよりは、降伏を選ぶとのことです。どちらかというと、臣下の意見をまとめるのに、時間が掛かりましたが、それも解決いたしました」
「……そうか、ご苦労であったな、法正どの」
「もったいなきお言葉」
そう言う法正の顔には、疲労の色が濃くにじんでいた。
おそらく降伏案を飲ませるのに、奔走したのであろう。
まだ戦力はあるのに降伏だなんてって感じで、反対する者が多かったのは想像に難くない。
そんなことを思いながら、今後の進め方を問う。
「それで、城の引き渡しの準備は整っているのか?」
「いえ、それはこれからでございますが、さほど手間は掛からないでしょう。まずは劉備どのに退場していただき、それから劉璋さまにお会いしていただくことになります」
「ふむ、そうか。それでは劉備どのが領内を通過できる書状を発行して、我が軍にも伝令を出すとしよう」
「はい、よろしくお願いいたします」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それからはトントン拍子に話が進み、まず翌日の朝には劉備一行を見送った。
成都から百人ばかりの一群が出てきて、北へ向けて去っていく。
みんな、メッチャ俺のことにらんでるな。
たぶん耳のでかい男が劉備で、ヒゲモジャで固太りな男が張飛だろう。
そしてちょっと見た目のいい男が趙雲か。
趙雲とか、惜しい人材だな。
どうにかして、俺の部下にできねえかな?
そんなことを考えながら彼らを見送っていると、法正がやってきた。
「それでは孫将軍。劉璋さまがお待ちです」
「ああ、よろしく頼む」
法正について城内に入ると、行政府らしき建物に連れていかれる。
そしてある部屋に入ると、1人の男が待っていた。
あまり風采の上がらない、40がらみの男である。
彼はその場で立ち上がると、あいさつをしてきた。
「お初にお目にかかる、孫将軍。私が劉璋 季玉だ……私は貴殿に降伏する」
「はじめまして、劉璋どの。孫策 伯符だ。貴殿の英断には、敬意を表する」
そう言って拱手の礼を取ると、劉璋は意外そうな顔をした。
「……こう言ってはなんだが、貴殿は礼節を知る男なのだな。もっとこう……粗暴な男を想像していた」
「ハハハ、それはあながち、間違ってはいないだろう。しかしまあ、私も今では多くの臣下を抱える身だ。多少は外聞を気にするようになったに過ぎんさ」
「……そうか。貴殿は強いのだな。私は父の跡を継いでから、仕事が嫌で嫌で仕方なかった。結果的に劉家の名に泥を塗ってしまったが、正直、肩の荷が降りて、ホッとしている」
自嘲気味に笑う劉璋の顔は、少し寂しそうではあったが、同時にサッパリしているようにも見えた。
俺はそれ以上、彼の尊厳を刺激しないよう、話題を変える。
「それはよかった。ところで劉備どのは、おとなしく退いてくれたのかな?」
「ククク、いろいろとゴネられたが、最終的にはあきらめてくれたよ。どんなに粘ったところで、援軍も望めないのだからな」
「まあ、そうだな……しかし例えば、劉備が劉璋どのに取って代わろう、などという動きはなかったのか?」
「ご冗談を。家系も定かでない、ただの劉姓が成り代わろうとしても、だれも言うことなど聞かんよ。ハハハ」
「なるほど、それもそうだ」
乗っ取りの気配について訊ねたら、劉璋に笑い飛ばされてしまった。
まあ、それが正しい感覚なのだろう。
三国志演義の中では、劉備は献帝から皇叔と呼ばれ、劉表や劉璋から兄弟扱いされたりもしているが、現実ではこんなもんだ。
3百年も前の皇族が先祖だと言ったって、なんの証拠もないからな。
そんな彼がなぜ、陶謙や劉璋などの群雄に歓迎されたかといえば、単純に戦が強かったからだ。
戦力の心許ない連中にとっては、都合のいい傭兵みたいな存在だったんだろう。
まあ、あまりにも無防備な劉璋は、史実で益州を乗っ取られちまったわけだが。
「そういえば劉備は、どこへ行くかとは、言ってたのか?」
「とりあえず涼州へ行くとのことであったが、どうなることか」
「ふむ、韓遂か馬騰を頼るといったところか」
「それしかなかろうが、はたして上手くいくかな?」
「それは彼ら次第だろう。さて、こうしている間にも、世の中は動いている。まずは城内の武装解除を進めつつ、各地に降伏の使者を送ってもらえるかな?」
「うむ、心得た」
こうして劉璋との会見は終わった。
別に恨みごとを言われるでもなく、あっさりとしたものだ。
本当に彼は、この乱世でリーダーをやるのには向いていなかったのだろう。
劉璋のどこかサバサバした表情を見て、そう思った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建安9年(204年)4月初旬 益州 漢中郡 南鄭
