27.孫策の野望
建安5年(200年)10月 揚州 丹陽郡 秣陵
荊州の大部分を併呑した俺たちは、秣陵で今後の戦略を話しあっていた。
「交州については、無理攻めをせず、経済的に侵略ということですね。それで、北や西はどうされますか?」
興味津々な風で訊いてきたのは、呂蒙だった。
史実では魯粛の跡をつぎ、関羽を討ち取ったあの勇将である。
彼は会稽攻略後に見出され、最近は賀斉と共に山越の討伐に従事していた。
そのため派手な会戦に参加して、手柄を立てたいのであろう。
「ああ、そのことだがな。北は守りを固めて、西を攻めることになるだろう」
「西というと、益州ですな」
そのつぶやきに、周辺の諸将が舌なめずりをするように、目を光らせる。
どいつもこいつも、よほど手柄が欲しいらしい。
すると今度は周泰が、疑問の声を上げた。
「なぜ北は守るだけなのですか? 中原では今、袁紹と曹操が対峙していたはず。曹操の背中を襲って、天子さまを奪うことも不可能ではないでしょう?」
その言葉に、何人かの武将がうなずいている。
しかしいろいろな意味で、それはできないのだ。
「まあ、そう思うのも無理はないよな。しかし曹操をなめていたら、足元をすくわれるぞ。俺はそろそろ、中原で決着がつくと思っている。もちろん曹操の勝利でだ」
「なんと。それほどか……」
「う~む、本当だとしたら、由々しきことであるな」
「さすがは、若。頼もしいのう」
俺がはっきりと言いきると、多くの者がざわついた。
俺の戦略眼をほめてる者もいるが、それは前世知識によるインチキである。
今、中原では”官渡の戦い”の真っ盛りだが、たしかこの10月に曹操に輸送隊を叩かれ、袁紹が敗走するのだ。
戦力的には袁紹が有利であったにもかかわらず、彼は部下の献策を取り入れなかった。
おかげで許攸という部下が曹操に寝返り、兵糧の輸送隊の情報が漏れてしまう。
この輸送隊の壊滅がきっかけで、袁紹の軍勢は大崩れとなり、黄河の向こうへ逃げ出すのだ。
この情報は現在進行中なので、さすがのスパイマスター魯粛ですら知らない。
まあ、歴史が変わっていたら分からないが、今のところその兆候はない。
そんな状況に加え、俺には曹操を切れない理由もあった。
「それにな、曹操にはまだ利用価値があるんだ。この俺に、もっと高位の官職を与えるっていうな」
「いや、それこそ天子さまを奪えば、なんとでもなるでしょうに」
「おいおい、ここから許都まで、どれほど掛かると思ってんだ? そんな遠くへ軍を送って、天子さまをかっさらうなんて、俺にはとうていできないね」
「むう。そう言われれば、そうかもしれませんな……」
なにしろこの秣陵から、天子のいる許都まで、軽く300キロ以上はあるのだ。
実際の移動距離でいえば、500キロはあるかもしれない。
移動には河を使えるから、多少はマシかもしれないが、天子の奪取なんて非現実的にもほどがある。
一応、正史にも、孫策が死の直前に許都の襲撃を企てた、とある。
しかし実際にそのための軍を動かした形跡はないので、あくまで計画倒れだったのだろう。
仮に実行したとしても、夏口城すら落とせない状況で成功したとは、とても思えない。
それぐらいなら、曹操に協力するふりをして、官職をもらった方がよほど現実的だ。
一応、劉表は曹操の敵性勢力だったのだから、それを打ち破った俺をないがしろにはできまい。
あわよくば荊州牧と、より高位の将軍職をもらえるよう、張紘に工作させてるとこだ。
「ということで今は、より高位の官職をもらって、江南の支配体制を固めるのが最優先だ。そして折を見て、益州へ侵攻する」
「「「おおっ!」」」
そのひと言に、多くの配下が目を輝かせていた。
戦争なんてしないですむなら、その方がいいのになぁ。
手柄を立てるには、戦争が手っとり早いのだから仕方ない。
そんな中で、呂蒙が疑問の声を上げる。
「あ、あの~、孫策さま? 益州を攻めると言っても、そう簡単ではないですよね? 何か方策でも?」
「いや、その辺は臨機応変だが、心当たりがないでもない。益州の状況について、紹介してくれるか? 魯粛」
「はいはい、お任せを」
魯粛は情報を書き留めているメモ帳をめくりながら、喋りはじめる。
「え~、現在の益州ですが、劉璋が牧を務めております。ご存じのように、益州は高い山に囲まれた豊かな地です。そのため中原の影響は少ないですが、漢中では張魯という男が敵対しています」
