37.成都攻略戦
建安8年(203年)10月初旬 益州 蜀郡 成都
徳陽で張任と劉備の連合軍を破ると、俺たちは成都へ向けて進軍した。
そして成都の近郊へ到着すると、適当なところへ野戦陣地を構築する。
それに対して劉璋は最初、成都にこもってこちらの様子を見ていた。
「噂どおり、軟弱な人物らしいね。劉璋は」
「ああ、優柔不断で、州内を統率できないから、領民の評判も悪いらしいぞ」
「ああ、東州兵の話だね」
「張魯もいるけどな」
周瑜が言ってるのは、史実でもあった話だ。
黄巾の乱や董卓の悪政を受けて、この益州にも難民の流入が多くあった。
劉璋の父親の劉焉はそれを受け入れ、東州兵という私兵として、益州の平定に利用したのだ。
しかし劉焉が死に、劉璋がその跡を継ぐと、東州兵の統制が利かなくなる。
東州兵は州内で暴れるわ略奪はするわで、領民からは大顰蹙を買ったらしい。
それでも優柔不断な劉璋はこれを制御できず、領民の支持を失ってしまう。
しかも問題はそれだけではない。
益州の北端に当たる漢中郡には、張魯が率いる五斗米道という宗教集団が居座っていた。
これも元々、劉焉が引きこんだ連中で、最初は仲良くやっていたそうだ。
五斗米道が漢中に居座って、中原との交通を遮断し、益州を半ば独立国のようにしていたらしいな。
しかし劉焉が死ぬと、張魯は調子に乗りはじめた。
まるで独立君主のように、周囲に勢力を伸ばしていったのだ。
その結果、今では漢中郡だけでなく、巴郡や広漢郡の一部を我が物のようにしているとか。
つまり劉璋ってのは、益州牧を名乗りながらも、まともに統治ができていない無能ということになる。
もっともこれには、多少は同情の余地もある。
そもそも劉璋は四男でしかなく、劉焉の跡を継ぐ予定ではなかったのだ。
ところが190年代のドサクサの中で、父と長男、次男が立て続けに逝ってしまった。
そんな中で益州刺史、そして牧へと配下に担がれ、その地位についているような状況なのだ。
ぶっちゃけ本人は、誰かに代わって欲しいとすら、思っているかもしれない。
「そういえば、曹操から苦情が来たんだってね」
「ああ、来たぞ。何を勝手に益州を攻めてんだ~って感じの、詰問状がな」
「フフフ、まあ、当然だろうね」
「ま~な~」
周喩がニヤニヤ笑っているが、俺も平気なもんだ。
つい最近、建業を介して、曹操の書状が届けられたんだが、中身は案の定、今回の益州攻めを非難する内容だった。
”てめえ、誰に断って益州を攻めてんだよ? あんまり調子こいてると、将軍位と官職を取りあげちまうぞ!”
