29.山越賊の脅威
建安6年(201年)7月 揚州 丹陽郡 建業
「おんぎゃ~~~!」
「男の子です」
荊州も平定して、その開発に取り組んで早半年。
その間、この2月には待望の嫡男が誕生していた。
もちろん母親は正室の大橋で、見事に大役を果たしてくれたことになる。
子供の方も元気で、今のところはスクスクと育っている。
無事に成長すれば、こいつが孫紹となり、俺の跡を継ぐことになるだろう。
(今はまだ幼名しかない)
その一方で、揚州と荊州の開発は順調に進んでいた。
まず領内の治水と水運の推進だが、建業と襄陽の周辺から、ぼちぼち始めている。
ぶっちゃけ領内が広すぎて、いつになったら終わるのかも分からんが、できるところからやってる感じだ。
少なくとも治水が終わった地域の住民からのウケはいいし、港の整備は商人から大絶賛だ。
おかげで寄付金も集まって、さらに港が整備できるという、好循環になりつつある。
さらに堤防と水門を作って湿地の水位を調整すれば、農地も増えるしな。
おお、民の歓呼の声が聞こえるぞ。
それから交州への経済侵攻だが、こっちも着々と進んでいる。
今は南海郡だけでなく、隣の合浦郡にも進出し、交州ー揚州間の取り引きは右肩上がりだ。
交州を仕切っている士燮一族からすれば、既得権益を侵されて苦い思いをしているだろうが、悪いことばかりでもない。
なんといっても、孫策水軍が海賊を取り締まってくれるので、航路の安全性が増している。
おかげで交州に立ち寄る商人の数は増えてるので、思っていたよりも彼らの利益は減っていないのだ。
もちろん、今までボッタクってた分は取れないけどな。
それから揚州で中小の商人を集めて、共同で船を出す仕組みの斡旋も始めた。
従来だったら大商人に限られていた南海貿易を、共同で出資して船を出すことで、中小の商人でも参加できるのだ。
今はまだ数も少ないし、租税も優遇しているので、俺にメリットは少ないが、いずれ効果は出るだろう。
商圏は広がるし、金は出回るし、人も増えるしで、いいことだらけだ。
フハハッ、夢が広がるじゃないか。
次に通信手段の確立だが、これも徐々に進みつつある。
今では襄陽ー建業間の水路、陸路が整備され、一定間隔に駅を設置した。
さらに短時間で連絡を取るため、狼煙台の設置も進んでるし、伝書バト計画も進行中だ。
今はインド方面から、カワラバトを仕入れているところである。
それが使えるようになれば、我が陣営は大きなアドバンテージを得るだろう。
なんかオラ、ワクワクしてきたぞ。
しかしそんな領内にも、問題がないわけでもなかった。
「また、山越賊が出たのか?」
「はい、会稽の街が襲われたそうです」
「まったく、次から次へと。ゴキブリかって~の」
「え、ゴキブリって、なんですか?」
「あ~、黒くてこれくらいの、うっとうしい虫だ」
「ああ、油虫ですか……」
少し領内が安定してきたと思ったら、山越賊の被害が増えてきやがった。
どうやら数年前に徹底的に叩いたのが、息を吹き返しているようなのだ。
もちろんこっちも定期的に賊の討伐はしているし、異民族の同化政策も進めている。
しかし元々、揚州や荊州の南部は人口密度が低く、たくさんの異民族が跋扈する土地である。
そんな場所で取り締まりが徹底できるはずもなく、管理も行き届かない。
それをいいことに、山越賊は山を下りてきては略奪を働き、騒乱を巻き起こすのだ。
ちなみに山越賊と異民族の間には、明確な違いがある。
時の政権に歯向かうのが山越賊で、それ以外はただの異民族だ。
特に揚州にいるのはほぼ山越賊で、荊州はわりとおとなしい部類だったりする。
山越賊も元々は越族という、長江南岸に住んでいた異民族を、その祖とするらしい。
しかし次第に北から逃れてきた、犯罪者や逃亡者がそこに加わり、明確に敵対するようになったとか。
なまじ漢民族の知識や技術があるものだから、始末に負えない。
そんな凶悪で狡猾な山越賊が、揚州にはうじゃうじゃいる。
もっとも彼らは普段、山岳地帯に生息し、焼畑農業なんかをやっているらしい。
そのため数百人単位の里に分かれ、バラバラに暮らしているのだ。
だからひと口に山越賊と言っても、千差万別であり、基本的にまとまりはない。
たまに腕自慢の豪傑が、数千人の賊を糾合してみせるが、それも内情はバラバラだ。
