幕間: 劉備クンは軍師が欲しい
建安5年(200年)10月 豫州 汝南郡北部
俺の名は劉備 玄徳。
なんでも俺は、漢の皇族 中山靖王 劉勝の血を引いてるらしいぜ。
300年も前のご先祖だから、本当かどうか知らんけど。
事実だとしても、めっちゃ薄い血な。
だって劉勝の子孫ってすげえ多くて、その数は万を超えると言われるんだぜ。
それに俺んちなんて、ワラジとかムシロを編んで生活してたし。
ぶっちゃけ、ただ劉姓を名乗ってるだけの庶民と言われても、否定できない。
それはさておき、袁紹のところへ身を寄せていた俺は、ヤツから汝南を攻めるよう指示されていた。
曹操の背後を脅かして、戦況を有利に導こうというのは、合理的な考えだ。
それでわざわざ汝南までおもむいて、地元の賊と組んで敵を攻めていたんだが……
「長兄よ、曹操の軍が、こちらへ向かっているそうだぞ」
「マジか? 袁紹の野郎、もう負けたのかよ!」
「ほんと、役に立たないっすね、あいつ~」
俺を長兄と呼ぶのは、関羽 雲長。
見事なヒゲをたくわえた偉丈夫だ。
彼はその武力もさることながら、けっこう頭も良いらしい。
なんか、春秋左氏伝とか暗記してるんだって。
それがどれくらい凄いことか、よう知らんけど。
そして俺と一緒に袁紹をけなしてるのが、張飛 益徳だ。
つぶらな瞳がちょっとかわいい、ヒゲヅラの大男である。
こいつも腕っぷしは相当なものだが、頭はあまり良くない。
それがまたヤツの、かわいいとこなんだけどな。
それで関羽の情報によると、曹操がこちらへ向かっているらしい。
それってつまり、袁紹はすでに負けたってことだよね?
あっれ~、おかしいな~。
たしか袁紹の方が倍くらい、兵数は多かったはずなんだけどな~。
ほんっとに使えねえな、あのボンボン。
口を開けば、”我が袁家は四世三公の~”とか、”汝南袁家こそ、天下に号令するべき家柄で~”とか言いやがって。
お前のせいで、洛陽の袁一族が董卓に処刑されたの、知ってんだぞ、バ~カ。
それなのに抜け抜けと、よくもまあ……
いや、そんなことはどうでもいい。
問題は今後の行き先だ。
俺は配下の糜竺と孫乾に問いかけた。
「なあ、これから俺たち、どこへ行けばいいと思う?」
「……それなのですが」
「やはり荊州はやめた方がよいかと。行くにしても、すばやく通り抜けるべきです」
「ええ~、マジで~?」
彼らが申し訳なさそうに言った言葉に、思わず不満がこぼれてしまう。
たしかに頼る予定だった劉表が、孫策に討たれたとは聞いている。
しかし劉表の残党はまだ残っているだろうし、あわよくば孫策と同盟できないかとも考えていた。
すると同じことを考えていた関羽が、疑問を口にする。
「何が問題なのだ?」
「それが、襄陽から南の地域では、我らの人相書きが出回っており、見つけ次第ひっ捕らえると言っているようなのです」
「え、マジで? 俺たちって、そんなに曹操に恨まれてんの?」
予想外の事態に、思わず孫乾に聞き返してしまう。
すると彼は、言いにくそうに答えた。
「いえ……どうも孫策が自発的にやっているらしく、曹操の指示ではないようです。おそらく曹操に敵対した我らを売ることで、歓心を買おうとしているのでしょう」
「うっわ、俺たちの武力よりも、首の方が役に立つってか、くそ……そうなると、同盟は諦めるしかないかぁ。それじゃあ、劉表の残党は?」
しかし孫乾は、やはり首を横に振る。
「恐ろしいことに、もうほとんど制圧されているそうです。治安も急速に回復しているため、南陽郡から難民が流れこんでいるほどだとか」
