21.荊州東部はいただいた
建安4年(199年)11月 荊州 江夏郡 夏口城
城内に潜んでいた密偵の破壊工作により、俺たちは夏口城を手に入れた。
5千人ほど詰めていた敵兵の多くが討たれるか逃げるかする一方、2千人ほどが投降した。
そしてその中には、敵将の黄祖もいた。
「父上の仇、覚悟しろっ!」
「待て、権」
「兄上、なぜ止めるのですかっ?!」
後ろ手に縛られた状態で、黄祖が引き出されてくると、弟の孫権が剣を抜いて斬りかかろうとした。
すかさずそれを制止すると、孫権は不満そうに抗議の声を上げる。
「たしかに黄祖どのは父上の仇だが、別に罠にはめられたわけでもない。正々堂々の戦いのうえであれば、それは戦場のならいであろう」
「しかしそれでは、私たちの義理が果たせませぬ!」
孫権が感情に任せて言い返す。
まだ18歳でしかない彼にとっては、我慢がならないのだろう。
しかし俺はそんな彼の肩に手を置き、正面から見据えた。
「俺たちの義理とはなんだ? 父上は死んだのだから、黄祖どのもあの世へ送らねばならんのか?」
「そうですっ! それがせめてもの、たむけとなりましょう」
「そうかな? 俺は父上がそんなことで喜ぶとは、思わんがな」
「……なぜです、なぜなのですか?」
俺が目に力をこめて断言すれば、孫権は目を伏せながら問う。
「今回、黄祖どのと戦ってみて、俺は改めて思った。彼は優れた武将だ、と」
「……それは、どのようにですか?」
「彼の戦いは手堅く、そして兵にも慕われている。何よりもすばらしいのが、戦の目的を見失わないことだ。今回の場合は、なんとしてでも夏口城を保ち、江夏郡を守ることだった」
「だからなんだというのですか? 父上はその男に、殺されたのですよっ!」
怒りのやり場をなくした孫権が、子供のように駄々をこねる。
俺はそんな彼の肩を叩きながら、優しく言ってやった。
「かように優れた武将に敗れたのならば、決して父上の恥にはならんだろう? 逆に彼を殺しでもすれば、それこそ孫家の恥を天下にさらすようなものだ。俺たちがなすべきは、父上の最期について、黄祖どのから聞くことだとは思わないか?」
「ううっ……ぐすっ……そうかも、しれません」
「そうかそうか。分かってくれたか。よかったよかった。おい、誰か、黄祖どのの縄をほどいてやってくれ」
「よ、よろしいのですか?」
俺の指示に、最寄りの兵士が驚いて問い返す。
しかし俺は断固として指示を繰り返した。
「構わん。むしろ親父どのの最期を聞かせてもらうのに、失礼であろう。さあ、すぐにほどけ」
「は、はあ」
その後、縄を解かれた黄祖は、呆然としつつも、ポツポツと孫堅の最期を語ってくれた。
ぶっちゃけ、最後は孫堅の勇み足なので、褒められた話でもないのだが、その辺はうまく取り繕ってくれた。
やはり優秀な人間なのだろう。
ゲームとかだと、全然つよい印象ないんだけどな。
「うむ、そうか。親父どのは最後まで、勇ましく戦ったのだな」
「あ、ああ。まさに武人の鑑のような人だったと思う」
「なるほど。貴重なお話を感謝する。そして親父どのと正々堂々、戦った黄祖どのに、最大限の敬意を」
「よ、よせやい。照れるじゃねえか」
「いやいや、俺の本音だ。あいにくと貴殿ほど優秀な武将を、解き放つわけにはいかんからな。しばらく拘束させてもらうが、待遇には配慮しよう」
「くっ……感謝する」
そう言うと黄祖は涙を浮かべながら、おとなしく牢屋へ護送されていった。
それを見ていた黄蓋が、愉快そうに話しかけてくる。
「カカカッ、若は人たらしじゃのう。あれはもう、落ちたぞ」
「何を人聞きの悪い。俺は誠実に対応しただけだ」
「よう言うわい。完全に計算づくじゃろう」
「アハハ、言っとけ」
表向きは否定したが、黄蓋の言うとおりだ。
いずれ対劉表戦が落ち着いたら、黄祖を勧誘するつもりでいる。
