39.曹操の嫌がらせ
建安8年(203年)11月中旬 益州 蜀郡 成都
陸遜や龐統の援軍を受けて、我が軍は劉璋軍との野戦に勝利した。
敵はそのまま成都に逃げこんだので、俺たちはその周りを囲む。
このまましばしにらみ合いかと思っていたところへ、思わぬ凶報が舞いこんできた。
「荊州で反乱だと?」
「はっ、武陵、長沙、桂陽、零陵の各郡の蛮族が、反乱を起こしたそうです」
「くそっ、やられた!」
俺が顔を押さえて悔しがると、呂範が訊ねる。
「やられたって、誰にっすか?」
「……はっきりとは分からないが、おそらく曹操だろうな」
「え、なんで曹操が? 味方じゃなかったんすか?」
ますます分からないといった顔の呂範に、陸遜が説明する。
「今は味方ですけど、先のことを考えると、また違ってくるんですよ。孫策さまの足を引っぱりたくて、曹操が反乱を煽動した可能性は高いです」
「ああ、そうだね。劉璋がやったとも考えられるが、4ヶ所同時となると、さすがに無理だろう。まず曹操陣営しか、ないだろうね」
「同感だ。そうとしか思えねえ」
周瑜が指摘したとおり、劉璋に4ヶ所も同時に反乱させる力などない。
そして今この時点で、そんな組織力と資金力を持つのは、曹操ぐらいのものだろう。
続いて周瑜が対策案を口にする。
「とりあえず、夏口に待機させている朱治と韓当に動いてもらうとして、もうひとつかふたつ、軍を動かしたいね」
「ああ、だけど襄陽と建業の兵は動かせないから、益州から返すしかないな」
「そうだね。だけどここからはあまり動かしたくないし、程普どのや黄蓋どのも、忙しいだろう。そうなると……」
「ああ、孫賁にがんばってもらうしかない……嫌だが、力攻めを指示するか」
「それしかないだろうね」
孫賁・孫輔兄弟は今、1万の兵で江州城を囲んでいた。
しかし城には厳顔が5千ほどの兵でこもっており、いまだに膠着したままだ。
「ここで迷っていても仕方ない。孫賁には力攻めを指示して、念のため援軍を送っておこう……孫河、3千ほど率いて、江州へ向かってくれないか?」
「はい、了解しました」
強攻することで、孫賁の軍勢が大きく損なわれる可能性もあったので、援軍を送ることにした。
あとは孫賁が、上手くやってくれるのを祈るばかりだ。
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建安8年(203年)12月中旬 益州 蜀郡 成都
結果的に孫賁は、江州城を落とすことに成功した。
しかし無理に攻めたおかげで、千人以上の死者を出し、動けないケガ人はその3倍にも達したそうだ。
おまけに敵将の厳顔も、激戦の中で命を落としてしまう。
孫賁にはなるべく生かして捕らえるよう、指示はしていたのだが、そんな余裕もなかったのだろう。
だから力攻めなんて、やりたくなかったのだ。
ちなみに俺が力攻めを避ける理由は、他にもある。
我が軍では兵士のやる気を引き出すため、死者や負傷者への手当てを厚くしているのだ。
死者や体を壊したような者には見舞金を出すし、その家族の面倒もできるだけ見る。
そうすることによって、いざというときに兵士が命を惜しまないような、屈強な軍を作ってきた。
それゆえの孫策軍の強さであるが、それは逆に金の掛かる理由になる。
そのため必要以上の力攻めは、厳に戒めるべき戦法として、将兵に徹底しているのだ。
そういう意味で今回の反乱騒動は、俺に対する絶妙な嫌がらせとなっていた。
その後、江州城は孫河が引き継ぎ、孫賁と孫輔には6千の兵を率いて、武陵郡へ向かってもらった。
これでなんとか荊州の反乱が治まるといいのだが。
「くそっ、曹操め。いつかぶん殴ってやる」
「フフフ、こっちだって袁一族に資金援助してるんだから、お互い様じゃないかい? それはそうと、こっちはどうする?」
「う~ん、どうするかな……」
成都を囲んで1ヶ月以上にもなるが、こちらもがっつりと膠着していた。
敵はただこもるだけでなく、たまに城を出ては、小競り合いを演じている。
ただしその場合も城の攻撃圏内を離れず、あわよくばこちらをひきずりこもうとしていた。
下手に深入りすれば、城壁上から大量の矢が降ってきて、味方の損害が増えてしまう。
そんな嫌らしい駆け引きを主導しているのが、劉備一行だった。
さすが用心棒として頼りにされるだけあって、奴らは戦が上手い。
こちらも黄忠らを前面に出して攻めさせているが、これが思ったほど攻めきれない。
おかげで敵味方ともに大した成果も挙げられず、ダラダラとにらみ合う日々が続いていた。
しかしその過程で俺は、ある確信を持ちつつあった。
「あのさあ、この戦って、劉備さえ追い出せば、終わるんじゃねえかな?」
「劉備を? そりゃあたしかに劉備が主力を担っているとは思うけど、そう簡単にいくかな? なにしろ敵は、まだ3万近くいるんだよ」
周瑜が言うように、成都には3万ほどの兵士がこもっていた。
しかも兵糧や矢玉は1年分の蓄えがあるというのだから、そう簡単に落ちるとは思えないだろう。
しかし敵の首魁は、あの劉璋なのだ。
史実でも劉璋は、劉備に攻められて成都にこもっている。
やはり3万の精兵と共に、1年の籠城に耐える備えを持ってだ。
しかし数十日も囲まれると、劉璋は降伏してしまったそうだ。
なんか、”益州の民をこれ以上、苦しめたくない” とかいう理由だったらしい。
おかげで劉備の蜀取りが成ったわけだが、これって州の責任者としてどうなのかね?
