20.反逆の狼煙 (地図あり)
建安4年(199年)9月 荊州 江夏郡 西塞山
皖城を速攻で落とし、廬江郡をあらかた制圧できたので、いよいよ荊州攻めだ。
俺は2万の兵を率いて、劉勲とにらみ合っている孫賁・孫輔軍に合流した。
「異常はないか? 孫賁」
「ああ、黄射の軍勢が合流したまんま、ひきこもってるぜ」
「そうか。それじゃあ、一気に蹴散らすか」
「その言葉を待ってたぜ」
劉勲は孫賁に負けた後、荊州は江夏郡の西塞山に逃げこんだ。
奴はそこで砦を築きながら、江夏郡を守る黄祖に援軍を頼んだのだ。
本来なら袁術の配下だった劉勲は敵のはずなのだが、黄祖はおそらく俺を危険視したのだろう。
弟の黄射に水軍5千を与え、劉勲の援軍に向かわせたのだ。
史実だと黄射が合流する前に、劉勲は孫策軍に追い落とされ、北へ逃げていく。
しかしここでは俺が廬江の制圧を優先したため、そうなっていない。
つまり、敵が強化されているのだが、だからといって勝てないわけじゃない。
なんといっても我が軍は精強で、しかもたっぷりと休養を取っていたからだ。
「攻め落とせ!」
「「「おうっ!」」」
倍以上の数を誇る我が軍が、一斉に動きだした。
敵もそれに応じて動きだすが、動きが鈍い。
こちらは多くの旗を立て、軍鼓を鳴らして威嚇しているのだ。
大軍を見せつけることによって、敵の萎縮を図ったのが、うまくいったようだ。
やがて味方の水軍が黄射の軍を圧倒しはじめると、情勢が大きく傾いた。
黄射の軍が、我れ先に逃げはじめたのだ。
当然、そうなると劉勲の兵も、うわついてしまう。
元々敵の砦も、野戦陣地に毛が生えたようなものだったので、長くはもたなかった。
半日もしないうちに砦は落ち、劉勲は北へと逃げていく。
しかし俺たちは劉勲を追わず、黄射の水軍を追撃した。
あわよくば敵にまぎれ、黄祖が陣取る夏口城に攻めこもうとしたのだが、さすがにそれは甘かった。
黄祖は我が軍が迫っているのを知ると、味方が外に残っているにもかかわらず、堅く門を閉じてしまう。
「チッ、こもられたか」
「この城は堅いから、厄介だね」
「ああ、長期戦になるぞ。その前に、敵の援軍が来るかもしれないけどな」
「フフフ、それは願ってもないことだね。せっかくだから、黄祖も出てきてくれればいいのに」
「そう上手くいけば、いいんだがな」
逃げ遅れた黄射の兵を片づけつつ、俺たちは夏口城を囲んだ。
そしていろいろと攻めたり、挑発してみたりしたのだが、黄祖は亀のように閉じこもって、出てこない。
なにしろ敵にとってこの夏口城は、非常に重要な拠点なのだ。
江夏郡のほぼ真ん中に位置し、長江に面しているため水運にもにらみが利かせられる。
逆にいえば、この夏口城を取られると江夏郡の支配体制は崩壊する。
そしてそれは1郡に留まらず、荊州全体に広がる恐れがあるのだ。
というのも、江夏郡の南にある長沙郡では、反乱が起きているからだ。
なんか張羨っていう太守が、劉表と仲違いしたらしい。
しかも長沙だけでなく、零陵郡や桂陽郡も一緒になって、反乱してるってんだからバカにならない。
その辺の動きもあって、俺は廬江でしばらく様子を見ていたのだ。
この状況をうまく使えば、労せずして荊州の大半を得られるだろう、と。
実際に都合のいい展開の中、10日ほど城を囲んでいると、新たな動きがあった。
「上流で砦を築いてるだと?」
「ああ、沙羨の辺りに、砦を築いてるそうだ。敵の武将は劉虎と韓晞。兵数はおよそ5千といったところだ。案の定、長沙の反乱で余裕がないようだね」
「フフン、それなら蹴散らしてやるさ」
「ああ、もちろんだよ」
荊州の要地である夏口城が襲われてるってのに、たった5千しか出さないとは、劉表もずいぶんと余裕がないようだ。
おそらく本来は夏口城の黄祖と合流するつもりだったのだろうが、すでに城は囲まれている。
やむなく長江上流にある沙羨に砦を築き、俺たちに圧力を掛けるつもりだろう。
俺は夏口城の包囲に1万の兵を残し、残り1万で長江をさかのぼった。
上流にはたしかに砦が築かれつつあったが、その兵数はわずか5千ほど。
俺は砦が強化される暇も与えずに、総攻撃を仕掛けた。
さすがに常設の城ほどの堅固さもないため、早々に味方が有利となる。
我が軍の士気はすこぶる高いため、半日もしないうちに、敵は総崩れとなった。
劉虎と韓晞も逃亡し、後には多くの兵糧と船が残されていた。
当面は劉表も、これでおとなしくしていることだろう。
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建安4年(199年)10月 江夏郡 夏口城
劉表の援軍を叩き返してから、早くも1ヶ月が過ぎた。
しかし戦況はまったく芳しくない。
なにしろ黄祖の野郎は、夏口城に閉じこもって、一向に出てきやしないからだ。
まあ、5千の味方が、2万の敵に囲まれているのだ。
普通に考えたら勝てっこない。
しかし人間は感情の生き物だ。
だから挑発すれば、多少は突出する馬鹿も出るかと思ったのだが、それが一切ない。
こちらは野次に留まらず、近隣の焼き討ち、捕虜の公開処刑など、あらゆる手を打ったのにだ。
その点、黄祖という男は徹底しており、さすがは孫堅を討ち取った勇将というべきか。
実を言うと、孫策も史実で黄祖にやられているのだ。
とある歴史書では、孫策は散々に黄祖を打ち破り、それを朝廷に報告したことになっているんだが、それではおかしいのだ。
もし本当に黄祖を倒したなら、そのまま江夏郡に居座って、荊州の攻略を進めていただろう。
しかし実際には、孫策は揚州に兵を返し、豫章郡を制圧した。
勝ったのに、なんで支配地を放棄して帰っちゃうのかって話だ。
え、元々、支配するつもりがなかったんじゃないかって?
