22.暗殺イベントを乗りこえて
建安5年(200年)4月 荊州 江夏郡 夏口城
夏口城で荊州の攻略を進めていたら、あっという間に春になった。
中原では史実のとおり、袁紹が南下を始め、緊迫度がどんどん高まっている。
そして4月といえば、俺が刺客に襲われる時期でもあった。
「顔色が悪いようだよ、孫策」
「……そ、そうか? 最近、ちょっと、寝つきが悪くてな」
「おやおや、君らしくないね。というよりも、奥さんを呼んだから、夜が忙しいんじゃないのかい?」
「ああ、まあ、それは否定できないな」
江夏郡の治安も良くなったので最近、結婚したばかりの大橋を呼び寄せた。
おかげで夜が忙しいのは事実だが、問題はそこにはない。
悪夢にうなされるのだ。
それは荊州の過半を手に入れ、順風満帆の俺が突如、暴漢に取り囲まれ、めった刺しにされる夢だ。
最悪の気分で飛び起きると、体は寝汗でびっしょりである。
そんな、ひどく気分の悪い夢を、しばしば見ていたのだ。
大橋がいろいろ気を遣ってはくれるのだが、彼女のせいではないのだから仕方ない。
だけど俺が未来の歴史を知ってるなんて言えないから、よけいに気まずくなる。
そんなこんなで、いささか寝不足気味だった。
「それはそうと、いつまでここで様子を見るつもりだい? 廬陵の方も片づいたから、そろそろ攻勢に出てもいいと思うけど」
「う~ん、そうだな。長沙や零陵も安定してるのか?」
「ああ、さすがに大軍を出せるほどではないけど、民心は落ち着いてるよ」
「そうか……それなら孫賁たちが合流したら、襄陽へ向けて打って出るか」
「了解。今度の軍議で提案できるよう、準備を整えておくよ」
「ああ、頼む」
さすがは無二の親友である周瑜だ。
さりげなく作戦を提案して、俺をサポートしてくれる。
今まで襄陽攻めを躊躇していたのは、暗殺フラグをつぶしておきたかったからだ。
それをつぶしておかないと、戦場で暗殺されるような気がして、戦に集中できない。
しかし4月も中旬になってきたのに、一向に襲われる気配もないので、フラグは折れたかとも思いはじめた。
なにしろ史実で孫策は、江夏郡の攻略に失敗し、江東にいるはずなのだから。
そこで許貢の食客たちと、偶然、行き合ってしまったのが運の尽きだったわけだな。
それに対してここは夏口城だし、身の周りも親衛隊で固めている。
だから俺の死亡フラグも折れてたらいいな~、と思うのだ。
しかしやはり、歴史の修正力ってやつは、そんなに甘くなかった。
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建安5年(200年)4月下旬 江夏郡 夏口城 城下
城下に住む豪族同士の諍いがあり、やむなく俺が仲裁に入った。
その帰りの移動中、突如10人以上の暴漢に囲まれたのだ。
「天誅っ!」
「死ねや、オラ~っ!」
「許貢どのの仇~っ!」
そいつらはまさに、危惧していたとおりの刺客どもだ。
馬に乗っている俺に向かって、武器を手にした暴漢が迫りくる。
しかしさすがに俺も用心していたので、20人に増強した親衛隊が、奴らを迎え撃った。
武勇に優れる兵士を選りすぐっただけあり、親衛隊は有利に戦闘を進めている。
これならばじきに片づくな、と安堵したのがいけなかったのだろう。
ふいに死角から弓矢が飛来したのだ。
矢は狙いあやまたず胴に命中し、その衝撃で俺は落馬してしまう。
「ぐあっ!」
「兄貴!」
「孫策さま!」
地面に叩きつけられた衝撃で、身動きがとれない。
そんな俺に、手早く敵を片づけた呂範たちが駆け寄ってくる。
呂範に抱き起こされた俺は、なんとか声を出した。
「ぐっ、俺は大丈夫だ。この矢を射った奴は?」
「はっ、こいつです」
「くっ」
矢を放った男は、逃げる気もなかったのか、ふてぶてしく連行されてきた。
俺は息も絶え絶えといった声音で、そいつに問う。
「貴様ら、許貢の食客か?」
「ふんっ。ああ、そうだ。お前に天誅をくだしてやったのだ」
「ぐうっ……お前ら、だけでやったのか?」
「さあな。まあ、多少は金や情報を援助してくれる者はいたがな。貴様はそれだけ、恨まれてるってことだ。さっさと地獄に落ちるがいいわ! ペッ」