つまり権力者側が討伐を行っても、モグラ叩きのようにキリのない状態になる。
それこそが、山越賊問題の難しさなのだ。
これはとても手には負えないと思った俺は、主な文官・武官を集め、対策を練ることにした。
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「今日はわざわざ集まってもらって、悪いな。実は山越賊について話したいんだ」
「「「あ~、あいつらですかぁ」」」
山越賊の名に、周泰、蒋欽、賀斉、呂蒙といった将が顔をしかめる。
彼らは普段から賊の存在に、悩まされているのであろう。
特に賀斉は反乱討伐のエキスパートであり、山越賊の天敵みたいに言われるほどの男だ。
「知ってのとおり、最近、奴らが攻勢を強めている。俺たちの怖さを忘れたってのもあるだろうが、領民との軋轢も、あるんだと思う」
「領民との軋轢とは、どういうことですか?」
そう問うたのは陸遜だ。
「ああ、ここんとこ領内の開発を奨励してるからな。おかげで土地が足りなくなって、山越との接触が増えてるんじゃないかな」
「ああ、そういうことですか。それはたしかにありそうですな」
「なるほど」
俺の言葉に、張昭や魯粛もうなずいている。
ちなみに今日のメンバーは、文官が張昭、諸葛瑾、秦松。
それに軍師系が魯粛、陸遜、龐統、徐庶。
武官としては、太史慈、周泰、蒋欽、賀斉、凌操、陳武、董襲、呂蒙、黄忠、甘寧、魏延、孫河らがいる。
いつも一緒にいる周瑜、黄蓋、程普、韓当、呂範らは、荊州の各郡に太守として赴いている。
いずれ内政は郡丞に仕切ってもらうにしても、当面は現地でにらみを利かせつつ、軍を編成してもらう必要があるからだ。
呂範のチンピラっぽい声や、周瑜の美声を聞けないのは寂しいが、少しの間だけと我慢している。
同様に孫賁、孫輔、朱治も、丹陽以外の揚州各郡の統治に忙しい。
ちなみに俺が太守をしていた会稽郡は、俺が荊州牧になると同時に、弟の孫権にゆずった。
今頃は補佐につけた虞翻の下で、ヒーヒー言いながら、統治の勉強をしているはずだ。
さらに今年18歳の孫翊と、15歳の孫匡の弟2人。
そして妾腹だが、やはり弟の孫郎(14歳)には、俺のそばで勉強をさせている。
彼らにはいずれ将軍や太守として、大任を担ってもらう必要があるからだ。
そんな中、山越の天敵 賀斉が物騒なことを言う。
「領民に危害を加えているのなら、なおさら強く出ねばなりませんな。数年前のように、めぼしいところを総ざらいしますか?」
「う~ん、それも手なんだがな……俺としては、硬軟おりまぜていきたいと思うんだ」
「ほほう、硬はいいとして、軟はどうされるので?」
「う~ん、そうだなぁ……」
どう言おうかと考えを巡らしていると、陸遜の利発そうな顔が目につく。
「陸遜はさ、山越賊から受けてる最大の被害って、なんだと思う?」
「え、山越の被害、ですか……それは領民が略奪を受けること、ですよね?」
困惑ぎみに答える陸遜に、俺は首を横に振った。
「まあ、それもたしかに害ではあるんだけど、最大ではない。俺たちは普段、賊に備えて、いろいろなところに兵を配置しているよな?」
「ええ、そうでもしないと、対応できないですから……あっ、そういうことか」
陸遜が思い当たった顔をする一方で、ほとんどの者はけげんな顔をしている。
現時点で分かっていそうなのは、魯粛、陸遜、龐統、徐庶、そして呂蒙ぐらいのものか。
やはり軍師系は、頭の回転の速さが違うようだ。
そんな中で、賀斉が疑問の声を上げる。
「孫策さま、兵の配置がなんなのですかな?」
「うん、陸遜は分かったんだろ?」
ここで陸遜に振ると、彼は自信なさそうに答える。
「ええ、正解かどうかは分かりませんが……私たちは、常に山越に備えなければならない分、兵力を損しているのです」
「兵力を損?……あ~、そういうことか」
そう言われて賀斉も、ようやく合点がいった顔をする。
「そう。もしも山越に備える兵をなくす、もしくは減らせれば、俺たちはそれだけ、強くなれるんだ」
「「「なるほど~」」」
しかしそれが簡単にできれば苦労はない。
それをみんなで、話し合おうじゃないか。
作中でゴキブリを油虫と呼んでますが、これは日本の話です。
実際には”フイレン”と呼ぶようです、念のため。