優秀な武将はいくらいても構わないし、俺が敗者に寛大だという風聞は、今後の役に立つからな。
こうして俺の夏口城攻略は終わった。
兵士や密偵などの犠牲はあったものの、城を落とせなかった史実とは大違いだ。
ここから俺は、新たに天下を目指すのだ。
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建安5年(200年)1月 江夏郡 夏口城
ハッピーニューイヤー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
夏口城を陥落させた俺は、順調に江夏郡を制圧し、ほぼ全郡を掌握しつつあった。
それと並行して、長沙で反乱を起こしていた張羨に連絡を取り、彼と同盟を結んだ。
さらに彼を介して零陵と桂陽をも抱きこみ、荊州の東部を掌握した形になる。
これは劉表にとって、大きな打撃となるだろう。
さらに揚州は豫章郡の対応だが、孫賁・孫輔兄弟に5千の兵を預けて、改めて制圧に向かわせた。
豫章では華歆という男が太守の地位にあるのだが、彼と顔見知りの虞翻を仲介にして、お話をした。
すると華歆もすでに覚悟していたらしく、あっさりと太守の地位を退き、俺に譲ってくれたのだ。
5千の兵士という圧力もあるが、俺が現状の漢王朝から官職をもらっているのも大きいだろう。
華歆も漢王朝に仕える役人なのだから、あえてケンカすることもないと、おとなしく退いてくれたのだ。
彼には今後も、我が軍のアドバイザーとして、働いてもらおうと思っている。
さて、無事に太守の座は手に入ったのだが、それで豫章全体が従ってくれるわけでもない。
実は豫章南部の廬陵には、僮芝という反乱分子が陣取り、太守を自称していた。
そこで当然ながら、孫賁と孫輔には僮芝の討伐を命じてある。
いずれ郡内が片づけば、豫章を分割して彼らに太守の地位を任せる予定だ。
さて、こうして見ると、俺もずいぶんと出世したものである。
とうとう揚州の大部分を支配し、荊州もその半分近くを握ったことになるのだ。
これなら揚州牧と荊州牧の地位を、もらってもいいんじゃないかと思うほどである。
ちなみに同じ州の責任者である、刺史と牧の違いは、軍の指揮権を持つか否かである。
刺史が郡太守を監察する立場でしかないのに比べ、それに軍の指揮権を持たせたのが牧になる。
後漢が成立した時点で、刺史に統一されていたのだが、黄巾の乱で不安定になったため、牧が復活した形だ。
なのでこの時代は、刺史と牧が併存していたりする。
もし州を統べるとしたら、牧になりたいよな。
しかし曹操も、そこまでは甘くない。
揚州には曹操が指名した厳象っていう刺史が、しっかりと存在するのだ。
各郡の太守までは許せても、その上に立つ刺史もしくは牧までは、俺に任せられないってことだな。
荊州についても、今の牧である劉表は曹操の敵なんだから、俺を牧にしてくれてもよさそうなもんだ。
しかしさすがの曹操も、俺が劉表の足を引っ張ることは許しても、より強大になることは喜ぶまい。
なのでこちらは西側4郡の支配権を確立して、さらに残りも取ることで、それを追認させようと考えている。
ちなみに現在の曹操は、劉備に背かれたうえ、董承による暗殺計画が露見した頃だ。
さらに来月ぐらいには袁紹が南下の動きを見せるので、こっちにかかずらってる暇はない。
その後は世にも名高い”官渡の戦い”が待っているので、2年ぐらいは動けないはずだ。
その間になんとしても、俺は地歩を固めねばならない。
しかし俺に問題がないかというと、そんなことはない。
なにしろこの4月には、俺の暗殺イベントが控えているのだ。
すでに歴史を変えているとはいえ、なんらかの動きがそこであると見ている。
なんとかそれを生き残れれば、改めて荊州を併呑し、江南の支配を固めたいものである。
はたして俺の運命やいかにってとこだな。