違うんだな。
孫策は荊州への出兵前に、周瑜を江夏郡太守に、程普を零陵郡太守に、呂範を桂陽郡太守にと、それぞれ指名しているのだ。
これって、荊州の南部を取る気マンマンってことだ。
であるにもかかわらず、江夏郡から撤退した理由は?
なんのことはない、黄祖を攻めきれなかったのだ。
おそらく劉表からの援軍は打ち破ったものの、夏口城は落とせなかったのだろう。
そのくせ負けたとは言えないから、”黄祖(の援軍)は打ち破った。だから勝利だ(キリッ)” とでも報告したんじゃなかろうか。
しかし本来の目標である、”江夏郡の占領”には失敗している。
今まで勝ち続きだった孫策にとって、それは初めての戦略的敗北であろう。
そして今の孫策にも、同じような状況がのしかかっていた。
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建安4年(199年)11月 江夏郡 夏口城
ハロー、エブリバディ。
孫策クンだよ。
あれからさらに1ヶ月ねばったが、一向に埒が明かないので、一部兵力を揚州へ戻すことにした。
半数の1万を陣払いさせ、豫章へと向ける。
主将は太史慈と虞翻だ。
しかし長対陣の疲れからか、兵士の顔色は優れない。
まるで敗北して逃げる敗軍のようだ。
この俺も、史実の孫策のようになってしまうのだろうか?
その日の深夜、突如として夏口城の城門付近で、火の手が上がった。
その対応で、城兵が右往左往している間に、我が軍は城に攻め掛かる。
兵たちは昼間の暗い雰囲気もどこへやら、烈火のごとく夏口城の城壁に突進した。
敵の妨害もなんのそので、城壁にはしごを立てかけ、上に上がろうとする。
敵も必死で防戦しているが、その旗色は悪い。
何しろ城内では火災が発生し、大混乱していたからだ。
やがて内部に侵入した味方によって、夏口城の城門が開け放たれると、より多くの兵が城内に突入していく。
あれほどの堅固さを誇っていた夏口城も、こうなればあっけないものである。
城外でそれを見ていた俺に、周瑜が話しかけてくる。
「やったね、孫策」
「ああ、これも魯粛のおかげだ」
「ああ、そうだね。魯粛と、この任務に命を懸けてくれた密偵のおかげだ」
「……やはり救出は難しいか?」
「まず無理だろう。敵も馬鹿ではない」
「そうか……ならばせめて、残された家族には厚く報いよう」
「ああ、それでいいさ」
今回の作戦のキモは、魯粛の組織した密偵による決死隊だった。
この日のために魯粛は、1年以上も前から密偵を夏口城に潜ませていたのだ。
とはいえ、そう簡単に城門を開いて、味方を引き入れるなんてことはできない。
城門付近は厳重に警備され、不審者を寄せ付けないようになっているからだ。
そのために俺は2ヶ月も城を囲んだうえで、あえて味方の半分を退かせてみせた。
もちろん情勢が良くないという噂を、あえて味方に流し、苦境に陥っている雰囲気も作ったりしている。
これによって、わずかに気の緩んだ敵の隙を突き、密偵が場内で騒ぎを起こしたのだ。
そしてその策は見事に図に当たり、こうして夏口城は落ちつつある。
ただし任務を果たした密偵の命は、まず望めないであろう。
だとしても、これは俺の運命を変える、大きな一歩となる。
刺客による暗殺を防ぐだけでなく、俺が仲間と共に生き残るための。
これこそが転生孫策の、反逆の狼煙だ。