あまりに惰弱すぎないか?
思うに劉璋自身が、誰よりも戦争に倦んでいたんじゃなかろうか。
でなけりゃ、そうもたやすく降伏するはずがない。
そしてそれは、この世界でも当てはまるのではないか?
「俺が知るかぎり、劉璋は成り行きで益州牧になったような男だ。牧になってからも、まともに統治なんてできず、政治には飽き飽きしているだろう。そこへきて、俺たちの益州侵攻だ。降伏を考えていても、おかしくないだろ?」
「それを劉備一味が叱咤して、延命させているというのかい? ふむ…………どう思う? 魯粛」
その周瑜の問いに、魯粛は感心したように答える。
「孫策さまの推測は、的を射ているように思われますな。こちらから密偵に連絡をとって、調べてみましょう。もしも事実であれば、劉備を追い出す算段をします」
「ああ、その線で頼む。劉備さえいなくなれば、この戦も終わるだろう」
「かしこまりました」
さて、うまくいけばいいのだが。
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建安9年(204年)1月中旬 益州 蜀郡 成都
ハッピーニューイヤー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
成都に潜り込ませた密偵に調べさせたら、やはり劉備が劉璋の尻をたたいていた。
ともすれば弱気になりがちな劉璋を叱咤し、率先して小競り合いを仕掛けることで、軍の士気を保ってたんだな。
一方、それをおもしろく思わない臣下もいるわけで、俺たちはそんなヤツを利用することにした。
「法正がこっちに着いたんだって?」
「はい、降伏後の重用をちらつかせたら、乗ってきました。今は他の臣下をあおって、劉備を排斥する方向に動いています」
「さすがは魯粛。よくやってくれた。密偵の諸君にも、俺が褒めていたと伝えといてくれ」
「ええ、それはもちろん。孫策さまは裏方の仕事を評価してくれるので、私もやりやすいですよ」
「フフフ、それはそうだろうね。孫策は本当に、人を使うのが上手いよ」
「馬鹿野郎。俺は当然のことをしてるだけだ」
周瑜がからかいがちに言うが、実際に裏方を評価するのは大事なことなのだ。
なにしろこの時代は、剣や槍を持って戦うのが、一番えらいみたいな雰囲気がある。
しかし現実にはそれを支える官僚機構あっての活躍であり、さらには戦を左右する諜報活動だって大事なのだ。
あまりおおっぴらには言えないが、我が孫軍団はどこよりも諜報に金を掛けている。
それだけじゃなく、いい働きをした密偵には、感状つきの報奨金も出してるくらいだ。
これが魯粛の配下には、いたく評判がいいようで、彼らの忠誠が高まっているらしいんだな。
やっぱり人間って、誰かに認められたいもんだからな。
認められるといえば、法正もそうだ。
彼は非常に優秀であるにもかかわらず、劉璋には重用されてない。
まあ、法正の性格にも問題があるのかもしれないが、そんな機会もなかったんだろう。
そんな彼に接触すると、トントン拍子に話が進み、劉備排斥に動いてくれることになった。
いずれ劉備の居心地が悪くなったところで、逃げ道を示してやれば……
さて、先が楽しみだな。