暴漢の野郎、最後にツバまで吐きやがった。
俺は気力を振り絞って、指示を出す。
「くっ……そいつを尋問して、情報を引き出せ。それと誰か、車を借りてきてくれ。さすがに馬には、乗れん……」
「大丈夫すか? 兄貴。おい、だれか馬車か牛車を持ってこい」
「ははっ」
その後、大騒ぎの末に、俺は太守の館に担ぎこまれた。
周りの者たちは、顔面蒼白で付き添っている。
しかし無事に館に入ったところで、俺はヒョイと体を起こした。
「あ、兄貴。大丈夫なんすか?」
「ああ、大したケガはない。馬から落ちたおかげで、体中が痛いけどな」
「だけど矢が……」
「こんなこともあろうかと、鎧を着てたんだ。それも矢よけの特別製をな」
そう言いながら俺は服を脱ぎすて、その下の鎧も外す。
それは金属に布や竹などを組み合わせた、特注品だ。
万が一にも矢が貫通しないよう、いろいろと工夫してもらった。
おかげで肌着をはだけてみても、矢の当たった場所には傷ひとつない。
「ああ、本当だ。良かったっす、兄貴」
「マジか? あれで傷ひとつないなんて……」
「さすがは孫策さま……」
そんなやり取りをしていると、周瑜や黄蓋など、主だった人物が集まってくる。
「賊に襲われたって、本当かい? 孫策」
「ああ、どうやら許貢の食客だった奴ららしい」
「なんて執念ぶかい……それでケガは?」
「幸いにも無傷だ。ちょっと馬から落ちて、体は痛いけどな」
そう言いながら俺に刺さった矢を確認すると、怪しげな液体が塗ってあるように見えた。
「毒、だろうな?」
「ああ、おそらくそうだろう。本当にケガはないんだね?」
「こんなこともあろうかと、特別な鎧を着こんでたからな」
「それは良かった。しかしそんなことなら、外出するべきではなかったね」
「そういうわけにもいかんだろう」
周瑜の言うことはもっともだが、有力な豪族が相手では、知らんぷりもできない。
完全に閉じこもりっきりで、顔を見せない領主なんてのも、外聞が悪いしな。
俺は心配する家臣を前にして、今後の対策を指示した。
「まあ、今回のことを糧に、警備体制は見直そう。俺たちが勝ち続けるかぎり、恨みを持つものは増えるばかりだからな」
「うっす、二度とこんなこと、させないっす」
呂範をはじめとした親衛隊が、決意を顔に浮かべていた。
今後は彼らのがんばりに期待しよう。
「あ、それと俺は重症だって噂、流しといてくれ。周瑜」
「ああ、了解だ」
その指示だけで俺の狙いを悟った周瑜が、すぐに返事を返す。
どれだけ効くか分からないが、俺が重症だと知れば、劉表は油断するかもしれない。
暗殺騒動なんて金輪際ごめんだが、せいぜい利用させてもらうとしよう。
その後、捕らえた暴漢どもをていねいに尋問したが、大した裏は出てこなかった。
せいぜい俺に恨みを抱く人物や勢力が、金や情報を融通したという程度だ。
ちなみに史実では、曹操の参謀である郭嘉が、俺が暗殺されると予告していたらしい。
それも”孫策が曹操の留守を狙い、許都から天子を強奪しようとしている”、との噂が流れる中でだ。
その後、実際に孫策が暗殺されたことから、郭嘉の関与を疑う説もあるが、それはどうだろうか?
なにしろ許都から江東は遥かに遠く、そう簡単に計略が施せるとも思えない。
しかもあちこちに敵を抱える中で、孫策のみをピンポイントで暗殺するなど、まず無理であろう。
まあ、ひょっとしたら、敵対勢力に情報や金を渡すぐらいはしてたかもしれないがな。
それから孫策による許都襲撃ってのも、どうにも現実味がない。
計画したというわりには、そのための軍団が動いた形跡が、まったくないのだ。
実行する前に孫策が死んだと言われればそれまでだが、仮に生きてても実現したかどうか。
なにしろ許都は遠いからな。
そんな暇や兵力があるのなら、地道に荊州を攻略した方が、よほどマシであろう。
まあ、この世界ではやる気もないし、荊州の攻略は順調だ。
暗殺も阻止したからには、この調子で江南の地盤を固めてやろうじゃないか。
いっそのこと、この世界の歴史を大きく塗りかえてやるのも、おもしろいな。
以上、第1章の終了です。
なんとか暗殺を回避した孫策は今後、その先の未来を切り開いていくことになります。