ハロー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
成都陥落後は、兵士の武装解除を進めながら、州内の各地に降伏の指示を送った。
もちろん中には俺への降伏をよしとせず、徹底抗戦を叫ぶヤツもいた。
そんなヤツらには即行で軍団を派遣し、城塞を攻め落としていった。
ぶっちゃけどこも大した兵力は残っていないので、よい軍事演習になったといっていいぐらいだ。
おかげで我が弟たちや、孫瑜、孫皎、馬良、馬謖などの新人たちに、貴重な経験を積ませることができた。
その点において、多少は有意義な戦だったと言えるだろう。
その間に、益州の人材登用も進んだ。
文官としては、張粛、張松、董和、許靖、李恢、法正、王累、王連などが恭順してきた。
そして武官は張任、孟達、龐羲、呉懿、黄権、楊懐、高沛などが仕えてくれることとなった。
彼らなりに忸怩たる思いはあったろうが、劉璋みずからが説得をし、益州の民のためということで、折り合いをつけてくれたようだ。
しかし残念だったのは厳顔だ。
江州を守っていた彼は、孫賁の強攻によって討ち死にしてしまったからだ。
生き残ってたら、黄忠と一緒に老将コンビとか組ませたかったのになぁ。
これも荊州で反乱を誘発した曹操のせいだ。
あの野郎、いつかぶん殴ってやる。
一方、今回の協力者である孟獲と張魯だが、彼らへの対応は分かれた。
南の蛮族である猛獲に対しては、食料や布などを渡し、礼を言って帰ってもらった。
いずれ上下関係は分からせてやるつもりだが、表向きは友好的に終わったのだ。
しかし張魯については、そうはいかなかった。
なにしろ彼は漢中郡のみならず、巴郡や広漢郡の一部にも勢力を伸ばしているのだ。
今後の統治のためには、漢中郡以外の領地を取り上げる必要があった。
そのため最初は穏便に明け渡しを要求したのだが、結局、武力衝突につながってしまう。
もっとも、我が孫軍団の精鋭の前には、宗教集団など敵ではない。
一方的にボコって、敵の本拠地である南鄭へ押し寄せた。
そして今、俺は張魯に会うため、ここへ来ている。
「はじめまして、張魯どの。孫策 伯符だ」
「ヒイッ、こ、殺さないでくれ」
俺があいさつしたら、いきなり土下座された。
どうやら俺が彼を、殺しにきたと思ったらしい。
「何を言っている、張魯どの。殺す気なんてないぞ。今日は今後のことを、話しにきたんだ」
「ほ、本当か?」
「ああ、本当だ。まずは座ってくれ」
そう言って着席を促すと、張魯が恐る恐る椅子に座る。
「まずは今回の不幸な衝突について、謝罪したい。せっかく共同して兵を起こしてくれたのに、悪いことをしたな」
「う……そう言ってもらえると、助かる。同盟したはずなのに攻められて、大混乱に陥ったのだ」
「うむ、そうであろうな。しかしな、張魯どの。漢中以外に手を出すのは、認められんのだ。これからは我々が益州を統治するのだからな」
「し、しかし一緒に戦ったのに、領地を取り上げられるのは――」
「張魯どの!」
調子こいて抗議を始めた張魯を、俺は一喝する。
そして彼の目を見ながら、静かに諭した。
「もちろん貴殿には感謝しているし、今後もよい関係でありたいとは思う。しかしどうしても共存できないというのなら、首をすげ替えるしかないのだぞ」
「ひ、ひぃ……」
「元々、劉焉どのが生きていた頃は、漢中だけを治めていたのであろう? すでに劉璋どのから、この益州は俺が受け継いだのだ。だから今後は新たな秩序に従ってもらわねばならん。なに、漢中は安堵するし、州内の治安はこちらで受け持つ。それほど悪い取り引きでもないだろう」
「う、うむ……」
この張魯ってヤツは、元々劉璋の父親である劉焉の配下だった。
しかし劉焉が死ぬと、跡を継いだ劉璋に統治能力がないのをいいことに、好き勝手を始めたのだ。
漢中だけでなく、巴郡や広漢郡にも手を伸ばし、その土地を占拠していた。
しかし今後もそんなことを許せば、州内の統制が取れなくなる。
そこでガツンと鼻面を殴って、おとなしくさせたわけだ。
ぶっちゃけ、約束違反になってしまったが、この場合はそうも言ってられない。
今後は力関係を明確にしながら、多少、甘い汁を吸わせてやれば、従ってくれるだろう。
「ああ、それとな。北側から襲撃がないとも限らないから、警備体制については、こちらにも協力させて欲しい。何、いくつか助言を守ってもらえれば、そううるさいことは言わない。いざというときは、すぐに援軍に駆けつけられるようにしておくから、安心してくれていいぞ」
「は、はあ……」
よし、これで張魯の兵を使いながら、北への防備を固められるぞ。
これで周瑜が唱えた、”天下2分の計”の下地は整った。
今後は曹操に対抗できる国造りをしないとな。