「え、マジかよ?……たしか劉表が討たれたのって、ほんの2,3ヶ月前だったよな?」
「ええ、そのとおりです。孫策伯符、聞きしにまさる切れ者かと」
敵を褒めるその言葉に、思わず反論が口をついて出た。
「チッ、そんなのどうせ、優秀な軍師とかついてんだろ? たしか周瑜とか、張昭や張紘もいるって聞いたぜ」
「ええ、そのようですね。武将だけでなく、優秀な文官も多く抱えているようで」
「くそ、俺にもそんな軍師がいればなぁ……」
何気なくいった言葉に、糜竺と孫乾が顔をわずかに歪める。
俺は失言したことに気づいて、すぐに言い直した。
「ああ、そういう意味じゃねえんだ。糜竺と孫乾は、よくやってくれてるよ。ほんと、感謝してる」
「もったいないお言葉」
「しかし我らは内政はともかく、軍略にうといのも事実です」
そのまましばし、気まずい雰囲気が流れる。
こいつらは俺が徐州牧になって以来の付き合いだが、その後も俺についてきてくれている。
糜竺なんかすげえ金持ちだったのに、それを全て俺に懸けてくれたのだ。
しかし俺は軽率にも、呂布を信じて徐州を乗っ取られ、その後も結果を出せず、こうしてフラフラしている。
はたしていつになったら、彼らに報いてやれるのか?
そんなことを思っていたら、趙雲が話題を変えてくれた。
「それで、残る選択肢としては、益州に劉璋どのを頼るか、涼州の馬騰どの、韓遂どのになるんですかね?」
「え、ええ。それぐらいしか、ありませんね」
「ええ~、どっちもめっちゃ遠いじゃん……」
せっかく話題が変わっても、やはりろくな話にはならない。
益州なら漢中を抜けるか、長江をさかのぼらねばならないし、涼州ははるか北西の辺境である。
たしか漢中には張魯ってヤツがのさばってて、通行を妨げているって話だから、益州に行くには長江をさかのぼるしかないな。
だけどそんなの、下手すりゃ孫策に捕まって、打ち首じゃね~か。
かといって涼州なんてほとんど人も住んでない辺境だし、蛮族がウヨウヨしているとも聞く。
そうなると通行に難があるとしても、益州の劉璋一択かなぁ。
なんてったって同じ劉姓だから、多少は歓迎してくれるだろうし。
「……事実上、劉璋しかないんじゃねえか?」
「うむ、儂もそう思うな。長兄とは同じ劉姓であるから、多少は融通もきくであろう」
「う~ん、そうでしょうか? 涼州だって羌族を味方につければ、頼もしいかもしれませんよ」
「いやいや、なんの当てもなく行っても、難しいでしょう」
「ですかねぇ……」
趙雲だけは涼州もありだと思ってるらしいが、他は益州一択だ。
結局、俺たちは曹操が来る前に、汝南の地を去ることにした。
「なんつ~か、こう……俺たちの軍師になってくれるような人が、現れないもんかね。呂尚とまでは言わなくても、張良みたいな人がさ」
「それ、めっちゃぜいたくっすよ、あにい」
「だよな~」
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【諸葛亮】
「ん? 気のせいか……」
かくして劉備と諸葛亮の間の糸は、断ち切られた~。
文末で名が出た呂尚は太公望とも呼ばれ、周王朝の建国に尽力した名軍師。
張良も劉邦を助けて、漢王朝の建国に尽力した名軍師です。
両方とも超有名で、無い物ねだりの典型ってお話。
まあ、三国志演義では、同じようなこと言った後に諸葛亮を得てるんで、そうでもないんですけどね~。
ちなみに最近、演義に目を通しているんですが、あれは孫呉ファンにはキツイ読み物ですね。
特に”赤壁の戦い”の前後がひどい。
諸葛亮、持ち上げすぎだろう……