23.襄陽への進軍 (地図あり)
いよいよ新章突入です。
建安5年(200年)5月 荊州 南郡 襄陽
なんとか暗殺イベントを回避して、豫章郡を制圧していた孫賁たちが戻ってくると、我が軍は南郡への侵攻を開始した。
夏口から漢水(長江の支流)を遡上し、敵の本拠地である襄陽を目指したのだ。
その兵力は約2万人。
さらに同盟を結んでいる長沙、零陵、桂陽からも兵を出してもらい、武陵を攻撃した。
これにより劉表は荊州南部から兵を集めることはできず、南郡からしか徴兵できなくなっている。
実は荊州の北部には、まだ南陽郡があるのだが、ここはすでに使えない。
そこを押さえていた張繍という群雄が、とっくに曹操に降伏しているからだ。
ちなみに劉表は袁紹や張繍と組んで、曹操と敵対していたのだから、なかば賊軍と言っていい。
そんな劉表に援軍を送ってくれるとしたら、もう袁紹しかいないのだが、ヤツは曹操との決戦間近で、そんな余裕はこれっぽっちもない。
それから俺が刺客に襲われた際、”孫策は重症だ” という噂を流したので、多少は油断していたのだろう。
結局、劉表は1戦もすることなく籠城戦を選び、1万ほどの兵力で襄陽にこもってしまった。
今回攻める襄陽は、南郡のほぼ北端に当たり、漢水を挟んで南に襄陽城、北に樊城が向かい合う双子城を構成している。
現代では、その両方をひっくるめて襄陽市と呼ばれてる場所である。
史実では208年から魏に支配されており、それを取りにいった関羽が、呉と挟み撃ちにあって討ち死にしてしまう、”樊城の戦い”が有名である。
さらに時代を下れば、モンゴル帝国が南宋を滅ぼす起点となった、”襄陽・樊城の戦い”(1267~1273年)もつとに名高い。
この時、両城は孤立無援となってからも、10万の敵軍を2年に渡って食い止めたのだから、その重要性が分かろうというものだ。
それにこの襄陽は、中原の中心部にほど近く、北と南を結ぶ輸送路の要ともいえる場所でもある。
つまり江南に独自の勢力を築こうという孫策にとっても、非常に重要な拠点となる。
そんな襄陽をのぞむ場所に、俺たちは陣営を築いていた。
「さて、予想どおりに敵は襄陽にこもったけど、どうやって落とすつもりだい? 孫策」
「まだ分かんねえよ。とりあえず圧力を加えつつ、城兵に揺さぶりを掛けるってとこかな」
「揺さぶりって、どうやって?」
「”どんなに籠城をしても、味方は来ない”って内容を、矢文や噂で広めるんだ」
「ふむ、実に地味だね。他に何か、隠し玉はないのかい?」
「そんなもんがポンポン出てくれば、苦労しねえよ」
「フフ、違いない」
俺の本音に、周瑜も苦笑する。
実のところ、周瑜は最初から分かっていて、俺と会話してるはずだ。
そうすることで、周囲の幹部たちに、俺の意図を理解させる役目を担ってくれているのだ。
しかしさらに疑問を覚えた呂範が、俺に問う。
「この間みたいに、密偵を潜ませてないんすか?」
「もちろん潜ませてるさ。だけど夏口城でやったことは敵に伝わってるから、同じことはできないぞ」
「え~、でもそれなりに効果はあるっすよね?」
「そりゃあ、あるかもしれないけど、犠牲が大きすぎる。この間だって、9割は死んだんだぞ」
「う~ん、それはキツイっすね」
なにしろ夏口城では20人も送りこんだのに、たった2人しか救出できなかったのだ。
生き残った者も、ボコボコにやられていて、回復に時間が掛かっている。
敵のど真ん中で破壊工作をするというのは、それほどリスクが高い難事なのだ。
それでも夏口城攻略は、どうしても失敗できない作戦だったので、最大の手札を切った。
その結果、密偵の人材が枯渇し、襄陽で同じ手は使えない、というのが実状である。
もっとも、あまり危険を伴わない任務向けには、大量の密偵を放ち、城内に潜ませてある。
彼らには敵の情報収集であったり、兵士や住民の不安をあおる煽動をやってもらう予定だ。
「ま、敵が出てこない限り、今回は搦め手が中心だ。ただし気は抜かないようにな」
「「「おうっ!」」」
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建安5年(200年)7月 荊州 南郡 襄陽