「うん、まずはそこがつけ込む隙のひとつだな。それから南の方は?」
「はい、南の方には蛮族が跋扈しておりますな。それらがしばしば人里を襲ったり、反乱を起こしたりしているようです」
「まるで山越と同じだな」
「はい、似たようなものですな。あまり協調は期待できませんが、敵の戦力を分散する助けにはなるでしょう」
その後、魯粛は地図を広げながら、主要な都市や砦の配置を紹介してくれた。
俺はここで、逆に呂蒙に訊ねる。
「さて、呂蒙。お前だったら、どう攻める?」
「ええ? 私がですか? うう~ん……」
まさかそう訊かれるとは思ってもいなかったのか、呂蒙が考えこむ。
それでもしばらくすると、彼は自分の考えを語りはじめた。
「そうですね。可能かどうかは分かりませんが、まずは漢中の張魯とは同盟を結びます。そのうえで兵を挙げさせて、注意を引きつけたところで、我々は長江をさかのぼって攻めこみます。しかしこのままでは時間も金も掛かるし、犠牲も大きいでしょう。できれば内通者を用いたいところですね」
すると韓嵩が、情報を補足してくれた。
「それについては、それなりに可能性があるかと。劉璋はほんの数年前に、父親から牧を引き継ぎました。しかしその政策は軟弱で引きこもりがちなため、一部の臣下には不満を抱く者がいるとか」
「ほう、具体的には誰だ?」
「そうですな。例えば法正や孟達という者が、不満をこぼしていると聞いたことがあります」
「ふむ、ありそうだな。いずれにしろすぐに動くわけじゃない。魯粛の方では、張魯や蛮族との連絡、そして不満を抱く家臣の洗い出しを頼む」
「はい、了解しました」
ここで周瑜が手を挙げて、俺に問う。
「それで孫策。仮に益州まで手に入れたら、その後はどうするんだい?」
「うん?……そうだな。当面は守りを固めて、力を蓄えるつもりだ」
「フフフ、力を蓄えて、それからどうするんだい?」
「ふん、そんなの分かってんだろ」
「いやいや、君の口から聞きたいな」
なかなか言わない俺に、周瑜が決断を迫ってくる。
仕方ないので、俺も腹をくくった。
「コホン……じゃあ、言おう。いずれ機会を見て、俺は中原も支配する。この天下を、俺のものにするんだ」
「「「おおっ」」」
多くの者が期待に目を輝かせる一方で、不安そうな顔をする者もいた。
途方もない話についていけない者もいれば、漢王朝に遠慮する者もいるだろう。
そんな奴らのために、俺は少しおどけるようにつけ足した。
「まあ、あくまで最終目標はそこってだけで、今すぐどうこうはならない。実際にどこまでやれるかなんて分からないからな。だけどまあ、最後までついてきてくれれば、悪いようにはしない。だから覚悟は決めておいて欲しい」
「フハハッ。実に胸が躍りますな。この黄蓋、どこまでもついていきますぞ、若」
「俺もついていくっす」
「私も!」
黄蓋、呂範、孫河などが俺の支持を表明すると、他の多くもそれに同調していた。
そんな彼らに気を良くしながら、ふと気になったことを口にする。
「そうだ、魯粛。劉備の動向って、分かるか?」
「劉備 玄徳ですか? たしか今は、袁紹の陣営に加わっていたと思いますが」
「ああ、それは聞いてる。だけど俺の予測が確かなら、そろそろ足抜けすると思うんだ」
「はあ、孫策さまの予想が当たっていれば、その可能性は高いですね」
「だろ? 俺の勘だと、同じ劉姓のつてで、劉璋につくような気がするんだ。ヤツの行く先を、探ってもらえるかな?」
「はい、かしこまりました」
史実で劉備は、袁紹に見切りをつけると、劉表を頼って荊州に落ち延びてくる。
しかしこの世界で劉表は、すでに俺に倒されてしまった。
ならば劉璋を頼る可能性は、低くないだろう。
すると陸遜が俺に問う。
「もしも孫策さまを頼ってきたら、どうするのですか?」
「そりゃあ、もちろん、ひっ捕らえて曹操へ突き出すさ。奴は曹操に敵対してるからな」
「え、でも味方にできたら、心強いのではないですか?」
「味方になればな。だけど無理だろう。最初は従っても、いずれ牙をむくさ」
「そんなものでしょうか?」
「ああ、俺の知る限り、劉備ってのはそういう男さ。油断はできない」
三国鼎立の一角を担うような英雄が、俺の配下に甘んじているはずがない。
ほいほい寄ってきたら、確実に息の根を止めてやる。
まあ、そんなに上手くは、いかないだろうがな。




