36.劉備軍との戦い
建安8年(203年)9月下旬 益州 巴郡 徳陽近郊
益州に侵攻し、成都を目指していた俺たちの前に、張任と劉備の軍が立ちはだかった。
西から徳陽に向かっていた敵軍は、近くの平原の高台に陣を張る。
こちらもそれに向かい合う形で、陣形を整えた。
「自分たちが劣勢なのは明らかなのに、逃げないってのは、なぜかね?」
「おおかた一戦まじえて、こちらの力を測りたいんだろう」
「ふむ、それであわよくば、蹴散らしてやろうってか?」
「まあ、そんなところだろうね」
こちらが3万もいるのに対し、敵は1万程度だ。
そんな敵の狙いについて、周瑜と推測していると、魯粛も加わってきた。
「おそらく成都で準備を整えるために、時間を稼がねばならないのでしょう。まあ、敵将のメンツもありそうですが」
「ああ、それはありそうだな。特に張飛とか、特攻作戦を唱えてるんじゃないか?」
「フフフ、いかにもありそうだ。いずれにしろ、関羽、張飛、趙雲とくれば、音に聞こえた剛の者だ。こちらもそれなりの武将をぶつけないとね」
「ああ、それについては考えてある。な?」
そう言って後ろを振り向けば、黄忠、太史慈、甘寧が不敵に笑っていた。
「フォッフォッフォ、お任せあれ、孫策さま」
「ええ、奴らの首、俺が取ってきましょう」
「へへへ、腕が鳴るぜ」
彼らは俺が選びだした、劉備軍バスターズだ。
関羽、張飛、趙雲という稀代の猛将に、勝るとも劣らない連中を厳選してみた。
それぞれが強大な武を誇る、とびきりの猛者たちだ。
「ああ、期待してるぜ、みんな」
「「「おうっ!」」」
気合い十分な彼らを横目に、俺は戦の指示を出す。
「それじゃあ、戦を始めよう。まずは小手調べだ」
「ああ、先手を出すよ」
俺の意をくんだ周瑜が指示を出すと、前衛の歩兵と弓兵が動きだした。
すると敵軍もそれに合わせて、前進を開始する。
やがて互いの距離が200メートルほどになったところで、矢戦がはじまった。
互いの弓兵から、無数の矢が射ちだされる。
敵の方が高い位置にある分、勢いはあったが、兵数はこちらが3倍だ。
与えたダメージはこちらの方が、ちょい上だろう。
それを見てとった歩兵が、突撃を開始する。
「「「うお~~~~っ!」」」
敵もそれに応じて突進を始め、やがて中間で激突が起こる。
矛や戟が振り下ろされ、敵を叩き、肉をえぐる。
しかし互いの士気はいまだ高く、どちらもまったく引く様子を見せない。
そんな殴り合いをしばし続けていると、やがて側方で変化があった。
「敵の左翼より、騎兵が発進。戦場を迂回して、こちらへ向かう模様です」
「来たか。率いる将は誰か、分かるか?」
「は、劉備の旗と、美髯の偉丈夫が確認されております」
「来たな、劉備軍。たぶん関羽だから、そっちは任せるぞ、黄忠」
「フハハッ、お任せあれ」
どうやら関羽らしき男が、騎兵を率いているようなので、黄忠に迎撃を命じた。
すると黄忠は3百ほどの騎兵を率いて出発する。
それを見送りながら、周瑜が口を開いた。
「関羽ほどの強者が相手で、大丈夫かな」
「さあな。だけど黄忠だって相当なもんだし、こっちには有利な点もある」
「有利な点って、あれかい? たしかに多少は有利かもしれないけど……」
「大丈夫だって。おっと、今度は敵右翼からも来たな。太史慈、甘寧。頼んだぞ」
「「承知!」」
今度は敵右翼から騎兵接近の報があり、どうやら張飛と趙雲が出てきたらしい。
そこで今度は太史慈と甘寧に指示を出し、迎撃をさせる。
やがて先に出た黄忠が、関羽の部隊と激突するのが遠目に見えた。
「お~、派手にやってるな。しかしとりあえず、当たり負けはしてないみたいだ」
「ああ、むしろ黄忠には、余裕があるようにも見えるね」
はるか遠くで黄忠と関羽が、矛をぶつけあっていた。