あれからひと月もしないうちに、武陵郡が落ちた。
元々、長沙で反乱を起こした張羨に近しい人物が、太守をやっていたらしい。
そこを荊州南部の軍勢に城を囲まれて、さらに襄陽は俺に攻められているので、援軍は絶望的。
その辺を張羨がコンコンと説得したら、降伏してきたそうだ。
こうして俺は荊州南部の4郡を制圧し、襄陽は包囲中となった。
残る南郡のほとんどはまだ制圧できていないが、劉表の援軍に駆けつける勢力なぞ、あるはずがない。
さらに俺は武陵へ太史慈を派遣して、その軍勢をもって南郡の制圧にも取りかかった。
じきに襄陽以外は、完全に俺の軍門に降ることになるだろう。
そんな内容を俺は、襄陽の中へ親切に教えてあげた。
矢文と、密偵による噂の拡散でだ。
おかげで2ヶ月ほど経った今、敵の士気はだだ下がりらしい。
「フフフ、ずいぶんと壁の向こうは、煮詰まってきてるようだね」
「ああ、あっちにとっての状況は、刻々と悪化してるからな」
「そうだね。それとそろそろ、劉表の重臣にも渡りがついてるころかな?」
「ご明答。蒯良、蒯越、韓嵩、劉先なんかと、連絡が取れつつある。どいつも降伏に傾いてるらしいぞ。中で強く抵抗しているのは、蔡瑁ぐらいのものかな」
「それは重畳。この分なら、そう遠くないうちに落ちそうだね」
「だといいんだがな」
城内では密偵が、劉表の重臣に連絡を取りつつあった。
幸いにも感触は悪くなく、徐々に降伏の声が高まっているようだ。
俺たちはその後も休まず、外からは威嚇を加え、内からは重臣の切り崩しを続けた。
そうこうしているうちに、とうとう敵に動きが出た。
「降伏の使者、か?」
「いえ、降伏とは言っていませんが、とにかく交渉がしたいそうです」
「交渉ねえ……いいだろう。ここに通せ」
「はっ」
襄陽から白旗を掲げた一団が出てきたので、意図を確認させると、交渉がしたいとのことだった。
こちらとしても願ってもないことなので、まずは話を聞くことにした。
交渉団が俺の陣幕に通されると、1人の男が進み出る。
「はじめまして、孫将軍。私は韓嵩 徳高と申します」
「おお、貴殿があの韓嵩どのか。ご高名はうかがっている」
「とんでもない。私などとてもとても」
いきなり大物が出てきた。
彼は史実でも劉表に正論で諫言したり、曹操のところへ偵察にやられても無事に帰ってきたような硬骨漢である。
その頭脳の冴えもさることながら、ビシっと筋の通った彼の態度は、信頼するに十分な理由となる。
「ふむ、それで今日は、どのようなお話かな?」
「はい、我が主の劉表さまは、将軍との交渉を望んでおられます」
「それはこちらも望むところだが、具体的な内容は?」
「はい。仮に、もし仮に我が主が降伏するとすれば、その後の対処はどのようになるのでしょうか?」
「そうだな……無血で襄陽、ならびに樊城を明け渡してもらえるのであれば、その身の安全は保証しよう。どこかへ落ち延びたいというのであれば、その協力もする」
「そうですか……寛大なご処置、感謝します。それでは荊州もしくは揚州で、1郡を任せてもらうわけには参りませんでしょうか?」
韓嵩が涼しい顔で、とんでもない要求を突きつけてきやがった。
郡を任せるということは、つまり太守に任命しろってことである。
しかし劉表ほどの名門が、俺の下でおとなしくしているはずがない。
俺は内心でしかめつらをしながら、それに答える。
「ゴホン……それは劉表どのが、私の傘下に収まるということだな。しかし劉表どのは、皇室に連なる高貴なお血筋だ。田舎者の私の下で、命令に従いつづけることなど、まず不可能であろう。それぐらいであれば、私から上奏して、列侯に封じてもらうのが得策ではないかな?」
列侯に封じるということは、爵位とどこかの土地を与えるわけだが、統治権はない。
そこの税収から収入は得られるが、統治自体は役人がやるので、事実上、隠居するようなものだ。
その提案について、韓嵩はしばし考えると、渋々とうなずいた。
「やはりそれしかありませんか……その方向で一度、我が主と相談してみたいと存じます」
「うむ、よろしく頼む」
こうして前交渉は終わり、韓嵩たちは襄陽へ帰っていった。
この分なら、近日中に降伏の知らせが聞けるかもしれない。
その時はそう思っていた。