34.益州攻めに向けて
建安7年(202年)6月 荊州 南郡 襄陽
諸葛亮をスカウトに行ったら、弟の諸葛均もついてきた。
慢性的に人手不足な我が陣営にとっては、まさに渡りに船である。
それで改めて2人の状況を聞いてみたら、実は彼ら、モノ作りが得意だと分かった。
なんか、家具とか農具みたいな物を作っては売り、生活の足しにしていたらしい。
そういえば史実でも、諸葛亮は連弩という武器や、木牛、流馬みたいな輸送器具を発明したと聞く。
それならということで、諸葛兄弟には兵站業務と、製品開発を担当させることにした。
普段は兵站業務に従事しつつ、その合間に武器や輸送器具を開発してもらうのだ。
未来知識にもとづいて方向性を示してやれば、けっこういいモノを作ってくれるかもしれない。
しかし兵站業務と聞いた諸葛亮は、最初、不満そうな顔をしていた。
やはり地味だから、活躍できないとでも思っているのだろう。
そんな彼に俺は、兵站業務の重要性を説きつつ、最後に耳の近くでささやいてやった。
「良い武器とか作れば、歴史に名が残るぞ」
その効果は絶大だった。
彼は表面的には渋りながらも、俺の提案を了承したのだ。
この野心家さんめ。
諸葛亮は自身を、管仲や楽毅になぞらえるほどの自信家だからな。
歴史に名を残すことを、誰よりも欲しているだろう。
俺が後方業務を重視していることも分かったので、なんとか納得してくれたわけだ。
その後、彼らを行政府に連れ帰ると、黄蓋と韓嵩に紹介した。
黄蓋たちは、俺が漢王朝に歯向かうつもりであることも、その際にこの襄陽が重要な防衛拠点となることも知っている。
その防衛体制の構築に役立ててくれと、ぶん投げてやった。
たぶん彼らなら、うまく使ってくれると思う。
がんばれ黄蓋、韓嵩。
そして諸葛兄弟。
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建安7年(202年)7月 荊州 南郡 江陵
襄陽でやることは終わったので、俺は江陵へ移動した。
ここも襄陽に劣らず、人やモノが集まる要地である。
そして情報収集にも有利なので、魯粛たちがここで益州の情報を探っていた。
「益州の状況は分かったか?」
「はい、多少は見えてきました」
「ほう、それで劉備は?」
すると魯粛が益州の地図を見せながら、説明してくれる。
「劉備一行は、まず江州へ上陸したようです。ここでしばし足止めされ、劉璋に連絡が行ったのでしょうね」
「ふむ、それで劉璋はどう答えたんだ?」
「どうやら客将として迎えることに決めたらしく、劉備一行は成都へ向かって旅立ったそうです」
「チッ、やっぱりそうなったか」
俺が舌打ちすると、魯粛が先を続ける。
「まあ、劉備の武名はなかなかのものですからね。おそらく用心棒代わりにでも、雇うのでしょう」
「そうだな。それで、劉備に従っている人数は?」
「それは百人にも満たないとのことです」
「ふ~ん……その中で、有名な人物は?」
「そうですね……関羽、張飛、趙雲、糜竺、糜芳、孫乾といったところですか」
「ふむ……」
やはり関羽、張飛、趙雲はいるのか。
しかし逆にいえば、それ以外は大したことないともいえる。
でも益州で誰か、味方につけるかもしれないな。
劉備って、人たらしらしいからな~。
え、それはお前のことだろうって?
