24.襄陽陥落、ついでに老将も
建安5年(200年)7月 荊州 南郡 襄陽
降伏交渉にきた韓嵩を帰したその晩、異変が起きた。
「孫策さまっ、城内から火の手が上がっております」
「なんだって?」
急報を聞いて天幕から外に出てみると、たしかに襄陽の中が明るく、なにやら騒がしかった。
「あんな状態で打って出るはずもないから……内部抗争か?」
「おそらくそうだろうね。降伏派と抗戦派に分かれて、争ってでもいるんじゃないかな」
「あ~、そういうこと……」
周瑜の説明に納得していると、逆に彼から問いただされた。
「孫策の指示ではないんだね?」
「ああ、とりあえず韓嵩に任せるつもりだったから、何も指示していない」
「ふむ、ならば劉表の自滅ということだろうね。兵に攻めさせるかい?」
「……いや、下手に突入させて、兵を損ないたくない。朝まで警戒は解かずに、交代で兵を休ませよう」
「ああ、それがよさそうだ」
そう言うと、周瑜は兵の指揮を執るため、去っていった。
俺もしばらく情報を確認してから、天幕へ戻った。
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グッドモーニング、エブリバディ。
孫策クンだよ。
朝起きてしばらくすると、襄陽の門が開いた。
そして白旗を掲げた一団が、またもや俺の下へやってくる。
「おはようございます、孫将軍。昨晩はお騒がせいたしました」
「おお、韓嵩どの。無事なようでなによりだ。何やら城内で騒ぎが起きていたようだが、決着したのか?」
「はい。私が将軍のご要望をお伝えしたところ、一部が暴発しまして……幸いにも、朝までには決着がつきました」
「そ、そうか……それで、劉表どのは?」
すると韓嵩は顔をうつむけ、悲しそうな顔をする。
「残念ながら乱闘に巻きこまれ、お亡くなりになりました。現在はご子息の劉琦さまが、指揮を執っておられます」
うわ、劉琦ってたしか、劉表に嫌われてる方の子供じゃん。
ひょっとして劉琦が叛旗をひるがえして、弟の劉琮もろとも討ち取ったとかじゃねえだろうな。
いずれにしても、おそらくこれはチャンスなのだろう。
ためらうことはない。
「なんと!……それは残念なことをした。お悔やみ申し上げる」
「ありがとうございます……それで本題ですが、劉琦さまは将軍に降られる用意があります」
「おお、それは重畳。これ以上、無駄な血を流すのは、私も本意ではないのでな」
「はい、劉琦さまも、そうおっしゃっております。つきましては、昨日うかがった条件は、今も生きているのでしょうか?」
「もちろんだ。劉表どのに代わり、劉琦どのの列侯就任を上奏しよう」
「重ね重ね、感謝を。これで戦も終了させられましょう」
そう言うと、韓嵩は再び襄陽へもどっていき、劉琦と話をつけてくれた。
やがて城門が開放され、俺たちの入場が許される。
俺は一部の部隊を率いて、襄陽の中に進軍した。
「うわ~、けっこう激しいっすね」
「ああ、思ってたよりも、ひどくやり合ったみたいだな」
城内のあちこちには火災の跡が残り、死人やケガ人も多く見られた。
やがて行政府らしき館にたどり着くと、そこでも片づけの真っ最中である。
するとそこを指揮していた者が、俺たちに気づいて、近づいてくる。
「ようこそ、襄陽へ。儂は仮に軍を預かっておる者で、黄忠と申す」
「おおっ、貴殿が黄忠どのか。ご高名はかねがね……」
「はて、儂ごときの名前をご存じで?……なるほど、すでに情報で大きく負けておったのですな」
やべ、この頃の黄忠はまだ無名だったか。
たしか劉表の下で、中郎将(准将クラス)までいったと思ったが、まだ仕官したばかりなんだろうな。
しかし黄忠は俺の言葉を、こちらが情報収集にたけているがゆえと判断したらしく、しきりに感心している。
まあ、密偵を使ってさんざんに敵を揺さぶったのだから、そう思うのも無理はない。
いずれにしろ襄陽攻略戦は、こうしてあっけなく幕を閉じたのだった。