彼らは巧みに馬体を操り、位置を変えながら武器を振るっている。
ガツンガツンという音が、ここまで聞こえてくるようだ。
しかし厳密にいうと、このころの騎兵は鐙を持たないため、現代人が想像するほど戦闘は激しくない。
少なくとも中国では、鐙ってのは西暦3百年前後に採用されたもので、この頃には存在しないのだ。
おかげで踏ん張りが利かないため、派手に剣を振り回すなんてマネはできない。
そのためこの頃の騎兵は、矛を突き出すような攻撃が主になるのだ。
しかしもちろん、世の中には例外があるもので、頼りない足場をものともせず、巧みに馬を操るヤツらもいる。
聞けば秦の時代までは、騎兵とは”ただ馬に乗って移動する歩兵”にすぎなかったらしい。
しかし漢の時代になると、北方の遊牧民族との戦いが激しくなる。
遊牧民は幼い頃から馬に乗ってるから、その操縦や戦闘の技術は格段に優れている。
そんな敵に対抗するため、漢王朝は騎兵と軍馬の育成に力を入れた。
そういう環境下で、遊牧民族に匹敵する馬術を身につける者も、多く出てきたのだろう。
そんな変態的な技術を持つ奴らが、遊牧民と渡り合い、また騎兵同士の一騎打ちみたいなことを実現するようになった。
ちなみに俺の中のソンサクも、そんな技に長けた男の1人である。
なんてったって孫策は、孫堅の息子だからな。
わりと小さい頃から乗馬を経験する環境が整っていて、地道に鍛錬した成果である。
でなけりゃ太史慈との一騎打ちなんか、とてもできなかっただろう。
しかしそんな、変態的な技能を持つ者同士であれば、装備に優れる方が優位になるのは必然。
そう考えた俺は、ひそかに鐙の開発を命じていたのだ。
最初は革のわっかから始まって、いまだに試行錯誤は続いている。
そしてそんな鐙を一部の部隊に配布して、訓練を積ませていたのだ。
もちろん黄忠、太史慈、甘寧の部隊はその対象だ。
そんな彼らが、関羽、張飛、趙雲といった英雄と、矛を交えている。
しかも決してひけを取っていない。
いや、むしろ押している感じだ。
やがて黄忠と関羽の戦いに、決定的な動きが生じた。
「よしっ、黄忠が関羽を叩き落としたぞ。これで右翼はもらったようなもんだ」
「いや、そう簡単にはいかないようだね。敵もさるものだ」
「なんだと? 新手か……」
関羽が地面に落ちると、周囲の配下が駆けつけて、黄忠にとどめを刺させなかった。
そうこうしているうちに、新たな騎兵部隊が現れて乱戦になってしまう。
しかし敵も不利は自覚しており、なんとか兵をまとめると、撤退を始めた。
「む、右翼だけじゃなく、左翼も撤退を始めたな。追撃戦に移ろう」
「ああ、指示を出すよ」
劉備軍という切り札が通用しないと悟ったせいか、敵の撤退が始まった。
こちらはもちろん追撃を掛けたが、地理に明るい敵が奮闘する。
しばしば地形を利用して、伏撃を仕掛けてきたのだ。
これによって敵に決定的な打撃を与えられないうちに、日が落ちてしまう。
「チッ、どうやら取り逃がしたか」
「ああ、だけど打撃を与えたことは間違いないし、味方の損害は少ない。まあ、判定勝ちといったところかな」
「ふむ、今回はそれで我慢しておくか」
そんな話を周瑜としていると、黄忠たちが戻ってきた。
「いや~、残念ながら逃げられてしまいましたわい」
「こちらもです。面目ありません」
「でもそれなりに損害も与えてやったぜ」
彼らは残念そうなことを言いながらも、どこか満足げな表情をしていた。
少なくとも俺の配下は、劉備の軍にも負けない。
それが分かっただけでも、よしとするか。
「みんな、ご苦労だったな。な~に、本番はこれからだ。今後も期待してるぞ」
「お任せあれ」
「次こそは殊勲をあげてみせましょう」
「へへへ、任しとけってんだ」
そんな彼らを筆頭に、我が軍の士気は高かった。
この調子で成都まで、攻めのぼってやろうじゃないか。