いやいや、劉備には負けるだろう。
なんといったって、3国の一角を担う皇帝になった男だぜ。
いずれにしろ、劉備が新たな人材を得る可能性も含めて、作戦を考えないといけない。
「なんにしろ、益州の軍備が強化されることは間違いない。そのうえでどう攻略するか、意見を聞きたいな」
すると護衛でついてきてる孫河が、おずおずと手を挙げた。
「あの~、そこまでして取らなきゃいけないんですか? 益州は」
「ああ、前にも言ったように、守りやすさが段違いに変わってくるんだ。もしも益州を放っておいて、曹操に取られたらどうなると思う?」
「え~と……長江の上流から攻められる?」
「そのとおりだ。上流で大船団を組んで攻めてきたら、相当やっかいだぞ」
実際に呉が攻め滅ぼされた279年の征呉戦では、王濬率いる水軍7万が益州からなだれ込み、長江流域を蹂躙したという。
下流でそんな敵を迎え撃つなんて、悪夢以外の何物でもない。
「う~ん、それはそうでしょうね。先に益州を押さえておけば、それが楽になると?」
「当然だ。この地図を見てみろ」
俺は中華全体を示した地図を示しながら、さらに説明する。
「いいか。もし中原から益州を取りにこようとすると、この漢中郡を通るしかない。しかしここがまた険しい山に囲まれてて、攻めにくいんだ」
「……はあ」
「そして仮に数万の軍勢を派遣しても、それを維持する兵站がもたないんだ。だからここに優秀な武将を置いとけば、まず落とすことは不可能になるだろう」
「へ~、例えばどんな人なら、守りとおせるんですか?」
「そうだな……血気にはやらない古参で、軍略にも通じている武将。例えば黄蓋や程普、黄忠あたりなら、安心して任せられるな」
「なるほど……しかし現状では、心許ないわけですね?」
「ああ、今、漢中を押さえてるのは、張魯っていって、五斗米道の教祖だからな。戦はずぶの素人さ」
おまけに張魯は劉璋とケンカしてるから、援軍も得られない。
そんなヤツらに益州を任せておくなど、とてもできない相談だ。
そんな話をしていると、周瑜が口を挟んできた。
「だけど協力はするんだろう?」
「ああ、そうだな。とりあえず張魯とは同盟して、劉璋に当たろうと思う」
「まあ、先のことは別として、それが妥当だね。南蛮西南夷とも組むのかい?」
「それは相手しだいだな。渡りはつきそうか?」
そう言って目をやると、魯粛がうなずいた。
「はい。孟獲という南蛮と、連絡が取れつつあります」
「ふむ、張魯と孟獲か。北と南で騒ぎが起これば、劉璋もさぞかし慌てるだろうな」
「そうだね。そのうえで、どう攻めるかだけど、劉璋の軍備はどんなものかな?」
周瑜の言葉で再び注目が集まった魯粛が、スラスラと答える。
「益州で常備されている兵が、およそ1万人ですな。そこから動員を掛ければ、さらに4,5万はいくでしょう」
「ふむ。まあそんなもんだろうな。逆に俺たちは、どれぐらい出せる?」
その問いも予想していたのか、すぐに出てきた。
「そうですな。10万ほど集まるとしても、外へ出せるのは6,いや7万までが限度でしょうか」
「襄陽と建業に1万ずつ。そして反乱対策に1万を残す感じか」
「ええ、最低でもそれぐらいは置いておかねば」
「だよな~」
これでも山越対策をして、以前よりはマシになっているのだが、さすがにこれ以上は削る気がしない。
「仮に張魯と孟獲に、1万ずつ引きつけたとして、残りは3万~4万。まあ、まとめて出してくるはずもないから、各個撃破は可能か。問題は、城にこもられた場合だな」
「そうですね。劉璋のいる成都は、人口も多いですし、武器や糧秣もふんだんに蓄えてあるでしょう。正面からではキツそうですな」
「そうなると、やっぱり内応者とかいると、助かるよな」
期待をこめて見つめたのだが、残念ながら魯粛は横に首を振った。
「さすがにそこまでは入りこめておりません。もう少し時間をいただきたいですな」
「なるべく急いでくれ。もたもたしてると、中原が片づいちまうかもしれない」
すると思い出したように、周瑜が訊いてくる。
「そういえば、中原は今、どうなっているんだったかな?」
「つい最近、袁紹が死にました。後を継いだのは三男の袁尚ですが、長男の袁譚と揉めているようです」
「そうか。それではあまり期待できないね」
中原では史実のとおり、袁紹が病死していた。
しかしこれも史実どおりだが、優柔不断な袁紹が後継者を明確にしておかなかったため、袁家が分裂してしまったのだ。
それがなければもっとふんばれただろうに、袁紹のクソ野郎が。
そんなことを考えながら、中原の状況をまとめる。
「まだ確実ではないが、中原はいずれ曹操が制覇すると思う。もしそうなれば、俺たちを屈服させようとしてくるだろう。そうならないためにも、早急に益州を取る必要がある」
「そうだね。そのために何ができるか、もう一度よく考えてみよう」
「ああ、みんな頼む」
こうして危機感を共有しつつ、益州攻めの軍議が終わった。
はたして俺たちは間に合うのだろうか?
ちなみに諸葛亮がなぞらえたと言われる2人は、こんな人たちです。
管仲:斉の桓公を覇者に押し上げた、春秋戦国時代の名宰相
楽毅:燕の昭王を助け、仇敵の斉を滅亡寸前まで追い込んだ稀代の軍略家
彼らと比べて諸葛亮は、宰相としては優秀ですが、軍略家としては微妙って感じですかね。