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建安5年(200年)7月 荊州 南郡 襄陽
襄陽を占領してしばらくすると、劉表の死の真相が見えてきた。
どうやら襄陽内では、ひと月ほど前から降伏派と抗戦派に分かれ、暗闘が繰り広げられていたらしい。
抗戦派は劉表を筆頭に、将軍の蔡瑁が支援する形で大きな勢力を保っていた。
しかし俺たちの切り崩しが効いたのか、韓嵩や蒯越、蒯良ら参謀格が、長男の劉琦を旗頭にして巻き返しに出た。
そして連日の説得により、劉表がいくらか譲歩の姿勢を見せたので、韓嵩が俺との交渉役を買ってでたそうだ。
それでつい先日、俺の出した条件を持ち帰ったところ、劉表がブチ切れた。
韓嵩に対してひどい罵声を浴びせ、剣まで抜いたらしい。
蒯越や蒯良のとりなしで事なきを得たが、これで劉表は決定的に人望を失ってしまう。
その後、このままではいずれ殺されると思った韓嵩は、いち部隊長の黄忠に相談をしたらしい。
黄忠は主君に背きたくはなかったものの、韓嵩には恩があった。
それに兵士や領民の大多数は、長期の籠城に倦んでおり、どう見ても民意は明らかである。
やむなく彼は制圧部隊を編成し、劉表の身柄を拘束しにいったそうだ。
しかし蔡瑁率いる部隊と乱戦になり、気がつけば主要な人物は全て死んでいた、ということらしい。
ホンマかいな?
韓嵩たちにとっては、都合が良すぎるような気がする。
その辺のところを黄忠につっこんでみたら、彼はいっさい言い訳をしなかった。
ただ己の不徳の致すところ、と言うだけで、後はだんまりだ。
俺はそんな彼に、カマをかけてみた。
「ふうむ、それはなんとも不思議なことよな。しかし劉表どのは、荊州刺史に就任した際、かなり強引な手を使ったとも聞く。それを恨みに思っている者も、いたのであろうな?」
すると黄忠はわずかに身じろぎをしたが、黙ってそのまま頭を下げていた。
どうやら当たりらしい。
たしか10年ほど前に荊州入りした劉表は、州内を掌握するため、主要な豪族を呼び寄せたのだ。
すると55人もの豪族がそれに応じたが、劉表はそれを全て斬ってしまったらしい。
そうでもしないと統制が取れなかったとはいえ、なんとも乱暴な話である。
結局、それを恨みに思っていた兵士が、黄忠の配下にまぎれていたのではないだろうか。
そしてそいつが、勝手に劉表と劉琮を斬ってしまった。
なんとなくそんな構図のような気がする。
そして黄忠はそれを配下のせいにはせず、自分でひっかぶろうとしているのだろう。
そのために主君殺し、もしくは部下も統制できない無能者と言われようとも。
そんな不器用な黄忠に、俺は重ねて声を掛けた。
「たしかに不幸な出来事はあったようだが、その後の対処と、後始末の腕は見事だな」
「はは、お褒めにあずかり、恐悦至極」
「うむ。それでな、今後は俺のために、力を貸してもらえないか?」
「はあ?」
おそらく新たな仕官は叶わないと、思っていたのだろう。
黄忠が間の抜けた返事を返す。
俺はそんな彼を、さらに誘った。
「実をいうとな、人がぜんぜん足りんのだ。幸か不幸か、蔡瑁どのも死んでしまった。誰か荊州の兵をまとめる将が、早急に必要であろう?」
「し、しかし、何もこのような老骨を使わなくとも」
たしかに黄忠はすでに、50歳を超えた爺さんだ。
しかしその動きは矍鑠としているし、たしか史実でもけっこう長生きしたはずである。
「いや、その経験と知識をいかしてもらいたい。もう決めたからな。なに、死ぬまで働けとは言わん。だがもうしばらくは、つき合ってくれ」
「……ハハハ、孫策さまは変わっておられますな」
「ああ、よくそう言われる。これからよろしく頼むぞ」
すると黄忠は観念したように肩を落としてから、グッと胸を張り、拱手の礼を取った。
「分かりました。この老骨の命、孫策さまにお預けしましょう。今後ともよしなに」
こうして俺は、有能な老将をも手に入れたのだ。
拱手とは、胸の前で右拳を左手で包むように握るしぐさです。
中国映画でも見られる、感謝や依頼を示すあいさつの一種ですね。