意訳すると、こんな感じかな。
もちろん、もっとていねいな言葉で書いてあったけど。
それに対して俺は、
”いやいや、俺は漢王朝のためを思って、やってるんですよ。劉璋のやつ、宮廷に呼び出されても応じなかったでしょ? だから俺が一発かましてきてやりますよ。曹操さんこそ、袁一族との戦い、がんばってくださいね。はあと”
てな感じで返してやった。
たぶんあれを見たら、曹操はブチ切れると思うが、ヤツは今、袁紹の息子たちとの戦いで大忙しだ。
しかも次男の袁煕と三男の袁尚には、こちらから資金援助をしている。
多少は史実よりも袁家が強化されてるから、曹操もこっちにかかずらってる暇はないだろう。
そんな状況で俺はしばし、劉璋とにらみ合いを続けていた。
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建安8年(203年)10月中旬 益州 蜀郡 成都
ハロー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
てっきり引きこもるかと思われた劉璋だが、2週間ほどして増援が到着すると、野戦の構えを見せてきた。
どうやら北と南に向かわせていた軍を呼び戻したらしく、その数なんと6万に膨れ上がったのだ。
「あれって、州内の兵をほとんど集めてるんじゃねえか?」
「ええ、そうでしょうね。こちらが想定した上限の兵力ですから」
「えっ、それじゃあ、北と南はどうするんすか?」
「そんなもん、無視だろう」
「え~っ、劉璋、アホっすね」
呂範にアホと言われるようなことを、劉璋はやっていた。
つまり州内のほとんどの兵を成都に集めて、他の守りをほぼ放棄したのだ。
北では張魯が、南では孟獲が反乱を起こしている中で、さらに程普と黄蓋の軍も動いているというのに。
しかし必ずしも、それが間違いだとはいえない。
「そうでもないだろう。なにしろ俺を倒せば、軍が引く可能性が高いわけだからな」
「う~ん、そうなんっすよね~。だけどこんだけ守りを固めれば、なんとかなるっしょ」
「まあ、俺はそのつもりだがな」
もちろん俺も、無為に時間を過ごしていたわけではない。
成都周辺に着いてから、あらかじめ目をつけておいた場所に、野戦陣地を築いたのだ。
そこは1方を河に接した場所で、まばらに木が生い茂る丘だった。
俺たちはそこを占拠すると、ただちに土木作業を開始する。
塹壕を掘り、土壁を盛り上げ、木柵を組み上げたのだ。
これには諸葛兄弟に作らせた、スコップもどきやツルハシもどきが、おおいに役立った。
諸葛亮と均の兄弟にだいたいの形を示し、この時代の技術で作りやすいモノに設計してもらったのだ。
さすがにこの時代の鉄は貴重品なので、先端部分の補強に使ってるぐらいだが、それまでの道具よりは作業効率が良かった。
おかげですでにほとんどの作業は終わっており、籠城の態勢は万全だ。
そしてそんなところへ、劉璋の軍団は攻め寄せてきたのだ。
「お~、壮観だな」
「ああ、まったくだね」
「あんなの、防ぎきれるんすかね~?」
「まあ、なんとかなるだろう」
そんなことを言ってるうちに、敵が攻撃態勢に入った。
やがて敵が軍鼓を打ち鳴らすと、一斉に攻撃がはじまる。
「「「うお~~~~っ!」」」
前衛だけでも数千の人並みが、雄叫びを上げて前進してくる。
その怒号と地響きだけで、すくんでしまいそうなほどだ。
しかし敵が射程に入ると、容赦なく矢が放たれる。
「ぐああっ!」
「やられたっ!」
幸いにもこちらは高台に陣取り、しかも土壁で守られている者も多い。
最初の矢戦では、圧倒的に味方が有利だった。
しかし敵も必死で矢を射ってくるし、歩兵の前進も止まらない。
やがて敵の前衛が、こちらの木柵に取り付いた。
「押しつぶせっ!」
「わ~っ!」
「うぎゃっ!」
なんとか木柵に取り付いた敵にも、容赦なく矢が降り注ぐ。
さっきよりも近い距離から射たれた矢が、肉をえぐり、つらぬいていく。
劉璋軍の兵士は哀れな声を上げて、バタバタと倒れていった。
しばしそんな無慈悲なやりとりを続けていると、やがて敵がひきはじめた。
さすがにまだまだ敵に余裕があるので、こちらも深追いはしない。
きっちりと陣地にこもったまま、敵を見送った。
「ふう、まずは様子見ってとこか」
「ああ、こちらがどれだけ堅いか、確かめたってとこだろうね。まあ、こっちの設備にほとんど被害はなさそうだから、出だしとしては上々だろう」
「だな。しかしまあ、こんな戦で殺される兵士が、少し哀れだな」
「フフフ、怖気づいたのかい?」
「そうじゃないさ……だけど、早くこんなこと、終わりにしたいと思ってな」
「そうだね。だけどそのためには、まず勝たないと」
「ああ、そうだな」
まずは敵を押し返した俺たちだったが、まだまだ先は長そうだ。
そして無意味に散っていく命を見て、少しでも早く終わらせてやりたいとも思っていた。